世なおし倶楽部

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瞑想と冥想 09/11/6

2009-11-06 21:36:06 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
    気になるあごですが・・着いていませんよ!


 難解なテーマにチャレンジして、つらつらと、徒然にブログっております。まじめに集中しすぎると瞑想にならなくなりそうなので、自分は自分のペースで瞑想しています。時に集中し、時にリラックスしながらという具合です。

アイデアがふっと浮かぶ状況の多くが、リラックスしているときのようですが、確かにそれは正しいと思います。自分の場合、風呂効果は大きいと思います。それと、眠っているとき。夢のお告げが結構あります。夢を見ているときは、疲れていて、熟睡していないと云われます。そうだと思います。熟睡してしまっては「瞑想状態」になりませんから、夢をみる状態というのは、眠っているようで起きている状態ですから、まさに瞑想状態そのものと云って良いと思います。
風呂での瞑想を「フロソフィ」といいます。ヒロソフィ=哲学よりも肉体柔らかめの、脳作業です。

さて、瞑想状態とは、起きていながら半分眠っているような状態です。居眠り、夢見の状態が良く似ています。実際、居眠り状態のときに、色々な不思議なメッセージを受けることがあります。多くの人が体験されていることと思います。間違いなく、居眠り状態、夢見状態と瞑想状態とには深い関連と共通性があるでしょう。へたに、足を組んだりして苦痛の思いを我慢してする形ばかりのメイソウをしても、真の冥想にはなりにくいと認識すべきです。我慢メイソウするよりも、居眠り瞑想のほうが、脳波も変性意識状態になっていて、瞑想そのものなのと云えます。重ねて強調しておきましょう。

さて、その変性意識とは一体どんな状態なのか、居眠り状態でもあり、夢見状態の脳の状態ではあります。
中間意識状態ともいいます。我が推考の結果では、「矛盾」の克服意識状態も、それに近いものを感じます。
脳、特に大脳ですが、瞑想状態を認識する手助けとして、「大脳思考」あるいは「生きている実感」はいずれも「複数の平行、パラレル感覚の総合統一感覚」です。
 例えば、赤い絵の具の中に、同じ赤い絵の具を入れて、それぞれを識別するのは大変難しいことです。しかし、「生きている」という絶対的「ひとつ」の状態にいながら「生きている」ということを感じるのは、難しいことではありません。常に何気なく簡単に感じています。変ですねえ!
 同じ状態のの中にいて、違いが識別できているのは、すでにそれ自体が「瞑想状態」なのですが、並の常識的認識力では気づかないのです。難しいと言うことは「気づきづらい」というぐらいに考えるといいと思います。で、瞑想は、難しい、難行苦行ではないごく日常的、自然な感覚であるということなのです。
 なぜ、生きているという「一つ」のことを感じ取れているのかを、ちょっとゆっくりと考えればそのメカニズムが見えて来ます。風呂にでも入ってゆっくり思い巡らしたらいいのです。
生きていることを感じるのは「死」の反作用と考える方もいることでしょう。しかしそれは、すこし無理があります。今生きているという感覚は、連続的に今進行形で生きているということを感じているのに、1回のみのご臨終を引き合いに出すのは、論理的ではありません。現実的でもありませんね。
でも、やはり生と死は相反する対立する概念であり、お互いがそれぞれの存在感を際立たせていることは否定できないことでもあります。矛盾の匂いがします。そう、この矛盾の中に解答が潜んでいるのです。
矛盾を克服する大脳の思考は、瞑想状態訓練におおいに役立ちますので、ちょっと意識を集中して、このあたりの「雰囲気」の味わいをキープして見て下さい。

生きていながら、同一の生きていることを認識出来るという矛盾はなぜ生じるのか?人間が勝手に矛盾としているに過ぎないのですが、そもそも、生きているという同一の状態が「連続している」と思い込んでいることが矛盾の根源であることに気づくべきなのです。連続して生きているように感じるのは感知力が鈍いだけなのです。今日常的に、瞬間瞬間生きているということは、進行形ではあっても、連続なんかではないのです!そうです、実は瞬間瞬間生きたり死んだりしていたということなのです!だから、生きていながら、生きていることが認識出来るのです。単一のものが単一であることを認識出来るわけは絶対ないのです!論理的に無理です。つまり、単一と思っていることがそもそも錯覚なのであり、間違いの元なのでした。ボタンの掛け違いということです。はじめの間違いに気づかないと後々えらいことになるということです。

人間は言葉で外界のこと、自分の感覚などを認識理解しています。その言葉の本当の意味を知らないで、次々と思いを重ね、認識、感覚の織物を織っていく訳ですから、大人になったときに、相当へんてこな人間になってしまうのは当然です。

大脳思考をちょっと工夫して、矛盾を克服するような思考法をマスターできれば、いわゆる瞑想はそれほど難しく無くクリヤできるでしょう。他にも方法があるとは思いますが、自分はこの方法が一番簡略で実用的であると思います。冥想は自然や生の生き物がさりげなく本能的に実践しています。しかし人間が冥想状態になるためには、まず瞑想状態をクリヤしないとならないように思います。

呼吸の吸う吐くの繰り返しこそ、生死の繰り返しであり、生きていることを明確に認識する実践的なトレーニングになっています。そう、素直に思い込むことが瞑想修得のコツでしょう。

ヨガ、瞑想、冥想の極意をブログなんぞで公開してしまって、イインダベカ?!

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