ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

仙台フィルと三陸鉄道のレール

2018年01月07日 | 音楽
仙台フィルのニューイヤーコンサート・福島公演を聴きに行った。
このコンサートの福島公演は毎年1月の第1か第2日曜に開催される。
団員にご近所の方がいらっしゃるので、毎年お知らせをいただくのだが、
ここ数年、ほかの用事と重なって聴きに行けず残念だった。
今年は幸いにも何の用事がなく、楽しみに出かけた。
(夫は残念ながらお産が重なったのでわたしひとりで・・・)

  

開演前の福島市音楽堂大ホール。
(ホントは撮影しちゃいけなかったかな。開演前だからかんべんしてください。)

開演前のこの時間が、わたしは結構好き。
といっても大抵の場合は、
行けることがある演奏会でも開演ギリギリか間に合わず一曲目をロビーで聴いてから、
ということが多いので、今回はとてもラッキーだった。
開始のブザーが鳴り、団員の方々が次々とステージにはいり、自席に着く。
オーボエの A (ラ) の音が響き、各楽器がその音程に合わせてA を一斉に奏でる。
指揮者が拍手とともにステージに現れ、いよいよ演奏開始。
この一連の時間が一番わくわくする。

仙台フィルのニューイヤーコンサートは、指揮者の方が曲紹介などの司会をする。
通常のクラシックコンサートと違って、これがなかなか面白くて次も聴きたくなる。
プログラムも1部・2部のどちらかに シュトラウスの曲を入れ、
ほかの曲も耳になじみのあるものがほとんどという構成だ。

今年は1部がシュトラウス、2部はチャイコフスキーの交響曲5番(いわゆるチャイ5)。
チャイ5はあまりに有名で大好きな曲のひとつなのだけれど、
実は生で聴くのはこれが初めてだった。
やっぱり生演奏はいいなぁ。

プログラム1部の「鍛冶屋のポルカ」を演奏前に、指揮者の方からあるエピソードの紹介があった。

  「鍛冶屋のポルカ」は、1863年のヨーゼフ・シュトラウスの曲で(江戸時代末期ですなぁ)、
  ある金庫メーカーが耐火金庫2万個の製造を記念し、
  舞踏会と花火大会開を催するために作曲を依頼されたものだそう。
  ヨーゼフは金庫を製造した鍛冶職人を称える目的で、
  作曲したポルカに鍛冶に使う金床を打楽器として用いたのだそうだ。

 「鍛冶屋のポルカ」(ウィーンフィルのニューイヤーコンサート)
  https://www.youtube.com/watch?v=_lz36BZkTBM

今回の「鍛冶屋のポルカ」では、その「金床」の代わりに、
東日本大震災で被災した三陸鉄道のレールを用いたのだそう。

詳細は以下で。

 2011年8月、東日本大震災で甚大な被害受けた岩手県三陸鉄道は、
 早期復旧に向けた資金集めのために被災したレールを一般発売をはじめました。
 それを報道で知った、仙台フィル元副指揮者:松元宏康氏は、
 オーケストラで度々演奏されるシュトラウスII世の楽曲「鍛冶屋のポルカ」で
 そのレールを楽器としてコンサートなどで活用することを三陸鉄道に提案しました。
 それに応えて三陸鉄道は、音程にあわせたレールを特別仕様で製作し、松元氏に譲渡しました。
 松元氏は度々指揮をするコンサートでこの曲を演奏する機会がありましたが、
 昨年夏に「東北で活躍する仙台フィルにぜひ活用してもらいたい」と、
 仙台フィルにこのレールを貸与することを決め、バトンが仙台フィルに引き継がれました。
        (仙台フィルFBより)

 https://bskplanning.jp/miyagi.archives/archives/8484
 https://twstat.org/kojiro_yasushi/




「あの日」からの、色々な、様々なことがらが次々と思い出され、
明るく軽快なポルカを聴きながら目頭が熱くなってしまった。



雨奇晴好

2018年01月01日 | 日々のつぶやき
    
   
   

 うきせいこう と読みます

意味は、雨の時も晴れの時も、それぞれに景色がすぐれていること
山水の景色は晴れた日は美しく、雨の日もまた趣があり、どちらも見事であるという意味
人生には山あり谷あり、それはそれで、どちらも意味がありすばらしいものだという考え
雨が降るのもよし、晴れるもよし、そんな、何事にもとらわれない心境のことなのだそうだ。
禅の言葉だそう。

物事は全て多面体だと学生の頃に教わった。
どの角度から見るかによって、同じものでもちがった形に見える。
そのどれもが間違いではない、といった内容だったかな・・・。
その時は ふぅ〜ん ぐらいにしか考えなかったけれど、
この年齢になるとほんとうにそうだなと思う。

雨の日を鬱陶しいと感じ気持ちまで滅入ってしまうのではなく、
プラス思考で捉えれば、雨の日もまた楽し、ということかな。

贅沢じゃなくても、毎日のごはんを美味しくいただけて、たまにお洒落をして、
その日いちにちの暮らしを楽しむ術(すべ)があれば、
きっと人生は心豊かに過ごせるはず。

そう信じて今年も頑張ります。


 おまけ

   初冬の茂庭でくつろぐ猿たち

    今年もよろしくお願いいたします 
                                



秋の気配

2017年09月07日 | 日々のつぶやき
今年の梅雨明けは本当だったのか、
夏はいつからだったのか、
曖昧なまま、
いつのまにかすっかり秋の気配。
河原にはススキの穂や虫の声。
日本に生まれて良かったなと思えるひとときがある。

震災からまもなく6年半、という文言がニュースなどで聞かれる時期になった。

わたしはわたしのするべきことを、出来る範囲で粛々と続けるだけさ。
ぶれずに。これからも。

さてと・・・。
この6年半、胸につかえていたしこりというか心の奥底の澱のようなものが、
ようやく消し去ることができるような出来事が、最近あった。
う〜ん、出来事というのではないかな、わたしには関係ないことだから。
でも、関係あるんだな〜、私にとっては。

なんて書いても、なんのことやら、わからないよね。
いいんです。
詳しいことは書けませんが、
最近、ひまわりの心がかる〜くスッキリすことが、あったの。
それだけ。
やっぱりこれはご報告しておきたくて。

ついでに体重も軽くなるといいんだけど。苦笑。

半年ぶりのブログです。
たまに訪問して下さってるみなさま、
内緒コメント下さった方々も、ありがとうございます。
なかなか更新はできませんが、
これからもぼちぼちお付き合いのほど、
どうぞよろしくお願いいたします。

やまなみを越えて

2017年03月11日 | 東日本大震災
今年もこの日が巡ってきた。

特別な日だけど
大げさに特別扱いにはせず
今日もわたしはいつも通り過ごす。
それがいちばんの供養であり復興につながると信じているから。





写真は阿武隈山地と福島盆地。
画像ではわかりにくけれど、
画面中央付近のずっと奥に、天王山(日山)がうっすら見える。
そのふもとは浪江町津島、父のふるさとだ。
このやまなみの向こうには太平洋が広がる。


夫が富岡町に単身赴任していた頃、
子ども達を車に乗せてあの山々の峠道を何度となく往復した。
富岡町には東京電力のエネルギー館というのがあって、
子ども達はそこで遊ぶのを毎回楽しみにしていた。
天神浜のアスレチックにも行ったっけ。
広野町の火力発電所の近くの公園の長い滑り台も大好きだった。
富岡町に行く途中、山木屋にあるグリーン牧場では必ず休憩して、
アイスクリームを食べた。
山木屋牛乳も美味しかったな。


父が生きていた頃、子どもの頃に天王山に登ったことをよく聞かされた。
阿武隈山地では一番高い山だということ。
山頂からは太平洋が見えること。
いつかひまわりも登ってみるといいと言っていた。
でも、わたしは天王山には一度も登らないまま、震災になってしまった。


父は双葉町の旧制中学を出た。
今はいわき市で新しい高校に統合されてしまったが、
父の母校の校歌や応援歌は何度も聞かされ、
卒業生でもないのにわたしもほとんど覚えてしまった。

 (校歌) ♪楢葉標葉(ならは しねは)の いにしえの
       名も遠きかな 大八州(おおやしま)
       その東北(ひがしきた) ここにして
       天のめぐみは みちたれり

 (応援歌)♪東太平洋の潮をあび 西阿武隈の風を受け
       鍛えに鍛えし この腕(かいな)
       振るえ双葉の健男児

わたしの母校じゃないのに、
今この歌を口ずさむと目頭が熱くなる。

父の生家は貧しくて、
祖父母が苦労して兄弟姉妹たちを学校に通わせ一人前にしてくれたという。
当時の双葉地方の貧しさは現代のわたしには想像もつかない。
貧しさから脱却するために、
一家の大黒柱のお父ちゃんが出稼ぎにいかなくてもいいように、
原発を誘致したことを責めることは、わたしにはできない。
時代は少し違うけれど、
わたしが子どもの頃に暮らしていた茂庭の同級生たちにも、
冬になると出稼ぎに出るお父さんがいたから。
後出しじゃんけんなら誰だって勝てる。


どうか
彼の地の人たちに
いつの日か必ず、かつての営みが戻りますように。

行雲流水

2017年01月01日 | 日々のつぶやき
「行雲流水」とは
 空を漂う雲や流れる川のようにとどまることなく自然の流れに逆らわず、
 自然体でいること。
 自然の移り変わりにに任せよどみがないこと。



  写真はある秋の日の茂庭・摺上ダム上流
  この湖の底にわたしの暮らしていた家が沈んでいる。



また、新しい年が明けた。

昨年わたしは、何をしてきたたかな。
どう暮らしてきたかな。

この頃とみに、日にちが過ぎるのがあっという間のように感じる。
年齢を重ねるほどに、やらねばならぬことが増え、
それはすでにわたしの許容量をはるかに超えているにもかかわらず、
なにも整理できないまま年を越してしまった。

わたしは小さい頃からちょっと変わった子どもだったと思う。
だから

 人と違っていてはいけない
 みんなとできるだけ仲良くしなければいけない
 みんなからできるだけ嫌われないようにしなければいけない

こう思ってずぅっと生きてきた。
そのおかげでいいこともたくさんあった。
思うように振る舞うことができず失敗することは今もたくさんあるけれど。

リアルひまわりを知るひとたちは、

 えっ? それで努力してるつもり?

って思うだろうとは容易に想像がつくけど(苦笑)、
はい、これでも精一杯なんです。


でも
さすがにもう、いかさか疲れてきたかな。

だから、今年から少しずつ、
できないことはできないと勇気を持って伝えたい。
わたしの時間を、わたし自身を、もっと大切にしたい。

わたしなりに頑張ってきたから、
「おおやけのひまわり」は少しずつフェードアウトしていきたいな。
今年はその初めの年にしたい。
もちろん、わたしにとって大切なこと(仕事も含めて)は続けるけど。