よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 -憂国

2009年04月01日 | 映画
丁度バイトの途中だったと思う。大学卒業前の11月だから、せっせとバイトに明け暮れていた。その時は、何やら訳のわからない封筒(政党がらみのパーティ券かも)を指定された企業の総務部に届ける仕事である(何で郵送しないで、わざわざ届けるのか、良く分からぬ世界のバイトではあったが)。

昼時なので、飯屋に入ったら、「三島が自衛隊に乱入したらしい」と事件を報じていた。仕事があるので、あわただしく飯をかきこみ、鶴見へ向かったことを覚えている。仕事を終えて帰る途中、ニュースが今度は、三島の割腹を告げていた。頭の中では、あの「憂国」の映画がグルグル回っていた。

彼が「憂国」と言う小説を書いた時点から既に1970年の帰結を明確に意識していたとう思いたくないが、「憂国」の映画上映は当時の三島の思想的動向も話題になっている時期で、映画ファンとしては注目であった。アートシアター系の封切で、新宿ATGで観たのだが、1966年封切とあるから、よし坊、浪人中。この映画では、二・二六事件の時代背景を借りて、全編殆ど割腹シーンに当て、憂国の士の最後のあるべき姿を迫真の演技というか、気迫で演じていた。その4年後に割腹のニュースを聞いた時、あー、あの映画は本音だったのかと思った。

「憂国」の後、三島は「楯の会」を結成し、約2年の準備を終えて11月25日へ突入していくが、三島が突きつけた「国防」と言う重要なテーマに誰一人反応できなかったといってよいのだろう。三島は早すぎたのか。1970年という年は重要かもしれない。60年代から1970年までは、高度成長期のエンジンが加速し始める中で、日米安保闘争や学園紛争が起こり、その思想的深浅は別として、民族的な活動も出ていたのは確か。三島は、その先は最早飽食の繁栄が際限なく続くと予見し、1970年に事を起こさなければチャンスは永遠に来ないと見たのではないか。自衛隊の決起を促したが、決起が無いだろう事は、先刻織り込み済みだったと思う。

今、北朝鮮問題を端緒として、漸く「国防」論議が出掛かってきているが、日本人の不幸は、やはり、敗戦後の平和憲法の名の下に、明らかに「去勢」されて育ってしまった事だろう。国防を論ずる時、憲法論議は避けられない。憲法論議が沸いてくるのかどうか。沸いてきても来なくても、1970年の三島事件は記憶に留めるべきだろう。

素手で平和的解決を叫んだところで、無視されるだけである。本気で自分の家を守るのには道具が必要だ。三島はあの時、「こんなことで、自分の家を守れるのか!」と叫んでいたに違いない。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三島 (ogitetsu)
2009-04-02 23:44:34
最近、Youtubeで、三島の生前のインタビューを見たりしましたが、中々考えさせられます。
三島は芝居じみた中で、腹切りしましたけど、最後の演説で、「君達は武士だろう。なぜ、自分達の存在を否定する憲法に従うのだ?」と聞いてますね。もちろん、下の自衛隊の反応は「ばかやろー」でしたが。

今回の北朝鮮の件で、習志野にパトリオットを配備したら、市民団体が「パトリオットはいらない!」とかって反対運動したとか。基地外ですね。
自分達が人間の盾になれるのか? もちろん、安保の流れで反対してるのでしょうが、暴力を振るいそうな隣人が居る中で、家の扉を開けっ放しで生きてけるわけが無い。
こいつらは、ひっ捕まえて、北朝鮮に使節団として送って、平和解決をさせてみたらいい。多分、しり込みするでしょうけど。こいつらの家にミサイルの破片が落ちるべし!

オギ
返信する
非武装中立の亡霊 (よし坊)
2009-04-03 05:43:43
いまだに非武装中立の亡霊が漂っているように思えてならない。そういう連中は、平成版北朝鮮帰還事業と称して、入港を止めている例の万景望号に乗せちゃうってのはどうだろうか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。