♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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お笑い、ダイヤモンド・ステークス

2013-02-16 17:32:25 | 日記

さきほど、JRA(日本中央競馬会)のネットを見ていると、

今日(2013年2月16日)、

東京競馬場で、ダイヤモンド・ステークスというのが、行われた。

 

距離は3400メートルの長距離戦だ。

 

買った馬は、

アドマイヤラクティ

という5歳のオス馬だ。

 

名前を聞いて、

ヒット大地、大笑い!

 

だって、

ヒット大地の「ダイヤモンドダイエット法」

は、いつも、

「お茶を飲んで、楽に、痩せられるよ!」

と言っている。

 

買った馬の

アドマイヤラクティは・・・

アドマイヤ=賞賛する

ラク=楽

ティ=お茶

・・・だから、ヒット大地の「ダイヤモンドダイエット法」を宣伝してくれたようなものだ。

 

「お茶を飲んで、楽に痩せられるダイヤモンドダイエット法」はすばらしいよ!

・・・・って、日本全国の競馬ファンにCMしてくれたのだ、ハハハ!(笑)

 

なおティのところは、ちょっと発音を変えて、チンと考えると、

アドマイヤラクティの意味は、「楽チンな、ダイヤモンドダイエット法を、賞賛する」ともなる。

ヒット大地、いつも言っているが、

ヒット大地のダイエットは、本当に簡単だ。

 

ヒット大地も、2週間で、簡単に、10キロは痩せられる。

 

体験者も、「簡単に痩せられる」と言ってくれている。

 

しかも、めちゃめちゃ健康にもなれるのだ。

運動も、ほとんどしなくていいのだ!

苦しまないのだ!

(体験者も、健康になった・・・と言っている。血液の検査値でわかるからね)

 

ダイエットで、苦しんでいる人、バカみたい!

 

しかも無料だ。

 

無料なのがいけないのかな?

 

他のダイエット業者の嫉妬を買っているのかもしれない。

 

あるいは病気悪魔のネタミを買っているかもしれない。

 

この際、有料にしようかな・・・(笑)

 

糖尿病にならず、血管も、血液も、骨も、内臓も、健康になれるんだから、

少なくとも、10万円くらいの価値はあるだろうな。

 

今年のヒット大地のCMフレーズは、

アドマイヤラクチン!

にしようかな・・・(笑)

 

 

 

 


横綱大鵬の真実!

2013-02-16 07:34:07 | 日記

2013年2月15日、

元横綱・大鵬の国民栄誉賞が

正式に決まった。

 

ヒット大地、即座に、

最も、ふさわしい人物であると思った。

 

そして、そのニュースを聞いて、

ヒット大地、落涙した。

 

ヒット大地、大鵬の、熱烈なファンだったのだ。

 

大鵬は、ヒット大地と年齢が一回り違う。

 

ヒット大地、物心つく頃から、

高校生のとき、引退するまで、ずっと大鵬を応援した。

 

ずいぶん、彼には、励まされたものだ。

 

引退してからも、夢の中に、何度も出てきた。

 

「大鵬、現役に、復帰する!」

という夢だ。

 

夢の中の勝ち星は、11勝4敗しか、取れなかった。

だがヒット大地は、夢の中で、大鵬の取り組みを見て、うれしかった。

 

大鵬は華々しい現役時代とは違って、

引退後は不幸が続いた。

 

列挙してみよう。

 

  1. 高血圧による脳梗塞・・・その後の、苦しいリハビリ。
  2. 週刊誌に、家族のことが、面白おかしく取り上げられた。

3. 弟子の露鵬は、薬物疑惑(大麻の陽性反応)で、相撲界から追放。

4. また娘婿の貴闘力も、バクチで相撲界を解雇。

5. 朝青龍の個人的な相談役だったが、結局、彼にも裏切られた。

 

しかし、そういう数多の不幸にも負けず、

大鵬は、気高く、人生を送っていた。

 

現役時代より慈善活動に熱心。

「大鵬慈善ゆかた」などを販売。

その利益で、老人ホーム・養護施設へテレビを寄贈。

 

また日本赤十字社に「大鵬号」という名の血液運搬車を贈った。

合計70台である。すごい!

 

1982年(昭和57年)、大鵬は、「世界人道者賞」を受賞。

この賞はローマ法王などが受賞した世界的な賞である。

 

60歳の還暦のとき、

行動するブロガーのヒット大地、

大鵬に、祝福の手紙を送った。

 

子供の頃のことや慈善活動などを考えると、

そうせざるを得なかったのだ。

 

享年72.

ヒット大地の母と同じ歳で死んだ。

死因は、ヒット大地の母の病名に似ている心室頻拍だ。

 

命日は、2013年1月19日・・・

大地式運命学では、最も気高い日に死んだ。

 

ところで大鵬は数奇な運命を辿っている。

 

母親は日本人(納谷キヨだが、父親はロシア人マルキャン・ボリシコ。

1940年(昭和15年)5月29日、

樺太の敷香町(現・ロシアサハリン州ポロナイスク)に、三男として生まれた。

日本名、幸喜(こうき)・・・ロシア名は、イヴァーンだった。

 

マルキャン・ボリシコとは、どんな人物か?

ウクライナ人の元コサック騎兵隊将校で、ロシア革命後に樺太へ亡命した。

(注:日露戦争後、南樺太は、日本領だった)

 

マルキャン・ボリシコは、南樺太の敷香町では牧場を経営。

多くの日本人・ロシア人を雇い、

肉や乳製品を卸して成功。

南樺太では知られた名士だった。

 

ところが、その後、日本政府の方針で、外国人を隔離。

彼は、外国人居留地に、一人強制収容された。

家族との生き別れである。

 

戦後、マルキャン・ボリシコは、サハリン州立博物館の守衛を務めた。

だが1960年11月15日、肺炎のためユジノサハリンスク(豊原市)で死去。

 

この日には、深い意味がある。

そう。

ちょうど、息子イヴァーン(日本名:幸喜)が、

幕内で初優勝する昭和35年11月場所中のことだった。

 

ところで幸喜は、戦後、母親と共に、日本へ戻った。

すなわち、最後の引き揚げ船の『小笠原丸』で、

北海道へ引き揚げた。

 

『小笠原丸』は最初、小樽に向かう予定だった。

しかし母親が船酔いなどで体調不良。

やむなく、家族は、稚内で途中下船。

 

小笠原丸はその後、

潜水艦(ソ連の潜水艦?)から魚雷攻撃を受け沈没。

小樽に向かう途中だった。

 

大鵬親子は、辛くも難を逃れた。

 

大鵬は、こう話している。

「樺太から引き揚げた船の4隻中、自分以外の3隻は、撃沈された」

 

少年時代の大鵬(納谷幸喜)は、母子家庭で、貧しかった。

北海道内を転々と移り住んだ。

ときどき食うのも、精一杯だった。

 

高校の定時制に通っていたところ、

1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が

訓子府へ巡業に来た。

その時に、相撲部屋に、紹介され、

その後、高校を中退し入門した。

 

大鵬は思った。

「相撲部屋なら、腹いっぱい、食える。頑張ろう!ここに骨を埋めよう!」

 

二所ノ関には、すばらしい親方がいた。

佐賀県出身の元大関・佐賀ノ花だ。

 

師匠の薫陶を受けた大鵬は、猛稽古に励んだ。

 

その結果、入門後の活躍は、目覚しかった。

 

結局、32回の幕内優勝を飾っている。

 

この記録は、以後も破られていない。

 

現在、大鵬は、霊界で、幸福に暮らしている。

 

霊界の大鵬は、ずいぶん、若く見える。

 

心から、大鵬に、ありがとう・・・と言いたい、今のヒット大地である。

 

大鵬のご冥福を、心より、祈りたい!