オキナワ産まれのCoccoがヒロシマを訪れて思ったこと。
小学生の頃から考えると十の指では足りないぐらい
私は広島を見たいと願ってきました。
どれだけの人が死んだか
どれだけの夜おびえたか
どれだけの爆弾が降ったか
どれだけの足がもげたのか
誰が痛かったのか
どちらのほうが血を流したのか
そんなことじゃなくて
そんなことでは量れない過去を私たちは共有していて
そしてその日もあれから何年経った今も
全ては事実として未だここに在るけれど
私は見たかったのです。この目で確かめたかった。
焼け野跡に芽吹いた命や
崩壊の後に築かれたもの
そこに生きる人たち
ずっと
きっと笑っていてほしいと願っていたから。
Cocco「六月二十三日 沖縄・慰霊の日」
2004年「文藝」秋号掲載。