よし坊のあっちこっち

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昭和の足跡(29)関西生活と関西弁

2021年09月10日 | 昭和の足跡
昭和46年当時、大阪は東京からみれば今よりはるかに格下にみられていた。人口や経済規模からすれば格下なのは事実なのだが、数字には表れない”格下感”が存在していたと思う。だから東京人からすれば大阪に行くことは「都落ち」の感があるのだろう。事実、大阪での入社式に向かう新幹線の中で初めてボックスシートで顔を合わせた同期入社の一人が、いみじくも”大阪に向かうのは都落ちかな?”と言っていたのを思い出す。

よし坊にはそうした”都落ち”という概念は全くなかった。むしろ、わくわく感でいっぱいだった。関西にはすでに馴染みがあった。テレビである。松竹新喜劇の藤山寛美が面白かった。吉本新喜劇の花紀京、岡八郎に笑いこけた。花紀京のおやじ、アチャコ・エンタツの頃から面白いと思っていたのかもしれない。関西弁はノリが違う。標準語に比べはるかに柔らかみというか丸みがある。関西弁の抑揚感も独特だ。これはよし坊の独断で何も根拠はないのだが、独特のリズムを持つ関西弁を話す人々は外国語、とりわけ英語の習得に関し、日本人の中では長けているのではないだろうか、と思うことがある。

東京から大阪に配属になった同期の多くが当初、関西弁に抵抗があったようだが、よし坊には心地よかった。