怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

怪傑ゾロリからの脱出

2007-05-23 21:40:41 | 教育
過激な提案をしたい。(これについては、ちょっとたたかれてみたい気分だ。)
なんか自分が教育再生会議のメンツになって気分だ。

別にゾロリシリーズに恨みがあるわけじゃない。

ゾロリは漫画と物語書籍の間に入る特異な本にあたると思う。
絵本の発展版とでも言おうか・・・。

子どもの興味を引き、読ませるという意味においては優れた作品だと思う。
図書室においていあるのもむべなるかなである。

イメージは作者の絵から提供されつつも、展開や台詞回しは文章になっている。
文字だらけの書籍にまだなじめない子にとっては、次へのブリッジとして使っても、なかなか優れたものだと思う。

自分の子ども時代にあったら、まず全巻読み切っているだろう。
(シリーズというところもツボだと思う。)

この手の本は最近そこそこあると思う。

でも、「ウォーリーをさがせ」から抜け出れない6年生のように、本格的な書籍に馴染めない子どもの一つのハードルとして存在しているように思える。

何が嫌かと言えば、そういう状況に子ども達がはまりこんで出れなくなってしまう所だ。
「もっと難しい本を読め」と強制するのか?と問われれば、はっきりいって暴言に近いが「そうだ」といいたい。

もし出来れば、発展版ゾロリがほしい。
(注釈を入れてもいい)より抽象的な語彙を多分に含み、展開も重厚で、キャラクターも多面的で深みがあってほしい。
「そうなればゾロリではない」といわれればそうだろうが、そういう文章に触れさせることは必要だと思う。

図書の時間が設定されている割には、そういった読書のための鍛錬が自然になされないのが、私は非常に気になる。

「ウォーリーをさがせ」なんて、読んでいいのは1年生の1学期までという限定をもうけてもいいくらいだ。
(図書の時間にずーっと隣の子どもとウォーリーをやっているなんて、図書の時間じゃないだろうに。)
ゾロリにいたっては4年生以上、禁止にしたっていい。
「絵本欄は2年生まで」も、ルールに入れてもいいかも知れない。

焚書にせよと言っているのではない。
特別な事情のある場合は許可すればいいが、そうではなくて、そういう価値付けで追い込んで行くぐらいでないと、興味・関心・意欲まかせでは読書の質は高まっていかないと言っているのだ。

多分に体育的な考えかもしれないが、読書は訓練が必要だと思う。
そのためのニーズに応えるだけの多様性を小学校図書室の書籍群はもつべきだと思う。
学年ごとに必読図書を設定してもいいかも知れない。

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一方で、ハリーポッターのような特異点も存在する。

分厚い装丁におののく子が多いかに見えて、
「ハリーじゃん!」
と、手に取る子どもの多さ。
なじみがあるだけで厚さは見えなくなるのかも知れない。
1年生でも読んだという子はそこそこいる。

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