後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「少数民族のアーミッシュの人々の暮らしぶり」

2024年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム
少数民族と言えばアーミッシュの人々も少し変わった少数民族です。私が実際に見た少数民族です。総数は22万人だけです。
自動車や電気・ガス・水道のような近代文明の利器を一切拒否して、牧畜と農業だけで完全な自給自足の生活をしているのです。
彼等はアメリカのペンシルベニア州やオハイオ州の中西部やカナダ・オンタリオ州などの農村に住んでいるキリスト教の一派の人々です。その総数の約22万人は年々増加しているようです。増加の原因は多産にあると言われています。
私は1990年の前後に2年間ほどオハイオ州に住んでいました。その時、同僚のアメリカ人がアーミッシュの生活は面白いから行って見なさいと盛んに勧めたのです。
数回遊びに行きました。一度はアーミッシュの村のランプの宿に泊まる体験もしました。
それでは写真に従って彼らの生活ぶりを見ていきましょう。

1番目の写真は古い納屋と箱型の馬車です。
アーミッシュの村に入るとこのような馬車とよくすれ違います。馬車には決まったように老人が乗っています。若者は屋根のある馬車には乗ってはいけないのです。馬車の老人に手を振って挨拶をすると、わずかに手を上げて挨拶を返します。

2番目の写真は黒い正装をして教会の礼拝に行く様子です。若者は歩き、老人は馬車で行きます。

3番目の写真は手作業で収穫した牧草を運んでいるようすです。
農業をして小麦の栽培や野菜を作っています。そして牛を飼って牛乳やチーズを作っています。

4番目の写真では屋根の無い馬車に女性が3人と男の子が二人乗っています。楽しそうな雰囲気なので、何処かにピクニックにでも行くのかも知れません。

5番目の写真は犂を2頭の馬で引かせて畑を耕している光景です。
農業ではトラクターや耕運機を一切使いません。全て人力か馬を使います。
尚、上に引用した5枚の写真の出典は順々に下記の通りです。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:DSCN4624_holmescountyamishbuggy_e.jpg
http://automobilemusic.com/usa-amish-399
http://ganref.jp/m/jinskonsha/portfolios/photo_detail/430e15754e3ab374a5601c5a25235ad5
http://azaleasdiary.com/amish-facilities-for-sightseeing-and-souvenirs/
http://estorypost.com/world/former-amish-on-q-and-a/

アーミッシュの人々の生活は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5 に詳しく掲載されています。
以下にそのほんの一部だけをご紹介いたします。
アーミッシュには戒律があり、原則として快楽を感じることは禁止されるのです。ですから賛美歌以外の音楽は聴いてはいけないことになっています。
その他、戒律として、喧嘩をしてはいけない。読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可)。義務教育以上の高等教育を受けてはいけない。化粧をしてはいけない。派手な服を着てはいけない。離婚してはいけない。などなどが守られています。
アーミッシュは近代以前の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い自給自足の生活を営んでいるのです。

最後に私の泊まった民宿の様子をご紹介します。
泊まった家は日本によくあるペンションのような建物でした。
食堂と炊事場だけは自家発電の電気がついています。寝室に行く廊下とベッドルームはランプでした。
食事の間に女主人にいろいろ聞きました。炊事場で電気が絶対に必要なのは冷蔵庫と冷凍庫だそうです。炊事の燃料はプロパンガスだそうです。
自分と夫はアーミッシュではなくプロテスタントだが、アーミッシュの人々を尊敬しているので民宿を経営しているそうです。
そしてアーミッシュ・キルトやチーズの土産物屋を経営している人も皆アーミッシュではない普通のアメリカ人なので、ガレージの中には自動車があると教えてくれました。
そして、アーミッシュ人々から税金も取らずに自由にさせているアメリカは立派な国だと自慢するのです。
夜も更けたころ、女主人はランプを手渡してお休みなさいと言います。
暗い寝室の窓からは星空が見えました。村中が暗いので星がよく見えたのを憶えています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「水の中を泳ぐ鯉のぼり」

2024年05月01日 | ブログ
山口県防府市奈美の小野小学校近くの佐波川に行くと、たくさんの鯉のぼりが水の中を悠々と泳いでいるという全国的にも珍しい光景を楽しむことが出来ます。

晴天の日が続いていれば流れる川の水がとっても綺麗で、川底まで透けて見えるほど。
泳いでいるのが水の中というを忘れてしまいそうです。
https://www.travel.co.jp/guide/article/17383/ より。
 

「鯉のぼりと端午の節句は元々は女の節句だった」

2024年05月01日 | うんちく・小ネタ
間もなく麗しの皐月がやって来ます。そして青空に鯉のぼりが泳ぐ端午の節句になります。
青空に鯉のぼりが舞う写真をお送りし、端午の節句はもともとは女の節句だったというお話しをしたいと思います。
昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。その頃は鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習でした。
1番目の写真はそのような時代の吹き流しと鯉のぼりです。写真の出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/ です。

2番目の写真は長野県阿智村の鯉のぼりです。
出典は、https://jp.zekkeijapan.com/article/index/938/ です。
 
さて端午の節句にまつわるお話しをしたいと思います。端午の節句は時代によって随分と変化したようです。
端午(たんご)は五節句の一つです。端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれます。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習がありました。
現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ国民の祝日「こどもの日」になっています。地方では旧暦や月遅れの6月5日に祝う地域もあります。

旧暦では午の月は5月にあたり、5月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日になったのです。
ところが端午の節句はもともと女の節句だったのです。
昔、中国では五月は悪い月とされ、薬草をとって悪い気をはらう行事がありました。かおりの強いアオイや菖蒲には、魔よけの力があると信じられていたのです。
また、このころは、ちょうど田植えのシーズンでした。田植えは、昔、女性の仕事だったので、この日は女性が大切にされ、女性だけが菖蒲をふいた屋根のある小屋に集まり、そこで過ごし悪い気をはらう行事がありました。
これが「菖蒲の節句」でもともとは女の節句だったのです。
中国の「女の節句」が日本の鎌倉時代ごろから、菖蒲が「尚武(武を重んじること)」に変わり、男の子の節句となったのです。
鎌倉時代ごろから、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午は男の子の節句となったのです。
端午の節句では鯉のぼりだけでなく、鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾ります。
ただし「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となりました。
しかし京都を含む上方では、当時は見られない風習であったようです。
また端午の日には柏餅(かしわもち)を食べる風習があります。
柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。 以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/端午 からの抜粋です。

それにしても端午は元々女性の節句だったとは面白いですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃」

2024年05月01日 | 写真
季節はめぐり鯉のぼりが空に舞う今日この頃です。日本の皐月の白に鯉のぼりが泳いでいる風景が見られます。
日本の五島列島と富士山の朝霧高原と新潟県の鯉のぼりの風景写真をお送りします。

それはそれとして、
 今日は皆様この鯉のぼりのようにお元気にお過ごし下さい。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は五島列島の鯉のぼりです。
出典は、http://yonchiworld.blogspot.com/2016/05/blog-post.html です。
2番目の写真は富士山の朝霧高原にあるドライブインの鯉のぼりです。
出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/akatukinosuzu/3851302.html です。

3番目の写真は新潟県の鯉のぼりです。
出典は、http://shinkai-y.seesaa.net/article/449406484.html です。
説明文も少し抜粋します。
・・・やわらかく吹く風はやさしくて、眩しいほどに遠くまで太陽の光が透き通っています。
鯉のぼりはそんな中、多くの人たちが歩く姿を少し高い位置から眺めているのでしょうか?
この丘の向こうでは、一面にある菜の花畑の道を多くの人が歩いています。
日曜日の午後、よく晴れてくれました。・・・
 
それにしても端午の節句の歴史は時代によって随分と変化したものです。
歴史がお好きな方は下をご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/端午 
一部の抜粋です。
端午(たんご)は五節句の一つ。端午の節句、菖蒲の節句とも呼ばれる。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ、国民の祝日「こどもの日」になっている。少ないながら旧暦や月遅れの6月5日に行う地域もある。尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。
以下省略。

「韓国人はお祭りやイベントが好き」

2024年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の技術援助で韓国南東地域の浦項に近代製鉄所が出来た。技術研究所の所長は、以前東京大学にいた金鉄祐氏でした。その頃、私も東大で働いていたので金鉄祐氏と仲良くなりました。その彼に招待されて韓国へ講義に行ったのです。1985年に妻と一緒に行きました。
 
そうしたら韓国人は祭りやイベントが好きなのです。祭りやイベントを開催して楽しく暮らしているのです。日本人の祭り好きとよく似ています。そんな韓国の祭りの様子は、「韓国のお祭り2014」に数多く紹介してあります。その中から私の気に入った祭りを5つ選んでご紹介いたします。http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_5.jsp?cid=977374 を開けてみて、あなたのお好きな祭りを選んでみるのも楽しいと思います。
(1)ソバの花が主役の祭り:平昌孝石文化祭り
韓国現代文学の大家、李孝石(イ・ヒョソク)の故郷である平昌(ピョンチャン)郡の蓬坪にある孝石文化村は彼の代表作である「蕎麦の花の咲く頃」の舞台でもあります。この祭りでは、作品に登場する地域を巡るコースや様々な民俗体験イベント、文学・料理イベントを楽しむことができます。また、祭りは白い蕎麦の花が蓬坪一帯を覆う最も美しい時期に開催されるため、見どころいっぱいの祭りといえます。 会場:江原道 平昌郡 蓬坪面の一帯(文化村一帯)
(2)菊の花が主役の祭り:カゴパ菊花祭り
馬山(マサン)は韓国で初めて菊の栽培を始め、初めて日本に輸出もしました。2000年から開催されたカゴパ菊花祭りのイベント会場では、雄壮なフラワーゲートや5千輪の菊で作った菊の丘、菊のキャラクターのある花の塔など美しい菊が満喫できます。 会場:慶尚南道 昌原市 馬山第1埠頭の一帯 

(3)漢城百済時代の文化が感じられる祭り:漢城百済文化祭

ソウル特別市松坡(ソンパ)区一帯は2000年前、約500年間漢城百済(ハンソンペクチェ)として都があった場所です。ソウルの歴史が始まったといえるこの地には、風納土城や夢村土城など由緒正しい遺跡があります。燦爛たる花の漢城百済時代の歴史や文化を感じられるお祭りです。 会場:ソウル特別市 松坡区 オリンピック公園一帯、慰礼城大路、風納キョンダン歴史公園など

(4)韓国の民謡、アリランの哀愁を懐かしむ祭り:旌善アリラン祭り

旌善(チョンソン)アリラン祭は、保存と継承の発展のため、自然と人とアリランがひとつになる祭りです。旌善アリランの哀歓をこめたアラリいかだの再現、旌善アリランや拍子を覚えるアリラン体験やカムジャジョン(ジャガイモのチヂミ)やメミルジョン(蕎麦のチヂミ)などの料理体験などがあります。また故郷の香りをいっぱいに感じられる、躍動力あふれる旌善市場(伝統市場)は、祭り期間中は毎日開催され、農産物や食べ物を安価で購入できます。 会場:江原道 旌善郡 公設運動場、朝陽江の一帯 

(5)薬草と韓方薬の祭り:智異山(山清)韓方薬草祭り 

智異山(山清)韓方薬草祭りは、健康に関心がある現代人にぴったりのお祭りです。この祭りでは自宅でハーブのように育てて食べられる薬草の鉢植えや薬草を材料にした韓方料理などを展示して、観光客にわかりやすく薬草を伝えています。 会場:慶尚南道 山清郡 山清インター入口の祭り広場および東医宝鑑村の一帯

今日は韓国のいろいろなお祭りをご紹介致しました。韓国の祭りは色彩豊かで派手ですね。日本より中国に近い文化と思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)