怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

子どもとつくる対話の教育(山吹書房)鈴木和夫2005

2007-11-30 21:10:46 | 教育書
全生研の実践に感化されつつあるのだが、実践レベルも様々で、善し悪しを見る一歩引いた目線を保持している。
でも、鈴木和夫先生のことになるとちょっと違う。

本書とは関係ないが、この人は全生研の活動をいい意味で批判的に見てもいるようだ。
だから深化し、前進している。
全生研が静的な状況に陥らないのは、常に刷新をしようと理論を鍛え、実践に照らす活動をしているからだろう。

で、この本のことをこのブログで書いているものだと思っていたら、書いていなかった。
いや、触れたエントリはあるのだけれど、どんと正面にしたことは書いていないかった。

この本はいい。

先日鈴木和夫先生と出会うきっかけがあり、今、もう一度読み直している。

生活指導の実践概要を俯瞰した今、もう一度、自分で批判的に読もうと思ったのだ。

だけどダメだ。
この本に本当にやられてしまっている自分を感じる。

やはり私には鈴木和夫先生は未だ別格のようだ。

以前にmixiの書評に載せた私の文を以下に転載してみる。
(以下、転載)
子どもとつくる「対話」とは?
教育の根幹にあるモデルを実践事例とともに提示している一教師の世界。
ここには教育の政治的、社会構造的な垣根は存在していない。
(否、そこここにそこへの配慮が伺えるが、本質的な意味で)
教師が真摯に子ども(たち)との対話を追求していく。そこに教育の真価が見いだせるのではないだろうか。
外圧あって、目指すべき教育の在処が見えにくい今だからこそ、勇気をもって同僚に薦めたい。
(以上、転載)

鈴木先生は、もうすぐ定年だ。

もっと早くアクションすればよかったが、最後の最後でも出会えてよかったと思う。
そして厚かましくも、まだまだいろいろ話を聞いたり、揺さぶってみたりしてみたいものだと思う。
3学期、なんとか授業を見に行きたいと考えている。

実は、彼のいる学校は、私の自宅から歩いていける距離にある。
これは偶然ではなくて必然だと私は考えたい。(ああ、関係症候群)
私は意外に運がいい。そういう星のもとに生まれたのだ。そう信じている。(ああ、関係症候群)

先日、現任校の若い連中と話す機会があったのだが、彼らと教育に対する想いが共有できないのは、厳しい現実に出会っていないからだと感じた。
これは経験差だから仕方がないのかも知れない。
結局、私は自分と同レベルの経験を持つ者を探さなければ安住できないらしい。
残念だ。
彼らに本書をすすめても、たぶん響かないだろう。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鈴木和夫先生 (おしえご)
2008-06-15 09:55:23
鈴木和夫先生の30年近く前の教え子です。先生の名前で検索をしていたら、このサイトにたどりつきました。私の家族の中にも公立学校の教師をしている者がいるので、いろいろな辛さ分ります。このサイトも諦めてしまったようですが、絶対に分ってくれる人や仲間はいると思うので、仲間捜しは諦めないでください。鈴木先生は私たち生徒にとって本当に良い先生でした。(30年近く経ってもふと考える事があります)多分、先生を現役引退してもいろいろな事をされると思うので、彼からもっと学べたら良いですね。
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素敵なコメントをありがとうございます (yo)
2008-06-15 16:43:02
鈴木先生の30年前というと、私の知っている鈴木先生とは大いに異なっている部分(成長という意味で)もあるかとは思いますが、おそらく、あの鈴木先生のことだから、それでも思索を忘れずにいたことだろうと察します。
鈴木先生全国生活指導研究協議会で、講師等で以前活躍なさっています。
今日は、東京支部の大会のはず。
私は仕事がたまっていけなかったですが、おそらくいらしているはずです。

私は東京都内に同じ想いを共有できる人は稀であり、おそらく同じステージに立つことはないだろうと思っています。
諦めていると思われるかも知れませんが、現場にいて、土台、同じ想いを共有するなどということはおこがましく、ありえないのだということを痛感しています。

かの鈴木先生でも、全生研の中で、おそらく、周囲に真に共感を得たという想いではやってはいないと思います。

教師というのは、最終的には独りでなんでも受けなければならないのではないかと私は思っています。

それは私にとっては決意なのですが、諦めといわれると、そうかも知れないとしかいえません。
でも、あえていじわるな反駁をすると、では、どこに私と想いを共有し、切磋琢磨できる相手がいるというのでしょうか?

ネットで出遭った中でも数人です。
しかも、全員地方。

私と仲のいい大学の友人(同期)がいますが、共有というところまではいっていないです。
どちらかというと、それ以外の同期は話もしたくない気持ちになるときがあります。

いや、おしえごさんにあたってもしょうがないですね。

でも、このブログももう少しで完全閉鎖する予定です。
せめて正直に言ってみたかったのです。
気に障ったらごめんなさい。
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お返事ありがとうございます (おしえご)
2008-11-13 16:27:15
まさかコメントが入っているとも思わず、そのままにしていました。

鈴木先生は30年前も他の先生とは全然違っていました。だから現在の鈴木先生が”周囲に真に共感を得たという想いではやってはいない”と言うのはとても良く理解出来ます。それでもいろいろな事をやり続けた先生はやはりすごいと再確認しています。

確かに自分と同じ事を考えている人にすぐに出会えないかもしれませんが、それでも同じような考え方をしている人はどこかにいるはずです。ただ、その人との出会いが1ヶ月後なのか10年後なのかは分りません。その時の為に自分を磨く事だけは忘れずにいてください。

私の専門は教育ではありませんが、人間と向き合う事が専門なので、また余計な事を書いてしまいました。
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ありがとうございます。 (yo)
2008-11-14 22:07:30
ずいぶん前のコメントにお返事いただいて恐縮です。
少し気になっていただけに嬉しいです。

鈴木先生に出会いましたが、所属の全生研は、鈴木先生がいたくらですから、雑多で強烈な個性の集団です。
正直いって、鈴木先生の実践が代表例であるような研究団体とはいえないので、私が直接的に学ぶところはないようです。
鈴木先生も現役を退き、更に遠い存在になってしまいました。

私には私の目指すべきものを確かなものにするべく努力していく方が、今はいいかなという気持ちです。

先のコメントから時間が過ぎました。
私にとっての相互交流できる理解者は未だいませんが、それよりも、私と同質の教員が潰されていくのを目の当たりにしています。
私はそういった人と出会う以前に自分を鍛え、潰されないように努力しなければなりません。
そのうち、また余裕が出て来たら周囲を見渡してみたいと思います。
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訃報 (yo(管理人))
2012-02-19 20:01:12
鈴木和夫先生が亡くなったと、知り合いから情報を得た。
もう一度話したかった。
今、再び、「学級集団づくり」回帰しようとしている自分がいて、もう、何も言えずにむせび泣いている。
本当に残念だ。
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