このブログでは約4万年前の旧石器時代から、縄文、奈良、平安・・・・江戸時代と
いろいろな時代の遺跡を紹介して来ました。
何故、私は人々の生活の遺跡に強い興味があるのでしょうか?
答えは簡単です。いろいろな時代の人間の生き方、考え方を想像するのが趣味だからです。想像ですから学問的には間違った部分も少し混じっています。しかし昔の人間の生き方と現在の生き方を比較すると人間として変わらない部分と時代と共に変わる部分が想像出来て興味が尽きないのです。
実例を3枚の写真で示します。
上から順に、
(1)20000年前の旧石器時代の円形・掘っ立て小屋の住居跡の写真と、
(2)5000年前の縄文時代の住居復元モデルと、
(3)西暦700年頃に出来た武蔵野国の役所の建物の柱だけの復元モデルの写真です。
上の円形住居跡には12本の柱を埋めた穴と炉跡が2つあります。外周部分に作りかけの石器が多数並べてあります。2万年前の住居跡は日本で一番古いものです。詳しくは末尾のブログ記事をクリックしてご覧ください。
上はよくあちこちにある縄文時代の住居の復元です。縄文時代は16000年前から3000年前まで約13000年間も続いたのです。
しかし住居の基本的な構造はあまり変わっていません。しかも円形で掘っ立て柱を使っている点では旧石器時代とあまり変わっていません。
上の写真は現在の東京都府中市の大国魂神社の東隣にある律令国家、武蔵国の役所(国衙)の柱だけの復元です。西暦700年頃に建てられた役所の中心的な建物の柱穴からかなり大きな建物であったことが想像出来ます。
この国衙が何処にあったかは全く判っていませんでした。それが昭和50年頃からの府中市の根気良い発掘調査によって位置が確定したのです。
尚、役所の建物とは違い一般の農民の住宅は縄文時代とあまり変わらない掘っ立て小屋だったのです。ただ家によっては腰壁を少し高く作り、窓がある小屋もあったようです。その構造は農村では鎌倉時代まで続いたと言われています。
室町時代や江戸時代になると農家は大きくなります。江戸時代の農家の復元展示がおちこちにあります。その農家の構造は1970年代の経済の高度成長時代の始まるまで地方の農村では実際に使われてきたのです。
上の写真は意図的に後ろの高層マンションを入れて写してあります。
武蔵国の役所が出来た頃から1700年たつと後のマンションのように人々の住宅には大きな変化があったのです。
自分の個人的な考えをあまり書かない方が良いと思います。しかし下のような問題を少し考えて頂くのも面白いと思います。
(1)時代の変化で住宅も変わりました。それに従って家族は別々の部屋に暮らすようになったのは何時頃からでしょうか?
(2)住居の変化で炊事や食事の様子が変わったでしょうか?土器で作った鍋はどのような料理に使ったのでしょうか?
私の家では戦争中に金属の供出で土鍋で炊事をしていました。その不便さを思い出します。急熱・急冷するとすぐに割れるのです。
(3)冬の間の暖房はどのようにしていたのでしょうか?昔の人は寒さに強かったのでしょうか?
(4)一般の人々はお風呂に入ったのでしょうか?行水や川に入って体を洗ったのでしょうか?
(5)着るものはどのように作ったのでしょうか?
下に釜戸の上にはめ込んで煮炊きする昔の土鍋の写真をしめします。
いろいろ想像すると興味が尽きません。こんなことを考えていると現在の私どもの生活条件に対して感謝の気持ちが湧いてきます。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
======参考して頂きたい記事===============
日本の旧石器時代・その悠久の歴史(1)2万年前の住居の発見
私の郷土史(2)旧石器時代から江戸時代までの小平市鈴木町の変遷
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上の記事にある江戸時代の大きな農家の写真を示しておきます。