ひとみさんのおうちごはん 「よろしゅうおあがり」

自然の恵みをいただいて、こころとからだが心地いい暮らし

水蜜桃の思い出

2017年08月06日 | 日々のこと

今日は何の日・・・と言われたら、おそらく広島の原爆投下を思い出す・・・それが大半だろう。

私ももちろんそうなのだけど、でももうひとつ、それは私の母の誕生日だということ。

この時期、子どもが小さい頃は京都に帰省をしていた。だから、たいていこの日は母と私と、そして子どもたちと、みんなでテレビの前で黙とうをしていた・・・そんな思い出もある。

京都の家は風通しがよくて、ぬるい風を扇風機が涼風に変え、それでもじわっと汗ばんでくるから、子どもたちはランニング姿だった。

昼間は庭の大きな木のあたりから、うるさい蝉の声が聞こえ、夜になると蛙の大合唱。

自然に囲まれ、そんな夏の帰省にはぴったりのところに私の実家はあった。

 

ほぼ年に一度くらいしかない孫の来訪をじいちゃんばあちゃんは楽しみにしていた。

母はそれに備えて、美味しいものをたくさん用意していてくれた。

私の影響で始めた「関西よつば連絡会」の宅配。そこで、旬の果物や、無添加アイスキャンデーなんかを頼んでおいてくれたのだ。

特に美味しかったのは、ぶどうや桃だった。

母は桃のことをいつも「水密」と呼んでいた。

すいみつ・・・なんだか特別な響き。私はそう呼ぶ母が好きだった。

 

母は桃が好きだった。

そして、私や孫たちも。

だから、とっておきの桃を買っては、食べやすい大きさに切って、すりガラスの器に均等に入れてくれた。3人の孫がケンカにならないように、いくつかをむいて、等分に。

そうして、自分はむいて残骸のようになった小さな桃のかけらを口に運ぶ。種をしゃぶる。

それが特別そうに見えて、私も子どもも「種頂戴」と言った。実はそれほどいいものではなく、口の中を傷つけることもあるし、大変なんだけど、取り合いだった。

うれしそうに笑っていた母の顔が今でも浮かぶ。

 

本当は、美味しい甘いところ、食べたかったんじゃないかな。でも、私の幼い頃も、幼い孫との夏も、母は桃のかけらしか食べていなかった。

 

そんなにぎやかに過ごした最後の夏からもう今年は9年目を迎える。

今書きながら、そのことを思い出す。

 

買い物に出た先で、ふと桃が目につき、買ってきた。

そうだ…と思いつき、全部皮を剥いたあと、母の写真の前にお供えした。

昔、私が母にあげた白い器にのせてみた。そうこうしているうちに色が悪くなってくる。でも、丸っぽの桃だよ。

手を合わせながら、そういえば、私も子どものために桃をむいた時はやっぱりかけらを食べていたことに気付く。

母とはそういうものなんだろう。私もいつの間にかおんなじことをしていたんだなあ。

 

買ってきた桃は「白鳳」だった。ささっと調べてみたところによると、これはたしかに「すいみつ」そう呼んでいい品種のようだ。

今では桃をむくのも前より上手になり、かけらが出ないようにもむける。種のまわりについた実をしゃぶらなくてもよい。

でも、今日はこのあと、あのむき方をしよう。そうして、あの頃の夏の日を思い出してみよう。

 

「おかあさん」と声に出してみたくなってやめた。思い出が本当に昔のことになってしまう、そのさみしさにまだまだ平気になれない。

せめて「すいみつ」のことをここに書くだけにとどめておこう。

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