怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

小泉の参拝

2006-08-17 01:55:49 | 戯言
KOYASU先生のブログの一昨日の小泉首相参拝の件の記事で「名無し」の書き込みがあり、読んで、やっぱり頭にきて、忘れないよう考えた事をメモしておく。
先生のブログにコメントするかどうか迷ったけれど、個人的な意見なので、TBのみにした。

(以下、考えた事)
私の知るネット上でさえ、
一方でAは認めないといい、一方で赦免だという者達をよく見かける。
また一方で国民なら祈るのが当たり前といい、逆に祈るのは個人の自由(勝手)だともいう者達もよく見る。

もちろん同じ人が言っているのではないのだけれど、同じ結果を望む人たち同士で、その過程で議論することは見た事が無い。
公約を果たして当然という態度の首相は、自分の好みで達成率(あるいは到達目標)を切り替えているとも思う。
訴える自由はあっても、抑圧される自由に対する保障はないのだから、強権を傘にものを言っている者達はとても冷静とは思えない。はっきりいってヤクザまがいだ。

参拝に関しては、首相が自分の立場で戦争責任についての判断を述べずに行なっている時点でダメなのだが、KOYASU先生が指摘している憲法遵守という点からも絶対ダメなのだ。
よく、「中国韓国以外の諸外国は・・・」なんて言う人がいるが、米国ジャーナリストも記事を書いているのはどう説明するのだろう。
ま、それ以前に、日本が犯して来た戦争の負の遺産に目をつぶるような行為はしてはならないだろう。そして、もちろんこれは相手の無茶とは違う次元の話だ。

民意というものが人気だとか、雰囲気だとかでは困る。それを訴えろというのだろうか?(皮肉を言ってもはじまらないが・・・)
(一応終了)

ちょっとすっきりしたかな?
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5 コメント

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ご無沙汰しています (白河)
2006-08-17 07:52:29
お元気そうで何よりです。



靖国問題についてですが、



>参拝に関しては、首相が自分の立場で戦争責任についての判断を述べずに行なっている時点でダメなのだが



法的には、国際法的にも、国内法的にも、戦争責任は処理済みですが。それ以上の「責任」を、どのような根拠で、どのくらいの量で首相に追及するのが妥当だとお考えでしょうか。



憲法的な問題に関しても、死者を祀るという行為自体が宗教的な行為である以上、政教分離を厳密に行うことが憲法20条の意味だとするならば、戦没者追悼式なども含めた、全ての「死者を祀る行為」が憲法違反になることになりますが、yoさんは全ての「死者を祀る行為」が憲法違反であると考えますか?考えないとすれば、首相の靖国参拝を違憲と判断する根拠は何でしょうか?





TBも貼らせていただきます。心身ともお忙しいことと思いますので、放置していただいてもかまいません。
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Unknown (Unknown)
2006-08-17 09:03:27
昨日は、『蟻の兵隊』という日本の戦争に関する映画を観る予定でした。が満員で入れず・・・それゆえ図書館で調べものをする時間がたくさん取れて、いろんなことを学んできました。



そのなかで、一番入手したかった資料をゲット。大阪大学に小野田正利という教育行政の研究者がいますが、この人、最近、学校へのイチャモン研究というおもしろい分野も手がけているのです。いま『月刊高校教育』という雑誌に連載されています。

小野田は、学校(教師)に投げかけられるものとして要望-苦情-無理難題要求(イチャモン)と3つに種別しています。一人の人物がその3つを同時におこなうこともありうると私は思っています。



で、何が言いたいかというと・・・世の中には、議論しても無駄なことがある、世の中は理不尽がまかり通る、ということです。

日本の首相が「これは私の心のことですから」とすましてしまう世の中、まともな主張なんて通りませんよ。

議論して公共性を、なんて日本ではか・な・り先のことだと思っています。それより「言ったもん勝ち」なんです。専門家のことばも研究者のことばも、占い師の予言と同等に扱われる時代です。

香山リカも『いまどきの常識』でそんなことを言ってます。



と、長々とすみませんでしたね。

私も名無しでごめんなさい(笑)

実は、はじめまして、です。
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コメントありがとうございます (yo)
2006-08-17 23:17:46
白河さんもお元気そうでホッとしています。

死に体のブログですが、どのように立ち直らせるかは思案中です。

ま、書いている分の責任はありますが・・・。(これはちょっとどうにも・・・)



さて、お答えになるのかどうか不安ですが、



「責任」については、例えばまずは「道義的」な意味での責任はあるのではないかと思います。

今回の参拝については内外の批判に対して、なんら見識を述べずに「公約」という別次元の話で済ませている所には問題があると思います。



「死者を祀る」については、靖国神社の歴史的政治的システムについて言及している書物などに答えをゆだねたいです。例えば高橋哲哉「靖国問題」。

個人的には、死者に対する想いの第一は遺族と当事者であって、そこに第三者がどうのという議論からは始まらないと思っています。

政教分離については歴史的経過で靖国神社の立場は難しい部分があるのはわかりますが、それと靖国の思想とは別であるし、そこいら辺をぼかしている風潮も私には感じられます。

「憲法」との細かいからみはあえて今回は逃げます。(KOYASUさんの解釈に触れてのエントリなので・・・)

あと一つ。戦没者追悼と靖国参拝は直接的には繋がらない部分もあると思うのですが、そういった議論なのでしょうか?



公開しているとはいえ、自分用の思考途中のメモなので、これぐらいで。



Unknownさんへ

初めてだそうですが、次回はうそでもいいですから名乗ってください。(このブログの最初のリンクに書いてあります)

そうでないとこちらもイメージがし辛いので答えたくないこともあります。



私は我侭な人なので、言ったもん勝ちですまされると頭にきます。

だからこうやってブログなんぞやっているのでしょう。

議論してもムダかどうかは状況ではなくて、そのときの熱が決めれば双方がそれほどマイナスにとらえることはないと思います。
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これは失礼 (yo)
2006-08-18 00:07:08
白河さんへ



高橋哲哉氏への批判もなさっていたのですね。

(今、久しぶりにブログを拝見)

これはたいへん失礼なコメントをしてしまった。



靖国神社が宗教法人としての独自性を、戦争責任を問われるべき人にまで拡大して祀ることを大いに特色とするということに求めるのならば、それは自ずと歴史的にも政治的にも問題をはらむ必然をもっていると思います。

では非宗教法人であればどうかといいうと、私自身は、それだけで解決ということにはならないと思います。



とりあえず、ここまで。
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レスありがとうございました (白河)
2006-08-18 06:56:09
お忙しい中、コメントへのレスをありがとうございました。



道義的責任については、さきほど新記事をアップしたので、お読みいただけるとありがたいです。



高橋哲哉理論は、靖国神社を非宗教法人化しても問題は解決しないというものなのですから、高橋理論に基づけば、靖国問題の本質は政教分離ではないということになります。



そのあたりをまぜこぜにしたまま「首尾一貫した論理」を振りかざした「つもり」になっている彼に対しては、学問的指導者としての資格さえ疑わざるを得ません。



この問題に関しては、yoさんとはちょうど180度逆の立場から主張しているように見えますが、冷静にレスを返していただいて、大変感謝しております。ありがとうございました。

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