怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

課外授業スペシャル「ハンドサッカー・・・」について(4/5)

2006-01-10 00:10:16 | 教育
(いや、長いね。コロコロ。Like a rolling stone.)

ここからは、サッカー選手:北沢豪氏の授業そのものではなく、そこから授業づくりにおいて一般的な話をしておきたい。
いったいこの単元をどこまでやるかである。時数ともからむ。
なぜか、この北沢氏の関わった単元はなぜかここでおしまいである。
考えて見て欲しい。
ハンドサッカーを指導するにあたって、必要な準備運動、技能向上の練習(と、その方法)、ルールの理解、場の準備やチーム分けなどの雑事。
それらを事前に行わないとゲームにまでたどりつかない。
すると、それらを2時間使ったとして(実際には3時間か4時間は必要だと思うが)、全体で6時間の単元になってしまう。
彼の言う「考えて行動する」パターンを、一部、体感できたとして、それを実践して深めるという時間はないのである。
ましてや、体感できていない子ども達もいただろう。
(なぜなら、1日に1ゲームしかやっていないチームもあるのだから)
これで、全員に指導が徹底できたとは言えないし、このスポーツの楽しがわかり、運動の効果も得られ、学習が完成したとは言えないハズである。
(他の運動でやれば?という議論は動機面、実際面で十分条件を満たさない)
すると、この授業では、2回のトーナメント戦でおしまいではなく、実感を持たせるためにはリーグ戦をやるくらいの必要がある。
5チーム総当たりは10ゲーム数必要である。となると、あと最低2時間、やり直しなら4時間必要ということになる。
こうなると、単元全体で8から10時間の大単元になる。
おいしいところだけをもっていった彼はゲストだからそれでいいのだが、「児童を見取る」といったとき、この単元全体での個々の成長を見取る必要があり、それがゲームをやらせているだけの指導では、難しいということは理解していただきたい。

私感なのだが、体育において、バレーでもバスケでもサッカーでも、ゲーム性のある運動は「技能の向上」「ルールの定着」「めあての達成」を総合的に考えた時、実は最低でも8時間は必要だと思っている。
そして、真に、技能が向上しはじめるのは、一通り総当たりが終わり、お互いの運動の様子を見合うことができた8時間以降にあると思っている。
が、これは、以前のように時数が多かったときは可能であったが、今の学習過程では実質上の多用は無理である。
これは私の実感なのだから、他の人の批判も受けるが、個人的には今のところ否定はできないものである。

(ゴロゴロ・・・続く・・・次でまとまるのか?・・・ゴロゴロ)