よし坊のあっちこっち

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昭和の足跡 (2)道

2019年08月06日 | 昭和の足跡
小学校5年まで、当時東田町(今は成田東というらしい)に住んでいた。近くに大宮公園(これも今は和田堀公園というらしい)があり、相撲の花籠部屋があった。

当時の道はどこかしこも土の道である。子供は外で遊ぶものだと、土の道を駆けずり回り、メンコやチャンバラごっこに明け暮れた。

大宮公園 思い出すのは事件だ。松本清張の「黒の福音」の題材にもなった、BOAC(英国航空)の日本人スチュワーデス殺人事件である。その日、外で遊んでいた、急に周囲が騒がしくなり、遊んでいた仲間と公園に走った。既に規制されていて、何が起きているのか分からなかったが、後で殺人事件だと知った。この大宮公園は我々の探検の場所だった。川沿いにちょっとした洞穴などがあり、何が出るかわからないので、竹棒を片手によく探検そしたものだ。竹棒は家の近くに竹藪があり、チャンバラごっこの刀に使ったものだ。

花籠部屋 初代若乃花のこの部屋は、家から阿佐ヶ谷へ通じる細い道沿いにあった。通ると部屋の二階から洗濯した力士のふんどしが所狭しと垂れ下がっていたものだ。不幸なことに、まだ小学校だったはずの長男が事故か何かで亡くなり、喪服姿の人々が集まっていた所を見に行った記憶がある。

東伏見邸 家の近くを通る五日市街道から阿佐ヶ谷に抜ける小道を直ぐ入った右手一帯が旧宮家の屋敷だった。正門は五日市街道に面していた。この中に高貴な人が住んでいるのだなと、思いながら通ったものだ。

五日市街道  新宿方面へ行くのに関東バスが通っていた。道が狭いから、対向時は車掌が降りて笛を吹きながらバックの誘導をする。バスの車掌は当時の女性の憧れの仕事のひとつだったのだろう。

どの道も土だった。五日市街道沿いには田んぼがあり、灌漑用の水路にはオタマジャクシの子がわんさと生息し、道路わきの泥沼にはザリガニがいた。どこもかしこの土の匂いがしていた。

約15年前、日本へ行った折、懐かしの旧東田町を訪れたが、当然のことながら、昔の面影は微塵もない。そこは確かに別世界だった。





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