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「四苦八苦」 神と仏と

2023年02月17日 21時24分33秒 | 日常のこと&写真
 今日、集合ポストに「なぜ生きる」~苦しみの波を乗り越えて~と題するチラシが入っていた。
 限られた人生を後悔しないために親鸞聖人に学ぶ講座への誘いのチラシだった。
 それには、人間である限り避けられない苦しみの数々について「四苦八苦」という、という文言が書かれてある。
 その苦しみの根元を抜きとり、本当の幸せになる「抜苦与楽」(ばっくよらく)の教えを、釈迦は解かれた。その釈迦の慈悲の教えを、親鸞聖人から学んでみませんかという。
 日本人が中庸で親切で、広く隔たりなく世界に学び吸収し受け入れることができる民族は他にはいないと私は思っている。それは何故かというと、神も仏も受け入れることができる民族だからだ。世界で最も信者が多い宗教はキリスト教で、次いでイスラム教、ユダヤ教にヒンズー教、仏教、そのほか儒教などもある。他国の民族はどちらかというと「一神」で、一つの神しか受け入れない。キリスト教を信じてイスラム教、ユダヤ教など信じる人は誰も居ない。唯一神とでもいえようか。だが日本民族は「八百万神」を信仰してきた。山や海や樹木や草や風も岩も雨も太陽も月も・・・・すべてに神が宿ると信じていた。だから唯一神でなくすべての神を受け入れられた。神道の国であった倭国が仏教も受け入れた。仏教伝来の頃はやはり神道と対立し戦も起きているが、そのどちらも貴しと神仏併合を図った。以来、神も仏も受け入れた民族へと。
 明治維新後、天皇を神格化するため寺院を排斥(廃仏毀釈)しようとした時代があったが、八百万神を信じる民族はそれを受け入れることができず、神社とお寺に初詣にいく。「神」は厄を祓い、「仏」は厄を除く、という習わしが連綿と受け継がれ棲み分けがはかられてきた。
 さて、「四苦八苦」のテーマに戻るが、もとは仏教語で、人がこの世で生きる上での苦をいう。
「四苦」は*「生苦」生きる苦しみ。*「老苦」老いる苦しみ。*「病苦」病の苦しみ。*「死苦」死ぬ苦しみ。生・老・病・死の四つの苦。それに、*愛する者と別れる「愛別離苦(あいべつりく)」、*うらみ憎む者に合う「怨憎会苦(おんぞうえく)」、*求めるものが得られない「求不得苦(ぐふとくく)」、*人間の体と精神を形成する五要素から起こる「五陰盛苦(ごうんじょうく)」を合わせて「八苦」という。つまり、四苦は生物としての必然的な苦しみのことで、他の四苦は、人間として味わう精神的な苦しみにあたる。
 私は八百万神を受け入れる性で、それらの命をも敬う。しかし「四苦八苦」は常にまとわりついてくるものの、「何とかなるさ」と受け入れ前に進んできた。






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