津軽鉄道は1928年に出来た本州最北端の私鉄です。
津軽中里駅と五所川原駅を結ぶ20.7kmの短い路線です。津軽平野の真ん中の単線の上をジーゼルカーが走っています。
ストーブ客車や鈴虫客車などで鉄道ファンが憧れている鄙びたローカル線です。
今回、津軽鉄道の中里駅から太宰治の記念館のある金木駅まで乗りました。
その印象については観光案内をしてくれたアテンダント嬢のことを書かねばなりません。
最近の私どもの旅行といえば国内旅行です。
団体旅行が多いので観光バスには地元のガイドさんが乗っていて、その地方の観光案内をしてくれます。
地元の歴史や産業や文化の説明をしてくれるので大変重要です。ガイドさんの説明によって旅の印象が全く違ったものになります。
津軽鉄道ではアテンダントさんの説明にすっかり魅了されてしまったのです。
まず津軽弁が美しく、不思議な響きなのです。フランス語のように軽やかでカナリアのさえずりのようなのです。
全て理解出来る津軽弁だけを、注意深く選んで喋ってくれます。そして津軽文化と東隣の南部文化とはどのように違うかを分かりやすく説明してくれます。
津軽平野の豊かな水田のおかげで鷹揚な人柄の人が多く、津軽藩主には文化人が多いのです。南部は山がちで質実剛健な気風なそうです。
2輌編成のジーゼルカーが萱ぶきの大きな農家の前を通ると、アテンダントさんが、「あれが私が生まれて育った家です」と言います。そして子供の頃の楽しい思い出を少しだけ、屈託なく話すのです。苦労したことのない人のようで、品性の良い女性です。
こういう人が説明すると津軽地方の文化程度が大変高そうに感じられるから不思議です。
アテンダントは6,7人いるそうですが性格の良い人を選んでいるようです。そして津軽の文化を楽しく話して、お客さんに良い思い出を持ち帰ってもらおうという算段のようです。このような津軽鉄道の営業方針に感心して帰って来ました。
津軽鉄道に乗る時は必ずアテンダントさんを予約して乗って下さい。
下に津軽鉄道の関連の写真をしめします。
上は中里駅から私どもが乗り込んだ「走れメロス号」です。名前は太宰治の小説の題目からとりました。
上は運転席の横から撮った写真で、春には桜の花のトンネルになることで有名な芦野公園駅です。
車窓の両側は何処までも続く水田です。そして遥か南の端には残雪の岩木山が輝いていました。
上の写真は「津軽鉄道アテンダント写真集」を検索して転載した写真です。今回説明してくれた方は右から2番目の女性ですした。皆さんも顔を見ると昔風の津軽美人のようです。
津軽文化を背負った方々のようです。