怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

後輩について

2005-10-15 11:10:19 | 戯言
前任校との比較が多い私はつくづく経験が浅く、思慮も足りないのだと思う。
だけれども仕方がないとあきらめて書く。(せめてカテゴリを戯言にしておくか)

さて、前任校では「後続の輩」がとても近い境遇で身近に感じられた。
(近い世代であったり、子持ちなどの他の要因や、それ以外の教諭のレベルの高さがそうさせていたのだろう。)

現在の職場では、私の年齢も息巻く勢いもそうさせるのだろう、あから様に先輩後輩関係ができている部分がある。
実際にはそんなにキャリアに違いがあるわけではないのに・・・。

そんな気持ちに繋がる話かどうかはわからないが、後輩の初任者の忙しそうな姿を見ていて書いてみる。

来月、音楽会があるのだが、その時に行われる余興的な「職員演奏」の世話役を初任者の二人が引き受けていた。
そういう折衝ものは古株がやるに限るのに・・・。
そう判断して、勝手に手伝った。
二人とも初任研の授業組み立ての真っ最中。普段よりサポートが必要なはずだ。
(このことに付随するバカ話を書けないのがちょっと話を分かりづらくしていると思うが)
「二人なら大丈夫なんじゃないか」という見切りで仕事を任されていたので、私が手を出さなければまったく進めない状況だった。

そういうときにふと思うのだが「若さという幻想への過度の期待」。
(結構今の状況に近いのかもしれない。現在の大量採用の状況。)
そんなとき、経験の浅い「新人=若手」の教諭はいろいろな仕事に立ち向かっていったことは想像に難くない。
ただ「そういう勘違いは状況が違うからやめてほしい」と思うのは、当時もサポートがなかったかもしれないが、その分罰則もなかったはずだということ。
今とは状況が違うと思うのだ。
初任者なんて、緊張の中の全力疾走であるのだし、つまずけば即、保護者や教育委員会などからクレームがつく可能性がある。

今、職場には、つかえない人がいて、サクッっと帰ってしまう。
だからかもしれないが、活用される人員が限られるのはわかるが、時に、配慮が欠ける時、危ないなと思う。
ま、今回のように、気付いた人がやればいいのだが、危なっかしい危なっかしい。
それに、気付く人は決まってそういう配慮が欠けていたために痛い目にあったことのある人だったりする。