僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

今ハマッているドラマ

2007年05月31日 | 日々の泡(日記)
「時効警察」とともに今クール、ハマッているドラマがコレ↓
日テレ系 火曜日夜10時から放映の「セクシーボイスアンドロボ」

http://www.ntv.co.jp/sexyvoice/

主演の松山ケンイチ選手と大後寿々花選手の若々しいピュアな演技が魅力。
浅丘ルリ子、岡田義徳、片桐はいり、塚本晋也と脇役の濃い演技も魅力。
ゲストも村上淳、りょう、中村獅童と曲者揃い。

主人公がロボットオタクに女子中学生で、スパイという有り得ない設定。
おまけに二人ともハイテンションな演技。
最初はひいたけど、慣れてきたらハマリます(笑。

おまけにサブタイトルが「ごぼ蔵」だの「お歯黒女」「かんにん袋」・・って(笑。

実験的なストーリー展開だけど、主人公二人の真っ直ぐな視線がキモチいい。
製作者が楽しんで作ってるのが伝わってきて、それもウレシイ。

今週来週は前後編。
ゲストは、もたいまさこ、小林聡美・・・「やっぱり猫が好き」の面子。
そこに片桐はいりが入ったら・・・「かもめ食堂」じゃん(笑(未見だけど)

見終わった後、何かキモチよくなる・・・オススメドラマです♪


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sho-co-motion初夏~夏編・東京スペシャルAT 南青MANDA-LAライブレポ

2007年05月27日 | 鈴木祥子
ひさしぶりに聴く「あじさい」。大好きなウタ。
「幼い頃のあなたと私に会ったら駆け寄って抱きしめてあげたい」
このウタを聴きながら子供の日、夏、兄妹と遊んだ情景を思い出した。
近くの川、緑が溢れてて、とても暑くてあの頃は父も若く、元気で。

5月25日、南青山曼荼羅。
4月から始まった「Sho-co motion」ツアーも東京公演は一区切り。
ボクはともかく疲れてた、カラダもココロもダルい、何も感じない。

スタート早々、いきなりリクエスト募集(笑。相変わらず自由なヒト。
そこから祥子さん言う処の「暗いウタ」が弾語りで続く。
「帰郷」「あたらしい愛の詩」「夏のまぼろし」。
過去見た情景、別れた人、戻らない故郷、を唄った歌が続く。

そのウタを聴きながら、ボクは過去見た風景を思い出してた。
もう十数年、思い起こすことが無かった想い出たち。

ゲストの鈴木さえ子さんと矢部浩志さんとはカバーを沢山演奏。
ボクが昔、聴いていたロック&ポップスのオンパレード。
ビートルズの「TWO Of Us」ポリスの「King Of Pain」
バグルズの「ラジオスターの悲劇」

ここでも自分の「過去」が蘇る。このオンガクを聴いてた頃を想い出す。

後半は再び「暗いウタ」が続く。
「東京で生まれた女」。「ふるさとはどこかわからない」
「私の望み」。「覚悟していていたはずなのに、ゆれている」
「忘却」。「何度もさよならって言った」

ワケわかんない感情が溢れて抑えられなくなる。
悲しみなのか?傷みなのか?ワカンナイ、
涙が出そうになる。ステージをまともに見られない。

でも・・・京都から東京に帰って・・・
この日、はじめて自分の感情を解放できた。

ずーっと「何もない」「だいじょうぶ」なフリしてたけど
そんなはずはない、そんなワケがない。
祥子さんの歌声とピアノで感情を誤魔化せなくなった。
ゲストの鈴木さえ子さん、矢部さんはとてもステキだった。
さえ子さんの繰り出すポップなメロディ、オモチャ箱を引っくり返したような楽しさ。
矢部さんと祥子さんデュエットのカーネーション「レオナルド」のカバーは切なく
素晴らしかった。

オールラスト、祥子さんは「たしかめていてよ」を歌った。
「すべてが夢のように窓を過ぎる あたしは誰なのか」
「たしかめていてよ ここにいると ほかになにもできることはないから」
「たしかめさせてよ 生きてること」

また、泣きそうになった。誤魔化せなくなった。
なんでこのヒトの歌は・・・
ヒトが必死に隠そうとしてること、忘れようとしてること
をいとも簡単に暴き立てて抉り出すんだろう?

冗談じゃない、ホントのキモチなんて知らなくていいじゃん。
自分を騙して過ごせるなら、それに越したことはないだろ?
勘弁してほしい。

楽しいライブだった。こんなに自分の感情を解放したのはひさしぶりだった。
何かを悲しいと思ったり楽しいと思ったり・・・ホントひさしぶりだった。

祥子さんのライブはいつも自分を「過去」に向かわせる。
忘れたこと、消したこと、隠したこと、誤魔化してきたことを見せ付ける。

忘れようと思ってた。自分の生まれた場所を、街を。
でも・・忘れられるワケがない、捨てられるワケがない。

逃げても仕方ない・・・ならばチャンと向かい合おう、受け止めていこう。

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話してみたい

2007年05月24日 | 日々の泡(日記)

毎朝、会社に出掛ける前に父にお線香をあげお祈りしている。

会社の仕事の帰り、電車の中でオンガクを聴きながら父を想う。

ボクの父は大きな製薬会社で研究者としてかなりの地位を築いた。
その仕事は高く評価され、部下も結構多くいたようだ。

ボクは、父が働いている姿を見たことはないし、まして
父がどんな仕事をしていたか?どんな苦労をしてその地位を得たか?
について全く興味も関心もなかった。

今・・・自分が40代を迎え色んな仕事をしていて・・・
ウンザリすること、ゲンナリすることがたくさんあって・・・

仕事人としての父がどんなヒトだったか知りたいと想う。切に想う。

けっして人付き合いが上手いとは思えない父が上司としてどんなヒトだったのか?
ボクと同様、仕事で腹立ったり、むかついたり、がっかりすることあったのか?
会社に行くのがたまらないほどイヤだったことはあったのか?
会いたくないヒト、話したくないヒト、見たくない顔・・・があったのか?

父は自分の仕事のことをほとんど話さないヒトだった。
自分の自慢話や会社のヒトの悪口をほとんど言わないヒトだった。

オレとは大違いだ。。。。

父が生きている間、仕事のことで話したことなんかなかった。
仕事についてなにかを相談するなんてなかった。

今・・・父と・・・「仕事」について、話してみたいと想う。たまらなく。

 貴方は仕事の何に喜び、何に悩んでたんですか?
 貴方は仕事を好きでしたか?嫌いでしたか?
 部下を持って、責任感やプレッシャーに潰されそうになりましたか?
 理想と現実のギャップに失望することはありませんでしたか?
 仕事や会社をやめたいと思うコトはありませんでしたか?

もっと・・・話しておくんだったな・・・
もっと・・・聞いておけばよかったな・・・

今後も、こういうこと考えそうだな。
自分と同年齢のとき・・・父が何を考え生きてきたか・・・を。

その答えを・・・最早知ることはできないけど・・・・・・・・。


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ダメ出し

2007年05月18日 | 日々の泡(日記)

昨日の日記で嫁が「しゃぁ~」と叫んでいると書いたら、
嫁から
「しゃぁ~でなくてシャーッだ。威嚇は鋭いんだ!」って
ダメ出しが出ました(^^;

ちなみに今、嫁のPCからアップしてます。
嫁のPC開いてブログアップしようとしたら
「エロサイトを見られる!」と非難されました。

ワシの日記は・・・エロサイトなのか?!(ノ-0-)ノ】・・゜。


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最近好きなウタ

2007年05月17日 | オトの記憶(CD、ライブ)

最近、よく聴いているのがウルフルズのベストアルバム「ベストやねん」。

昔はトータスのキャラの濃さが苦手だったけど・・・プロモDVD集をレンタルで
見て、少しづつ好きになりだした。
嫁が初期のアルバムを何枚か持ってて何度か聴いてみた。
最近のアルバムをチャンと聴いてないけど・・・

このベストアルバムを聴いてみると最近の新しい曲には昔の曲になかった
「ほろ苦さ」や「酸っぱさ」を感じる。

痛快・豪快なキャラクターのみでなく・・チャンとそのウタを聴くと
「繊細で弱い男」が必死に頑張ってる・戦ってる姿を描いてる。

 「すべてがうまく行くはず そう信じているのに
  なぜかあせって グラついて ジタバタするけど」(笑えれば)
 「後悔してもええねん また始めたらええねん
  情けなくてもええねん 叫んでみればええねん」(ええねん)
 「あぁ神様オレは何様ですか どうしていつもまちがえるのか」(暴れだす)
 「居場所はビミョ- その声は届かない 生きるっちゅうのはそんなもんで」
  (情熱 A GO-GO)

わかりやすいコトバで、熱苦しいくらいのソウルフルな声で、
ズバっと唄っていて、いっそ清々しい。

6月に出るニューシングルのタイトルは「泣けてくる」。
あまりにベタなタイトルだけど、ウルフルズはそれでイイって気がする。
これも是非買おう。

ライブ行ってみたいけど・・・凄い熱そうだな。
どんとのイベントで一度ライブ見たけど・・・ホントに熱いバンドだった。
ロックフェス・・いや出来れば「Soul OF どんと」か「Rock The どんと」
で是非、また生のトータスの声に触れてみたい。


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父を送るまで

2007年05月07日 | 日々の泡(日記)

5月4日:妹と電話。父の遺体が斎場に移動されたことを言われる。
     朝10時に自宅に来るように指示される。
     朝食後、自宅に。母、兄、妹夫婦、姪がいる。
     どういうワケかお茶とお菓子を食べ出す我等。
     母が想ったより元気で安心する。みんな泣かず笑顔さえ浮かぶ。

     父の思い出話に花を咲かす。
     頑固者で無口で自由に生きたヒト。孫娘には優しかった一面もあった。
     父は最期まで「父」らしく生きてたことに思わず笑った。

     そのまま一家で斎場に。安置室で荼毘に付された父に対面する。
     父は小さくなり目を閉じていた。無邪気に騒ぐ姪に皆笑う。
     葬儀屋の担当の方が挨拶に来る。その行き届いた心配りにリラックス。
     通夜が5月5日、葬儀は6日。初七日も葬儀とあわせて行う。
     親族には父の死を知らせず家族だけで行う旨を決定。

     ホテルに戻り会社各位に連絡。7日に会社休む旨を伝える。
     その後は京都の街に出歩き晩御飯、夜は疲労で寝てしまう。

5月5日:今日は通夜の日。昼過ぎに斎場に行くことに。とてもイイ天気。
 
     斎場にて「湯かんの儀」を行う。
     従姉妹が偶然京都に旅行。父の死を知り駆けつける。その巡り合わせに驚く。
     父の遺体を洗いキレイにしていただく。その後に棺に移す。
     担当者が若い男女であることに驚く。ここでも行き届いた配慮に感謝。
     父の顔や頬を撫でる。

     その後は斎場横のSATYで昼食。みんなで蕎麦を食べる。
     「鴨なんばん」を美味しそうに食べるボクと母。
     ・・・でも人のなくなった後、肉とか食べて良かったのだろうか?

     夜は通夜。お坊さんの読経、心のこもったお話に感動。
     遺影は父の若い頃の写真。父の遺影にいろいろと語りかける。涙は出ない。
     その後は食事会。
     家族で父の想い出にひたる。みんな笑顔、涙はない。
     家族はみんな斎場に宿泊、僕らはホテルに戻る。
     ホテルで嫁と呑む。何か穏やかなキモチ。
5月6日:葬儀は昼過ぎから。ホテルを早めに出て時間潰しのネットカフェに(笑。

     昨日の晴天が嘘のように激しい雨。
     葬儀は静かに厳かに行われる。姪は寝てしまいみんな笑う。
     棺に姪の書いた手紙や花をみんなで捧げる。
     母の配慮で父は好きだった和服を着ている。
     みんなで大好きだったワインを飲ませてあげる。父の顔は穏やか。
     母が遺影を、兄が位牌を、妹が骨壷を持つ。僕は棺を持つ手伝いを。

     タクシーで京都市内の山の上の火葬場に移動。
     お坊さんも同行してくれる。(お坊さんが火葬場に同行するのは珍しいとのこと)
     お坊さんは再度お経をあげてくれる。家族で父に最後の挨拶。
     そして父の遺体は火葬される。担当者は若い女性。
     父の遺骨を見る。足腰の骨がしっかりと残っている。
     担当者の指示に従い骨壷に移していく。担当者の気遣いに感謝。
     母も妹も泣いている。でも・・・・ボクは涙が出なかった。

     斎場に戻り初七日。お坊さんがお経を挙げ、父の戒名の意味を教えてくれる。
     その後は食事会。姪を囲みながらみんなで談笑。
     家族で相談し6月に49日をすることに。
     父の遺骨に声をかけ、家族に挨拶しホテルに戻る。
     ホテルでも嫁と呑む。

5月7日:ホテルをチェックアウト。新幹線に乗って東京に。
     新幹線の中でビールとランチ。まるで何事もなかったような風景。
     帰宅して疲れのあまり寝る。
     夕方から嫁とお出掛けし寿司と酒を調達。

     いつもの日常、いつもの風景、いつもの晩御飯。
     今のところ悲しみはない、落ち込んでもいない。
     ただ・・・あの3日の見舞いの日、もっと父の側にいるべきだった。
     さっさとホテルに戻った自分を・・・悔いている。最後だったのに。

     きっとこれから色んな感情が出てくるだろう。
     何かあるたびに父の不在を感じるんだろう。
     そうして・・・父がいなくなった現実を徐々に受容れていくんだろう。

     先ずは明日から・・・目の前にいる「うすのろども」をやっつけなくっちゃ。


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父が逝くまで

2007年05月07日 | 日々の泡(日記)

5月4日早朝。ボクの父がなくなりました。享年76歳。
理由は肺癌と肺炎でした。

通夜や葬儀は全部兄と妹任せでボクは父のために何もしませんでした。
せめて父の病気を知ってから父を送るまでの経緯をここ記していきます。
そのとき、自分が何を感じ何を想ったか・・・それを形としてこの場に残そうと想います。

 4月21日:京都の母、兄から自宅に電話。父が入院との知らせ。
       肺癌、肺炎を併発しよくない状態とのこと。突然の知らせに茫然。

 4月22日~4月30日:
       兄、妹と度々連絡。父、小康状態と悪化の繰返し。
       医師からGWがヤマらしいとの診断。
       戸惑いつつも祥子さんのライブに行く自分。
       父が「いなくなる」実感が持てず何処かで楽観視してる自分がいる。
       嫁と相談し何とか切符を押さえ5月3日~5月5日に帰省することを決定。

 5月1日~2日:兄より連絡。父の状態悪いとのこと。
         意識を失った状態で反応も薄いとのこと。
         GW明けも仕事休めないか?との相談。
         決算作業のメインスタッフである自分には難しい相談、悩む。
         また5月3日夕方京都着の予定を早めてほしいとの依頼。
         嫁と相談し予約していたチケットをキャンセル。
         また実家にボクと嫁が泊まると母が気を使うため京都在中はホテルを
         取る事に。

 5月3日:嫁と新幹線自由席で出発。幸運にも座れる。京都に着く前に妹より電話。
      父の病状が悪化、すぐ来てほしいとのこと。
      ホテルに先に入った後、病院に行く予定を変更。病院に急ぐ。

      父は少し回復。病室には母、妹夫婦、妹の娘(5歳)、兄が来ている。
      父、ベッドに寝ており、色んな機器を体につけて話せない状態。
      ただし、ボクと嫁を認識した様子。
      ボクは何も話せず少し話し掛けただけで遠巻きに見てるのみ。
      父の痩せた足を少し摩った。

      母や兄、妹と少し話す。父が元気そうなので一旦ホテルに戻りその後、
      再度見舞う事に。

      ホテルにチェックイン。妹からホテルに電話。家族も帰宅するので見舞いは
      不要とのこと。医師からここ数日を覚悟する様に診断されたと言う。
      嫁にその旨、知らせる。二人でショックで寝込む。
      目の前が真っ暗、動けない、何も感じない、起き上がれない。
      しばらくそのままの状態。

      じっとしていても仕方ないので気晴らしに食事に出る。
      京都の街を散策。いろんな京風のお店を見てるうちに二人元気になる。
      食欲はなかったが歩いてる内に空腹。創作料理屋で食事。
      料理もお酒も美味しかった。
      こんな状態なのに食事が出来る自分に呆れる。

      ホテルで寝てると深夜1時過ぎに妹から父危篤との電話。
      しかし、深夜で電車が動かず移動できない。始発で向かう旨を約束。

      朝5時前に妹に電話、父が亡くなったことを知る。

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