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否定と批判の狭間に

2012-03-10 14:49:54 | 教育
教材に「百人斬り」、教諭処分 長崎の町教委「不適切」(朝日新聞) - goo ニュース

「何を伝える目的で使用したか」については大事だろう。

まさか、『実際に「百人切りがあった」という事実を伝えるために』なんてことではないのだろうと思って記事の先を読んでみた。
果たして、やはりそのようだ。

>町教委によると、教諭は「実際に100人を斬ったかどうかを問題にしたのではなく、戦時下では人を殺す行為が英雄視される風潮があることを知ってもらうため取り上げた」と話しているという。

となると、

>町教委は訓告とした理由について「百人斬りは事実だと明確に認められておらず、その記事を示して生徒の指導にあたったのは不適切だった」と説明している。

との齟齬がある。
『百人切りを事実として伝えた』
わけでもないのだから、
『事実と明確に認められていないものを資料として用いた』
ということが、町教委側の提示している問題点ということになる。

そうなると、教科書に載る資料は、完全に事実として認められているものしか認めないと教委はいっているようなものにならないだろうか?
今まで、資料として、事実誤認があって教科書などからはぶかれてきたものは1つや2つではない。

ましてや、
『以前の歴史の学習で、こんな間違いもあったのだけれども、その間違いが活きて現在がある』
なんて説明は、具体的におこなってはならないことになる。

もちろん、わざわざ「百人切り」の資料を用いる必要があったかどうか?の有効性は議論されてもいいだろうけれど、そういう話には聞こえてこない記事だ。

さて、「有事下の人殺しは英雄で、日常の人殺しは殺人罪である」とチャップリンの映画でもいっていたではないか?
「平和教育」の中で、「有事下の異常状態」を知っておくことは大切だと思うのだけれども、どのように教えるのがいいのだろうか?
そういった問題提起には、少しだけ聞こえる。

(以下、引用)
教材に「百人斬り」、教諭処分 長崎の町教委「不適切」

 旧日本軍の将校2人が1937年、中国で「百人斬(ぎ)り競争」をしたと報じた当時の新聞記事を中学校の授業で教材に使ったのは不適切だとして、長崎県の新上五島町教育委員会が町立中の教諭を文書訓告にしたことが分かった。処分は1日付。

 町教委によると、教諭は昨年9月にあった総合学習で、2年生20人に「百人斬り」の新聞記事を読み上げた。2年生は翌月に広島への修学旅行を控えていて、平和学習の一環として記事を使ったという。

 町教委は訓告とした理由について「百人斬りは事実だと明確に認められておらず、その記事を示して生徒の指導にあたったのは不適切だった」と説明している。町教委によると、教諭は「実際に100人を斬ったかどうかを問題にしたのではなく、戦時下では人を殺す行為が英雄視される風潮があることを知ってもらうため取り上げた」と話しているという。

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