アイリス あいりす 

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【創作】「父とわたし」 番外編 小学6年で起こったこと

2020-11-01 18:48:19 | 創作文

図書館で、ふと棚をみると「あの人が同窓会に来ない理由」という本に目が留まり、一ページ目を読みました。読む本かどうかは私は一ページ目の書き出しで決めます。引き込まれた私はすぐにその本を借りることにして、家に帰り、すぐに読んでしまいました。そして、私は自分の過去について、忘れていたようでもあり、忘れ去ろうとしてきたようでもある、ある出来事を思い出していました。

私は、小学6年生の春に都会の小学校へ通い出しました。

田舎の小学校と変わらない気持ちで通い出したのですが、案の定皆の前で話をすると大笑いされ、先生に助けてほしくて先生を見ると、先生もお腹を抱えて笑いこけていました。

それは私にとって、考えられない事でした。田舎の小学校にも転校生は来ていましたが、必ず先生から「言葉の違いを、笑ったりしないこと」と注意されてきたからです。だから転校生は、言葉使いが違うのが普通だと私達は思っていたのです。

そして、思いがけずに母が転校してわずかひと月とちょっとで、他界してしまい、私はかなり落ち込んでいましたが、幸い父の姉が来てくれて、我が家の食事は叔母がやってくれました。

学校で、私は田舎にいた時に見た、こんな事を話しました。

隣の畑で、雄鶏のけたたましい慌てた鳴き声をきき、畑を見ると、雄鶏が右の茶畑の方に向かって羽ばたきながら走っていて、犬がその後を追いかけていたのです。雄鶏と犬が茶畑に入ると、雄鶏の鳴き声が聞こえなくなり、私はてっきり犬が雄鶏をくわえて出て来ることを想像していたのです。ところが、犬が茶畑から出て来たのですが、雄鶏をくわえていませんでした。そしてその後をあの雄鶏が、けたたましく鳴き声をあげて羽根をばたつかせて怒りをあらわににして、犬の後を追いかけていたのです。

さっきとは、まるで反対の形勢でした。

雄鶏は、こんな風にして、犬に向かっていく事があるのだと、私はその時思ったのです。

この話を都会の男子にも話をしたところ、その男子がいきなり、「お前は嘘をついている!」と言ったのです。私はむろん真実、見たものを話したのですが、その嘘つきと言われたことに、私はどう言ったらいいのかもわからず、黙っていました。

其のうちに、その「嘘つき」が独り歩きをしていったようで、私は遠巻きにされるようになりました。

田舎の小学校で、登校してすぐに、この話をしたところ、男子も女子も面白がって「そんなことがあるんだ~」と話ていたのに、都会の子供達の捉え方が全く違うことに、私は驚きました。

また、担任の先生がクラス替えをするときに、今でもあるそうで、「奴隷商人」という名前まである、そのグループ長を先生が決めて、グループ長が、壁の前にぐるっと立っている子供たちの中から、自分の好みの子供を指名してグループにするというやり方でした。

私は、このような席の決め方について、疑問を持ちました。最後に残った男子のあきらめたような、悲し気な、怒りのこもった目を覚えているのです。

私は先生のこうしたやり方を、子供ながらに「このやり方はよくない。」と批判したのでした。

この話は、仲良くしていた帰り道で一緒の友人達にも話たのですが、この話と私が「うそつき」というレッテルを貼られて、その後友人の家に「あそぼ~」と行っても、遊んでもらえなくなりました。

母親をなくして、「嘘つき」で「先生を批判する子」というのは、私を見る大人たちが何かを感じて、そのようになったようでした。

そして夏休みのある日に、隣のクラスの男子数人が私の家を訪ねてきました。私は隣のクラスの男子とは、見かけてはいましたが、話をするのは殆ど始めてでした。クラスの男子からは敬遠されていたので、うれしかったのです。そして道路の端っこで、立ち話をしていたところ、クラスの男子が走ってきました。そして、隣のクラスの男子が名前を呼んで話かけると、「じゃあな」と言って走りさっていきました。その後、数分後に彼のお母さんが走ってきて、「うちの子知らない?」と言い全員で「あっちへ走って行きましたよ」と告げるとお母さんもそっちへ走っていったのです。たったそれだけだったのですが、不思議なことに、翌日私の担任から呼び出されて、音楽室のような誰もいない所で、となりのクラスの男子達と私は、「もうそういうことはしないように。」と釘をさされたのでした。男子のひとりが、「僕たち何も悪い事していません!」と言いましたが、先生はそれに答える事はありませんでした。

そして、私はだんだんと、学校へ行く気力もなくしてしまい、心が折れる寸前にまで行った時に、帰り道で一緒になった男子が、お母さんが昔先生をしていたと言って、「先生はもっと子供の話をちゃんと聞くべきだと思う」と話ていたと、私に言ってくれたのです。

私は、その彼のお母さんには、会ったことはないと思います。でもその大人の話を聞いて、「わかってくれている大人もいるんだ。」ととてもうれしかったのです。むろん私はこれらの話をおばさんと父にもしていました。おばさんも「おかしな先生だね。どうしてそんなやり方するのかねぇ。」と言ってくれましたが。同級生のお母さんで先生もしていた人が、理解を示してくれたことは、私は嬉しかったのです。

一緒に今まで遊んでいた友人の家に行くと、「遊べない」と言われて、また奥の方で、私の事を「先生から注意された子」と、言っている家族の声も聞こえてきました。PTAで、きっと問題視されたのでしょう。

その後、私の父はたくさんの本を亡くなった母の従兄弟の勧めもあって、文学全集を買ってくれたのです。私には子供文学全集を、姉に世界文学全集を。それを読むことに夢中になっていき、友人と遊ぶことなく時間を過ごすことができました。

私の子供時代で辛い経験はこの1年間が、とても辛かったのです。

その後中学校へ進学すると、学区の関係で同じ小学校からその中学へ進学する人は、ほとんどいませんでした。

1年間で私の言葉は、都会の言葉の練習の成果もあり、ほとんどわからないようでした。

過ぎ去った遠い遠い過去でしたが、思い出して見ると、当時の気持ちが浮き上がってきて、とても辛くて悲しい気持ちになりました。誤解を誤解だという事もしませんでしたし、悲しみを誰に話ても分かってもらうことなど、できませんでした。

その後、私は県立高校に入学が決まったときに、父から、一枚の官製はがきを差し出されました。そして「小学校の担任の〇中先生に、『お陰様で県立〇高校に合格しました。』と書いて送りなさい。」と言われたのです。私はすっかりその時のことを、忘れ去っていたのに、どうして父は嫌な事を私にさせるのか、と思いました。しかし、父からそう言われたのですから、そうするしかなくて、私は父のその言葉を入れて、短い文で先生へのハガキを書き、父にわたしたのです。数日後に〇中先生から、返事がきて、「よく頑張りましたね」と書かれていました。

私はそれで、すべて終わったと思いました。それで嫌な事はもう考えたくない、思い出したくもないと、思ったのです。(父はどうして私にそんな風な大人の対応を私にさせたのかは、今ではよくわかるのですが)

ところが、夏休みに入ると、遊ばなくなった友人から電話が入り、「〇中先生が校長先生になったので、みんなでお祝いをするから来ない?先生からあなたにも、声をかけてと言われたのよ。」という事でしたが、私は部活があるから行かれない。と言って断りました。

その後、お互いに連絡もなく過ごしてきました。

50年後に、中学の同窓会があり、私は喜んで出かけました。その同窓会が終わり、ホテルの廊下で、いつかの帰り道に先生をしていたお母さんの話をしてくれた男性がいたのです。「あれ、まっくんも○○中だったの?私知らなかったわ。」と言ったのです。

そうしたら、そこに集まっている人達は小学校が同じ人達でした。それで、私はつい、先生の事を話て、「まっくんのお母さんに私は助けられたのよ。」という話をしたのです。

脇に立っていた男性が、「俺はそういう席替えの事、なんとも思わないよ」というのを聞き、私は本当にびっくりしました。それで、「最後に残る子供のことを、考えたことあるの?」と私は少し憤りを押さえて言いました。

50年も経っているのに、子供時代の悲しい出来事は私をまた過去へと案内したのでした。

人はどうして、こんな風な誤解を平気でするのかしら?

そして、もっと深く考えないのかしら?

先生でも決して大人の考えを持っていないことも、私は小学6年生で知ったのです。

 

最近になって、私が導かれてきたことは、「エンジェルナンバーに導かれて」に書いていますが、この辛かった過去についても、私は導かれてきました。

その当時の先生についても、保護者についても、友人だった人についても、もう何も思うことはありません。ただどうしてそうなってしまったのかを、知りたいと思いました。

それについて、私に直観が来ました。

〇中先生の魂はまだ成長の途中であったこと、そして保護者の大人たちについても、同じ事が言えると思いました。そして彼らは、私の境遇から「オソレ」を感じていたのでしょう。その「オソレ」が自分の子供に悪い影響を与えるとおもったのではないでしょうか?

〇中先生も同じようにして「オソレ」があり、初めて会う田舎娘に「オソレ」保護者の「オソレ」にも「オソレ」ていたのでしょう。

こうして「オソレ」というものを人が抱えている事は、誤解を生む原因となっていったのだと思います。

人類は自分ではわからないように、「オソレ」を持っています。そして、その「オソレ」は真実を遠ざけるヤミの勢力のもっとも人類に持ち続けてほしいものでした。

「オソレ」を持つとたとえ目の前に真実を見ても、「見なかった事に」しようとするのです。

私の話を都会の子は、「嘘」だとどうして思ったのでしょう?自分の知識の範囲を超えた話を信じない、というのは、今の目覚めていない日本人もまるで同じなのです。

嘘つきと言ったあの男子は、知らない話をする田舎娘に「オソレ」たのでしょう。

 

私は図書館で借りてきた本を、読み終えて、しばらくの間自分の心と向き合っていました。そして、やっと直観できた結論に自分で納得することができたのです。

これは辛い悲しい出来事がありましたが、エンジェルナンバーの導きによって少しづつ癒されてきた事、それから自分の出来事に対する考察をすることが出来ました。それによって、私は自由になり、もう当時のことを思い出しても、関わった人に対して、何も思わなくなったのです。これ以上の自由はないですね。

私の心を縛りつけていた、悲しい出来事も、私なりに理解する事ができました。良い人ぶるのは、それは偽物の心ですが、こうして心から納得するのは、本当に気分がよく、自分の心を縛り付けていたのは、自分の心の持ち方だったことが、わかったのです。

天界から、考え方を学んだのでした。

最後に、あの小説はノンフィクションかもしれないと、思ったのです。あのような出来事が、実際に学校側と重要なPTAによって曲げられてしまったのは真実だったのではないかと、あの文面を読んで思ったのです。

人間の狭い心を、これから解放して、私達の本当の自由を手にしましょう。それは一夜にして、起こるかもしれませんが、人間の心を変化させるのは、一夜では変わらないと思うのです。それはこれからの人間の課題ではないでしょうか?

 

 

時代 - 中島みゆき(フル)

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