よし坊のあっちこっち

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Japan, We Standが無いニッポン

2011年03月26日 | アメリカ通信
阪神淡路大震災の教訓から、様々な支援の申し出があるものの、現場と司令塔不在の混乱で、ボランティアを含めた支援活動が活かされず停滞していると聞く。浮かび上がってくるのは、政府の対応力の無さと、メディアの”だらしなさ”ばかりだ。

危機に瀕した時どうするか。この危機管理能力という点では、アメリカを思い出さざるを得ない。アメリカの全てが良いわけではないし、具体的な危機管理事例でうまくいかなかったことも有るが、政府もメディアも、日本の現状とは比べ物にならないくらいレベルは高い。

アメリカは、危機に瀕した時、役割分担が明確化され、情報の一元化の基に、国民にどのようにメッセージを発するかに腐心する。そして、国権の長であり、国家元首でもある大統領が重大演説を必ず行う。そこには、国難や災害を乗り越える為に国の国民が一丸となって立ち向かおう、との強いメッセージが込められる。メディアでは、新聞は一面で、テレビは大統領演説の時間は、予定のプログラムを全てカットして全演説を放映する。そして、国民は大統領が何を言うのかを真正面から聞くのである。9.11の時はどうだったか。皆胸に「United, We Stand」のピンを付け、車にはそのシールを張り、一体感を共有した。ここに「強いアメリカ」の形がある。[America, We Stand」。

ハリケーン・カトリーナ。災害対策の元締めFEMAの初動対策は間違ってしまった。時の長官の判断ミスである。対応は後手にまわり、避難の声が上がる。政治家も非難の声を上るが、主流はメディアである。駄目なものは駄目と容赦なく叩く。そして間も無く長官は更迭され、チェリトフが任命された。以後、全てが見違える程スムースになっていくのである。

情報を一元化し、現場は専門家集団に権限を任せ、駄目な責任者は躊躇する事なく代える。これが強い政府だ。それを冷静に監視し、問題点を鋭く指摘する。これが戦うメディアだ。日本にはこのどれも無いのが、最大の問題で、不幸である。

日本のメディアの問題で気に食わない事がある。聞くところによると、災害に対しての天皇陛下のお言葉の放送を間引いたり、短縮して放映した局が二社あると言う。国の象徴であり、国家元首であろう。そのお言葉に対し、かような振る舞いは天皇陛下に対する侮辱では無いだろうか。主要テレビは例外なく、陛下の全てのスピーチを全国に放送するくらいの見識を持つべきで、某二社の姿勢は極めて遺憾だ。アメリカのメディアと比較して、日本のメディアの大きく質が劣る点である。

日本人の多くは、極めて緩やかな神道、仏教の信心者ばかりで、他の多くの宗教国家とは異なる。そういう日本人の精神的支柱は何かと考えれば、やはり、連綿と続いている天皇家の存在であり、国家の象徴としての天皇に他ならないと思う。左翼はこういう事が嫌いだ。だから、現ソーリが君が代に対し、誇りと尊敬の念を持たないのも根っこが同じだからだ。左翼ではないが、過日、国会開会にあたり、陛下の到着が遅いと議場で文句を呟いたナントカ・ハマグリなんぞは、不敬罪にも等しい。こういうのが国会議員でまかり通っているのだから、次の選挙では必ず落とさないといけない。次に、左翼でない人が天皇及び天皇家に対し、尊敬の念を持たない、或いは持てない、としたら、それは恐らく欠陥教育の賜物であろう。戦後教育は何をしてきたのか。誠に情け無いことである。

遥かアメリカから見ると、日本は、気弱な日本、であり続けるように見えてならない。
「Japan, We Stand」「Nippon, We Stand」の旗がひらめく日がいつの日か来るのだろうか。