後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

佐々木歌子さんの隠れた才能・・・サクラソウの新品種創造の才能

2014年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム

2、3日前に石塚園芸店に行って、今年、新しく創られたサクラソウの花を見せて頂きました。

その詳細は、今年も石塚園芸の多数のサクラソウが「関東東海花の展覧会」に出品されています という昨日、掲載した記事で報告いたしました。

その折に石塚健寿さんが一人の女性を紹介してくれました。

佐々木歌子さんという方で、40年間も石塚さんのパートナーとして新しいサクラソウの花を創り出してきたそうです。

お話を聞くと、佐々木さんは民謡の先生で、お弟子さんも沢山いるそうです。

その上、彼女は東京宮城県人会連合会の副会長として東日本大震災で甚大な被害のあった宮城県の復興に活躍しているそうです。

伊達政宗の命で、支倉常長がローマに行くために乗った「サン ファン号」を復元した木造船も津波で壊されました。その再建のためにも多大な寄付を集めました。

下に昨年の10月20日(日曜日)に東京郵便貯金ホールで開催された東京宮城県人会連合会の大会での写真を示します。中央に座っているのが佐々木さんです。その右は会長の伊藤長市さんです。

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石塚さんはサクラソウの新品種を作る名人として世界的に有名な方ですが、その陰には佐々木さんの根気良い交配と種の選別、そして熟練の栽培技術があったのです。石塚さんがそう言うのですから本当なのだと思います。

佐々木歌子さんの表の仕事は民謡の師匠で、宮城県の県人会の副会長として有名な方だそうです。

昨年の大会では開会の辞を述べ、オープニングでは、難曲として有名な「さんさしぐれ」と「斎太郎節」を唄いました。どちらも上品な民謡です。

佐々木さんは、このような表の華やかさとは全く違う別世界を持っていたのです。

それはサクラソウ栽培の根気仕事の世界だったのです。毎日、土と汗にまみれる細かな仕事です。それを40年も続けてきたのです。

一つの品種を創りあげるのに12年もかかりました。鮮やかな黄色を出すために交配と選別を繰り返し「黄萌」という世界初の花をつくりました。色彩の感覚が鋭いこと、そして新品種の名前を選ぶことには石塚さんも一目置いているそうです。

これこそ隠れた才能ではありませんか。人間には隠れた才能があると言われていますが、その実例を見て、思わず驚嘆してしまいました。

佐々木歌子さん益々の精進で、まったく新しいサクラソウが生まれるようにお祈りします。下に一昨日撮っサクラソウの写真を添えて終わりといたします。

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