怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

立ち話

2007-03-13 07:19:21 | 教育
保護者の方と立ち話。
終わらないところ見ると、案外話したいという気持ちがあって話してくれているのだろう。
ありがたいと思うし、私もだんだん信頼して、こちらの事情も含めていろいろ話をふりたくなってくる。

保護者の方は気づいていないかもしれないけれど、私のような教員は少々話が助長気味でも全然かまわない。

職員室に戻って来ると、
「親がさぁ・・・。」
なんていいわけめく人は、実は多くない気がする。
(本当に多くの人をさばいている副校長くらいになると、仕方ないかなという時はある。それでも、そんなことはない気がsする。)

人相手の仕事だから、相手の気持ちがわかることは「いい情報」として受け止められていると思う。
クレーマーでさえ、(あまりひどくなければ)ちゃんと話題にのぼり、どうするのがいいのかが確認されたりする。

こちらも複数の人間の集団だから、共通理解がないとやっていられないからかもしれない。

ただ、話しにくいだろうなという話題もある。

どうしたって「学校」というのは「縛り」もあるし、「不合理」もある。
そういったことについて、そういう「仕方がない」とわかったいることを積極的に話題にしては教員に対して失礼ではないかというのも保護者側の想いにあるのではないだろうか。

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例えば、「少人数習熟度別」について、
「それは嫌なんです。」
と、吐露してくれるまでに時間がかかった方がいた。

我々が事務的に進めるような風潮になったころ、それでも児童は毎年入れ替わり、保護者と児童は今ある物を受け入れざるを得ない立場として学校に通って来る。

そんな想いを知ると悲しくなるが、ついでに、
「それは先生に言っても仕方がないことなのは知っています。」
と、付け加えられてしまうと返す言葉を失ってしまう。

おっしゃるようなデメリットもあるかもしれませんが、「少人数習熟度別」はこういうメリットがありますよ・・・なんて心にもないお役所的な説明をしてなんになるだろうか。

果ては「お子さんの姿をごらんください。」なんて説明は、子どもにそういう事態を強いている裏返しでしかなかったりする。

実は、教員も保護者も教育に関して手が届かないものがあることを知っているのかもしれない。

教育を保護者・地域と共同で進めるなんていうのは画餅なのかもしれない。

愚痴っぽくなったが、そんな想いを少し共有できた「立ち話」があった。
(それだけではあるのだが・・・。)

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