怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

3.11の時間

2012-03-11 23:23:22 | 教育
昨年のあの日、この時間には家に帰り着いていなかったけれど、帰宅途中だった。

そのまま泊まった同僚もいた。

最後の子どもは午前様だったけれども、保護者が徒歩でたどり着いて向かえにきたそうだ。

私の友人の家庭でも、たった一人で、冷蔵庫の肉まんを自分で電子レンジであたため、真っ暗な中で過ごした子どもがいた。
夜遅くになんとかたどり着いて、我が子の疲れきっっていたけれでも安堵の笑顔を抱きしめ、玄関先で泣いたという。
そんなことがたくさんあった。

でも、災害はそこでおしまいじゃなかった。

私にとって、あの都内をおそった大きな振幅をもつ揺れは、遠い場所での大被害を想像するに難くなかった。

校内の教室にあるテレビが、それは東北地域だと伝えたとき、各教室を回って、テレビを消しましょうとお願いした。
ついでに子どもに知らせてどうするのだ。と。
その後に襲う不安を増幅してどうするのだ。と。

教室で津波で町や田畑や道路が飲み込まれて行く映像が流れた。
私がいない間に、同僚がテレビをつけていた。
私の想いは、願いは伝わらなかった。

1年経ち、私は学校の防災や大災害時の避難計画の見直しに祭しアンケートをとる役を担うことになった。
あのときにテレビをつけていたのは子どもたちの中に、いい影響を残さなかったという反省が何人もの同僚から出された。
正直、口惜しい。

同時に、子どもたちの中に刻まれた震災のイメージや被害のイメージは、少しずつでも考え直してもらわないといけないとも思った。
そして、それには大人さえ判断を迷うのだということも、きちっと伝えていかないといけないということだ。

また、今回の震災や津波の被害は自然災害なのだけれども、原発事故に関しては人災、社会的な問題なのだということも、ごまかさないようにしていかなくてはならないと、この1年の経過を見て思っている。

教材化されて降りてきたものは、原発を意図的に抜いたのか?と思わせるものもあった。

地方へいって、「東のことは知らないよ」とばかりの声を聞くと、一発殴りたくもなるのだけれど、そんなことよりも自分自身がもっと目をそらさない人になっていかないといけないと、そして、子どもあっての仕事なのだから、子どもとしっかり向き合っていこうと、そう思っている。

3.11は今日で終わりなのではない。
永遠に続く課題意識の1年目が終わった日なんだ。

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