保育園問題解決しない理由は簡単です。
赤ちゃんがそれを望んでいないからです。
赤ちゃんは、できるだけお母さんに育ててほしいのです。
貧しいと言っても、
昔はもっともっと貧しかったですよ。
子供なんて、どの家にも4人は最低いたし、
皆、ツギだらけの服を着ていました。
肉なんて、滅多に食べられませんでした。
でも明るかったなあ。
いつの時代かって?
昭和20~40年頃です。
旧すぎまっせ(笑)。
保育園問題解決しない理由は簡単です。
赤ちゃんがそれを望んでいないからです。
赤ちゃんは、できるだけお母さんに育ててほしいのです。
貧しいと言っても、
昔はもっともっと貧しかったですよ。
子供なんて、どの家にも4人は最低いたし、
皆、ツギだらけの服を着ていました。
肉なんて、滅多に食べられませんでした。
でも明るかったなあ。
いつの時代かって?
昭和20~40年頃です。
旧すぎまっせ(笑)。
河村名古屋市長は戦後生まれで、
昭和天皇ことはよく知らない。
「昭和天皇ために、多くの日本人が亡くなった。
そんな絶対的な存在」
くらいの知識だろう。
真実を言えば、多くの陸軍幹部は、
天皇ことを、内心は馬鹿にしていて、
「天ちゃん」などと呼んでいた。
彼らは、「秩父宮殿下」の方を、
ずっとずっと慕っていた。
その理由は、秩父宮殿下は、陸大卒だからで、
人格も、ざっくばらんで、思いやりがあったからだ。
いや、兵士や庶民の中にも、
「昭和天皇を「天ちゃん」「天コロ」という者もいた。
昭和天皇は賢い方なので、そういうことをご存知で、
だから、2・26事件の青年将校を許さなかった。
「どうせ、秩父宮の方を、慕っているんだろう」と。
また昭和天皇は、勘の鋭い方だったので、
自分を心から愛する兵士を選別して、愛した。
その一人が東條英機だった。
昭和天皇は東條英機を個人的に愛していた。
また鈴木貫太郎も、昭和天皇のお気に入りの海軍大将で、
鈴木貫太郎首相のおかげで、日本は終戦を迎えることができた。
彼がいなかったらと思うと、ぞっとする。
逆に、昭和天皇は
真崎甚三郎や杉山元が嫌いだった。
天皇を愛するのは、その人の自由であり、
「好きになれ」とは強制できません。
大地一人、いつも書いているように、
昭和天皇を愛すべき人と思っています。
しかし昭和天皇を嫌う自由があってもいいと思いますので、
河村市長のように、感情の強制は、大変良くないと思っています。
神奈川県茅ケ崎市で、
高齢の女性が、
夫の首を、2時間馬乗りになって、
のこぎりで切り続け、殺害したという。
長年の恨みが原因とか。
人間の不幸には必ず原因がある。
他人が原因だと思いがちだが、
自分にも、た~んと原因がある。
神様は万人に平等なのです。