アイリス あいりす 

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【創作】父とわたし 番外編 親戚の内科医とおばさん

2020-08-09 23:45:13 | 創作文

その年のお正月に、父方の親戚の内科医院へお年始に行くからと、父は私を連れていきました。

内科医院は武士の家の作りで、父の実家の農家の作りとはまた違っていて、面白かったです。

玄関から奥へ声を張り上げて、「ごめんくださ~い」と言うと、奥からおばさんの声がしました。「台どこへまわってちょうだ~い」

奥への通路になっていて、先生の黒い自転車が置いてある土間を通り抜けると、広い土間の台所にでました。釜戸がいくつかあり、叔母さんがかっぽう着姿で、忙しそうにしていましたが、笑顔で迎えてくれました。

左側は茶の間になっていて、長火鉢の前に軍医だった先生が台所を向いて座っていました。そしてびっくりしたのは、その横に日本髪のかつらをつけ、キレイに白塗りしたお姉さんが座っていたのです。芸者さんです。

私は初めて見る芸者さんと、先生とおばさんの関係について子供ながらに、理解できませんでした。

するとおばさんが「○○ちゃん、キレイなお姉さん見たの初めて?」と言ってきました。私はこっくりしただけで。白塗りのお化粧といい、先生の隣で、お酌をする姿に、驚いたものです。

おばさんはお料理を作って、先生の前にだしていました。大人4人で、何の話なのか、大笑いしていました。

そうして、笑いあって後に失礼して、帰ったのですが、もちろん家に帰った私は、母にこのお姉さんの話をすぐにしました。そうすると、父が「○○にいる芸者さんだと思うよ。」と母に話ていました。

こんな先生の姿を見たのですが、この先生は実は、映画「赤ひげ」を見た時に、私は先生がモデルではないかと思ったぐらいなのです。

それは、お正月はこんなふうでしたが、実は軍医であったことを、私に説明してくれたことがありました。内科が専門でも、何でもやって来たと聞きました。

「軍医といっても、鉄砲玉の飛んでこない場所にいるんだよ。兵隊が運ばれてきたら、それを処置する役目だから、沢山の兵隊を見なくちゃならないからね。」と言っていました。

「だから往診に行った先で、息子さんを戦争で亡くした人の家は、息子さんをお国の為に、差し出したってことなんだよ。そんな家から、往診代をもらうわけにはいかない。」と先生は言っていました。

先生はそうした流儀の人でした。でも田舎のことですから、おばさんが毎朝5時に起きて、門から玄関までの掃除をしに出ると、玄関先に野菜や、お茶やお米などが、置かれている時があるとおばさんが私の生母に話ていました。

先生に、「どなたが置いていってくれたのでしょう、お礼の先がわかりません。心あたりはないですか?」と先生に聞くと先生は、「相手の詮索はしないでいいから、有難く頂戴しなさい。」といわれたそうです。

調剤はおばさんがしていました。おばさんは調剤師だったのです。

そうした事がたくさんあり、おばさんは時には困っていたそうですが。先生の一番の理解者はおばさんだったと、お正月の時に目にした光景からそう思いました。いそいそと、はしゃいで料理を作り、芸者さんにお酌されてご満悦の先生を理解していなければ、出来ない事です。まさに内助の功だと思いました。

先生はお酒が好きだったようで、いつだったか我が家に来て、父と盛り上がって飲んでいましたが、そこへ先生の高校生の息子さんがやって来ました。

どうやら往診の電話が入ったようで、先生は生母から水をもらい、グイっと飲んで、立ち上がると、其の目はすでに医者の目に変わっていました。そして、玄関で待つ息子さんに、「どんな具合か?」と聞き、ではカバンには何をいれたのか?」と聞き、おばさんがカバンに入れたものを言うと、「よし、行こう」と素早く靴を履き、大きな黒い自転車の荷台に先生を乗せて、息子さんが運転して西のほうへと走っていきました。

医者は好きなお酒を飲む時間もないのだと、私はその時思いました。父の仕事とはまったく違う医者という仕事を、知りました。

また、先生は小学校の校医もしていました。注射を打つ日には、決まってクラスのゴン太君(いたずら小僧)に声をかけていました。それだけで、なぜかゴン太君は、その後とても嬉しそうにしていたのです。

先生は昔の事ですから、薬も沢山出す事はありませんでした。たいてい熱がでたら、水枕、額に濡れたタオル、足元には湯たんぽを入れて寝ること、おばさんからは、すりおろしたリンゴや、梅干しのおかゆを食べられたら食べるように言われました。そして頓服が一つ出されて、40度を超えたら飲むようにと。

ある時、食べる気力もない時がありました。そんな時は、ゆざましだけで過ごして、熱が下がって食べたいと思ったときには、野菜のスープを作って飲むようにとおばさんから言われて、母はその時に家にあったほうれん草とジャガイモでスープを作ってくれました。塩と野菜を一緒に弱火でゆっくりと煮ただけで、スープにほうれん草の旨味が出ていて、とても美味しかったことを覚えています。具はなくてスープだけです。そうして私は元気を取り戻したのです。

 

 

 

 

 

 

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