「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

大徳寺「聚光院」(じゅこういん)

2008年06月11日 15時58分24秒 | 古都逍遥「京都篇」
 大徳寺には名席を有する塔頭が数多くあるが、今回はその一つ聚光院を訪れた。
 聚光院は千利休が豊臣秀吉の怒りにふれ自刃した場所としても知られ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所となっており、千利休の墓もある。

 当院は室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶(みよしながよし)の養子・義継が永禄9年(1566)に養父の菩提を弔うために笑嶺和尚(しょうれい)を開山として建立。

 茶室「閑隠席」(重要文化財)は利休自刃の場所と伝えられており、現閑隠席は寛保元年(1741)の利休150年忌に際して千宋左(如心斎)が寄付した「茶所」である。三畳上げ台目切りの中柱付きで、点前座のみ蒲の落天井とし、太めの床柱、曲がりの少ない中柱はともに赤松の皮付きで、簡潔にしてしっかりとした広がりを感じる。窓が少なく明かりが抑制された利休の趣が再現されている。

 一方、四畳半の半畳を踏込床にした「枡床席」は、それぞれ客殿の中に組み込まれ、水屋を挟んで東西に配置され、ともに重要文化財に指定されている。
 また、聚光院は数少ない狩野永徳の障壁画を有する寺院としても知られており、そのいくつか紹介しておこう。
 方丈(重要文化財)・礼(らい)之間(下の間)の襖絵「瀟湘八景図」(しょうしょうはっけいず)八面 (国宝)は、古来より景勝の地として文人墨客がしばしば訪れた瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の八つの風景を描いたもので、狩野松栄(永徳の父)の筆による。軟らかいタッチの淡い線で霧がかかったような感じだが、岩陰等の線はメリハリがある。

 室内には永徳の花鳥図(国宝)があり、力強い春の命を感じる梅が印象的で、枝が川に潜っているため「水潜りの梅」と呼ばれている。その隣には岩に割かれる渓流、鶴、雁等が描かれていた。正面の開いた襖の奥には狩野松栄の「蓮鷺藻魚図」(れんろそうぎょず)八面(国宝)があり、隣の壇那之間は狩野永徳の「琴棋書画図」(きんきしょがず)八面(国宝)がある。

 庭園も侘び寂び感を漂わす名庭で、南庭は千利休の作と伝えられる蓬莱式枯山水庭園。庭中央にある松の主幹から左下と右上に伸びた枝の線が美しい。根元には切り石の橋があり、それに腰掛けるかのように根が地中から伸びている。松以外には庭の奥に一列に並んだ石組が印象的で、百積の庭と呼ばれている。右端にある沙羅の木(3代目)を囲むように配されている。(通常非公開、冬の時期特別公開がある。写真撮影は禁止)

 所在地:京都市北区紫野大徳寺町58。
 交通:市バス12、101、204~6で大徳寺前下車。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする