怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

絶望に効くクスリ(薬)vol.4(小学館)山田玲司

2005-06-04 16:29:37 | 戯言
実はこの前の記事と対のつもりである。
カテゴリは戯言にしてみた。
書評めいたものを書くつもりが毛頭ないからだ。
どちらかというと、成果主義はこういう人も削っているということをいいたい。

絶・薬については結局4冊そろえたのだが、読んでいて少し飽きがきている。
誤解をうみそうなので追記するが、漫画はよく描けているし、話も、扱われる人もよいので文句ではない。
これからも買い続けるだろう。
何かというと、私に必要な話(ライム)が綴られているわけではないということだ。
私にも絶望に効くクスリ(薬)にあたる人、ライムがある。
それはだれにでも必要だし、あるのではないだろうか・・・とカンジてしまったのだ。

私が初任時代の3年間過ごした学校にいたK先生について話したい。
定年も見えている50代の人だ。

人づてに聞いたが、彼にとって、私のことは友達でも何でもないらしい。
まあ、私にとっても友達と呼ぶには心の交流があったわけではないのでそれでいい。
けっこう歳の離れた先輩なのだ。
でも元同僚なのでこの言葉は寂しい。
まあ、理由がないわけではない。
私はあの学校ではM教員とよばれても仕方が無い。

K先生の数ある語録で印象深いのが
「そんなのたいへんじゃない!」
である。
「たいへんだ」「おっくうだ」「できるわけない」は認めないのだ。
次に来るのが
「やってみれば楽しいと思えばいい」
である。
特定されてはかなわないので詳細は言えないが、
当時のその学校は強烈に忙しかった。
(今でもそうだろうし、そんな所はいっぱいあるのはわかって言っている。)
(が、自分の知っている感触をもとに話したい。)
そんな中での一番泥をかぶって辛い状況の彼の発言はいつも一定の緊張感をもって聞いた。
しかも、この言葉は誰彼なく発せられる。
ある時、ぎりぎりの判断を迫られた校長に対し、その言葉が発せられた時、
誰もが心の中で賞賛したことが後で分かった。
もちろん校長の腹づもりが転換したのはいうまでもないが、そのことが賞賛されたのではなく、
その発言がイズムとして職員の基調にあることが共通理解され、そのことが感動を生んだ賞賛だった。
公立は私立に比べ、自主性が乏しいように言われることがあるが、
余裕のない必死な中でも、子どものためを思って身を削る覚悟をする場合は少なくない。
そのことを身を以て示しながらも、明るい展望を持たなければいけないことを教えてくれたのはK先生である。
おかげでさしたる理由も無い時に、理屈をこねて仕事を引き受けないなんてことは皆無になってしまったが。
(もともとそういう素養はあるのだけれどね。)
しかし、こういった老兵(老は失礼なほど心身ともに若い人なのだが)も成果主義の前では末期悲惨である。
(本人は前向きだろうから、悲惨なんて思わないだろうが、同年代の状況を冷静にみたい)

その学校では、(山田玲司氏と同じなのだが)
2歳より人生の伴走者である「ぜんそく」がひどくなって薬を飲み飲み働いていた。
駆け出しであったし、ついていけなかい部分も大きかった。
M教員呼ばわりでもいいが、個人的にはめちゃくちゃ努力をし、睡眠時間を割いた。
(足りないと呼ぶヤツ!死ね!=別にだれにいってるわけでなく、自分の強迫観念。)

今の学校ではそこまでひどい生活ではないので油断をしていた。
知らず知らずに「カラダ様」はダウンしているのね。
昨日も5時を過ぎたあたりからめまいが止まらず・・・。(肉塊が床に叩き付けられる音)