後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ドイツのことに無知だった私、冬の暗さと『30年戦争』」

2024年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ドイツは日本の同盟国として第二次世界大戦をともに戦った国でした。当時日本の新聞や雑誌にはドイツの良いことが沢山書かれていました。戦前は日本人の憧れの国だったのです。昭和11年生まれの私にとっても理想の国に思えたのです。
しかし日本よりも早く降伏したのでドイツの見方が少し変わりました。それでもドイツに留学したいと思い続けていました。
それが実現したのは1969年から1970年でした。1960年から1962年のアメリカ留学の後でした。
1969年の8月にドイツに到着しました。それから家族をよんで1970年の11月までシュツットガルトに住みました。娘はドイツの小学校に、息子は幼稚園に通いました。家内は教会の旅行や買物等の日常生活を楽しんでいました。南ドイツに住んでいたのでスイスやフランスにも旅しました。
ドイツに住んでみると知らなかった事が多くドイツを興味深く感じました。

今日は日本人があまり知らないドイツで重要な2つのことを書きたいと思います。寒さが厳しい冬の暗さと、『30年戦争』の2つのことです。
まずドイツの冬の風景の写真をご覧ください。


ドイツは気候も社会も若い頃留学したアメリカのオハイオ州とは全く違うのです。
同じ欧米人なのにアメリカとドイツでは人々の考え方が驚くほど違うのです。
「ヨーロッパの階級社会や伝統社会から逃れた人々がアメリカに行って国家を作った」という一行の文章の意味がしみじみ理解出来るのです。
それはさておき、まずはじめに寒い冬の暗さを書きます。その長い冬を体験した結果、ドイツの文化を理解するためにはこの冬の厳しさを考慮に入れて考えるべきと思ったのです。
これは重要なことで、その後、私がいろいろな外国の文化や社会を考える時、必ずその国の天候や自然条件を考慮に入れるようになったのです。
例えば北欧の観光写真を見ると、ほとんど全てが夏の晴天の日に撮ったものです。そんな輝く晴天の日は年間でほんの数日しか無いのです。北欧の人がそんな夏の日に感じる歓喜が想像出来ようになったのです。
内陸のヨーロッパの人々が明るい地中海沿岸のイタリヤや南フランスに強く憧れるのは暗くで長い冬のせいなのです。
私が外国を理解するとき天候や自然の条件を考慮に入れるように変わったのです。

もう一つドイツで重要なことは『30年戦争』です。
不思議なことにドイツの研究所の実験室に必ず冷蔵庫があってビールが沢山入っています。実験に疲れたとき1、2本水がわりに飲むのです。そんな折りの雑談の話題は決まったように中世の「30年戦争」のことなのです。
確かなことは忘れましたが1600年代にドイツの町や農村を徹底的荒廃させ人口の何割かが殺された内戦のことです。
私は日本の学校で「30年戦争」がそんなにドイツにとって重要だとは習いませんでした。ですから「30年戦争」など記憶になかったのです。
ところがドイツ人はビールを飲むたびにこれを話題にして喧々諤々の議論をするのです。
そこで判ったのです。人々が習う歴史とは国々によってまったく違うという事実です。
この世に絶対的に正しい歴史などは存在しないのです。歴史は権力者に都合良く書かれているのです。
歴史とは国々によってまったく違うという事実を体験的に理解できたのです。
アメリカでビールを飲んだ時の話題は野球やアメリカン・フットボール、バスケットボール等スポーツに関することが多いのです。あるいは趣味の話です。ところがドイツでは歴史が話題になるのです。
これもドイツ人とアメリカ人の違いの一つですね。

ドイツにはもっといろいろなことがありますが、今日はこれぐらいにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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