世なおし倶楽部

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瞑想と冥想 09-11/5

2009-11-05 18:14:04 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済


 人間的な大脳の「我欲 エゴ」を止滅させて、本能的、野生的な感知力を曇り無く発現させる方法が瞑想でした。しかし、「止滅」させることの非合理、矛盾、非論理性を感じるようになって、瞑想そのものの意味、効果について疑問が湧いてきました。
 いっとき、大脳のエゴな作用をシャットアウトして本能的な感知力を発現させることはそれほど無理なことではないと思います。というか、当たり前のことでしょう。簡単な例えで云えば、大脳のストレスの影響による自律神経の乱れによって胃腸の働きは、簡単に乱れ、自律神経が整うと、胃腸の働きは即整ってきます。このときの、大脳のストレス制御を瞑想として捉えると瞑想になり、温泉でストレスが消えれば慰安ということになります。単なる言い方の違いで、メカニズムに大きな違いがあるわけではありません。
瞑想は格好よくて慰安ではダサイのでしょうか。そうなんです。人間は言葉のニュアンスに敏感に反応するものなんです。それはともかく、大脳の働きを一時的に止めることに問題はありませんが、「滅する」ところまで拘ることはないと思うのです。滅する必要はないでしょう。ちょっとした言葉遣いによって、イメージが変わります。極端なことが「すばらしいこと」のように思うのは人間の弱さでしょう。すばらしいことのように思ってもいいですが、「囚われない」ことが大事なのです。
徹底して考察しつつも、そのことに「囚われない」センスが「瞑想」のセンスということが云いたかったのですが、回りくどい表現でした。

つづく

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