後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「韓国の夏の夜の祭りの写真」

2024年06月24日 | 写真
隣りの韓国も日本と同様に祭りが沢山あります。そこで夏の夜の祭りの写真をお送り致します。

1番目の写真はソウルのお祭り「ソウルランタンフェスティバル」です。ソウル特別市鍾路区の清渓広場と清渓川一帯で灯りをテーマに繰り広げられるお祭りです。

2番目の写真もソウルのお祭り「ソウルランタンフェスティバル」です。1番目の写真は2番目の写真の出典は、https://s-koreanschool.com/column/c20220904_jp.html です。

3番目の写真は統営(トンヨン)閑山大捷祭りです。大海戦の一つである閑山島海戦を閑山島沖で再現する祭りです。8月11日から15日まで慶尚南道統営市で開かれます。
写真の出典は、https://japanese.korea.net/NewsFocus/FoodTravel/view?articleId=147926 です。

4番目の写真は「浦項(ポハン)国際光祭り」です。7月26日から30日まで慶尚北道浦項市の兄山江体育公園と迎日台海水浴場で開かれます。
写真の出典は、https://japanese.korea.net/NewsFocus/FoodTravel/view?articleId=147926 です。

「夏の風物詩、能登地方のキリコ祭り」

2024年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム
日本には各地に四季を通して祭りがあります。神社やお寺さんに関係した宗教色のあるものから宗教とは関係のないものなど沢山あります。
特に夏は盆踊りや納涼祭などが加わり一層数多くの祭りがあります。
それこそが日本民族の文化の基盤であり、人々を幸せにしている大切なものです。
祭りは家族の愛を強め、地域の人々を美しい絆で結びつけきます。夏の夜に遠くから聞こえて来る太鼓の響きや掛け声を聞くと亡くなった祖父母や両親のことを思い出します。一緒に遊んだ友人たちのことを思い出します。懐かしい故郷の昔の風景がよみがえって来ます。
夏祭りの一つの例を示します。能登半島の津々浦々のキリコ祭りをご紹介致します。能登は今年の元日に大地震に見舞われ甚大な被害を受けました。亡くなられた人々の魂の安らぎを祈ります。
キリコ祭りは能登地方の住民にとって最も重要な祭りです。能登地方で生まれて東京や大阪などに出て行っている人たちが、自分の町でキリコ祭りがある時には戻ってきて、祭りに参加するのです。祖父母に孫たちを会わせ家族全員でキリコ祭りを楽しむのです。
キリコは巨大な灯籠のことです。背が高い直方体で、前面中央部には漢字3文字で表した「キリコ吉祥文字」と呼ばれる地区ごとの願いや祈りを込めた文字が書かれています。
このキリコ祭りを夏祭りと書きましたが、正確には7月から10月に掛けて行われます。能登の場所によっては秋祭りとして行われる所もあります。
能登地方の出身者は自分の町のキリコ祭りにあわせて帰省します。つまり帰省する月日が地域ごとに違います。夏のお盆に帰らない人でもキリコ祭りの日には必ず帰るのです。
写真に 七尾市で行われる石崎奉燈祭(キリコ祭り)の様子を示します。写真は「七尾市、石崎奉燈祭の写真」を検索して鮮明な写真を選んで転載させて頂きました。

考えてみると民族の文化の基盤は家族の中の愛のあり方や、地域の人々の結びつきのあり方にあります。これこそ日本民族のアイデンティテーなのです。
家族のあいだの愛のありかたは民族によらずかなり普遍的に同じです。しかし地域の祭りに合わせて帰省するのは日本独特の文化ではないでしょうか?そして祭りをとうして地域の人々が美しく結ばれるのも特徴的な文化ではないでしょうか?
若い人でも賢い人は祭りを大切にしています。重要だと思っています。
老境に至って全国の地方、地方の祭りの重要さがしみじみ判ったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の風物詩の花火、金魚売の光景」

2024年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム
いよいよ夏です。そこで夏の風物詩の花火、金魚売の光景を写真で示します。今は消えてしまった懐かしい風物詩です。
夏が来るとしきりに思い出すのが昔の茶の間、花火遊び、夜店、金魚売り、海水浴などの光景です。
私の幼い頃は戦前、戦後にまたがっていました。食べるものも少なかった貧しい時代でしたが夏の日々がめっぽう楽しかったのです。エアコンは勿論、電気冷蔵庫も無い時代でしたので暑かったに違いありませんが、不思議に暑くて困ったという記憶がないのです。近所の子供たちとよく花火遊びをしたものです。

1番目の写真は子供たちの花火遊びの写真です。この写真の出典は、http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/p1_0008264353.shtml です。
花火遊びで一番魅了されたものが線香花火です。
線香花火は細い小さな花火ですが赤い丸い火の球が出来、そこから柳や松葉のような繊細な光が飛び出すのです。出来の良い線香花火は何時までも松葉の光を出します。そして散り菊の形になり、丸い火の玉がポトリと落ちて終わります。その後のシンとした静かさ。あの笹の葉が擦れるような線香花火の音が86歳になった私の耳に鮮明に残っています。
夏の夜の思い出でもう一つ忘れられない光景があります。それは夜店の並んだ通りの光景です。

2番目の写真は夜店が並んだ風景です。写真の出典は、お祭りや縁日の必須アイテムといえば屋台で決まり、です。
 
当時は電灯を並べるなどという贅沢が出来ません。ローソクの炎がゆらゆら揺れて幻想的なものでした。その夜店でひときわ明るい店が所々にあります。カーバイトに水を少しずつ供給しアセチレンガスを発生させ、大きな炎を出させるのです。その炎がシューシューと大きな音を立てます。カーバイトから出る特有の臭いを思い出します。夏の夜はこうして楽しい思い出が沢山ありました。
そして朝になり、時が過ぎ、太陽がまぶしく中天にかかるころになると金魚売りがやって来ます。キンギョ、キンギョーとよく透る呼び声が路地に響きます。

3番目の写真は金魚売の写真です。出典は、read:http://www.city.shimabara.lg.jp/mailmagazine/backnumber/no135(270401)/270401.html です。

4番目の写真は金魚売りの売っていた金魚の写真です。
出典は、http://ameblo.jp/rika-131/entry-11485194425.html です。
金魚は秋になるとよく死んでしまったのです。飼い方が悪く可哀そうなことをしたものです。
そして夏と言えば海水浴です。当時は貧しい時代だったので娯楽といえば海水浴しか無かったのです。
海水浴では海で泳いで、砂浜に寝そべって甲羅干しをします。海水で冷え切った体に熱い砂が心地良く感じました。
当時はスイカ割りなどしませんでした。スイカは貴重品です。もったいないのです。私は一度もスイカ割りの経験がありません。

海水浴には多数の人が集まりました。ただ泳いで砂浜で遊ぶだけです。
そして夏休みになると子供たちは徹底的に遊び回ったのです。私には夏休みの宿題など熱心にした記憶がありません。
海水浴に行けない日は、セミ取り、トンボ取り、ドジョウ掬い、小鮒釣り、肝試し、なんでもやりました。

遊びは何でもやりましので思い残すことはありません。そんな遊びの光景を楽しみながら老境の夏の日々が静かに流れて行きます。今日も暑くなりそうです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「若い頃の夏の日の思い出」

2024年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム
最近は全国的に暑くなり一気に夏が来たようです。
そのせいか若い頃の楽しかった夏の日の遊びをいろいろと思い出します。
夏と言えば海水浴です。戦前戦後の貧しかった時代の夏の楽しみは近くの浜で海水浴をすることだったのです。海の遠い山国では川遊びです。
私の幼い頃は仙台でしたので海水浴と言えば仙台から近い荒浜か菖蒲田浜でした。とにかく夏になると何度も行きました。少し遠方では松島湾の桂島や宮古島へ行ったこともあります。
足が焼けるような砂浜を歩いて波打ち際に立つと冷たい透明な海水が足を洗い、心地良いものでした。
そんな話を朝食の時にしましたら、家内は自宅から歩いて何度も海水浴に行ったと云います。鎌倉の加賀様の別荘の下に家があったので松林を抜けて由比ヶ浜に出たそうです。
夏の日の楽しい思い出は人それぞれ沢山あると思います。
裏の林に入って蝉を取ったり、近所の小川で魚を追ったりした思い出がある方も多いと思います。
あるいは夜に怪談を聞き、暗い墓地へ行く「肝試し」を懐かしく思う人もいます。
そして花火です。昔は線香花火を丁寧に持って、パチパチと火花を咲かせたものです。以前は街灯が無くて夜が暗かったので線香花火でも大きく美しく見えたのです。
そして夏の果物と言えばスイカとマクワウリです。
スイカを網に入れ、深い井戸に吊るして沈めるのです。夜になって家族がそろったらスイカを引き上げて、切り分けて食べるのです。甘い淡い香りとあのみずみずしさが忘れられません。ところで最近はマクワウリという果物がなくなってしまいました。小さい枕のようにひょろ長いウリです。これも井戸水で冷やして食べます。中心の種の部分にある綿がほのかに甘くて美味しいのです。味は現在よく売っているアンデスメロンに似ていますが甘味はもっと薄かったです。
夏は子供にとっては天国です。夏休みが長いうえに、親たちもお盆のころ休暇をとり、よく家族旅行に行きます。家族旅行といっても海外旅行ではありません。近くの山に登ったり、温泉地へのせいぜいに一泊の旅です。それが滅法楽しかったのです。田舎の祖父母の家へ帰省するのが嬉しかったものです。
夜になると、現在は無くなりましたが蚊帳というものを吊ります。蚊帳に入ったり出たりして遊んだものでした。
そして家には網戸などありませんから蚊は出入り自由です。キンチョーの渦巻き形の蚊取り線香の煙の匂いが懐かしいです。
それにしても昔は冷房装置など無かったのです。しかし暑苦しくで困ったという記憶がないのです。夏になると楽しかった子供のころをいろいろ思い出します。
しかし楽しい思い出だけではありません。夏の大空襲で仙台市が一面の火の海になった光景を思い出します。そして、じりじり照りつける太陽の下で玉音放送を聞いたことも忘れません。

年老いた現在は楽しい夏の日を思い出します。そして想います。家庭の事情で夏も働かなければならなかった人々を。そして彼方此方の難民キャンプで酷暑の夏を過ごす人々を。
世界中の全ての人々が夏を楽しめるように静かに頭をたれて祈ります。

今日の挿絵の写真は以前に海水浴に行った所の現在の写真です。
1番目の写真は宮城県宮戸島の遠景です。2番目の写真は宮城県菖蒲田浜です。3番目の写真は松島湾の桂島の海水浴場」です。そして4番目の写真は宮城県宮戸島の月浜の写真です。みな昔海水浴に通った場所です。

さて皆様はどうのような楽しい夏の思い出をお持ちでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)