後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「長崎の大浦天主堂にまつわる話」

2024年05月26日 | うんちく・小ネタ
大浦天主堂は建立まもない頃は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。
1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。
彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた[12]。
その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めた。浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。
 
 
 

「冒険の連続だった私の人生(4)クラウスタールへの再度のドイツ留学」

2024年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツのシュトッツガルト市に1969年から1年4ケ月間住んでドイツの文化が好きになり1974年に再度ドイツに留学しました。ハルツ山地にあるクラウシュタール工科大学です。4ケ月間でした。そこのシュマルツリードという先生と共同研究をしました。

ドイツの工科大学で有名なのはベルリン工科大学、アーヘン工科大学、クラウシュタール工科大学の3つです。クラウシュタールは森の中の寂しい小さな町でした。隣のツェラーフェルト町と一緒になってクラウスタールツェラーフェルトという行政区になっていました。

そのクラウスタールツェラーフェルトはハルツ山地の南西部にあります。(https://en.wikipedia.org/wiki/Clausthal-Zellerfeld )

クラウスタール・ツェラーフェルトはもともと2つの町で構成されていましたが、1924年に合併して行政単位になりました。

クラウスタール工科大学は小さな大学です。しかし大学ランキングではドイツの工学部のトップにランクされています。学生の30%以上と教員の20%以上が海外から来ており、ドイツで最も国際的な大学の1つとなっています。また非常に高い留学生の割合を持っており、過去10年間で25%から38%の範囲です。ドイツで中国人学生の割合が最も高いです。少し写真を示そうと思います。

1番目の写真はハルツ山地の森です。クラウスタールの町は森のはずれにあります。

2番目の写真は観光案内書です。

3番目の写真は昔の鉄道駅です。

4番目の写真は昔の学校です。

1974年に再度ドイツに留学したクラウシュタールの町をご紹介致しました。4ケ月間滞在しました。シュマルツリードという先生と共同研究をしたのでです。何も無い淋しい町でした。でも懐かしいドイツの町です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信」

2024年05月26日 | 日記
広島のカトリック幟町教会の今日のミサ動画配信です。
 
2024年5月26日 三位一体の主日
 
第1朗読 申命記 4章32~34、39~40節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章14~17節
福音朗読 マタイによる福音書 28章16~20節
 
広島県広島市中区幟町4-42
電話 082-221-0621 FAX 082-221-8486
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