怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

ツウシンボって昆虫の名前みたい

2005-06-05 23:03:26 | 教育
THE義務教育ブログさんに、またまた影響を受けて書いています。
自主性やオリジナリティが・・・。ごめんなさい。
ネタ不足なのではなく、思いつきなんです。
でも、前からコメントしたかったことなので。

もとネタ(記事)はこちらなのですが、
こちらへの私的感想は「ふうん」です。

子安先生も端的な感想を述べていて、単純に尻馬に乗ってしまうのですけれど、
「通知表」=「評価」と一口にいってしまえば簡単ですが、
教育活動の一環と考えれば、単純な批判だけで方策の変更ができようもないのです。
ましてや教師の負担減とはとうてい言えない気がプンプンとします。

>実際は各先生が日頃から各生徒の情報を蓄積すれば、
>意外と速く通知表を作成できることがわかった。
>教科担任を対象に、毎学期末アンケートを実施している。
>「授業中も意識して一人ひとりをみるようになった」
やばいコメントだよなぁ。
だけど、裏を返せば学歴はテスト一発ってことだよなぁ。
評価にはTPOと二面性があるってことだよなぁ。
ちょっと考えてしまった。

が、THE義務教育ブログさんのイギリスとの通知表比較には、
「その通り!それはいい!」とひざをパシッ!
>何が出来て、何が出来ないのかが読むと良くわかります。
>厳しい言葉もたくさん書いてあるので、親としてもつらい面もあるのですが
>数字で「1」「2」と付けられるよりは、よっぽどいいと私は思います。
のところがいいですね。

一方、所見などの欄を書いていても、想いは、伝わらないことに私は悩みます。
打たれ弱い子ども、保護者に出会っているとつくづくまいってしまう。

今、現場でも所見の書き方は肯定的な文章を目指すように指導されます。
(記録といってもスクラッピングでないところが難しい。・・・そんな所見もありますが。)

まあ、これは先のイギリスの成績所見も、(英文読解に自信がないが)ちょっと読めば、
そうであることは同じのようなのですが、

例えば日本では、三段階評価で「もう少し」の子に対して書く時、
具体的な向上をアドバイスする文でもいいのではないだろうかと思ってしまうが、
実際にはそれは厳しいと管理職に突っ返されるのがオチである。
学校内で児童へ指導しているのだから、家庭へ指導を持ち込んでもダメということだろうか。
(うまくニュアンスが伝わらない文だが、
イギリスの方法を追加する方向では難しいということがいいたい。)

だいたい学級通信ならぬ個人通信のはずが、児童の一面評価のクローズアップになっていたり
、他の児童の比較になっていたりすることが、いらぬねじれや思惑を生んでいるように思えます。

また、学習過程と保護者の思惑の剥離も気になります。
こういった所を解決しようとしないと、単純に「学力問題」だぁ
となってしまうのは仕方が無いようにも思えます。
特に、小学校では、変に社会情勢や経済情勢を反映させるのは奇異としか(私には)見えません。

私は単純な数値評価と深い意味の無い所見ではなく、学習内容と評価の記述を通知表にしてほしいと願っています。
「受験はどうなるのか」という点では、現段階では、
私的にはテストという一つの尺度を用いる方法しか「カイケツサク」は見いだせませんが、
学歴社会はそれとして、多様な価値観を認め合え、
「育み」ということを大切にされる時代になればいいと思います。

事務的な問題も含めて、いろいろ悩みどころの多い通知表評価ではありますが、
山口県の具体例ですべて解決というふうにはならないでしょうし、
もっと児童生徒の育みや生き方をサポートする改良を模索していかなければならないと思います。
いいきっかけになって欲しいものです。

最後に毒づいておきます。
国立教育政策研究所の人にはわかるまい。