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「花の詩」 芥子(ポピー)の花

2020年06月13日 17時49分42秒 | 花の詩
ようやく「花の詩」が完成しました。

 

幼いころ病弱だった私はベット生活が長く、母や姉が気遣って花瓶に四季折々の花を摘んで飾ってくれていた影響だろうか、花になじみ好きになっていた。中学生になり丈夫な身体になってからは一転アウトドア派になり色黒く駆け周り、高校生になると山男だった。
 いろんな花に囲まれて育った私だが豪華なバラや百合という花よりもコスモス、芥子、撫子のような草花的な可憐な花を好んでいた。
 新婚早々のころ、千葉勤務から秋田へと転勤した。そしてあてがわれた社宅の前は広々とした砂浜に面した庭。初秋だったこともあり一面にコスモスの花と月見草が咲き乱れていた。家の近くには飛行場(今は自衛隊基地)へと続き日本海が広がっていた。雄物川を隔てた対岸の町に人気アイドル歌手となった桜田淳子さん宅があった。

 今回の「花の詩」、そんな思いでが浮かび「芥子」の花をテーマに選んでみた。
 芥子の花の全般の花言葉は「いたわり」「思いやり」「恋の予感」「陽気で優しい」だが、赤い芥子「慰め」「感謝」、白は「眠り」「忘却」、黄色は「富」「成功」。「慰め」はギリシア神話で豊穣の神デメテルがこの花を摘んで自らの心をなぐさめたことに由来するといわれ、「眠り」「感謝」の花言葉は、眠りの神ソムアヌがデメテルの苦しみを軽くするために芥子の花で彼女を眠らせたという伝説に因んでいるようだ。
 芥子というよりポピーという方が馴染んでいるだろうが属名(ケシ属:Papaver)は、ラテン語の「papa(粥)」が語源となり、幼児を眠らせるため、お粥(おかゆ)に催眠作用のあるケシ属の乳汁を加えていたことに由来している。
 また、中国では芥子を「虞美人草」とも云うが、古代中国の伝説に由来する。三国志に登場する項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の最期の戦いのとき、項羽は愛する虞妃(ぐき)とともに劉邦の大軍にまわりを包囲された。項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし、虞妃も自刃して果てたが、彼女の墓にヒナゲシの美しい花が咲いた。そのため人々はこの花を 「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。
 芥子という呼び名は本来「カラシナ」を指す言葉だったようで、ケシの種子とカラシナの種子がよく似ていることから、室町時代中期に誤用されて定着したものであるとされる。室町時代に南蛮貿易によって芥子の種がインドから津軽地方(現在の青森県)にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで少量が産出されがいずれも少量で高価で用途も医療用に限られていた。
 芥子からアヘンが採れるということで、危険な植物と言われ実際に植栽が禁じられている種類もあるが、「オニゲシ(オリエンタルポピー)」「ヒナゲシ」などはアヘン成分はほとんどないものとなっていて安全。

【俳句】
 芥子を詠んだ句はかなり多く、いくつか紹介しておこう。
◇「けしの花とめどもなしにこぼれけり」(子規)
◇「けしの花大きな蝶のとまりけり」(子規)
◇「音もなし覗いて見ればけしが散る」(子規)
◇「午後の日の暈に僧院は罌粟咲けり」(秋櫻子)
◇「清姫といふ邑すぎて芥子紅し」(秋櫻子)
◇「甕の罌粟くだけ梅雨空窓にみつ」(青邨)
◇「音もなし覗いて見ればけしが散る」(子規)
◇「海士の顔先見らるるやけしの花」(芭蕉)
◇「白げしにはねもぐ蝶の形見哉」(芭蕉)
◇「けしの花我身わすれし月日哉」(千代女)
◇「けしの花籬すべくもあらぬ哉」(蕪村)
◇「芥子の花がうぎに雨の一当り」(一茶)
◇「生て居るばかりぞ我とけしの花」(一茶)
◇「僧になる子のうつくしやけしの花」(一茶)
◇「ちり際は風もたのまずけしの花」(其角)
◇「罌粟の花さやうに散るは慮外なり」(漱石)
◇「八重にして芥子の赤きぞ恨みなる」(漱石)
◇「馬頭初めて見るや宍道の芥子の花」(龍之介)
◇「雲遠し穂麦にまぢる芥子の花」(龍之介)
◇「芥子あかしうつむきて食ふシウマイ」(龍之介)

【短歌】
◇「くれなゐの唐くれなゐのけしの花夕日を受けて燃ゆるが如し」(伊藤左千夫)
◇「臥処よりおきいでくればくれなゐの罌粟の花ちる庭の隈みに」(斎藤茂吉)
◇「のびあがりあかき罌粟咲く、身をせめて切なきことをわれは歌はぬ」(石川不二子)
◇[ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟 われも雛罌粟」(与謝野晶子)

 また「地唄」にも芥子を歌ったものがあり、わずか4行唄を15分ほどかけて歌っている。
『芥子の花』(本調子半雲井)
菊岡検校作曲・松崎検校箏手付・後楽園四明居作詞
「手に取りて 見ればうるわし 芥子の花 しおりしおれば ただならぬ
匂い芳ばし 花びらの 散りしく姿 あわれそう (手ごと)
悋気する気は 夏の花 雨には脆き 風情あり
誰に気兼ねを なんにも言わず じっとしている 奈良人形」

 ポピーを占いにして「帰ってくる、来ない」と花びらをちぎりながら切なく歌ったものがある。
 ご存じ紅白歌合戦に出場したアグネス・チャンのデビュー曲「ひなげしの花」(1972年)はご存知だろう。
作詞 山上路夫 作曲 森田公一
「丘の上 ひなげしの花で
うらなうの あの人の心
今日もひとり
来る来ない 帰らない帰る
あの人はいないのよ 遠い
街に行ったの
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ
手をはなれ ひなげしの花は
風の中 さみしげに舞うの
どこへゆくの
愛してる愛してない あなた
さよならを この胸にのこし
街に出かけた
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ」

もう一つの名曲、ムルージが歌った「小さなひなげしのように」(1951年、作詞 レイモン・アッソ、作曲 クロード・ヴァレリー)(訳詞 宇藤カザン) 
「確かに君の言う通りかもしれない
でも僕が話せば君もその理由が分かるだろうよ
最初に彼女を見たとき
彼女は夏の光の小麦畑の中で
肌けた姿で眠っていた
そして彼女の鼓動が波打つ
白いブラウスの胸元の
優しげな陽の中に
一輪の花が息づいていた
小さなひなげしのように、愛しい人
小さなひなげしのように」






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