怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

この3年を振り返る

2007-03-22 03:06:44 | 教育
現任校に配属されて3年を終えようとしている。

1年目。
4月。11人もの異動流入者の1人という事実にびっくりする。

この学校は、
管理する側としては、組合的なものが強い学校で、教委の方針による(正当な?)教育改革の必要な学校。
管理される側としては、管理統制が強まり、直接的に子どもから引き離される不要な仕事もおりてくるようになった学校。

私は、教員になってから、前者的な環境で育ちつつも、共同意識の高い学校で教師の仕事を学んだし、そういった雰囲気に慣れてきた教員だった。

民間教育団体に所属する優れた実践家と学年を組み、自分が、教材感、教授感のゆるやかな変革を迫られていることを知った。
気持ち新たに、実践家への道を歩む事を決意した。

同僚間の断絶した関係の中で動く難しさを覚えた。

2年目。
私事だが、義理の母が亡くなり、妻は精神的にまいってしまいう中、周囲へどう理解してもらえるのかという点を抜きに行動したため、仕事が滞った1年。

せめてもの償いに、校内研究(研究発表)に助力を惜しまなかった。

双子を得て、家族は大きくなったが、仕事上の不安や悩みも大きくなった。

唯一の救いは、校内研究や官製研修の虚構性に断固反意を翻した態度をとった事。

3年目。
ついに持ち上がれずに3年目突入。

子どもは教師の鏡なのだとあらためて痛感した。

民間教育団体に絡むことが多くなり、読書もそういった傾向のものが増えた。

私なりに独立独歩で実践を組めるようになった実感のある1年になった。

3年目にして、ようやくある程度しっくりする同僚と組めた学年。
正直、私事の整わなかったこの1年。甘えさせてもらったと思う。

嫌なもの、無駄なものに極力エネルギーを使わなかった1年。
「次がたいへんだよ!」
そう学年主任に言われた。
けれど、私は、
「そうサボっていたわけではないのですよ。」
と、言い返してやりたいし、
「厳しいのは知ってますよ。」
と、憎まれ口をたたきたくなるのだけれど、言っても仕様がないので飲み込む。

ただ、前任校が「教員」に恵まれた学校だったと同意に、ここは「子ども」に恵まれた学校だったと思う。

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さて、4年目にむけて。

次の1年を前に、どう動くかはまた白紙になった。

不安定な日常を越える力は無いし、越えようという気も起きないほどガタガタだが、目の前にやってくるものに対して、マイペースで向かう戦略を練るには、この3年は充分な時間だったと思う。

私を越えるのは私しかいない。
けれど越える越えないの選択道しかないというのは狭い。
そういう見方で生きることはしない。
私は常に違う私でもあるし、そういった視点から見れば、違わない私はそう多くないように見える。
そのことだけは自信なのだと思う。
前進とか、後退だとかではない。そういうこと。

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