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「法隆寺」(ほうりゅうじ)

2012年10月05日 21時29分37秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに平成5年(1993)12月には飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録された。
 創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができるが、当寺の説明によると、用明天皇が自らの病気の平癒を祈って寺と仏像の造立を誓願したが、その実現をみないままに崩御されたため推古天皇と聖徳太子がその遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造建したのが始まりという。

 現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分かれている。
広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、多くの宝物類が伝来している。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでおり、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めている。
 東院伽藍方面から見てみると、秘仏「救世観音」(国宝)が祀られている「夢殿」(国宝)は、天平11年(739)聖徳太子を偲ぶため、かつての住居があった斑鳩宮の跡地に建設された。八角円堂で平安・鎌倉期に大修理が行われているという。

 本尊の特別公開は、春と秋に各1ヶ月ずつ。長い間、完全な秘仏として扱われてきただけあって、7世紀の木造仏だというのに金箔もきれいに残っていて神秘さを感じる。このほか夢殿には、「聖観音菩薩像」(平安時代)や「行信僧都像」(奈良時代)なども祀られている。また、鴟尾(しび)と鬼瓦。時代の重さと優雅さを感じさせてくれる。
 夢殿の南側にある「礼堂」(重文)は元は中門だったとか。北側にある「絵殿・舎利殿」(重文)の内部は見られなかったが、中央が馬道(めどう)のように空いた建物で、奥手には「伝法院」(国宝)がある。
その周囲を「廻廊」と礼堂、絵殿・舎利殿で取り囲んであり、連続した木製の格子窓(連子窓(れんじまど))美しい。

 一方、西院伽藍には法隆寺らしい「五重塔」(国宝)や「金堂(国宝)」などが立ち並ぶ、法隆寺の中心部で、仁王像を配した「中門」(国宝)は飛鳥時代の建立で、正面の柱間を「4間」と偶数で、門の真ん中に柱が来てしまう珍しいもの。中門に立つ「阿形像」(重文)は、和銅4年(711)作の日本最古の金剛力士像で、雨風が当たる位置にあるためこれまでに何度も修復されており、後の時代には南大門を守っている。また、「吽形像」(重文)は、江戸時代の大修理の際に、頭・右腕以外の部分は木造に改造されたそうだ。天平期らしい力強さのある塑像で珍しく何の囲いも無く間近に見られる。

 「五重塔」(国宝)は、高さ約37mあるが、一番上の層と一番下の層では、一辺が半分程度で上部に行くほど細くなっていて、より高く見えるように作っており、内部には釈迦の入滅を表した「涅槃像土」(国宝)が安置されている。
 永祚2年(990)に造られた入母屋造りの「大講堂」(国宝)の内部には、平安時代作の「薬師三尊像」(国宝)
と「四天王像」(重文)が祀られている。

 西院伽藍の東側部分にある聖徳太子を祀った「聖霊院」(国宝)は鎌倉時代に建てられた、いかにもお堂らしいとても厳かな印象の建物で、ぜひ内部に入って天井や格子扉なども見ることもお勧めしたい。なお、保安2年(1121)の改築の際に開眼供養が行われた本尊の「聖徳太子坐像」(国宝)は秘仏となっていて、年に数日しか拝観できない。その奥の「東室」(国宝)と、向かい側の「妻室」(重文)は、いずれも元は僧房だった建物。
 これに加え、「夢違観音」「百済観音」「九面観音」などなど、飛鳥時代前後の貴重な仏像が多く見られるのが唯一法隆寺以外にない。

 所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1。
 交通:JR「法隆寺駅」下車、徒歩20分。
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