後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

20世紀の独裁者(6)カトリックを徹底的に保護した独裁者フランコ

2013年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

1939年から1975年までスペインの独裁者として36年間君臨していたフランコは、1892年にスペインンの軍港で軍人の子として生まれ、陸軍士官学を卒業し、独裁者になり、1975年に83歳の生涯を終えました。

少尉任官後は植民地、モロッコの反乱軍の鎮圧に功績をあげ少佐に昇進します。

そして1935年には陸軍参謀長になりました。

1936年に共産党などの左翼勢力が政権を取ったのを粉砕するために軍事クーデターを起こし、その後3年間にわたるスペイン内戦に勝利し、1939年からスペインの独裁者になりました。

その独裁権の確立までの複雑な経過は下の3つの記事でかなり詳細に説明しました。

スペイン内戦で戦死した唯一の日本人、ジャック白井の悲劇

ピカソの「ゲルニカ」と、ヘミングウエイの「誰がために鐘は鳴る」

複雑怪奇なスペイン内戦の、明快至極な説明を見つけました!

1939年後のフランコの外交政策は中立という立場でした。しかしドイツが勝っている間はドイツ、イタリアを支援し、ドイツが劣勢になると英米などの連合国側に親しくするという実に日和見的な中立でした。首尾一貫性に欠け、思想やイデオロギーなどには関心が皆無な現実主義者でした。

ドイツがソ連へ侵攻し華々しい進撃を見せると10000人のスペイン人義勇部隊をドイツに送ったのです。

日本の勢いの良い時代には満州国を承認し、真珠湾攻撃では日本へ祝電を送ったのです。当然アメリカは気分を悪くしスペイン制裁を試みます。

しかし戦後、冷戦状態が厳しくなると防共の旗手としてアメリカに急接近し、1953年にはアメリカとスペインの共同防衛協定を締結し、アメリカから多額の軍備援助を貰い、完全に自由主義陣営の勢力圏に入るのです。そしてソ連や東欧圏の共産主義と対決姿勢を取ります。

1959年はアメリカのアイゼンハワー大統領を訪問し親米国家として国際社会に認められたのです。

このような風見鶏のような外交姿勢から日本人はフランコを、そしてスペイン人を軽く見る傾向があります。

しかし1975年にフランコが亡くなるとスペインは自由な議会制民主主義を急速に発展させ、王政復古も行い日本と同じような緩やかな意味での立憲君主国になったのです。(立憲君主国とは形式的な王が居て、憲法で議会の権限を認めた民主国家と定義します。これは広義の定義です。)

その結果、現在はヨーロッパ連合、EUの中核をなす国家になったのです。

さて思想やイデオロギーを無視したフランコは、本当に軽蔑に値いするような権力亡者だったのでしょうか?

私には判りません。しかしカトリックの自分の立場から見るとフランコの全てを否定出来ないのです。

彼は生涯、終始一貫してカトリック教会を保護したのです。

彼が独裁者になるとすぐにカトリックだけをスペインの唯一の合法的な宗教にしました。カトリック教会だけが本を出版できたのです。他の宗派の教会はその礼拝を宣伝出来なかったのです。

政府はカトリック教会を支援するために聖職者の給与を支払ったのです。公立学校でもカトリックの教義を教えるように義務ずけられたのです。

バチカンのローマ法王とは密接な協力体制にありました。それは1953年のコンコルダートという協定として集大成されます。

この協定でカトリック教会は様々な特権を手に入れたのです。結婚式は全て教会で行うべしという政府の指導が徹底されました。教会は全ての納税義務を免除され、その上、新しい建物を建てるときは政府が経済援助したのです。

カトリック教会だけが新しい大学を作る権利を得ました。教会がラジオ局を運営し、新聞や雑誌を発行しました。聖職者の兵役義務も免除されたのです。

警察はカトリック教会に介入できず、教会の自治が守られたのです。

これはフランコの個人的カトリックの信仰を政治に直結した政策だったと私は思っています。信仰はあくまでも個人の問題として政治的権力を利用してはいけません。

ローマ法王側もこのフランコの宗教政策の不健全さを是正する動きに出ます。

1965年の第二バチカン公会議では信教の自由を認め、スペインでも他の宗教も平等に扱われるようになったのです。しかしフランコは1975年に死ぬまでカトリックの特権をいろいろな形で守ろうとしたのです。

しかし独裁者がカトリックを守れば、カトリック側が迷惑します。独裁者が守ってくれなくてもイエス様の権威は厳然として神が認めているのです。

フランコは少し思う上がってしまったようです。それよりも、独りで足しげく教会を訪れ静かに祈ったほうが良かったと私は思っています。(続く)

以下にフランコ関連の写真を示します。

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上は独裁者になったから民情視察をしているフランコ夫妻です。

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上は1959年にアメリカのアイゼンハワー大統領を訪問したときの写真です。


毎日、梅雨の雨に降り込まれているといろいろな人の人生を想う

2013年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

毎日、雨、雨、雨。

暗い空からいつ止むとも知れない水滴が落ちて来ます。水滴は米粒のように大きいものもあり、絹のような霧雨の時もあります。

この季節はとかく暗い気持ちになります。

そこで人生を明るく駆け抜けた人々のことを想い、少しばかり暗い気持ちを撥ね退けています。

しかしどんなに素晴らしい人生でも、決して明るい場面だけではありません。よく調べると必ず悲しいこと、暗いこと、不運な出来事が混じっているのものです。

そこでやっぱり自然へと回帰して行きます。

自然にある樹木や花々や野生の動物のことを書いていると何故か心が明るくなり、幸せな時間が流れます。このようなことを書いている今が至福の時なのです。この感じを読んで下さる方々へもお送りします。

そのような気分で書いた最近の記事は以下のようなものです。

今年もモリアオガエルの樹上の卵塊の写真を撮りに森深く入る

山と川、そして山里に咲く花々の写真をお楽しみ下さい

花々の園の写真をお楽しみ下さい

神代水生植物園の菖蒲の花をお楽しみください!

このような性質のブログは意外に多いのです。その中から一つだけご紹介いたします。

それは北海道の富良野の あとみん さんのブログです。「富良野健康生活」というブログ(http://furano2008.blog95.fc2.com/ )で、いつも素晴らしい北海道の風景写真を発表していらっしゃいます。

あとみんさんは何時も元気溌剌で毎日ご主人と息子のような愛犬と3人で暮らしています。

地域の人々へ「ノルディック・ウオーキング」を指導していて、富良野の野山を歩き回っています。水泳も指導しているようです。

お孫さんがいます。しかし彼女のブログは若々しい文章と四季折々の富良野の美しい風景が掲載されています。熊野古道でお孫さんを抱いた最近の写真を拝見するとスラリとした美しい方です。

彼女のブログはもう5年間も見て、時々お写真をお借りしてこちらのブログで使わせて頂いています。

今日は梅雨空の暗さをはねのけるような北海道らしい爽快な写真を4枚お送りいたします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

出典は、http://furano2008.blog95.fc2.com/ です。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)

 

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