後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「写真で見る古都、西安と玄奘三蔵法師」

2024年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム
古い都の西安は阿倍仲麻呂が訪問しました。日本人にとっては懐かしい町です。私も行ったことのある懐かしい所です。その西安は古くは中国古代の諸王朝の都となり、長安とも言ったのです。現在は国家歴史文化名城に指定されています。
昔から政治の中心地として西周から秦、漢から隋、唐の都城と十三の王朝の都として二千数百年の歴史があります。
今日は古都、西安の風景と玄奘三蔵法師にまつわる風景を写真でご紹介いたします。写真は「西安の風景」と「玄奘三蔵法師」を検索して、出て来た数多くの写真から鮮明なものを選びました。
まず3枚の写真で西安の風景を示します。私は1982年に訪れました。
1番目の写真は現在の西安に残っている古い城門です。
2番目の写真も西安に残っている古い城門の正面です。昔は城壁が西安をぐるりと囲んでいましたが車の交通の邪魔になるので、少しずつ撤去して現在はこの城門だけが残っています。
3番目の写真は西安の旧市街の様子です。
さて次に4枚の写真で玄奘三蔵法師にまつわる風景を示します。
4番目の写真は西安の大慈恩寺の境内にある大雅塔です。ここに玄奘三蔵法師のインドから持ち帰った経典が保管されていました。
私は1982年に許可を貰ってこの大雅塔の最上階まで登ったことがあります。当時は文化大革命の後だったので大雅塔の土の階段が崩れていたことに心が痛みました。現在は綺麗に修復され立ち入り禁止になっていると聞きました。
5番目の写真は西安の青龍寺にある空海の記念碑です。青龍寺は隋の時代、582年に創建されました。空海は、ここで恵果和尚から密教の教義を学びました。写真の出典は、https://bluebird-story.com/qinglongsi/ です。
玄奘三蔵法師は唐時代にはるばるインドへ旅をして仏教の教えを持って帰って来たのです。
現在、中國、台湾、韓国、日本で読まれているお経のほとんど全ては彼がインドから持ち帰り、漢文に翻訳したものです。そして一部はインドのパーリ語の発音をそのまま漢字で表したものです。

インド、中国、日本と広い地域に流れた悠久の時を考えています。人間の想念は時空を越えるのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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