「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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大徳寺「玉林院」(ぎょくりんいん)

2008年06月06日 07時58分57秒 | 古都逍遥「京都篇」
 山中鹿之助の菩提所として知られている大徳寺の塔頭「玉林院」は、慶長3年(1598)後陽成天皇の侍医・曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が月岑(げっしん)宗印和尚を開祖として創建し、「琳の字を分割して玉林院と名付けたという。

 見所は、三畳中板台目切りは珍しく、表千家七代の如心斎好みの茶室「簑庵」(さあん=重要文化財)や四畳半の茶室「霞床席」(かすみどこせき=重要文化財)が日本茶室の中で最も名高い。
 簑庵の「すさ壁」(蓑のような油壁)は、茶室の壁を語るとき必ず出てくるほどのもので、茶室の壁に白亜しかなかった世界に赤土を持ち込み、油と長すさを混ぜ込んだ壁は、京都の揚げ屋であった角屋の磨大津、青貝の間などとともに壁自体が不思議な悟りの世界をかもし出しているかのような見事さである。壁に西日が射すとき、油壁の長すさは黄金色に輝き神々ばかりだ。
 また霞床席の富士の掛け軸に合わせた床の棚は、その奇抜な発想が目を引く。格天井や張付壁などは書院風であるが、柱は杉丸太、床框は太い煤竹、長押も竹の付鴨居と草庵風に自由に崩している。

 一方、南明庵(重要文化財)は、寛保2年(1742)大阪の富豪山中了瑛(りょうえい=鴻池の本家第四代)の建立で、入母屋造り妻入りの祠堂。
了瑛が大龍和尚に牌堂の建設をはかり、如心斎が南明庵を中心に西に小間の簑庵、東に書院として霞床席を配したという。柿葺きの住宅風の瀟洒な建築様式で、楽長入作の赤楽の敷き瓦をはめ込んだ基壇の上にたち、南と東に濡れ縁をめぐらし、侘び寂びの妙を漂わせいてる。

 このほかの見所は本堂(重要文化財)、狩野探幽とその一門による襖絵。
「山水図」(探幽)、「琴棋図」(益信)、「鶴図」(探雪)など。なお、普段は非公開、特別公開時期(冬)を確認のうえ訪ねること。

 所在地:京都市北区紫野大徳寺町74。
 交通:京都市バス(205、206)で大徳寺前下車。 市営地下鉄「北大路」から、市バス1・37(三条京阪から)・204・205・206系統などに乗り換え「大徳寺前下車」。
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