怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

心のノートの逆襲

2007-03-30 06:47:25 | 教育
密室で何を話しているかと思えば・・・。

この人たち(教育再生会議)も事務屋だということだ。
教育活動を豊かにしようなんて考えていない。
ただ、目的にそって事務を遂行するのみ。

今回は文科省から「道徳を教科化せよ」という事務命令が下ったということなだけだろう。
(それとも安倍から修身の現代的復活を求められたのかもしれない。)

おそらく「評価」をする教科としては出てこないだろう。(将来に含みを残すくらいはアリかも)

それでも今まで作ってきた領域の「道徳」について、培ってきた教育活動への正当な評価も、発展を期す事もない。
それだけで充分酷い話だと思う。

「評価」はさておき、問題は教科書だろう。

各出版社から出ている副読本は、他の教科の教科書などに比べると多様だ。
学校によっては、毎年違う社の副読本を仕入れ、その中から適当な資料を選択して使っているほどだ。

一方で、「心のノート」というものが一人一冊配られている。
これは文科省発行になっている。
(どっかの天下り先が作っているのだろうか・・・。)

こちらは標語的な文章、誘導的な構成、そして完結的な書き込み欄が多様されている。
副読本がある程度多様で、深みのある用い方が可能な「読み取り」を狙っているのに対し、「心のノート」は、画一的な道徳的価値観をイメージさせる点、それ自体からは深みが出てこない点で扱いにくい。

実際、道徳の教育実践書なども市販で売られているし、他の実践研究も進んでいる時代に、「心のノート」のみを強調するのは、いかにも時代錯誤だったとしかいいようがない。
しかし、「道徳の教科書」といわれて連想するのは、「文科省の」と枕詞がついてしまう「心のノート」だろう。
現在、「現場への活用事例」をわざわざ全校配布してしまう熱の入れようだ。
(天下り先を潰さないためにやっているのでは・・・?)
教科書を文科省がリードして決めるというのは、そういうことなのではないだろうか?

こんなもので画一化されて道徳教育が行われるようになれば、事務的には楽だろうが、教育活動的には「死んだ道徳」になるのは目に見えている。
(おそらく、現場側としては「楽」なので、「心のノート」書き込み完成で道徳終了という事務教員も出るだろう。)

ここで「心のノートが教科書になるわけではない」という切り返しは通じない。
それが土台になったものが出て来るとイメージして話をしているつもりだ。
第一、それは今までの経過(文科省=「心のノート」)から明らかではないか。

教育再生会議、安倍の罪悪は深い。

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道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ(朝日新聞) - goo ニュース2007年3月30日(金)03:05
 政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。

 再生会議の1月の第1次報告を受け、政府は30日に教育関連3法案を提出する。5月に予定する第2次報告は法制改正によらない具体策も打ち出す方針で、道徳の教科化を盛り込む考えだ。参院選に向け「安倍カラー」を鮮明にするうえで政権側が後押しする可能性もあるが、第2次報告にどのような形で盛り込まれるかが焦点になる。

 第1次報告では「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子供たちが確実に身につける」と提言しており、再生会議で充実策を検討してきた。

 29日の第1分科会後に記者会見した副主査の小野元之氏(元文部科学事務次官)は「道徳を教科としてしっかり教えるべきだ、ということでおおむね(分科会の)合意が得られた」と述べた。「授業時間数を増やそうということではない」(小野氏)が、高校でも教科にすることを想定しているという。

 また、主査の白石真澄氏(東洋大教授)は、成績評価の対象になるかどうかについて「議論していない」としながらも、「教科になるということは、いま絶対評価で1~5と成績がついているので将来的には成績判定がなされると思う」と語った。ただ、白石氏は「戦前の修身のように先祖返りするのではなく、人としてどのように生きるか、他人をどう思いやるか。命あるものを尊重すること(を教えること)で環境教育にもつながる。全体主義になったり、右になったりするわけではない」と強調した。

 一方、再生会議を担当する山谷えり子首相補佐官は、成績評価について「(徳育は)知識だけでなく、心のありようなので、1~5で評価できるかどうかは今後、十分議論されていくだろう」と述べるにとどめた。

 文科省教育課程課によると、現在の学習指導要領上の「教科」は原則として評価の対象になっているが、必ず対象になるとは決まっていない。

 再生会議が徳育を教科に格上げするのは「道徳の時間は取られているが、きっちり行われているかというと、先生方も熱心でない方もいるし、教材も充実していない」(小野氏)との現状認識からだ。現在は教育委員会が刊行した読み物資料などが使用されているが、小野氏は「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識や道徳心、規律を教えていくこと」と述べている。

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4 コメント

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Unknown (ホワイト)
2007-03-31 05:43:14
要は「滅私奉公」の意識を子供に植え付けたいんだなというイメージがあります、道徳には。



心のノートを使って、「これにはこう答えときゃいいよ!」というふうに、建前の言い方を教えるんなら、有益な気がします。
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逆手にとる (yo)
2007-03-31 08:06:33
そういうやり方も現実にはアリになるのでしょうね。

とりあえず今は、ボランティアの義務づけに代表される変な「滅私奉公」もそうですが、こういう感覚を出して恥じないおかしな連中(教育再生会議と安倍)をなんとかしたいな・・・そう思います。
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どんどんやってくる (今日)
2007-04-01 20:00:59
とにかく教育の反動化は、すごいスピードでやってきていますね。

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無知 (yo)
2007-04-01 21:42:28
教育ニュース観察日記ブログでcalaさんが言っていた予想が当たりそうで怖いです。

>安倍首相の教育改革は、教育のことを全く考えていないことに大きな特徴があり、だからこそそれは具体化されやすいのです。

つまりは無知をふるまい横柄にも暴力的にことを進めている政治的な介入に、日本の教育は暗黒の時代一歩手前なのだと思います。
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