このブログで以前紹介しましたように、山代地区では以前、石炭が採掘されていました。また過去に、大がかりな地滑りによる災害がおきています。下の写真は、昭和26年に発生した地滑りで、山頂部から発生し、崩壊した土塊が乙女・平古場地区に達し、二級河川佐代川を埋塞し、堆積土塊の厚さは50mに達したと言われています。
(国土交通省のHPより引用)
そこで、なぜ石炭が採掘され、地滑りが多いのか?この地域の地質と形成過程を調べてみました。なお、以下に示す模式図及び説明文は、『黒髪山系の植物』の著者・松尾優 様のHPより転載しています。
① 古生代から中生代において、佐賀県西部から長崎県北部を広く覆った基盤層があった。その基盤層は砂岩、礫岩、凝灰岩などの堆積層とわずかな讃岐岩などの火山岩により成り立っていた。
② 新生代になり、その上に陸上植物由来の石炭層を持つ佐世保層が堆積した。
③ その後、地域的な地殻変動によって、伊万里・西有田側から佐世保・世知原側へとゆるやかな下向きの地盤の傾斜が起こった。この地盤のひずみや応力を補正するために国見山系の東側・南東側に大きな断層が生まれた。この断層断面は国見山系の伊万里・西有田側の標高500m以下に露出している。そこにほぼ水平な帯状の石炭層も見られ、かつて石炭の採掘が行われていた。
④ これ以降は何度かの海面の上昇や広域な地殻変動による地盤の沈下や上昇を繰り返すことにより、海の時代が訪れているものと思われる。要するに砂岩や石灰を多く含んだ岩石などの堆積することとなる。
⑤ 堆積層のできた後に、気象変動や地殻変動によって、陸化が起こる。そこにまず、腰岳や国見山系の玄武岩の噴火が起こったものと思われる。腰岳を中心とした玄武岩は現在の黒髪山系をほぼ覆う広い範囲に広がった。
⑥山代中学校のあたりから見える国見山系の東面は断層の露出面と思われる。それゆえ今日でも、地すべりの多発地帯となっていると思われる。
※ 松尾優 様には、HPに加えメールや電話でも詳しく説明をいただき、たいへん感謝しています。
<引用HP:『黒髪山系の植物』(http://www14.ocn.ne.jp/~kurokami/index.html)>
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