世なおし倶楽部

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瞑想と冥想

2009-11-04 16:48:57 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
ヨガの言葉の意味が「結ぶ」でした。その意味からヨガの目的は、
こころと体を結ぶ・・・親と子、兄弟姉妹、友人同士、親族、恋人同士、向こう三軒両隣
師弟、官民、自然と人間、神と人、・・・・などなど
いずれも、人がらみです。人の営みですから当然です。

究極の目標は自然、神との結びということになりますか。
ヨガを行じた先達は、実際に自然と結ばれたのでしょうか?
結ばれたとするならば、どのようにしてヨガを実践して結ばれたのか
考察してみました。

ひとことでいうなら、瞑想行によって人は自然と一体化できた、ということでしょう。
瞑想とはどのようなことでしょうか
瞑想とは人間くささの排除と野生自然性の昂揚」です。
しかるに、冥想とは・・・ 

人間の究極の願望の一つに、自然との融合があると思います。野生生物なら、そのままで自然と一体だと思いますので、改めて融合したいという願望は生まれないでしょう。しかし人間は大脳を発達させて、本能的能力を弱くさせた分、改めて意識しないと自然との調和がとれにくくなってしまったのでしょう。そこで、瞑想、冥想ということになるわけです。
余計な大脳の動きが本能的な感覚を攪乱する。本来の、自然にはたらいている感知力を妨げずに機能させれば、人間といえども自然の一部にちがいないのですから、野生自然の感覚を実感できるはずです。
野生的自然性と共鳴させるのが瞑想であり、人間性を含めた自然性と共鳴させるのが冥想とします。
人間性を含めた大きな自然性と共鳴させるためには、大脳の制御が改めて問題になります。暴走しやすい大脳ではありますが、自然の一部には違いないので、その「クセ」を理解して扱えば制御は可能と考えます。

大脳の特性は「学習」ですから、不自然な学習を改めて、よくよく自然な学習に心がけるなら、本能的感知力への大脳の妨害作用は排除できるはずです。目には目をです。徹底した自然学習、真の哲学による「自然な言葉の定義とその習得」ができれば、人間くささを抹消せずに「人間のまま自然の感知力を大いに機能させる」ことができるのでしょう。

野生的自然感知力を作動させたほうが都合良い場合と、人間的人工的バーチャル的感覚や、人間世界に特有な生活感覚や、生活ルールに関係する場合とを分けて、対応することが必要でしょう。分けて、また総合することは云うまでもありません。

ヨガの目的と、その達成法を整理すると、

①野生的自然性を覚醒させる瞑想法
②人工的人間的自然性を覚醒させる冥想法
のそれぞれをマスターし、両方を調整する。

となるでしょう。
つづく

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