よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

昭和の足跡(30)会社生活 楽しい職場

2021年10月26日 | 昭和の足跡
よし坊の会社人生は、一言で言うと、実に楽しい時を過ごさせてもらったと言える。そう言えるのは、何より職場が良かったということだろう。世間でいう有名大手企業に就職したが、配属はいきなり新規立ち上げの子会社。これが幸いしたと思っている。新規の会社故に最初の5年間は苦労しっぱなしの事業だった。こういう環境は人の結束を産む。時折日本へ帰ると、今でも同じ釜の飯を食べた連中と酒と肴で盛り上がる。

入社したての頃、山陽新幹線が開通した。それまでは大阪から工場のある広島県への出張は泊まりであったが、新幹線で日帰りとなった。泊まりの楽しみが減ったのである。

最初の3年は営業の裏方、受け渡しと棚卸管理をやらされた。カシオの電卓が出る前だから、計算はアシスタントの女性に頼る。この女性(既婚)が実に優秀で、よし坊の不慣れな仕事を残業承知で頑張ってくれた。この女性には仕事のみならず、ワイフとの結婚への手助けをしてもらったので、足を向けて寝られない。

4年目に国内営業見習いの後、輸出担当になった。小さい組織故、上司は実質、部長直結であった。韓国、次に中国、そしてヨーロッパ、アメリカと出張は広がっていった。必要とあらば気軽に出張が出来たのは、子会社の機動力のせいだろうと思う。これが本社であれば、そう簡単には行かせてくれなかっただろうと想像する。

海外出張と言えば、韓国出張で二つの思い出がある。ひとつは、ソウルのど真ん中、New Soeul Hotelで火事にあったこと。もうひとつは、当時近い韓国でも海外出張となれば一日で済む仕事も一週間くらいの仕事をしてこなければ許可が下りない。だからいろいろと調査項目を入れて期間を延ばすのである。だが、緊急の時はどうするの?っていう話である。緊急時庵が起こり、現地の商社は直ぐ来てくれのシグナル。上司の許可をとり、朝便でソウルへ飛び、夕方便で帰ってきた。日帰りである。この日帰り海外出張の記録は破られたのだろうか。後年、本社の人事面接があった時、同席していた人事部次長が、こう言った。「君が日帰り海外出張した本人か。本社を含めて初めてのケースだ」。子会社の書類は後で本社の管理部門に回るから、目についたのだろう。

お陰で、平成6年この職場を去るまで、仕事はのびのびのさせていただいた。感謝、感謝、である。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。