後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏目漱石の美術世界展のご案内です。

2013年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、鹿肉や猪肉を食べる食文化の歴史を想う という記事を書いてから、10時過ぎに家を出て、雨の中を上野の東京芸術大学で開催されていた「夏目漱石の美術世界展」へ行きました。

200点余りの書物・絵画・彫刻が整然と7室に分類されている非常に見ごたえある展覧会です。

橋口五葉が装幀した美しく洒落た初版本のかずかずや、漱石肉筆の原稿・書や日本画の掛け軸など多数あります。その上に漱石と関連の深い古今東西の絵画の展示も多くあり、実に内容が充実しています。

面白かったは、第6回(1912年)の「文展」の出品作を並べ、それぞれに漱石の批評が添えられている室でした。彼らしいかなり辛口の評もあり、読んでから改めて絵を見るとなるほどそう見えると頷いてしまうものもありました。

文学好きの家内が大そう感動していましたので、展示の順序・分類や内容が漱石文学をより深く理解できるようになっていたのだと思います。

企画内容もさることながら学芸員の努力と精進ぶりには頭がさがりました。

7月7日までですので、漱石の小説が好きな方々は是非お出掛け下さい。

下に関連の写真を示します。

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上は今日の梅雨さなかの会場。

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小説「虞美人草」のラストシーンに立てられたケシの花の屏風 (このような絵かと想像して描かれた物です)。

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・当時の本の装幀がしみじみとして良いです。

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上の絵画は漱石自筆の作品です。  南画も書もとても深い趣があります。

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女性の姿が多いようでした

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「坊ちゃん」で小島の松の枝ぶりが似ていると言われたターナーの画です。

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ウオーターハウス作「人魚」の絵です。  「三四郎」で熱心に見られていたもの?

(上の写真の出典は、http://www.museum.or.jp/modules/jyunkai/index.php?page=article&storyid=102 です。尚、一番上の2枚は今日撮って来た写真です。)


鹿肉や猪肉を食べる食文化の歴史を想う

2013年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

八ヶ岳や甲斐駒岳には現在でも数多くの鹿や猪が棲んでいます。周辺の農作物が甚大な被害をこうむるので猟銃で撃って数を調整しています。

ですからその周辺の肉屋さんへ行くと一年中冷凍にした鹿肉や猪肉を売っています。同じように北海道では農作物の被害が大きいので鹿肉や猪肉をインターネットで全国へ販売しています。下に八ヶ岳の鹿の群れの写真を示します。

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(写真の出典は、http://www.p-albion.jp/sika.htm です)

私も鹿肉や猪肉を食べる食文化の歴史に興味があるので山小屋に行ったおりに現地の肉屋さんから鹿肉や猪肉を買って来ます。

それを賞味しながら、日本でそれらの肉を大量に食べていた旧石器時代や縄文時代の食文化を偲んでいます。

そして現在でも鹿肉を大切に食べている北欧やヨーロッパ北部の国々の食文化を想っています。

そこで下に鹿肉(左)と猪肉(右)の写真を示します。

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(写真の出典は、http://www.newsdigest.fr/newsfr/images/region/lotetgaronne/110221_02.jpg とhttp://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/53f88afa5eecfe3f376d2d98e7a6e3b33899ce20.57.2.9.2.jpeg です)

日本人が鹿肉や猪肉を多量に食べた時代は4万年前から16000年前まで続いた旧石器時代と16000年前から1、3世紀ごろまで年間続いた縄文時代でした。合計38000年間も続いたのです。

縄文時代の日本人の人口は総数で26万人と推定されています。

それに対して鹿や猪のような野生の動物の数は圧倒的に多数だったので鹿肉や猪肉は日常的に食べられていたと考えられます。勿論、栗や胡桃などの木の実や毒性の無い柔らかな野草も沢山食べられていました。

中国大陸から水稲の栽培や漁網が伝承された弥生時代からは獣肉の需要が減少し、人々は米と魚貝類の食文化に次第に変わっていったと思われています。

そして仏教の伝来とともに4つ足の獣肉は戒律で禁止され、山奥の村落以外では食べられなくなったのです。しかし、ほんの少しの愛好家が町でも味わっていたのです。例えば江戸時代の「ももんじ屋」などです。

旧石器時代と縄文時代の猪と鹿の捕獲方法は圧倒的に落とし穴だったと思われます。その他に集団で石刃をつけた槍で殺傷し捕獲する方法もありました。

私の家の近所の小平史跡資料展示室の縄文時代の落とし穴の精巧さを見ると納得します。

深く狭い縦型の穴を一か所に多数作っておくのです。そしてその穴は上の開口部が広くなっていて、下にゆくほど少しずつ狭くなっているのです。

こうするとどんな大きさの猪や鹿がスポッと落ちても胴体がピッチリと挟まってしまい動けなくなります。あとは石刃のついた槍で刺して殺せばよいのです。

穴が多数掘ってあるので猪や鹿の群れを追い込むと一挙に数頭捕獲できるのです。

旧石器時代や縄文時代の生活に関してこのブログでは、以下のような記事が掲載してあります。合わせごて笑覧下さい。

この日本に4万年前の昔から、人々はどんな暮らしをしてきたのでしょうか?

 相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中

 日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見

 さて猪肉や鹿肉の味です。結論を先に言えば牛肉や豚肉よりかなり不味いのです。野生のアクの味がする上に、野獣なのでとても固いのです。

 このように書くと料理方法が悪いと反対する人が必ずいます。

 そしてジビエの野獣としても、その風味と歯ごたえが堪らないと言う人もいます。

 食文化は人それぞれですから、そのような批評はその人にとっては真実です。疑う必要はありません。

鹿肉を赤ワインに漬けたり、圧力鍋で柔らかに煮て、生クリームやチーズを加え市販のシチューの素を加えて長時間煮込みます。そうすると美味と言えば美味になります。しかし牛肉にはかないません。とくに牛の尾肉のシチューと比較すると雲泥の差です。

あるいは猪肉をショウガと味噌に一晩漬けて、炭火で焼いたものは美味です。しかし九州の黒豚のロースにはかないません。

ところが石器時代人や縄文時代人にとっては最高の贅沢だったのです。他に美味しい肉が無くて、その上、常にタンパク質に飢えていたのでしょうから最高のご馳走だったはずです。

料理方法は石器時代は塩をつけて焚火でジックリ焼いて食べたのでしょう。

縄文時代になってからは土鍋で根気よく煮て、塩で味を調えて、香りの良い野草を入れて単純なシチューのようにして食べたと想像できます。勿論、焼肉の好きな人は焚火で丁寧に焼いて食べた筈です。

下に2万年前に日本人が食べたと考えられる動物の図面を示します。

とくにナウマン象の骨は人間の焚火の周囲に多数散乱していたので焼いて食べてのは明確な事実でした。

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(この写真は相模原市の田名向原遺跡公園の展示図面を私が撮影したものです)
このような野生の動物の肉を食べる食文化は4万年前から約2000年前まで、実に38000万年という長い歴史を持った日本の食文化だったのです。

随分と昔の1972年に、私はスエーデンに住んだことがあります。そこの名物料理に野生の鹿肉のシチューがありました。牛肉より不味いのですがスウエーデン人に聞くとそれが伝統的な食文化ですといささか威張っていました。日本人が鯨肉にこだわるような雰囲気の会話思い出します。

私もその気分が少し分かります。不味い、不味いと言いながら毎年一回くらい鹿肉や猪肉を食べるのは日本人の悠久の歴史を想い、なんとなく心が豊かになるからです。それは説明の出来ない幸福感なのです。それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げませ。後藤和弘(藤山杜人)