後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「アイヌ民族の文化と生活の様子」

2024年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道にはアイヌ民族が縄文時代より以前の大昔から住んでいました。北海道の先住民です。第二次大戦の直後までアイヌ民族だけの村落が北海道に散在していたのです。それが現在は忘れられています。

そこで今日はアイヌ民族の文化と生活の様子をご紹介したいと思います。

さて私がアイヌ民族に興味を持つきっかけになったのはモースが撮ったアイヌ人の1枚の集合写真です。エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。その中に次の写真があったのです。

1番目の写真はモースが明治20年代(1890年頃)に撮った北海道のアイヌの集合写真です。写真の出典は、小学館の「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。

明治時代のアイヌは伝統的な服装と家に住み純然たるアイヌ文化を維持していたのです。一緒に写っている白人はクラーク博士でアイヌにも興味があったそうです。この写真でアイヌ民族を興味を持った私は他の写真をさがしました。

(1)アイヌ人の写真と家族の写真

アイヌ人の写真は明治時代から現在にいたるまで沢山あります。もっとも現在の写真は観光用のアイヌの祭りに出演するアイヌ人たちです。和人と結婚したアイヌ人達です。写真を示します。   2番目の写真はモースが明治時代に撮ったアイヌ民族です。こんな服装は1945年の大二次世界大戦の終戦まで続きました。北海道のアイヌ村落では皆んながこの服装をしていたのです。 3番目の写真は観光用のアイヌの祭りに出演したアイヌ人たちです。日本の経済の高度成長とともに北海道旅行が盛んになり大勢の観光客がアイヌの祭りのショーを見に行きました。ショーの出演者はアイヌの血を引く日本人です。   4番目の写真は観光用のアイヌの女性たちです。化粧や服装は伝統的なアイヌを忠実に再現しています。口の周りの入れ墨は墨で描いたもので入れ墨ではありません。   5番目の写真は口で震わせるアイヌ独特の楽器を演奏するアイヌの女性です。 北海道のアイヌ人は明治以後は日本の小学校に行くようになり次第に伝統的なアイヌ民族の文化が消えて行きました。北海道開拓のために入植した日本人によって土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも禁じられたのです。アイヌの村落は貧しい生活を強いられていました。それでもアイヌ村落は終戦後まで存続していたのです。第二次大戦中までは北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。 (2)アイヌ人の住居

昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには現在は民族博物館があります。そしてアイヌの村落が復元して展示されています。復元し展示してある村落の写真を示します。   6番目の写真は白老にあるアイヌの村落です。復元したものです。

  7番目の写真はアイヌの家の内部です。アイヌの住居チセ(cise)は、地面を踏み固めた上に藁やゴザ、毛皮を敷いて床とした平地式住居で、その中央に木尻席を欠いた大きな囲炉裏が設けられていました。この囲炉裏に数個のシュワッ(自在鉤)が下げられ、そこに和人との交易で得られた大小のシュー(鉄鍋)がかけられていました。    8番目の写真も展示されているアイヌの村落の風景です。

さて北海道大学の付属植物園の中にある博物館にはアイヌ民族関連の数多くの展示物もあります。函館市にもアイヌ文化を展示した博物館もあります。しかし現在はアイヌ人だけの村落は消えて無くなってしまったのです。

北海道に行くと、私は復元した村や博物館を見て回りました。北海道・日高の平取町二風谷では、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もありました。

(3)アイヌ人の食生活

アイヌ民族の食糧は簡単に獲れるエゾシカの肉と多量に獲れる鮭の干物でした。ヒグマはまれにしか食べられませんでした。クジラやトドなどの海獣も食べましたがニシンやイワシが主でした。若めや昆布も食べました。

その他に下の写真のような植物を食べていました。そして肉食と草食のバランスを取りながら北の大地で豊かな食生活を楽しんでいたのです。640pxtouro_rake1_2

9番目の写真はペカンペ(菱)の大産地として有名な釧路湿原にある塘路湖です。菱の実の争奪戦が行われたとの伝説も伝わているそうです。

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10番目の写真です。        11番目の写真です。

10番目の写真がギョウジャニンニクの芽生えで、11番目の写真が汁物の具として好まれるニリンソウです。葉の形は毒草のトリカブトと似ているため、採集には注意を要するそうです。

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12番目の写真です。        13番目の写真です。

12番目の写真がマウ(ハマナスの実)です。アイヌ語では旧暦7月をモマウタチュプ(少しばかりハマナスの実を採る月)、8月をシマウタチュプ(本格的にハマナスの実を取る月)と呼ぶそうです。

13番目の写真がアイヌ語ではユクカルシ、カムイカルシと呼ばれるマイタケです。和人との交易品として重要なので、日本語名・マイタケも早くから広まったいました。

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14番目の写真です。         15番目の写真です。

14番目の写真が葱です。江戸時代後期から栽培され、汁物や刺身の薬味に使われたそうです。

15番目の写真はマキリ(小刀)です。山菜の採集や魚の処理、調理に使われました。

アイヌは和人と同様に生食を好み、素材の新鮮さを最大限に生かした「刺身」や「肉や魚のたたき」が大変に好まれていたのです。加熱調理については、炉の直火と鍋のみで可能な調理法、すなわち「あぶる」「焼く」「煮る」「ゆでる」「灰の中で蒸し焼き」でした。

以上の写真と文章の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%96%99%E7%90%86 です。

今日はアイヌ民族の写真とともにその村落、住居、食生活をかなり詳しくご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


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