後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北欧のノルウエイへの独り旅の思い出」

2024年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ストックホルムに住んでいる間に私はノルウエイなどの北欧の国々を独りで訪問しました。夏の終わりでしたが人影が無く冬のような冷たい風が吹いていました。それは孤独な淋しい旅でした。
しかし訪問先の人々は非常に暖かく迎い入れてくれました。私の冷え切った心を癒してくれました。夏でも淋しいノルウエイの写真を示します。
1番目の写真はノルウエイのフィヨルドの風景です。写真の出典は、http://www.libertyhill.co.jp/blog/gym/post-59.php です。実際に見てみると壮大な風景に圧倒されます。
2番目の写真は遥かノルウエイのトロンハイムの工科大学の写真です。この工科大学は現在は科学技術大学になっています。写真の出典は、https://www.jasnaoe.or.jp/old_sites/west/mm/007/article03.htmlです。
私はこの工科大学の同じ専門の教授を訪問したのです。歓迎され一緒にサウナに入ります。そして独特な香りの強い酒でいささか酔いました。楽しい思い出です。トロンハイム市はノルウェーの首都オスロから北へ 500km 離れた北極圏にほど近い北緯 63 度に位置します。この街はヴァイキング王 Olav Tryggvason が AD 997 年に Nidaros と呼んで以来,ノルウェー王国最初の首都となり,現在では 1000 年以上もの長い歴史を持つています。
訪問者をもてなすためのサウナが必ず大学についているのです。北欧のサウナは、極北の香り高い白木で内装されています。隣に談笑する大きな部屋が付いていて、窓からは広々とした風景が見えるのです。
サウナに入る作法は、まず全員一斉に裸になります。脱衣室を兼ねている談笑部屋の隅にある籠に脱いだ衣服を入れ、バスタオルを持って入ります。熱すぎると叫ぶ者、もっと熱くしようと焼け石に水を掛ける者の笑い声で大騒ぎにななります。十分暖まったら談笑する部屋に出て、酒を飲み、ロブスターを割り、勝手な話をするだけです。
サウナで歓迎するのは何処に行っても最高の歓迎のしかたという伝統なのです。
スウェーデンの北極圏にあるキルナ市のスウェーデン鋼の会社を訪問した時もサウナで歓迎されました。一段と立派なサウナで、前室には、ピンク色の強い酒とライ麦の粉を煎餅のように焼いたものがチーズとともに皿に乗っていました。
サウナは北欧の重要な伝統文化なのです。
今日はノルウエイへの独り旅の思い出とサウナの話を書きました。茫々50年。北欧ははるかに遠くなりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「北の国のヘルシンキのサウナ」

2024年05月25日 | 写真
昔、北の国のヘルシンキの工科大学のハイケンハイモ教授を訪問したことがありました。そうしたら大学のサウナに招待されたのです。
北欧のサウナは、極北の香り高い白木で内装されています。隣に談笑する大きな部屋が付いていて、窓からは広々とした風景が見えるのです。
その談笑室には白木のテーブルと椅子があり、酒を飲みながら裸で談笑するのです。
そんなことを思い出しながらヘルシンキの路面電車やサウナの写真をお送り致します。

「スウェーデン王国 の国花はドイツスズラン」

2024年05月25日 | 写真

ドイツスズランはヨーロッパ原産で、日本のスズランと似ています。ドイツスズランは日本のスズランより大きな花を咲かせ、香りが強く、葉幅が広いのです。 19世紀の半ばにベルリンで改良され、欧州各国へ冬場の草花として大量に輸出されたことから、スズランと云えばドイツと言われたことに由来します。“ドイツ+スズラン”で名付けられていて、花の形が鈴を連想させ葉が蘭の葉に似ることに由来します。 19世紀の半ばにベルリンで改良され、欧州各国へ冬場の草花として大量に輸出されたことから、スズランと云えばドイツスズランと言われたことに由来します。ドイツスズランの写真にウェーデンの花々の写真をつけてお送り致します。

お楽しみ下さい。写真は「スウェーデンの野原に咲く花の写真」を検索して、インターネットの写真から美しい写真を選びました。


「冒険の連続だった私の人生(3)スウェーデンと北極圏に行く」

2024年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
1972年にストックホルム工科大学のエケトルプ教授に招待されて4ケ月滞在して講義をしました。その折に北極圏の北欧への旅もしました。
北極圏にあるヘルシンキの工科大学のハイキンハイモ先生を訪問しました。寂しい北国への独り旅でした。冷えた私を温かく迎えてくれたのがハイキンハイモ先生でした。先生は私を自宅での夕食にも招待してくれました。若い奥さんは東洋人を見るのが初めてらしく私の風貌や姿をシゲシゲと見ました。失礼な態度とも思いましたが、それよりもフィンランドが辺境の地にあり外国と隔絶した国であることを体験的に理解出来ました。思えば遠くに来たものです。
ハイキンハイモ先生は自宅に招待してくれただけでなく大学のサウナへも案内してくれたのです。
さてここでフィンランドはどういう国なのかご紹介したいと思います
フィンランドは北欧のスカンジナビア半島の北端の北極圏にある国です。国土の約80%が森林や湖沼、河川に覆われています。「湖沼の国」という意味が転じてフィンランドという国名になったといわれています。人口は554万人ほどの小さな国です。
しかし国連が毎年発表する「世界幸福度ランキング」では、2023年で6年連続となる1位になっています。豊かな自然に恵まれ、社会保障や教育システムが充実している暮らしやすい国です。 ここで寫眞をお送り致します。
1番目の写真は夏の晴天の日のヘルシンキです。こんな日はめったに無いそうです。いつもはどんより曇っており暗く寒いそうです。写真の出典は、https://www.skyscanner.jp/news/finland2023 です。
2番目の写真はフィンランドの農村の風景です。湖が多いので農地は湖の間ににあります。写真の出典は、 https://www.skyscanner.jp/news/finland2023 です。
3番目の写真はサウナ小屋の内部です。写真は「フィンランドのサウナの写真」を検索して、インターネットの写真から選びました。
 
北欧のサウナは白木だけで内装された素朴なサウナです。フィンランドで私が入ったサウナは隣に白木の脱衣所を兼ねた談笑室がありました。そこで野の果物でつくった 蒸留酒をハイキンハイモ先生と一緒に飲みました。楽しい懐かしい思い出ことです。茫々、50年余の前のことです。
 
次に 私をストックホルム王立工科大学の集中講義に招待してくれたエケトルプ先生の趣味をご紹介します。古民家を復元する趣味です。
驚いたことに先生は中世のスウェーデンの古民家の構造を詳しく調べ、忠実に復元していたのです。ストックホルムの郊外に、藁葺と白壁の中世風の農家を復元してありました。
家の再現で苦労したのは釘を一本も使わないで造ることだったと言います。内装はすべて白っぽい北国の板材、柱は太い丸太の表面を磨いたもの。屋根は意外にもそんなに厚くない麦藁葺。年間雨量の少ない乾燥した北国なので、日本の合掌造りの屋根のように急斜面で部厚くはないのです。
建坪50坪ぐらいで、大きな室内は、寝室、食堂、炊事場、風呂場、トイレを北欧の材木で区切り、ドアもすべて同じ板材です。木製の蝶番(ちょうつがい)と閂(かんぬき)が付いています。
一番の特徴は一階の右半分を使用した炊事場兼食堂。部屋の真ん中に石造りの大きな竃(かまど)があり、その上には分厚い鉄板が乗せてあります。炊事の時にはその鉄板の上に鍋を三、四個置き、薪で煮炊きをするのです。深い鉄鍋を逆さに伏せればオーブンにもなります。
大きな石組みの煙突が家の中心を貫き、その余熱で二階の寝室の暖房にするのです。
寝室には電気が無く、灯りはローソクです。
昔のスウェーデンの農家との違いは炊事場と食堂に電燈と冷蔵庫があるだけでした。テレビはありませんでした。
木の香を楽しみ、夕食後は石の竃(かまど)の前に座り、コケモモでピンクに色づけしたスウェーデンの蒸留酒を飲みます。古い農家を再現するときの苦労話を聞きながらその強い酒を少しずつ飲みます。
夜が更ければ寝室へ引き揚げます。窓の外には白夜の牧草地が薄暗く広がっていて、遠くに馬の親子が立っているのがぼんやり見えます。このような白夜の風景が珍しく、いつまでも外を眺めていたものでした。
当時はデジカメがありませんでした。写真も撮りませんでした。そこで昔泊めて貰ったあのスウェーデンの古民家に似た画像をいろいろ探しました。似ている古民家の写真を見つけましたので下にお送りいたします。

4番目の写真はスウェーデンの古民家です。
写真の出典は、http://fuucaarchi.exblog.jp/tags/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3/ です。この写真の古民家では外壁が板壁になっていますが、私が泊まった家は窓から上の部分は白い土壁でした。屋根は藁葺でした。

5番目の写真はスウェーデンの古民家の室内の様子です。
写真の出典は、http://hanatomo31.exblog.jp/16424403 です。

スウェーデンで古民家に招待してくれたエケトルプ先生には公私ともに大変お世話になりました。その恩人も亡くなって随分年月が経ちました。亡くなったとき花束を贈っただけでした。
日本のテレビでは時々古民家を復元して住んでいる人を紹介する番組があります。それ見るたびにスウェーデンの古民家に泊めてくれたエケトルプ先生をしみじみ懐かしく思い出します。

話は変わりますが、家内は大学時代に乗馬クラブにいたので、その影響で私も馬が好きになりました。九州の野生馬や北海道の道産馬も見に行ったことがあります。九州の「都井岬」には、江戸時代の高鍋藩の藩営牧場があり、100頭ほどの「御崎馬」が野生化して自然の中に棲んでいます。
そして木曽駒は5、6回も見に行きました。ここの感動的なことは広い牧場を数頭の木曽駒が何時も走り回って、遊んでいることです。馬が遊びで疾駆している光景は感動的な光景です。厩舎に入って馬にも触れますし、乗馬もできます。家内が乗馬を楽しんでいました。
それも随分と昔になったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)