『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

『黄昏れの中の中共帝国と日本の夜明け』(仮題)

2015年10月25日 16時21分21秒 | 日記
・円明園と青島ビール

首都北京には、古い建物がいくつもある。例えば、新聞紙上でたびたび取り上げられる「天安門」は、紫禁城(故宮)の正門であるし、紫禁城の始まりは、途中何度か焼失しているものの、元代(1279年~1367年)まで遡ることができる。

北京大学の近くには、「円明園」という清朝の離宮があった。もとは、18世紀に30年以上かけて贅沢に造営された宮殿だった。ベルサイユ宮に似せて造られた建造物もあったようだ。しかし、19世紀の中頃、第二次アヘン戦争の調印で北京に来た英仏両軍に攻め込まれ、略奪され火を掛けられて廃墟になった。

庭園の中には優美な噴水時計があって、左右六体づつ、十二支の銅像が飾られていたはずだが、すっかり無くなって、今は十二本の台座だけが残されている。盗まれた鼠や牛の銅像は、時々、サザビーズだかクリスティーズのオークションに掛けられて、話題になったりしている。

昔、北京を訪れた時に、「円明園」まで足を伸ばした。テーマパークの建設を途中で止めて放置された工事現場のようだった。ベルサイユに似せた所が気に入らなかったのだろうか、皇帝のお膝元で、焼き討ちをするような狼藉が可能であったとすると、清朝の終わり頃の、列強の振る舞いは確かに酷かったようだ。

中国のビールで最も有名なのは青島ビールだが、これは、嘗て山東省青島にドイツの租借地があって、そこでビール作りが行われていた為だ。第一次世界大戦が勃発し、日本は日英同盟によって参戦し、ドイツが負けたので、代わって日本が青島を中心とする膠州湾租借地を手に入れた。もし、日本がもう少し遠慮がちに列強と手を組んでいたら、「青島」と名を冠した日本酒が生まれていたかもしれない、などと言うのは不謹慎だが、それより前には、帝政ロシアが清朝からもぎ取った満州を、それこそ、乃木将軍が子供を亡くし血を流しながら奪い返している。中国の東北三省は北から順に、ロシアと隣接した黒竜江省・その下の吉林省・一番南が遼寧省で、遼東半島の突端に旅順港がある。三国干渉以降、ここにいたのはロシア軍だ。悪いが、清朝は全くの役立たずであった。そもそも、大総統になりたかった袁世凱は、日・英・ドイツ・フランス・ロシアから二千五百万ポンドの借款をして、それをもとに正式に大総統に就任している。各国に思惑があったのだ。

だから、日本の全てが正しかった、と言うつもりは無いが、9月3日の「大閲兵」を見る限り、日本は欧米列強が中国でしでかした悪事を、日本一国で背負わされる事になってしまっている。

さて、紫禁城の正門である「天安門」の上では、1949年10月1日に毛沢東が建国宣言を行った。その前の広場では、89年6月4日に、民主化の要求のために集まった学生達を武力で弾圧し、多数の死者を出した。92年10月には、天皇陛下の車を一目見ようと、多くの人民が集まって歓迎した場所だ。

その同じ場所で、9月3日に「抗日戦争70周年」の記念式典が行われた。この日は、中国人の英雄が出て何かをしたわけではない。70年前に日本がミズーリ号上で、聯合国との間で停戦協定が交わされた日の翌日と言うだけだ。だいたい、45年9月2日に、ミズーリ号の甲板にいたのは、中華民国の徐永昌だ。中共は関係がない。それなのに、毎年、勝った勝ったと祝うらしい。

・閲兵・国慶・南京

昨年から今年にかけて、周永康のみならず、軍部では郭伯雄・徐才厚が失脚した。しかも、天津での爆発ではキノコ雲が湧き起こり、現場には化学薬品の爆発ではあり得ないような巨大な穴が開いた。8月17日には、全国の武器庫の検査が行われたとの噂も立った。株価暴落による自殺者・天津の爆破を契機とした経済の失速等々は、共産党政権に対する不満を通り越して、打倒を叫ぶ人民が出てきても不思議ではない。しかも、軍部も江沢民派も現政権に対して、不満を抱いているのだ。

こうした中、習近平は9月3日に大々的に閲兵式を行った。この他、「南京事件」の祝日も12月13日と決められている。10月1日は国慶節だ。これは、実に良い事を考えついたものだと思う。

抗日戦争を持ち出せば軍部の存在感は高まり、愛国教育を始めた江沢民派の覚えもめでたいだろう。閲兵式を行えば、国民に習近平が軍を掌握している事を印象づける事もできる。講話の中で、習近平は「平和」について述べているが、これは国連事務総長の潘基文を意識した発言である以外に、ひょっとすると国内の反体制派に対して「停戦」を呼びかけ、共産党内・軍内部を纏めたいのかも知れない。

中国の思惑によって行われる大掛かりな閲兵式。それは、天津での大爆発や株式の暴落に似て、地に足が着いておらずデタラメで、それでいて壮大だ。「反日大閲兵」を、より現実的な物にするためには、虚構の世界から現実世界への橋渡しとなるような要人の臨席が必要だが、ヨーロッパの先進国は、脛に傷があるので首脳を送るはずもない。そう考えると、今回、中共にとって最も重要な来賓は潘基文だったはずだ。潘基文の御蔭で、虚構の歴史に現実味が生まれる。それも、とびきり上等の国連のお墨付きだ。それを証明するように、3日19時放送の「CCTV13ー新聞聯播」でも、来賓のトップで報道されている。

・潘基文

「CCTV13ー新聞聯播」の『習近平 国連事務総長潘基文と会見』

2015年09月03日 19:27

男性アナウンサー:
国家主席習近平は、3日、人民大会堂で国連事務総長 潘基文と会見しました。
習近平は、潘基文が来華し、中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動に出席した事を歓迎し、中国が今回記念活動を行ったのは、中国人民の平和を守る決心を、公表する必要があったからだ、と強調しました。私は午前中に、中国は軍30万を人員削減をすると宣言したが、つまり、中国が平和を守る承諾をしたという重要で具体的な表示だ、と。

習近平は、国連が世界反ファシズム戦争の硝煙の中から誕生したのは、第二次世界大戦の勝利の最も重要な成果の一つだ。中国は当時、一番目に《聯合国憲章》に署名をした国家だ。(※中華人民共和国が国連に認められるのは、1971年からです)安保理会の常任理事国として、中国は国連と共に歩む事を願い、国連の70歳を記念する誕生日を契機として、第二次大戦の勝利の成果から、《国連憲章》を基礎とする国際秩序に及ぶまでを守り、多国間主義を堅持し、国連の役割を強加し、バランスよく国連の平和と発展という二大領域での仕事を推し進め、特に平和行動の能力を増強し、2015年以降の発展の議事日程を着実な物としたい、と指摘しました。中国側は、国連が気候変動の領域で、重要な役割を発揮する事を支持しました。

習近平は、中華民族は“和”の理念を重視しており、和平・和諧・和して同ぜずと主張している。国連193の会員国は、互いに尊重し、団結し和睦し、同じ船に乗って互いに助け合い、手を携えて努力し、互助互恵を中心とする新型の国際関係を構築する事を強調しました。

潘基文は、本日午前に挙行された、中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会は、精彩を放って素晴らしく、中国人民は、反ファシズム戦争中に巨大な犠牲を払い、重大な貢献をされました。今回の活動は、充分に中国人民の平和を守る願いを、余すところ無く示しました。中国は多年にわたり、積極的に国際平和と事業発展に取り組み、特に国連の平和維持活動・局地的問題を解決・発展途上国への協力を通して共同発展を促進するために、重要な貢献を果たしました。国連は持続可能な開発・気候変動への取り組み等、更に広い領域において中国との協力強化に期待している、と述べました。

会見には、王滬寧(おうこねい)・楊潔篪(ようけつち)等が参加しました。」(「CCTV13ー新聞聯播」『習近平 国連事務総長潘基文と会見(习近平会见联合国秘书长潘基文)』2015年09月03日 19:27 )

日本の媒体は30万人の人員削減を好意的に報じたが、これまでにも解放軍の人員削減は何度か行われている。それは、経済が悪ければ削減するのは当然で、景気が良くなれば、知らないうちに増えていたりする。人員の削減は、平和への貢献というよりも、寧ろ台所事情の悪化を物語っているのではないかと思う。

潘基文が国連事務総長の職務に忠実であるならば、南シナ海の埋め立てや、尖閣への挑発、否、チベットやウイグルでの人権問題・弁護士の身柄の拘束等を抗議すべきだし、そもそも、独裁国の「閲兵式」に参加すべきではない。潘基文の振る舞いに対して、日本政府のみならず、文句が出るのは当然だが、潘基文事務総長は、9月4日にCCTVの取材を受けて、次の様に反論している。

以下は、※「CCTV13」の『「東方時空」潘基文は中央電視台記者 水均益の単独取材に応じた』から。

※「CCTV13」は報道チャンネル、「東方時空」は毎晩20:00~20時55分に流しているニュース番組だ。9月4日の放送内容は、前日の「抗日大閲兵」の様子を報じた物で、最初の30分は戦車や戦闘機等の装備の説明、30分を過ぎたあたりからは100歳・88歳の老兵の体験談、40分頃から潘基文のインタビューとなる。潘基文の話しの中に、老兵の貢献を称える部分が出てくるが、これは完全に番組の主旨に合わせた物だ。番組のなかで潘基文は英語を話し、それに字幕がつけられているが、ここでは、中国語の字幕部分の訳となる。

2015年09月04日

男性司会者:
聯合国秘書長(国連事務総長)潘基文は、4日、弊社記者水均益の単独取材に応じ、潘基文は、中国抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動を口を極めて褒め称え、同時に記者に対して、今回の閲兵活動に参加した率直な感想を述べました。

男性アナウンサー:
4日早朝 潘基文は弊社記者水均益の単独取材に応じました。既に三度の面会で友人となった潘基文と水均益は、先ず中国語で会話を始めました。

水均益:潘基文事務総長先生 貴方が中国を訪問されることを歓迎します。

潘基文:中国に戻れて大変に嬉しいです。

男性アナウンサー:
そして、今回の閲兵活動で最も深く印象に残ったのは何ですか、と尋ねられた時、潘基文は、老兵に敬意を表した部分が非常に感動的だったと述べました。

潘基文:
昨日、私が最も深い印象を受けたのは、多くの老兵です、彼等は車に座り、戦友と共に勲章をつけ、観閲活動の証人に立った、彼等は次第に年を重ねてゆくとはいえ、しかし、彼等の精神は依然として強大であり、彼等の貢献と支払われた犠牲は、永遠に忘れ去られる事はないでしょう。

男性アナウンサー:
事実上、潘基文が九三閲兵に出席する時、日本政府は国連本部に意見書を提出し、潘基文の出席はぞんざいな決定であると考えており、並びに潘基文事務総長は政治上、中立を保持するよう要求しましたが、これに対して潘基文事務総長は、中国の第二次大戦中の貢献と犠牲は、世界から認可され感激されなければならない、と重ねて言明した事を認めました。

潘基文:
確かに国連のメンバー国にも似たような声があります、私も公の場面で、歴史の経験を汲み取る事は非常に重要で、もし歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません、と明確に伝えています。ですから、歴史を正視し、更に好い未来を期待する事が、私が今回中国に来た最も重要な目的です。それから、一部の人は誤って国連事務総長は全てに中立だと考えていますが、実際には決していわゆる“中立”ではなく、公平公正なのです。

男性アナウンサー:
取材の最後に、潘基文は再び、中国が今回の閲兵を行った記念の意義の重大さ、影響の深遠さについて語りました。

潘基文:私と習近平主席、及び他の指導者が一緒に座って閲兵を眺めている時、私はこの盛典に深く感動しました。これはとてもよく中国人民と政府を反映しています、未来に発展する潜在的な力から、世界の平和に対してなすべき承諾に及ぶまで、第二次大戦の終結を記念する事は非常に重要で、私も十分に、中国人民の第二次大戦中の犠牲と貢献を認めています。」(「CCTV13」『「東方時空」潘基文は中央電視台記者 水均益の単独取材に応じた([东方时空]潘基文接受中央台记者水均益专访)』2015年09月04日)

「歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません」というのは正論だが、この「反日大閲兵」が、不動産バブル・株バブルの崩壊、各地で起きる不可解な爆発やデモに対する打開策も生みだされぬまま、それらの問題を覆い隠すように行われた事を、どう思っているのだろう。中国国内の問題ばかりではない。東シナ海や南シナ海を始めとする、国境地帯での横暴な振る舞い。それらを、戦勝国気取りで、歴史を歪め、正当化する口実に使われている事について、潘基文はどう思っているのだろうと思う。

芝居がかった大嘘は、瓦解の危険を孕む国内の乱れを示しているが、一方で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国が申請した「南京事件」が登録された。これは明らかに、今年12月13日の記念日を意識しての事だ。

日本は、20年前の村山訪中から既に、自国の歴史と自尊心を差し出す事で、中共を支え続けている。中共に脅かされる人々の目には、片棒を担いでいると映るかも知れない。しかも、その事が却って中国を苦しめ、各国との間に新たな紛争を起こしているのだ。だから、先ずはユネスコという場において、中国の仕掛けた歴史問題に打ち勝ち、日本の姿勢を世界に知らしめるべきであると思うし、そこから真の再生が始まるのだと思う。(終)

『93大閲兵の目論見』(仮題)

2015年10月24日 21時39分20秒 | 日記
・公式発表

以下は、今年に入って報じられた準備に関する発表だ。

1月22日に、公安部副部長兼北京市公安局局長傅政華(ふせいか)が、北京で行われる閲兵式は、今年の安保工作の最優先課題である、と発表した。(「中国網」『香港メディア:中国は反ファシズム70周年閲兵を挙行する(港媒:中国将举行反法西斯70周年阅兵)』2015-01-23)

3月20日には、外交部報道官洪磊(こうらい)が、中国側が、第二次世界大戦の主要参戦国・アジア諸国とその他の地区の国家指導者・国連等の国際組織の責任者を、抗日戦争勝利及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動に招待した、と発表した。(「網易新聞」『抗戦勝利70周年に閲兵を行う(抗战胜利70周年将阅兵)』2015-03-21来源: 北京晨报)

5月10日、習近平のロシア訪問に随行し、9日に赤の広場で行われた軍事パレードにも出席した中央軍事委員会副主席 範長龍は、ロシア国防省セルゲイ・ショイグと会談し、ロシア軍の指導者と部隊が、9月に行われる70周年の慶典活動に参加する事を歓迎する、と述べた。(「国防部網」『範長龍 ロシアの国防部長と会談を行う(范长龙与俄罗斯国防部长举行会谈)』2015-05-11)

5月13日、国務院は、全国の人民を、中央及び各地区各部門で行われる記念活動に参加させるために、2015年9月3日を休日とする。民衆が休暇中に活動しやすいように、9月3日から5日までを三連休とし、9月3日(木曜)は祝日。4日(金曜)は振替休日、6日は(日曜)は出勤とする、と通達を出した。(「国務院」『国務院の中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念日の振替休日に関する通知(国务院关于中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年纪念日调休放假的通知)』2015年5月13日)

6月23日、宣伝部副部長王世明が、国務院新聞弁公室主宰の記者会見の席上で、式典全体の流れを紹介した。王世明は、9月3日午前、中共中央・全人代常委会・国務院・全国政協・中央軍事委の名義で北京天安門広場で行われ、習近平はそこで重要講話を述べる、と発表した。この他、当日は北京で歓迎会、及び文芸晩餐会が開かれる。更に、中共中央・国務院・中央軍事委員会の名義で、今も健在の抗日戦士・老同志、抗戦将校或いはその遺族のために“中国人民抗日戦争勝利70周年”の記念章を、総書記習近平が手ずから授与する。この他、一連の第二次大戦勝利70周年を記念する舞台、及び、映像文芸作品と出版物を発行し、中国人民銀行は第二次大戦勝利70周年記念貨幣を発行し、国家郵政局も第二次大戦勝利70周年記念切手を発行する、と。(「中国網」『9月3日戦勝記念日閲兵の日程配布 始めて外国軍の参加を望む(9月3日胜利日阅兵安排发布 首邀外国军队参加)』2015-06-23)

昨年2月に全人代が発表したのは記念日だったが、9月3日が近づくにつれて、公安局・外交部・中央軍事委員会・国務院が計画に加わり、最終的に指導部全体が参加する事になった様子が窺える。具体的な内容、例えば、閲兵式に外国の首脳や軍を招聘する事などは、恐らく、5月9日に行われたロシア赤の広場での閲兵式を模倣したものと思われる。ただ、暗殺の噂の絶えない習近平が、この閲兵式をどう考えていたのかについては、疑問の残る所だ。

・北京秋天、或いは、閲兵ブルー(閲兵藍)

4月に入ると、中国人民解放軍儀仗隊が演習を開始し、山西省の機械製造公司が、北京武装警察隊が発注した、式上で使用される72門のうち、12門の礼砲を正式に北京に納品した。5月には、中国のユーザーによって、武装ヘリ直-10と直-19が、空中で“70”の文字を描き出す様子がアップされ、大閲兵の訓練と噂になった。

「北京秋天」と言うが「秋天」は秋の空ではない「秋」の意だ。北京の秋は美しい。大気さえ汚染されていなければ、大陸独特の抜けるように澄んだ青空が、どこまでも高く透明に広がる。汚染物質を取り除き、その青空を取り戻すために、北京・天津・河北及び周辺の省市が合同規制を実施した。

8月22日から30日まで世界陸上競技選手権が開かれたので、北京では8月20日から、自動車の臨時の交通管理措置が取られた。北京市交通委員会委員 容軍は、8月20から9月3日まで、北京市の自動車は「※单双号限行」の措置を取り、公共の交通機関の運転停止割合は80%に達する、肉・卵・野菜・ミルク等の運搬車両は通行を保障する、と紹介した。(「新華網」『北京8月20日から9月3日まで自動車は单双号限行(北京8月20日至9月3日机动车单双号限行)』2015年08月03日)

※单双号限行は、都市の交通渋滞を緩和させるための一種の交通制度。2007年北京五輪の予選会期間中に、北京市で始めて行われた。奇数(単号)の日には、ナンバーの末尾の数字が奇数の自家用車のみ走行でき、偶数(双号)の日には、ナンバー末尾が偶数の自家用車のみ走行できる。0は偶数日の走行。

天津市は、8月28日から、自動車の单双号限行も含めた一級の削減対策を開始した。電力企業は火力発電ユニット10箇所346万キロワット、全市の総容量の36%を停止させた。同時に市内9箇所の火力発電所に、職員を24時間常駐させた。産業方面では、全市の1325の企業が、生産停止・減産、或いは、環境保護設備を導入する事で、汚染物質の排出を全体の40%近くまで削減する事に成功した。同時に570の重点企業に対しては、職員を24時間常駐させた。建設現場については、8月23日から、全市の建設現場、及び、コンクリートの撹拌拠点は、全て作業を停止し、28日からは、操業停止の範囲を拡大し、建設作業と関係のある活動は一律作業停止となった。同時に全市946の重要な建設現場には、職員が24時間常駐する事とした。道路の掃除については、8月23日から、幹線道路と中心市街地では、毎日3回以上の洗浄が行われた。自動車については、9月1日、全市で終日、他の都市からの車両も含めて、单双号限行が行われた。全市を揚げての努力の結果、8月23日から30日まで、天津市の空気の質は、前年同期に比較して、全市の総合指数・PM2.5及びPM10の平均濃度が、41.7%・51.7%及び46.9%下降した。(「網易新聞」『天津市は汚染物質の排出総量の40%近くを削減する事に成功し“閲兵ブルー”を確保した(天津市实现污染物整体减排近40%确保“阅兵蓝”)』2015-09-02 06:57:52)

河北省では、全省で单双号限行が行われたが、開始と終了については各地で差があった。環境保護部の資料によれば、保定市等は8月20日から、全面的に各種の保障を開始し、保障の範囲には産業企業の減産・生産停止が含まれており、全市の主な建設現場は操業停止となった。滄州市では、24日から各種の保障を開始し、小中学校は開校日を延期した。運送業・廃棄物や危険な化学薬品を積んだ車両、及び軽トラ・オート三輪・トラクターは一律運転禁止。邯鄲(かんたん)では、邯鄲鋼鉄集団が26日から、一日ごとの細かな操業停止計画と脱硫施設の排出削減を強加する勤務計画を制定し、毎日削減された量と比率を計算した結果、28日から9月4日までの期間に、汚染物質を50%以上削減する事に成功した。

山東省済南市では、済南藍星・長城等の企業が生産を停止したのみならず、9月1日から、全市で露天での串焼き等を禁止した。(「澎湃(ほうはい)網」『中国環境科学研究院副院長 柴発合:“閲兵ブルー”常態化の対策がますます多くなる(中国环科院副院长柴发合:“阅兵蓝”常态化措施会越来越多)』2015-09-05 16:37 )

地方の幹部にとって、中共中央からの命令は、能力を発揮する好機ともなり、デタラメを誘発する切っ掛けにもなる。北京での公共車両の80%削減や、河北省の汚染物質の50%削減は、これが事実ならば、経済的損失を始め社会に与える影響は甚大だ。特に天津では、9箇所の火力発電所と1325の企業が影響を受け、発電所・570の重点企業・946の建設現場に24時間体制で職員を常駐させている。これらの過剰な規制は、明らかに8月12日の大爆発の影響であろうと思われる。

露天の串焼きを止めさせたところで、どれ程の影響があるのかは分からないが、兎も角も、手間ひま掛けて“閲兵ブルー”を実現させ、晴れわったった秋空の下、大閲兵は賑々しく行われた。

・習近平の講話(全文)

ここで確認するまでもなく、1972年に日中国交が正常化するが、それ以前は、書類の上では戦争状態にあった。不正常な状態から正常な状態になったので、『日中国交正常化』と言う。日本は中国に負けてはいない。当然、共産党にも国民党にも負けていない。ところが、9月3日当日、天安門の上で習近平が述べた講話の内容は、全く違う物だった。以下は「人民網」に掲載された、習近平の講話の全文だ。

『抗戦勝利70周年記念大会で習近平は重要講話を発表(全文)(纪念抗战胜利70周年大会习近平发表重要讲话(全文))』

2015年09月03日10:23

人民網 北京9月3日電、中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会が、本日午前10時、北京天安門広場で挙行された。10時6分頃、中共中央総書記・国家主席・中央軍事委員会主席習近平は、重要講話を発表した。

以下は講話の全文だ:

全国の同胞諸君、尊敬する各国の国家元首・政府首脳と聯合国等国際組織の代表の方々、尊敬する来賓各位、視察を受ける全ての将兵諸君・ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君、

本日は、世界の人々が永遠に記念するに値する日である。70年前の今日、中国人民は14年もの長きにわたる言語に絶する苦しい闘争を経て、中国人民は抗日戦争の偉大な勝利を獲得し、世界反ファシズム戦争の完全なる勝利を言い渡し、平和の陽光が再び普く大地を照らした。

ここで、私は中共中央・全人代・国務院・全国政治協商・中央軍事委員会を代表して、全国の抗日戦争に参加した老戦士・老同志・愛国人士と抗日の将校に向かい、中国人民の抗日戦争勝利の為に重大な貢献を果たした国内外の中華の子供達に向かい、最上の敬意を表する!侵略に抵抗する中国人民を支援し助けてくれた外国政府と国際的な友人に向かって、心からの感謝を表する!本日の大会に参加した各国の来賓と軍人友人諸君に向かって、熱烈な歓迎を表する!

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

中国人民の抗日戦争と世界反ファシズム戦争は、正義と邪悪・光明と暗黒・進歩と反動的との大決戦だった。あの悲惨な戦争で、中国人民の抗日戦争の開始時間は最も早く・持続時間は最も長かった。侵略者に直面したとき、中華の子供達は不撓不屈・血を浴びて奮戦し、徹底して日本軍国主義の侵略者を打ち負かし、中華民族の5000年以上発展し続けた文明の成果を守り、人類の平和の事業を守り、戦争史上の奇観・中華民族の壮烈な行為を鋳造した。

中国人民の抗日戦争の勝利は、近代以来、中国が外敵の侵入に抵抗し反撃した初めての完全勝利だ。この偉大な勝利は、日本の軍国主義が、中国を植民地化し奴隷のように酷使しようという企みを徹底的に粉砕し、近代以来、中国が外国の侵略に抵抗し反撃し、連戦連敗した民族の恥辱を洗い流した。この偉大な勝利は、新たに中国に世界的大国としての地位を確立させ、中国人民に、世界からの平和を愛する人民という尊敬を獲得させた。この偉大な勝利は、中華民族の偉大な復興への明るい未来を切り開き、古い中国が、鳳凰が臨終に火を浴びて再生するように、新たな征途を切り開かせた。

あの戦争中、中国人民は巨大な民族の犠牲を払い、世界反ファシズム戦争の東方の主戦場を支え、世界反ファシズム戦争の勝利に大きく貢献した。中国人民の抗日戦争も、国際社会の広汎な支持を獲得したが、中国人民も、各国人民が中国の抗日戦争勝利の為に貢献した事を、永遠に銘記するだろう!

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

戦争を経験した人々は、更に深く平和の大切さを理解する。我々が、中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念するのは、歴史を銘記し・亡くなった烈士を追想し、平和を大切にし、未来を切り開くためである。あの戦争の戦火は、あまねくアジア・ヨーロッパ・アフリカ・大洋州に及び、軍隊と民衆の死傷者は1億人を超え、そのうち中国の死傷者は3500万を超え、ソ連の死亡者は2700万を超えた。決して歴史の悲劇を繰り返さない事は、我々が、当時の人類の自由・正義・平和を守るために犠牲になった英霊に対する、また、無惨にも殺された無辜の亡霊に対する、最良の記念である。

戦争は一面の鏡だ、人に更に平和の貴重さを教えてくれる。今日、平和と発展は既に時代の主題となっているが、しかし世界は全く平穏ではない、戦争のダモクレスの剣は、依然として人類の頭上に掛かっている。我々は歴史を鑑として、断固として平和を守る決意をする。

平和のために、我々は堅個に、人類運命共同体という意識を打ち立てなければならない。偏見と差別・深い憎しみと戦争は、災難と苦痛しかもたらしはしない。互いに尊重し・平等に付き合い・平和に発展し・共に繁栄する事こそ、人の世の正道である。世界各国は共に、国連憲章の主旨と原則を中心とする国際秩序と国際体系を守り、積極的に、互恵互利を中心とする新型の国際関係を構築し、共同で、世界の平和と発展の崇高な事業を推進すべきである。

平和のために、中国は一貫して平和発展の道を歩んでいる。中華民族は一貫して平和を愛している。どの様な発展段階にせよ、中国は永遠に覇を称さないし永遠に拡張はしない、永遠に自身が嘗て経験した悲惨な境遇を、他の民族にむやみに押し付ける事はしない。中国人民は、世界各国の人民との友好的な交流を堅持し、決然として中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利の成果を守り、人類の為に更に偉大な貢献ができるよう努力する。

中国人民解放軍は人民の子弟兵であるので、全軍将兵は、全身全霊人民の為に服務するという根本理念を深く心に刻み、祖国の安全と人民の平和な生活を守るという神聖な職責を忠実に履行し、世界の平和を守るという神聖な使命を忠実に実行すべきである。私は宣言する、中国は軍の人員30万を削減する。

ご列席の皆さん・同志諸君・友人諸君!

“人は始めは慎んでいるが、終わりまで励んで有終の美をなす者は少ない(初め有らざる靡 (な) く、克 (よ) く終わり有る鮮 (すく) なし)”『詩経・大雅・蕩(とう)』中華民族の偉大なる復興を実現するには、一代また一代という努力が必要だ。中華民族は5000年以上の歴史を具えた輝く文明を創りだしたのだ、必ず更に輝ける明日を創り出す事ができる。

我々の進む道は、全国各族人民は中国共産党の指導の下、マルクスレーニン主義・毛沢東思想・小平理論・“三つの代表”の重要思想(江沢民)を堅持し、科学的発展観(胡錦濤)を指導とし、中国の特色ある社会主義の道に沿い、“四つの全面戦略”の構造(習近平)に照らして、 偉大な愛国主義精神を発揚し、偉大なる抗日戦争の精神を発揚し、万衆心を一にして、雨にも風にも負けず、我々が定めた目標に向かってこのまま勇気を奮って前進しよう!

我々は共に、歴史の啓示する偉大な審理を銘記しよう。正義は必ず勝つ!平和は必ず勝つ!人民は必ず勝つ!(「人民網」『抗戦勝利70周年記念大会で習近平は重要講話を発表した(全文)(纪念抗战胜利70周年大会习近平发表重要讲话(全文))』2015年09月03日10:23)


この式典は、実に中国らしいと思う。「近代以来、中国が外国の侵略に抵抗し反撃し、連戦連敗した民族の恥辱を洗い流した」と言うのは、連戦連敗の清朝に代わって、恥辱を雪いだ共産党の業績を誇る物だが、事実として中国は日本に勝ってはいない。そこで、「抗日戦争」と「反ファシズム」を同列に並べ、70年前には戦勝国側だった「中華民国」を「中国」と連呼する事で、聯合国側の勝利を共産党の勝利にすり替えている。

式典の立脚地点が虚構から始まっているので、講話の内容は空疎だが、それに反して、参加部隊は、中国大陸7大軍区・海軍・空軍・第二炮兵・武警部隊・解放軍四総部(総参謀部・総政治部・総後勤部・総装備部)直属の単位からの精鋭・外国の軍隊の代表。抗日戦争に参加した老兵士については、中共側の発表では、平均年齢は90歳、最年長は102歳で、国共両党から参加している。その中の共産党の老兵士は、八路軍・新四軍・東北抗聯・華南遊撃隊等の中から選ばれている。また、今回の閲兵で展示される武器は、全て国産主戦の装備で、新型のタンク・新型の大砲・新型のミサイル・コマンド情報システムと無人機等が含まれ、84%が初公開と自慢げに発表している。

私は、防衛に力を入れることや、自身の民族に誇りを持つ事は悪い事とは思わない。しかし、そもそも捏造の歴史に立脚している上に、今回の「大閲兵」を見ても、中国は明らかに軍国主義の国であり民族主義の国だ。その国が、軍拡を続けており、習近平は講話の中で、人民解放軍の職責として「世界の平和を守るという神聖な使命を忠実に執行する」と述べている。解放軍が世界に出て行く事を奨励しているのだ。日本は、恨まれている上に、中国は尖閣諸島について野心を隠していない。これで、どうして安全と言えるだろう。しかも、今回の閲兵には、国連事務総長の潘基文が得意げに参加してお墨付きを与えているというのにだ。

『史上最大の茶番』(仮題)

2015年10月22日 15時13分33秒 | 日記
9月3日に、北京天安門で、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト勝利七十周年記念大会(原文:纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年大会)」と題する式典が開かれ、国連事務総長である潘基文も参加した。しかし、日本は中国に負けてはいないし、中共は建国して66年しか経過していない。式典は事実に反していると言わざるを得ないが、そもそも「歴史」とは、勢力のある物がごり押しすれば、そうなる物だろうか。そんなはずはない。

・歴史の萌芽と焚書

五経の一つ『礼記(らいき)』は、漢の時代に書かれた儒者の礼に関する書物だが、その中に、為政者に関する記録の取り方を紹介した短い文章がある。古代の天子の側には史官が控えており、天子が「行動すれば左史がこれを記録し、発言すれば右史がこれを記録していた」、と言う物だ。(『礼記・玉藻』「動かば則ち左史之を書し、言へば則ち右史之を書す」)。他に、右史と右史と行動と発言が逆に書かれた資料もあるが、兎も角も、古代の天子の側には、記録を取る官吏がいた。

史官の矜恃は、事実を正確に記述する事。周代に既に正確に記録を残す習慣があり、更に、史官の記録した物が各国に保管されていたので、例えば、孔子は魯の記録を整理して『春秋』という歴史書を編纂し、秦の焚書坑儒で書物が失われたとは言え、司馬遷が『史記』を執筆する時にも、信頼に足る資料を集める事ができた。

『史記』は、史官が記録をする様を、次の様に紹介している。

趙の恵文王の十八年(前281年)に、秦は趙の石城を抜き、翌年、更に攻めたので、趙は二万の戦死者を出した。その後、秦王は趙に使者を出し、好(よしみ)を結びたいので、澠池(べんち、澠は、漢音べん・呉音めん)で会見をしようと申し入れた。しかし、恵文王は秦を恐れて行きたくないと言う。それを藺相如(りんしょうじょ)が説得して連れ出し、宴席に臨んだ時の事、

秦王が、宴酣(たけなわ)となった頃に言った、「私は窃(ひそ)かに、趙王が、音楽を好むと聞いている。瑟(しつ、大型の琴)を奏でてほしい」、と。趙王は瑟を奏でた。秦の御史が進み出て、「某年月日、秦王、趙王と会飲し、趙王をして瑟を鼓せしむ」と記録した。藺相如が進み出て、「趙王は窃かに、秦王が秦の音楽を奏でるのがうまいと聞いております。盆缻(ぼんふ、打楽器)を秦王に献上いたしますので、共に楽しみましょう」と。秦王は怒って許さない。かまわず、相如は進み出て缻(ふ)を差し出し、跪(ひざまづ)いて秦王に要求した。秦王は、缻を打つ事を承知しなかった。相如は、「五歩の近さでございます、この相如に、我が頸の血を大王に降り注がせる事をお許し頂きたい(自分の首を斬らせろとは、相手の首を斬らせろと同じ意)」と。左右にひかえる者は、相如を斬り殺そうとした。相如は、目を張って左右を怒鳴りつけた。左右の者は、その声にひるんだ。かくて秦王は、不機嫌ながら、趙王のために一回だけ缻を打った。相如は、振り返ると趙の御史を呼び出し、「某年月日、秦王、趙王の為めに缻を撃つ」と記録させた。(『史記会注考証・廉頗 藺相如伝』)

国の名誉をかけて、命懸けで残されるのが記録だ。権力者の都合でひらひらと記述が変わるのであれば、「温故知新」もへったくれもない。しかし、恥ずべき行為が多い国にとってはどうだろう。秦が行った「焚書」の理由として、司馬遷は次の様に述べる。

秦は既に天下統一の望みを果たした後、天下の詩経・書經を焼き捨てた。諸侯の史記(史官の記録)が最も焼かれたが、そこに秦を譏(そし)る記述があったからである。(『史記・六国表』秦既に意を得、天下の詩書を焼く、諸侯の史記尤(もっと)も甚だし、其の刺譏する所有るが為なり)

李斯(りし)の建言によって「焚書」が行われるのは、始皇帝の三十四年(前213年)の事。「坑儒」はその翌年。始皇帝は狂暴な手段で歴史の隠蔽を試み、二千二百年後の中共は、大掛かりな手段で歴史の捏造を試みている。

・二十三年前は親日

今から二十三年前の平成四年(92年)10月23日~28日、天皇陛下が中国を訪問された。天安門事件(89年)で欧米諸国から非難を受けていた中国に、日本が手を差しのべた形での御訪中で、その頃、大陸ではちょっとした親日ブームが起きていた。ご訪問の間中、人民日報には、連日のように如何に人民が陛下を歓迎しているかという内容の記事と、公用車を取り巻く黒山の人だかりの写真が掲載されていた。テレビでも、北京の天安門だったか、上海の南京路だったか、歓迎する人々で埋め尽くされる様子を放送していた。ほんの短期間だったが、中国全土が親日ムードに溢れていた。

その後、93年に江沢民が国家主席となり、94年村山内閣成立。95年5月3日、村山総理が江沢民国家主席と中南海で会見した。日本人に対する風向きが、おかしなことになるのは、それからだ。95年5月4日の「人民日報」第一面、中央の見出しに「江主席 村山首相と会見、双方は歴史に対して正しい態度をとり、将来に目を向ける事が両国の関係を押し進め更に発展させるとの意を示した」と書かれていた。

この会見から約一ヶ月後の、「人民日報」95年6月12日号に、初めて排日の記事が掲載される。三面、一番上に大きく「中国人民抗日戦争勝利五十周年を記念す」と書かれた特集記事は、新聞のまるまる一面を使って行われた連載物だ。この特集が、その後の反日運動に火を点けた物である事は言うまでもない。

さて、それから二十年後の今年、排日運動はすっかり育って、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト勝利70周年記念大会」という式典を産み落とした。

・立法形式の記念日

「中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト勝利70周年記念大会」は、習近平が2012年11月に、中共総書記・中央軍事委主席に就任して以来の、初めての大規模記念活動で、主な内容は閲兵式だ。今回は建国以来15回目の大型閲兵式となるが、これまでは全て国慶期間中に行われており、今回始めて国慶期間外に行われた。同時に、閲兵方式で始めて、抗日戦争及び第二次大戦の勝利を記念する内容となっている。

この、馬鹿な茶番劇が、最初に全人代を通過したのは2014年2月25日の事だ。会議の決定は、当日晩19時の「CCTV13」で放送され、また、「新華社」「人民日報」等で、全国に配信された。以下は、2月25日の『新聞聯播(れんぱ)』で放送された内容だ。

『我が国は立法形式で、中国人民抗日戦争勝利記念日を決定し 南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する(我国将以立法形式确定中国人民抗日战争胜利纪念日 设立南京大屠杀死难者国家公祭日)』

2014年02月25日 19時

女性アンカー: 弊社の報道です。十二期全国人民代表大会常務委員会 第七次会議は、25日午後、全国人民代表大会の、中国人民抗日戦争勝利記念日を確定する決定草案、及び、南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する決定草案に関して、審議を行いました。

(委員長会議(委員長会議の委員長は張徳江)の委託を受け、全人代常委会法制工作委員会主任 李適時は、この二つの決定草案について、会議で説明を行った。以下は、その説明内容。)

女性アンカーの説明の朗読:
中国人民抗日戦争勝利記念日確定の決定草案に関する説明には、次の様に指摘されている。中国人民の抗日戦争は、中国人民が日本の帝国主義の侵略に抵抗した正義の戦争であり、世界反ファシズム戦争の重要な一部分であり、近代以来、中国が外敵の侵入に反抗して、始めて完全な勝利を獲得した民族解放の戦争である。中国人民の抗日戦争の勝利は、中華民族の衰退から振興に向かう重要な転換点となり、民族の独立と人民の解放・新中国の建設を実現するための重要な基礎を打ち立て、世界各国が反ファシズム戦争の勝利を勝ち取り・世界平和の偉大な事業を勝ち取る為の巨大な貢献である。全人代常委会が特に決定を下し、立法形式で中国人民の抗日戦争勝利記念日を確定し、集中的に中国人民の意思を反映するのは、我々に歴史をしっかりと記憶させ、過去を忘れず、平和を大切にし、未来を創始する事が、十分必要だからである、と。

説明に強調されているのは、本決定を行う事は、中国人民が、抗日戦争中に勇敢に身を捧げた英霊と、中国人民のために抗日戦争に貢献したあらゆる人々を更に追想し、中国人民が、日本帝国主義の侵略に反抗した極めて苦しい闘争を銘記し、中国人民の抗日戦争が、世界反ファシズム戦争の重要な地位にある事を顕彰し、中国人民が決然として、国家の主権・領土の保全、及び、世界平和を守るという揺るぎない立場を表明し、愛国主義を中心(核心)にすえた偉大な民族精神を発揚し、全国の各族人民を激励し、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するために、共に奮闘するためだ。記念日の日付の決定については、中央人民政府政務院及び国務院の抗戦勝利記念日に関する規定を、草案は引き続き使用して、9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日と決定する。

南京大犠牲者の国家的追悼日設立の決定草案に関する説明には、次の様に指摘されている。1937年12月13日、日本の侵略軍は中国の南京で、我が同胞に対して四十数日の長きにわたる、この世の物とは思われないほど悲惨な大を開始し、三十万以上が殺戮に遭い、国内外を震撼させた南京大事件を引き起こした。これは、公然と国際法に違反する暴虐きわまる行為であり、動かぬ証拠であり、第二次世界大戦後に設立された遠東国際軍事法廷、及び、南京審判戦犯軍事法廷(南京軍事法廷)の裁判で、つとに歴史の結論と法律の定論がある。南京大の犠牲者に、国家的追悼日を設立し、国家が追悼活動と関係の記念活動を行うのは、十分に必要な事である、と。

説明に強調されているのは、本決定を行う事は、南京大の犠牲者と、日本の帝国主義の侵略戦争期間中、日本の侵略者の殺戮に遭って亡くなったあらゆる同胞を哀悼し、日本の侵略者の戦争の罪業を暴き出し、侵略戦争が、中国人民と世界人民に与えた深い災難を記憶し、中国人民が侵略戦争に反対し・人類の尊厳を守り・世界平和を守る確たる立場を表明するためである。決定草案の12月13日を、南京大犠牲者の国家的追悼日とする。」(「CCTV13・新聞聯播」『我が国は立法形式で、中国人民抗日戦争勝利記念日を確定し 南京大犠牲者の国家的追悼日を設立する(我国将以立法形式确定中国人民抗日战争胜利纪念日 设立南京大屠杀死难者国家公祭日)』2014年2月25日 19時)

上記の報道からは、この計画が、序列3位の張徳江(全人代常務委員長、江沢民派)周辺から出てきた事が分かる。張徳江は、香港と深い関わりのある人物で、2014年2月頃、香港では、反北京系のメディアの編集長が職場を追われ暴徒に襲撃される事件が発生し、香港人の中共に対する不満が高まっていた。また、当時は公式発表前だったが、周永康の身柄が拘束され、息子夫妻も拘束されて、中華圏は周一族に関する腐敗の噂で持ちきりだった。3月1日には、雲南省の昆明駅で、刃物を持った集団が通行人らを無差別に襲撃するテロ事件が起きている。更に、昨年から今年にかけては、解放軍幹部の腐敗の問題や、株バブルの崩壊、天津を始めとする各地では、原因不明の大爆発も起きている。

私は、天安門事件後、中国人民が依然として民主化を求めていた時期に、江沢民は、排日愛国運動を進める事で、共産党崩壊の危険を回避したと考えている。だから、再び共産党が危機的状況に陥った時に、江沢民派の中から、排日愛国を盛り上げるような提案が出されるのは当然の事であると思う。まして、70周年ならば尚更だ。

・準備

以下は、今年に入って発表された準備に関する報道だ。

1月22日に、公安部副部長兼北京市公安局局長傅政華(ふせいか)が、北京で行われる閲兵式は、今年の安保工作の最優先課題である、と発表した。(「中国網」『香港メディア:中国は反ファシスト70周年閲兵を挙行する(港媒:中国将举行反法西斯70周年阅兵)』2015-01-23)

3月20日には、外交部報道官洪磊(こうらい)が、中国側が、第二次世界大戦の主要参戦国・アジア諸国とその他の地区の国家指導者・国連等の国際組織の責任者を、抗日戦争勝利及び世界反ファシスト戦争勝利70周年記念活動に招待した、と発表した。(「網易新聞」『抗戦勝利70周年に閲兵を行う(抗战胜利70周年将阅兵)』2015-03-21来源: 北京晨报)

5月10日、習近平のロシア訪問に随行し、9日に赤の広場で行われた軍事パレードにも出席した中央軍事委員会副主席 範長龍は、ロシア国防省セルゲイ・ショイグと会談し、ロシア軍の指導者と部隊が、9月に行われる70周年の慶典活動に参加する事を歓迎する、と述べた。(「国防部網」『範長龍 ロシアの国防部長と会談を行う(范长龙与俄罗斯国防部长举行会谈)』2015-05-11)

5月13日、国務院は、全国の人民を、中央及び各地区各部門で行われる記念活動に参加させるために、2015年9月3日を休日とする。民衆が休暇中に活動しやすいように、9月3日から5日までを三連休とし、9月3日(木曜)は祝日。4日(金曜)は振替休日、6日は(日曜)は出勤とする、と通達を出した。(「国務院」『国務院の中国人民抗日戦争及び世界反ファシスト戦争勝利70周年記念日の振替休日に関する通知(国务院关于中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年纪念日调休放假的通知)』2015年5月13日)

6月23日、宣伝部副部長王世明が、国務院新聞弁公室主宰の記者会見の席上で、式典全体の流れを紹介した。王世明は、9月3日午前、中共中央・全人代常委会・国務院・全国政協・中央軍事委の名義で北京天安門広場で行われ、習近平はそこで重要講話を述べる、と発表した。この他、当日は北京で歓迎会、及び文芸晩餐会が開かれる。更に、中共中央・国務院・中央軍事委員会の名義で、今も健在の抗日戦士・老同志、抗戦将校或いはその遺族のために“中国人民抗日戦争勝利70周年”の記念章を、総書記習近平が手ずから授与する。この他、一連の第二次大戦勝利70周年を記念する舞台、及び、映像文芸作品と出版物を発行し、中国人民銀行は第二次大戦勝利70周年記念貨幣を発行し、国家郵政局も第二次大戦勝利70周年記念切手を発行する、と。(「中国網」『9月3日戦勝記念日閲兵の日程配布 始めて外国軍の参加を望む(9月3日胜利日阅兵安排发布 首邀外国军队参加)』2015-06-23)

昨年2月に全人代が発表したのは記念日だったが、9月3日が近づくにつれて、公安局・外交部・中央軍事委員会・国務院が計画に加わり、最終的に国家全体が参加していった様子が窺える。具体的な内容、例えば、閲兵式に外国の首脳や軍を招聘する事などは、恐らく、5月9日に行われたロシア赤の広場での閲兵式を模倣したのだ。ただ、暗殺の噂の絶えない習近平が、この閲兵式をどう考えていたのかについては疑問の残る所だ。

潘基文の反論(奴隷根性)

2015年10月19日 13時57分57秒 | 日記
・馬鹿
皆さん、「馬鹿」の語源を御存知でしょうか。幾つかあるようですが、ここで紹介したいのは、『史記・始皇本紀』に出てくるお話です。秦末、項羽が善戦を続け、趙高は謀反を企んでいました。今日は、格調高く漢文で。原文は「中華書局」から出版された、顧頡剛が点を切った物によりました。

趙高、乱を為さんと欲す(趙高が謀反を企んでいた)。
羣臣の聴かざることを恐れ(羣臣が自分の意にしたがわない事を恐れ)、
乃ち先ず験を設け(そこで先ず験してみようと考え)
鹿を持ちて二世に献じて曰く(鹿をひいて二世に献上して言うのには)、
「馬なり」、と(馬です、と)。
二世笑ひて曰く(二世は笑って言った)、
「丞相誤れるか。鹿を謂ひて馬と為す」、と
(丞相は誤っていませんか、鹿を馬と謂ったりして、と)
左右に問ふ((趙高が)左右の者に問うた)。
左右或ひは黙し(左右の者はあるいは沈黙し)、
或ひは馬と言ひ以て趙高に阿り順ふ
(或いは馬だと言って趙高におもねり順う者もいた)。
或ひは鹿と言ふ者あり(あるいは鹿だと言う者もいたが)、
高因りて陰に諸々の鹿と言ひし者を
(高はそこでひそかに諸々の鹿と言った者達を)
中(あ)つるに法を以てす(刑法をあてはめて処罰した)。
後、羣臣皆高を畏る(その後、羣臣は皆趙高を畏れた)。

秦の滅亡する原因を作ったのは、趙高です。


さて、何度も言いますが、日本は、国民党にも中国共産党にも負けてはいません。更に、新中国の成立は1949年で、建国から70年も経過していません。なので、中共政府が主催した「抗日戦争勝利70周年祈念大閲兵」というのは、大間違いです。にも関わらず、国連の潘基文事務総長は、記念式典に参加し軍事パレードを参観しました。更に、9月4日にはCCTVの取材を受けて、日本政府の式典開催前からの抗議に対して反論までしました。例の「公正」と「中立」の問題は、この番組でも報じられています。

以下は、「CCTV13」(CCTV13は報道チャンネルです)の『「東方時空」潘基文は中央電視台記者 水均益の単独取材に応じた([东方时空]潘基文接受中央台记者水均益专访)』(2015年09月04日)の部分の内容です。「東方時空」は毎晩20:00~20時55分に流しているニュース番組です。

9月4日の放送は、前日の「抗日大閲兵」に関して、最初の30分は戦車や戦闘機等の装備の説明、20:30分頃からは100歳・88歳の老兵の体験談、40分頃から潘基文のインタビューを放送しました。潘基文の話しの中に、老兵の貢献を称える部分が出てきますが、完全に番組に合わせた内容となっています。潘基文は英語を話していますが、中国語の部分のみ訳しました。潘基文の英語の部分と、中国語の字幕と、正確な訳のかどうかは不明です。

潘基文接受訪問 聯合國不「中立」但「公正」


男性司会者:
聯合国秘書長(国連事務総長)潘基文は、4日、弊社記者水均益の単独取材に応じ、潘基文は、中国抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利70周年記念活動を口を極めて褒め称え、同時に記者に対して、今回の閲兵活動に参加した率直な感想を述べました。

男性アナウンサー:
4日早朝 潘基文は弊社記者水均益の単独取材に応じました。既に三度の面会で友人となった潘基文と水均益は、先ず中国語で会話を始めました。

水均益:潘基文秘書長先生 貴方が中国を訪問されることを歓迎します。

潘基文:中国に戻れて大変に嬉しいです。

男性アナウンサー:
そして、今回の閲兵活動で最も深く印象に残ったのは何ですか、と尋ねられた時、潘基文は、老兵に敬意を表した部分が非常に感動的だったと述べました。

潘基文:
昨日、私に最も深い印象を与えたのは、多くの老兵です、彼等は車に座り、戦友と共に勲章をつけ、観閲活動の証人に立った、彼等は次第に年を重ねてゆくとはいえ、しかし、彼等の精神は依然として強大であり、彼等の貢献と支払われた犠牲は、永遠に忘れ去られる事はないでしょう。

男性アナウンサー:
事実上、潘基文は、九三閲兵に出席する時、日本政府が国連本部に意見書を提出し、潘基文の出席はぞんざいな決定であると考えており、並びに潘基文秘書長は政治上で中立を保持するよう要求しましたが、これに対して潘基文秘書長は、中国の第二次大戦中の貢献と犠牲は、世界から認可され感激されなければならない、と重ねて言明した事を認めました。

潘基文:
確かに聯合国のメンバー国にも似たような声があります、私も公の場面で、歴史の経験を汲み取る事は非常に重要で、もし歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません、と明確に伝えています。ですから、歴史を正視し、更に好い未来を期待する事が、私が今回中国に来た最も重要な目的です。それから、一部の人は誤って聯合国秘書長は全てに中立だと考えていますが、実際には決していわゆる“中立”ではなく、公平公正なのです。

男性アナウンサー:
取材の最後に、潘基文は再び、中国が今回の閲兵を行った記念の意義の重大さ、影響の深遠さについて語りました。

潘基文:私と習近平主席、及び他の指導者が一緒に座って閲兵を眺めている時、私はこの盛典に深く感動しました、これはとてもよく中国人民と政府を反映しています、未来に発展する潜在的な力から、世界の平和に対してなすべき承諾に及ぶまで、第二次大戦の終結を記念する事は非常に重要で、私も十分に、中国人民の第二次大戦中の犠牲と貢献を認めている。

取材はここまでです。

「歴史の経験を汲み取る事は非常に重要で、もし歴史を正視しなけれければ、正確な方向に向かって前進する事はできません」というのは正論ですが、では、「歴史」とは何でしょう?権力者が、或いは、戦勝国が「左だ」・「馬だ」と言えば、そうなる物でしょうか。当然違いますが、それについてはまたどこかで。

次回は、懸案の話しに戻ります。

広西930連続爆破事件(容疑者と背景)

2015年10月14日 01時02分59秒 | 日記
9月30日から10月1日にかけて、広西柳城県で起きた連続爆破事件は、その日のうちに容疑者が特定され、翌日には死亡と発表されました。容疑者が社会に恨みを抱き、SNS上で殺人の予告をしていた事が根拠になりましたが、彼がネットに書き込みをしたのは2013年の事なのです。

以下は、容疑者死亡を伝える「BBC中文」の報道です。

「BBC中文」

『中国警察側 柳城爆発事件の容疑者 既に爆発で死亡と発表』

2015年10月2日



「中国官方新華社は、広西柳州公安機関の報道を引用して、広西柳城県での爆発事件は既に解決し、容疑者は現場の爆発で死んだ、と報じた。

広西柳州市柳城県で、9月30日及び10月1日の二日間にわたって18回の爆発が発生し、且つ、爆発地点は、貿易ショッピングパーク・刑務所・柳城県大埔鎮政府・スーパーマーケット・停留場・病院・畜産局のホステル・生鮮食品のマーケット・疾病予防コントロールセンター等のそれぞれ違う公共の場所に分布していた。

・“被疑者死亡”

新華社は、警察は現場検証・調査訪問から、関係のビデオの検証・痕跡の検証に及ぶまでを行い、関係の証拠を収集した結果、爆破事件は、広西柳城県大埔鎮の33歳男子 韋銀勇(いぎんゆう)が起こしたと認定し、且つDNAの鑑定を経て、被疑者韋銀勇が事件現場の爆発で亡くなった事を確認した、と発表した。

報道は、容疑者 韋銀勇は、自ら時限爆破装置を作成し、自分で放置する、或いは、小包を装い人を雇って運送する等の方法を通して、前後して複数回の爆発を起こし、10人死亡・51人を負傷させるに至った、と述べている。

報道は更に、初動捜査の結果、容疑者韋銀勇は、採石の生産で付近の住民や関係の部門と対立が生まれ事件を引き起こした、と発表した。

これまで、この公式ミニブログ(微博)は、柳城爆破事件の最新の情報を配信していた。ただ、BBC中文網の記者は、柳州公安の公式微博上では、今のところ如何なる情報の配信も見つけてはいない。その他、独立の情報源でも新華社の情報を実証する報道は無い。

・以前の報道



これより前に、本部が広州にある《南方都市報》は1日(木曜)に、広西柳州市警察が、1日払暁5時頃に、柳城県に住む33歳 韋姓のチワン族の男子を追跡調査しているとの通報を配信している、と報じた。

報道は警察側の通報を引用して、この韋姓の男子は、香港・マカオの通行証を所持し、2014年12月1日にタイに向けて出国し、12月7日に大陸に戻った、と報じた。

報道は更に、この韋姓の男子は柳城県洛崖同境村大墳山 志毫採石場の職員だった、と指摘した。この他、その他の情報では、韋銀勇は採石場の爆薬保管員で、岳父(妻の父)は発破技士・妻は安全要員である、と称している。もっとも、《南方都市報》の事件関係の報道は、すぐにネット上から削除された。

・被疑者の書き置き?

この他、中国のユーザーは、韋銀勇がミニブログ(微博)及びウィーチャット(微信、WeChat)上で、“しかたなしの眼差し(无奈的眼神)”というハンドルネームで、度々書き込みをしているのを発見した。その中の、2013年7月30日12時55分に書き込まれた物には“俺はもうすぐ人を殺す、この地の政府が俺に破滅の道を歩ませるんだ。”と書かれていた。

他に、2015年9月19日16時51分の配信には、“ある社会が、もし善人が安心して気持ちよく暮らし、悪人が不安で焦りながら暮らすとしたら、悪人は絶えず善行を心がけるだろう。これに反して、もし善人が不安で焦りながら暮らし、悪人が安心して気持ちよく暮らすなら、善人は絶えず悪行を心がけるだろう。悪人が悪行を犯すのを恐れる必要は無い、恐ろしいのは善人が悪事を働かざるを得なくなった時だ。”、と書き込まれていた。

もっとも、今のところ他の独立した媒体は、ハンドルネーム“しかたなしの眼差し”が韋銀勇であるとの出所を証明してはいない。

・口をつぐむメディア



新華社の最新の報道以前に、中国の媒体上には24時間如何なる爆発事件に関する報道も完全に無くなり、しかも、SNS上にも、この爆発事件に関する如何なる討論も見当たらなくなった。

これより前に、ある海外の媒体は、中共中央の媒体宣伝を主管する部門である中宣部が、9月30日の晩、緊急通告を配信し、ローカルメディアのウェヴサイトに対して、広西柳城県の爆発事件については、新華社等の“権威ある媒体”の情報を転載できるだけとし・勝手に取材し勝手に編集してはならない・ミニブログ及びウィーチャットで情報を配信してはならない・特定のスレッドを立ててはならない・ライブ映像を流してはならない、違反した場合には直ちに是正し、一律削除する。新聞のクライアント・携帯WAP(Wireless Application Protocol)ウェヴサイトはこれに順う。インタラクティブリンクでは一律、誇大宣伝・集納(関係の記事を一箇所にアップする)・推奨をしてはならない、と要求したと報じた。

この報道について、一時、この情報の出所を証明する方法がなかったが、しかし、BBC中文網の記者は、ネット上を検索していて、これ以前には、連続して柳城の爆破事件を報じていた多くの媒体のウェヴサイト、澎湃(ほうはい、澎湃新聞は《東方早報》の運営する新聞のポータルサイト)・騰訊等が、爆発事件に関係したページを削除している事を発見した。本社が広西省省都南寧にある《南国早報》さえ、始めの頃のように、継続して爆発事件の情報を報ずる事はなくなっていた。

・ユーザーのコメント

新華社の最新の報道に対して、ユーザーは次から次へと意見を述べた。その中の一部は報道の内容を信じる物で、並びに警察側の迅速な事件解決を支持していた。しかし、同時に、多くのユーザーは報道の内容に対して疑問を抱いていた。

あるユーザーは、“俺は分からないんだが、先に誰が容疑者かわかって、その後確かめるのでないかぎり、どうして確定できるんだ???”、と述べた。

別のユーザーは、“一日目の爆発で犯人は自爆したんだろ、じゃあ二日目柳城で爆発が発生したのは、誰がやったんだ?”、と。

更に別のユーザーは、“採石の事で村人と対立が生まれたとして、どれくらいの対立が、この人物にこんなにも理性を失わせて気が狂ったように社会に報復をさせたんだ?それに、あれだけ多くの爆破を、全て容疑者一人でやったのか?”、と書き込んだ。

更にあるユーザーは、“軽々しく事件解決を信じるべきではないよ!とりわけ容疑者が既に亡くなったなんてさ、ひっきょう連続事件だ、公安部は自ら厳しく捜査すべきだ。”と述べた。」(「BBC中文」『中国警察側 柳城爆発事件の容疑者 既に爆発で死亡と発表(中国警方称柳城爆炸案嫌犯已被炸死)』2015年10月2日)


当局は容疑者死亡として、この事件を終わりにしたようです。それにしても、報道規制の敷かれる中、「BBC中文」は、独自の視点で取材をしていて面白いですね。一方、大陸でも、容疑者の家が判明している事もあって、地元の媒体が、翌日には家族を訪問し取材をしています。以下の記事は、「NANZAO.COM」からフェイスブック上へ、転載された物です。


・事件背景

『南華早報 柳城爆破の容疑者の家族を単独取材:採石場のもめ事は彼をこの上なく気落ちさせた(南早专访柳城爆炸疑犯家属:采石场纠纷让他无比沮丧)』
ー韋銀勇のSNS上のページの中に、“ある日俺が狂ったら、俺が一本気だった頃には、お前達に馬鹿のように弄ばれていた事を思い出して欲しい。”と書かれていた。ー

2015年10月2日 晚7:05

広西柳城連続爆破事件は、本日(10月2日)解決し、公式の報道では、警察側は33歳の容疑者韋銀勇が、現場の爆発で死亡したと認定した、と発表した。韋銀勇の家族は《南華早報》に対して、韋銀勇の採石場は、近隣の村民の要求のもと閉鎖を余儀なくされが、彼は政府が解決の方法を出さないために、この上もなく気落ちしていた、と述べた。

韋銀勇の弟羅さんは、“彼は、政府と社会に失望している、と話していました”。と述べた。韋銀勇は母方の姓を名乗っている。

公式の発表では、韋銀勇は、採石場の生産の事で近隣住民・関係の単位と衝突し、今回の事件を起こした。爆発では10人死亡・51人負傷、と報じている。

柳城県の志毫(しごう)採石場は2003年に開業したが、その頃から、韋銀勇は一貫して採石場の経理を担当していた。この採石場は、韋志毫の名から命名された物で、韋志毫は2009年に韋銀勇の岳父(妻の父)となっている。

志毫採石場は2010年に昇格した。羅さんは、当時、韋銀勇と韋志毫は100万元を超す設備を購入したが、この資金は銀行から借りたんだ、と話した。

しかし、新しい電圧アダプターと砕石機を導入したために、総面積が普通のサッカーコートよりも小さい採石場で、更に頻繁に爆発物が使用されるようになった。そのため近隣住民の強烈な反感を買う事となった。

何年も交渉したが結果は出なかった。2013年10月28日、柳城県大埔鎮同境村寨脚屯からの100名を超す憤激した村民が、1キロ未満の採石場に至り、設備を破壊して採石場を閉鎖せざるを得ない情況に追いやった。この採石場は韋銀勇の主要な収入源だった。

羅さんは、韋銀勇は過去に何度も現地の政府部門に対して、問題の解決を要求しており、現地の幹部に10万元の行政費を支払うと、たまさか争いは静まったかに見えたが、しかし事態は最後まで好転しなかった。2014年後半、韋銀勇は寡黙になった、と語った。

羅さんは、韋銀勇は採石場が再開する望みが無い事を知っていたが、しかし、彼はただ政府から解決方法を得られる事だけを期待していた、と。

韋銀勇は、自己の気落ちを全て騰訊(とうじん)のSNS上に記していた。羅さんは、関係のアカウントは確かに韋銀勇の物だと請け合った。

アカウントページの署名の中に、“ある日俺が狂ったら、俺が一本気だった頃には、お前達に馬鹿のように弄ばれていた事を思い出して欲しい。”と書かれていた。

寨脚屯(さいきゃくとん)の村民も、羅さんが採石場が破壊されたと話しているのを承知している。ある村民は、“彼の採石場が破壊されたのには理由があるんだ。”と言う。政府関係者が張り付いているので、この村民は名乗らなかった。

彼は、“窓が爆発の震動で割れたんだ、子供達は爆発音を怖がっている。”と述べた。

村民達は、採石場は韋志毫の土地に建っているんだが、しかし、彼等は先ず村民達の許可を得るべきだった、と述べている。

韋銀勇には、6歳の娘と1歳の息子がいる。彼の父親の羅さんは、爆発の発生する前日火曜日、彼が食事に戻って来たんだ、しかし、特に何も言っていなかった、と語った。“息子は誠実な子供だ、悪い考えは持っていないよ。”

爆発が発生した晩に、韋銀勇の父親と弟が身柄を拘束されたが、木曜の晩に釈放された。その後、金曜に韋銀勇の弟が再び拘束された。韋の妻と父も現在訊問を受けている。

家族は、韋銀勇が爆発事件を計画するとは信じられない、と語っている。羅さんは“俺は告発の事実など信じられない。証拠がまるで足りていない。”、と語った。」(『南華早報 柳城爆破被疑者の家族を単独取材:採石場のもめ事は彼をこの上なく気落ちさせた(南早专访柳城爆炸疑犯家属:采石场纠纷让他无比沮丧)』2015年10月2日 晚7:05)


・多発する爆発事件

広西柳州で起きた連続爆破事件は、当局の発表では、採石工場の経理を担当していた韋銀勇という人物が、個人的な恨みで起こした事件であると発表されました。彼の境遇は気の毒ではありますが、しかし、失業や無一文になる人物は、株バブルが崩壊した現在、中国国内に幾らでもいます。ですから、収入の途絶えた事や爆発物を取り扱っていた事をもって、連続爆破の犯人とするのは、根拠として弱いように思います。

既に述べたように、私はこの連続爆破事件はテロの可能性が高く、上記の韋銀勇という人物が起こした可能性は低いのではないかと考えています。それは、例えば、華字媒体やネット上で囁かれている話題とは別に、次の様な事情があるからです。

8月12日に天津で爆発事件が起きてから、9月30日に広西柳城で連続爆破事件が起きるまでに、大陸で起きた化学工場の爆破・火災事件(事故?)を書き出すと、以下の様になります。事故の起きた場所と時間に留意しながら、読んで頂ければ幸いです。


*8月18日 22時頃
広西省柳州市柳東新区の洛容工業園内の廃棄物処理工場で、突然、巨大な爆発音と共に火災が発生した。火焔は数十メートルの高さにまでのぼった。工場は巨大な爆発音と共に失火した。1時間後、現場は再び爆発音と共に突然、炎が大きくなった。ミニブログ「柳州観察」によれば、火災現場は廃棄物処理工場で、内部には約200バレルの廃溶剤しかなく、爆発が起きるはずはない、19日午前3時10分頃に鎮火した、と。ネット上のユーザーの情報では、爆発したのは塗装工場。死傷者数は不明。


*8月22日 20時40分頃
山東省淄博(しはく)市桓台県果里鎮東付村の潤興化工廠が、爆発炎上した。

Massive Explosion in Shandong China - CHINA SHANDONG EXPLOSION Chemical Warehouse ( RAW VIDEO )


工場のあちこちで火の手が上がり、黒煙が立ち上った。爆発地点から半径5kmは、程度の差はあれ震動を感じた。工場は民家から1kmも離れておらず、多くの民家のガラスが震動で割れた。空中には浮遊物が漂っていた。事件発生後、工場の西門には警戒線が布かれ、門に面した205国道は車両の通行を制限した。9人負傷し、病院に送られ治療を受けている。この工場は研究・生産・販売を行うファインケミカルの製造を行う企業で、年産30万トンのアジポニトリル等を生産していた。


*8月23日
河南省許昌長葛市陶楼村のライターの製造工場で火災が発生した。死傷者の報告は無し。

河南一打火機廠發生爆炸



*8月31日23時22分
山東省東営市利津県の浜源化工有限公司で、爆発が発生し炎上した。巨大な爆発音は10km先まで響いた。付近の建築は、爆風で被害を受けた。午前4時20分に漸く鎮火した。

山???利津?�外口?一化工厂?生爆炸


消防隊の内部通報によれば、8月31日の晩、浜源化工廠の500立方のベンゼンタンクが爆発し炎上した。通報を受けた後、東営消防支隊・山東総隊等75台の消防車が出動し、9月1日4時頃に鎮火した。職員1名死亡、1名重傷、5名行方不明。9月1日、新浪が《山東東営市利津県の爆発事故で既に5名死亡》という文章を発表し、死亡者の人数を報じたが、負傷者と行方不明については触れなかった。奇怪なことに、この文章は9月2日には削除されていた。


*9月7日 午後
浙江省麗水市開発区の南明化工廠で、爆発並びに火災が発生し、現場は黒煙に包まれた。死傷者については不明。蛇足だが、同日午後4時、北京大興地区にあるスターシティーモールで火災が発生し、炎は天まで届く勢いだった。更に、7日午前10時23分頃、S32申嘉湖高速道路の上海から嘉興に向かう途中、ツアーバスが炎上した。直ぐに避難したために、旅行客に怪我人は出なかった。


*9月15日 午前11時30分頃
遼寧省遼陽にある遼寧新興化工廠で、爆発が発生し炎上した。工場の向かいにはペトロチャイナのガソリンスタンドがあった。出火の原因は不明。爆発地点から1kmほど離れた場所に住む住民は、「何度も爆発音を聞いた、その後直ぐに黒煙が上がったんだ。後で、新興化工廠の石油タンクローリーが爆発したと知った。爆発地点の付近には、多くの小さな工場があって、東は遼陽の運営するプラスチック工場、西は建設会社、向かい側の200mほど先にはペトロチャイナのガソリンスタンドがある。幸い誰も怪我をしなかったし、タンクローリーの中にも人はいなかった。」と述べた。遼陽市宏偉区の公式報道によれば、15日午前11時30分頃、遼化医院西側の新興化工廠院内の石油タンクローリーが自然発火した、車内には少量の石油製品が残っていた。12時頃に鎮火した。死傷者無し、と。


*9月18日 早朝5時40分
河南省平頂山中鴻煤化公司で、爆発音と共に強烈なアンモニア臭のする白色の霧が、四方に広がった。



中鴻煤化に最も近い集落は、夏張荘村で村民は四千人を超す。村民は目まいを起こして倒れ、ある者は吐血し、多くの者が中毒症状を現した。家畜も家に残された犬も死んだ。



中共平頂山石龍区宣伝部の公式ミニブログ(微博)「美麗石龍」の発表によれば、6時30分頃、中鴻煤化工廠区のアンモニア合成塔の輸送管が破裂し、約15分間アンモニアが漏洩した。アンモニアの流出量は約300kg。工場側はすぐさま流出を止めることに成功。午前9時20分、平頂山環境監視センターが周囲を計測したところ、空気中からアンモニアを検出する事は出来なかった。この事故では20人が中毒、5人が重症、死者はいなかった、と報じた。



この報道に、現地の住民は怒り心頭。次々にネットに現状を書き込んだ。
騰訊網のユーザーは「くそったれ!11人死んで、52人負傷だ。まさか死者がいないと言うとは、しかも工場は未だに止まってないぞ。」
新浪のユーザーも「爆発したんだ、情況は深刻だ。今のところ中毒で二人亡くなった。100名以上が深刻な状態で、市の病院に運ばれ、その他、1000名程が区の病院で治療を受けている!」
河南省鄭州のユーザーは「みな中毒だ。まだ検出できてないって?みたところ計測機器に問題があるのではなくて、政治に問題があるようだね。」



前出の「美麗石龍」は、夜になって最新情報を発表し、午前10時までに、現場は処理を終えた。指導部組織が緊急に全面的な調査を行った結果、病院で検査を受けている者154人、入院して治療を受けている者41人、うち5人が重症、今のところ生命の危機のあるもの無し。



公式媒体中新網は、現地時間4時に、「平頂山のアンモニア漏洩で215人が病院で検査、5人が重症」と報じた。死者については、昼の12時頃、石龍区宣伝部の責任者が新京報に対して、1名の村民がアンモニア中毒で亡くなった、と述べた。


*9月28日 午前4時頃
山東省済寧市の金威煤電化工分公司で連続して爆発が発生した。火柱があがり、付近には強烈な異臭が漂った。有毒ガスが拡散したと疑った住民は、自主的に大慌てで避難した。中国青年網が済寧市の消防部門から得た情報では、「負傷者は無し」。

ある住民は、夜半に驚いて目を覚ますと、金威化工廠の爆発で、ドアを開けると大騒ぎで、向こう三軒両隣、歩くは走るは、みな逃げ出していた。テレビの画面では、人々はびくびくして、道路は人と車ばかりだった、と述べた。別の住民は、逃亡の様子を次の様に描写した。真夜中に大きな音が三度響いた。人も車も皆逃げ出した。夜が明けると、消防車が走り出して火が消えた。西北に臭気があったが、救急車は来なかったので負傷者は無かったはずだが、人々は恐れ驚き、酷く慌てふためいていた…、と。

その後、中国青年網の記者が済寧市119消防ホットラインに電話をして事実を尋ねた所、電話を取った職員は、事故発生後「死傷者は無し」、但し出火原因と救援情況等の詳細情報は未だ不明、と。

事件の紹介はここまでです。


私は、これらの化学工場の爆発が、全部が全部偶発的な物ではなかったであろうと考えています。それは、爆発が頻繁に起きているという事以外に、幾つかの特徴があるからです。

1、同じ地域で事故が起きる
先ず目を引くのは、同じ地域で起きている事です。例えば、山東省の場合には8月22日、31日の他に、7月16日にも日照市嵐山区にある山東石大科技石化有限公司で四度の爆発が起きています。同様に、今回の連続爆破事件の前にも、広西柳州で、8月18日に巨大な爆発音と共に火災が発生しています。

2、情報が規制されている
大陸の新聞、例えば「人民日報」は、ひところ、日付と曜日以外はデタラメ、と揶揄されていました。どの事件や事故も、たいてい情報は検閲を受けますが、テロのような事件の場合、当局の検閲はより厳しくなります。8月の天津で起きた大爆発や、今回の広西の事件は、非常に厳しく検閲を受けている事件と言えます。中共は、テロではないと発表しましたが、しかし、報道は、テロと同等に扱われている点は、興味深いと思います。

3、夜中に起きている
不思議な事に、人気のない夜中に起きる爆発が多いようです。化学工場の爆発は、8月12日の天津の爆発を始めとして、なぜか夜中に多く起きています。今回の広西柳州市の爆発も、30日午後3時から1日明け方にかけて起きています。


今回の連続爆破事件は、過去に柳州で爆発事件が起きている事や、検閲を強加しネットで話題を削除するような所は、大陸で頻繁に起きる化学工場の爆発や、中共当局がテロ事件を扱う時と似ているように思います。また、公共の施設で不特定多数を狙った所は、2014年4月30日にウルムチ南駅で起きた、刀で無差別に斬りつけ爆薬に点火した事件に似ています。今回の事件は、化学工場で起きたのではないが、化学工場の爆発に似ていて、テロ組織が起こした爆破かどうかは分からないけれども、テロ事件と似ています。

要するに、華字紙の伝えた中国ユーザーの意見、8月に広西柳州で爆発事件が起きている事、中共の今回の事件に対する検閲の強加等を考えると、テロである可能性が高まるのです。

もし、化学工場の幾つかの爆発が、誰かによって故意に起こされているとしたら、単に、会社や社会に損害を与える目的で行われているはずはありません。更に、工場の爆発が、何かを持ち出したり、何かを隠したり、或いは、何かの実験であるとするならば、それに連動して何かが起きるはずです。そうであるならば、何かを起こす人物は、韋銀勇の様な人物である可能性は低く、中共認定のテロ組織を含む、テロにせよ革命にせよ、社会を覆そうとする人物達であり事件であろうと思われるのです。


私は、習近平が行っている反腐敗運動は、始めのうちは、命を狙われ政変を企てられたのですから、当然の事であると思っていました。ただ、8月12日に天津で起きた事件や、今回の広西柳州で起きた事件を考えると、習近平のやり方は、間違っていたと言わざるを得ません。

習近平が先ずやるべきだったのは、報道の自由化、自由な言論空間を保障する事にあったのではないかと思います。弁護士を拘留したり、媒体やネットに検閲を掛けたりせずに、真実を伝えるよう誘導していれば、社会はもっと安定していたのではないかと思います。

それについて、例の化学工場の爆発の話しに戻ります。

一年半で二十数回の爆発(石油閥の腐敗、三)

2015年10月04日 17時31分57秒 | 日記
※※2013年11月22日の記事

青島で大爆発が起きた当日、「BBC中文」と「sina新浪財経」上に、周永康の息子 周浜に関する記事が掲載された。「BBC」が概要、「sina新浪」が詳細な内容を掲載しているが、二つの記事の内容はほぼ同じだ。

先ずは、事件の輪郭を述べた「BBC中文」の記事から紹介したい。

『中国石油の反腐敗 混乱継続 周浜の旧友“逮捕される”』

2013年 11月 22日

「中国媒体の金曜(11月22日)の報道は、現在継続中の、新指導者による中国石油系統に対する腐敗の調査で、前中共高官 周永康の息子周浜が、依然として主役を演じている、としている。

大陸のリベラル派の媒体《財新網》は、周浜の多年にわたるビジネスパートナー米暁東(周浜の大学時代の学友で、主に資金洗浄をしていたと言われている)が、10月1日前後に身柄を拘束された、と称している。《財新網》の報道によれば、今年43歳の米暁東は、周浜の海上と陸上油田のビジネスの世話役で、周浜が実際の司令塔だ。《財新網》のこの報道には、周浜と周永康の関係には触れられていない、僅かに“周浜”の名が用いられ、並びに、“周浜及びその親族が、不名誉な手段で中国石油天然ガス(PetroChina)長慶油田の、二つの高生産採掘区画を獲得し、並びに、転売して高額の収益を得た嫌疑がかけられている”と述べられている。

北京に近い《大公報》も9月16日に、“北京の人、周浜は嘗て北京中旭陽光能源科学技術株式有限公司の理事長に任ぜられていた”と報じており、文章も同様に周永康に言及していない。習近平の就任以来、中国石油(PetroChina)系統に対する調査は、まさに鳴り物入りで行われている。目下、中国政府筋は、既に中国石油の数名の高官を逮捕した。(2013年)9月1日午前11時、公式媒体新華網が、“中央紀律委員会は、国務院国有資産監督管理委員会主任・党委副書記 蒋潔敏(しょうけつびん)の重大な規律違反の嫌疑について、現在、組織的調査を行っている、と宣言した。”蒋は以前、中国石油集団の理事長(2011.04—2013.03)であった、と発表した。

蒋潔敏は、2012年11月、当選して中央委員となり、今年3月、中国石油集団の理事長から、国有資産監督管理委員会主任に抜擢された。彼の失脚から約二週間後、新華社は9月12日に文章を発表し、54歳の天津市燃気集団有限公司理事長 金建平が“深刻な党紀違反により、現在調査を受けている。”と発表した。それより以前の8月26日、元中国石油集団副理事長兼大慶油田理事長 王永春が、深刻な党紀違反により調査を受けている。

・直接 周永康を指す

表面上、新たな反腐敗の嵐は、中国石油の業界独占の汚職行為に向かっている。しかし、多くの媒体の報道は、この一連の行動の真の意図は、調査中の中共前政治局委員・中央政法委書記 周永康にある事を、明らかに示している。10月21日、香港の《南華早報》は、習近平は、既に、周永康の調査の責任を負う特別工作組織を立ち上げた、と報じた。

同日、中国公式媒体中央電視台は、公式英語のツイッターの報道で、習近平は既に専門の調査部門を設立し、周永康に対して調査を行う、と発表した。しかし、このツイッターはすぐに削除され、中央電視台は、その後、ツイッター上で、当該内容は“ハッカー”によって発信されたようだ、と発表した。

中国の政治観察者には、国務院副総理王岐山と密接な関係にある《財新網》も、既に一度ならず周永康の息子周浜の商業行為を報じている、と考えられている。新指導者の中で、王岐山は反腐敗の責任を負っている。今年9月、《財新網》は、二回の報道で周浜の多くの持ち株会社について細かく紹介した。また、これらの報道と同時に、周浜の一部の家族と、その支配下にある“中旭系”のビジネスパートナーを公表した。

英国《フィナンシャル・タイムズ》は10月11日の報道の中で、周永康の前重慶指導者薄煕来に対する弁護は、その政治勢力衰退の原因の一つである、と述べた。周永康の失脚は“中国指導者間の深い分裂と内部闘争を暴露した。”、と報じた。

・イラク貿易

《財新網》の報道では、米暁東は、もとは中国海洋石油総公司の中級指導幹部だった。米暁東の父も、以前、当該公司の副理事長をしていた。彼の逮捕は、先ず中海油湛江(たんこう、広東省の南)分公司の家族寮から伝わった。情報筋によれば、米と周浜は、学部は違うが、同じ大学に通っており、米は以前、友人に対して、周とは親友で“二段ベッドの上と下”の関係だと話した、と報じた。

《財新網》の報道では、米は2005年に中海油を離れ、2006年以後、北京で周浜と共同で、商売を始めた。四年後、周・米の二人は、試しに国産の石油掘削クリスマスツリーを、イラクの国営石油会社Missan Oil Companyに売り込もうとした。しかし、当時のイラク側は、中国からの設備を決して受け入れなかったので、 米暁東の設備は、最終的に米国を通して、イラクに転売され、仲介手数料を手に入れる事ができた、と述べた。

これだけではない、米暁東と関係のある会社も、周浜と関係があった。《財新網》の調査によって、米暁東は以前、2007年の始め、株式の陝西省秋海汲清石油科学技術有限公司を設立し、並びに代表法人となった。ほどなく、この会社は北京に事務所を設立したが、住所は周浜の別の会社である中旭陽光能源と同じである事が、明らかになった。

工商登記の資料では、この事務所の建物の持ち主は周浜の岳母敏利(せんびんり)だった。は、嘗て中旭陽光の大株主であり現在は監事に任ぜられている。」(「BBC中文」『中国石油の反腐敗 混乱継続 周浜の旧友“逮捕される”(中国石油反腐风暴持续 周滨旧友“被带走”』2013年11月22日)


周浜及びその岳父一家が、中石油系統で行った腐敗行為を綴った記事は、2013年9月25日に「財新網」に始めて掲載されたが、程なく削除された。その後、11月22日、「財新網」によって再び投稿された。以下は、その内容を転載した「sina新浪財経」の記事だ。米暁東をはじめ、関係者の大部分は既に身柄を拘束されており、言うまでもなく彼等の背後には周浜・周永康が控えている。この記事は、要するに周永康事件を白日の下に曝すために書かれた記事だと言える。

周浜の家族関係は、次の通り。

父:周永康、母:王淑華(周永康の前妻、周永康によって殺されたと言われている)、継母:賈暁、妻:黄婉、岳母:敏利、岳父:黄渝生。

周浜の妻黄婉の父黄渝生は、北京中旭陽光能源科技株式有限公司の会長等の職に就いていたが、2013年、中石油の腐敗事件で注目を集める事となった。黄渝生の家族で注目すべきは、渝生の父黄汲清(1904年3月30日~1995年3月22日)、字は徳淦(とくかん)だ。彼は中国の地質学者で、1955年、中国科学院学部委員、地質部石油局総工程師に任ぜられ、新中国黎明期の中国石油天然ガス調査事業に、多大な影響を与えた。記事には、汲清・徳淦の名を冠した企業が出てくるが、恐らくは、周浜に関係のある企業であると思われる。


以下は「sina新浪財経」

『ペトロチャイナの腐敗案件進展:
周斌(浜)に替わり油田を管理していた米暁東に調査の手』

2013年11月22日18:23漢網

「今年8月末、中国石油(PetroChina)の腐敗に捜査の網が打たれて以降、既に、静かに、捜査は全ての石油系統、及び、海外の油田設備の購入方面にまで広がっている。多くの事情通は財新の記者に対して、元中国海洋石油総公司(以下、中海油)の幹部 米暁東が、“十月一日”の国慶節前後に身柄を拘束された、と証言した。

財新網が嘗て報道した、中旭系の支配者呉兵とは違い、事情通の話しでは、43歳の米暁東は、主に周浜の中海油と陸上油田の取り引きを管理する責任者であると見られていたが、周浜こそが影の支配者だった。財新網が、以前、中石油の腐敗案件に関するシリーズ報道で明らかにしたように、1972年1月生まれの周浜は、北京中旭陽光能源科学技術株式有限公司(以下、中旭陽光能源)の大株主であり前理事長だ。

財新の記者の調査によって、更に周浜及びその親族が、不名誉な手段で中石油長慶油田の二つの高生産採掘区画を取得し、並びに、転売して高額の収益を獲得した事が明らかになった。


・イラクのクリスマスツリー

米暁東逮捕の知らせは、先ず中海油湛江分公司(以下、俗称の南海西部公司)の家族寮から伝わり、10月下旬までに、財新の記者は、北京の消息筋及び米暁東が奉職していた中海油深玔分公司(以下、俗称の南海東部公司と称す)の事情通から、それぞれ確証を得た。

中海油南海西部公司は、主に東経113度10分以西の、中国南海海域の石油天然ガスの調査・開発及び生産の任務を担当しており、本社は湛江(たんこう、広東省の南)にある。経度線以東は中海油南東部公司の責任で、本社は深玔(しんせん)にある。

1970年5月生まれの米暁東は、中海石油で働く者の子供だ。その父は嘗て、新疆の中石油の油田で仕事をしていたが、中海油が成立した後に、南海西部公司に移動して副理事長となった。既に退職して久しいが、威厳があり信頼の置ける人物だった。米暁東は湛江の南海西部公司の家族寮で育った。

事情通によれば、米暁東は、西南石油大学を卒業後、中海油南海東部公司で仕事をし、有能で・英語の口語が上手く、石油生産と調査業務に通じていた。2005年前後に南海東部公司を離れる時には、米は正科級幹部で、その後、深玔の外資系石油会社に短期間勤め、2006年前後に、北京で周浜と商売を始めた。

米暁東が南海東部公司に職を得ていた頃の、ある指導者が明かした所によれば、米は以前彼に対して、自分と周浜とは、大学時代同じ寮の二段ベッドの上と下だった、と告げたと言う。周浜の学友が財新の記者に語った所では、周浜が西南大学で学んだのは科技英語専科で、米暁東は貯蔵運輸系だった。彼は、二人は大学で知り合ったと請け合った。もっとも、財新の記者が、西南石油大学の同窓会名簿を検索したところ、当該校には三名の米暁東という卒業生がおり、それぞれコンピューターアプリケーション・探査測定と貯蔵学科だった。

多くの信頼性の高い情報が、財新の記者に示しているのは、2010・2011年に、米暁東の具体的な処理のもと、周浜を仲介業者として、幾つかの国産のクリスマスツリー設備を、イラクのMissan石油傘下の油田で、実際に作業を請け負っている中国側の会社に、売り込もうとしていた事だ。クリスマスツリーは、石油井・天然ガス井の最上部に取り付けられ、主に流量を調整するための設備で、ケーシングヘッド・チュービングヘッド・採油(ガス)本体の三部分から成り、形がクリスマスツリーに似ている所からこの名がある。ミッサン石油会社(Missan Oil Company)はイラクの国営石油会社で、中石油は2008年11月・2009年6月及び2010年1月に、前後してアフダブ油田・ルメイラ油田・ハルファヤ油田の技術サービス契約(Technical Service Contract,TSC)を獲得したが、その中のハルファヤ油田はミッサン石油が所有していた。2010年5月、中海油もイラク東南部のミッサン油田群のTSCを獲得した。

イラク戦争後の復興で、この種の石油採掘のTSC技術サービス契約の形が登場した。以前の生産量の分配方法とは違って、原油の採掘コストを除いた後、バレルを単位として、業者に対して生産量を高めた分のサービス報酬を支払う。ハルファヤ油田の場合を例に取れば、中石油・トタル・マレーシヤ石油とイラク南方石油公司によって結成された入札コンソーシアムは、1バレル1.40ドルのサービス料しか得る事ができない(イラク側は採掘後の石油でこの費用を支払う)。しかし、運営公司は、中石油の現地のプロジェクト公司が契約を執行中、油田の開発・生産の工事建設・技術サービス・油田の設備等、凡そあらゆる関連の入札と購入を主導する事ができ、これらの建設施工・技術サービスと設備購入の費用は、すべて中石油側が先ず立て替えた後、再び事業主によって石油で返済される(業界では“リサイクル油”と言われている)。

事情通の話しでは、イラクは経験上、原産国中国の坑口設備(高圧部分)は受け付けないので、米暁東が操作するこのクリスマスツリーの設備は、中国から米国を迂回して、始めてイラクに入っている。“イラク側の監査を回避するために、部分的に、甚だしい場合にはボーリングの請負業者に依頼して、代わりに購入してもらうんだ。”しかし、イラク側の監視の下で、この設備は実際に現場で使用される事はなく、ひっそりと消えるしかなかった、と述べた。

財新記者によれば、この国産クリスマスツリーに対するメーカーの見解は、組み合わせた装置がそれぞれ違っているために、クリスマスツリーの見積もりは2万~10万米ドルとばらばら、と言う事だった。

“米暁東及び周浜の会社は、クリスマスツリー機器メーカーの株主ではなく、彼等は単に各メーカーから設備を購入し、関係を利用して販売を手伝い仲介料を稼いでいただけなんだ。”ある石油業界に詳しい人物が述べた。


・秋海汲清の株主達

2007年1月、米暁東は中石油長慶油田本社のある西安で、陝西秋海汲清石油科技有限公司(以下、秋海汲清)を資本を投じて設立し、法人代表となった。工商登記資料によれば、当該公司は主に石油技術と開発・転売及びコンサルティング、石油機材の開発・製造及び販売、機械製品・計測機器・コンピューターソフトウェアとハードウェアの販売と石油機械の工事を行っている。資本金は500万元、そのうち米暁東が50万を出資し10%の株を所有し、北京の人陳剛が450万を出資し、90%の株を所有している。 

秋海汲清は、2007年9月に北京に事務所を設立し、二年も経たずに登記を取り消した。事務所は、北京朝陽区の望京新城に位置する方恒国際弁公楼にあり、周浜の中旭陽光能源と同じ所在地にある。工商登記資料には、秋海汲清の北京事務所の物件の持ち主は敏利(せんびんり)、と示されている。まさに財新網に掲載された《ラグナビーチの黄家(拉古娜海滩的黄家)》の中で公表されたように、敏利は周浜の岳母(妻の母)であり、以前は中旭陽光能源の大株主であり、現在は監事である。2007年、当該住所の不動産は、米暁東によって委託された代理人が、敏利に替わって購入し、115.5万元の代金は一括で支払われた。

秋海汲清公司が成立して9ヶ月後に、一度、資本金の増資があり、米暁東と陳剛がそれぞれ100万元と900万元を増資した。2009年5月、陳剛が抜けるにあたり、その持ち株分を長春の人 張効達と北京海澱(かいでん)区に戸籍のある王源源に譲り渡し、二人がそれぞれ100万と800万元の株を所有し、同時に株主総会は、会社の住所を、西安の中登徳勝洋楼公司の所有する200平米の建物に変更した。王源源は、工商の登記資料に書き込まれた身分証の番号から、彼女は1981年9月生まれであり、米暁東よりも11歳若い事は明らかであるが、しかし、その身分証は公安系統の資料からは探し出す事は出来なかった。

2010年4月、米暁東も秋海汲清の株主の名簿からはずれて、100万元の持ち株は王源源に譲り渡され、企業法人も高忠輝に変更された。2012年6月26日、王源源の900万元の持ち株は王楽天に譲り渡され、秋海汲清の株主も王楽天と張効達に変わった。

記者が工商部門で調べた企業の登記変更の監査表には、2009年から2012年までに起きた、何度かの持ち株の変更は、ひとしく登記資本金の原価に基づき、通貨で譲り渡されている事が示されている。しかし、秋海汲清の2009年~2011年度の年次検査情報では、この三年間の会社の利潤はそれぞれ35.44万元・8315.12万元と1.45億元に上っており、年末の資産総額は、それぞれ1012.32万元・9319.10万元と2.39億元であり、負債は毎年数十万元程度だった。高額の利潤とは対照的に、2009~2011年度の秋海汲清の営業収入は少なく、それぞれたったの83.21万元・148.91万元と478.38万元だった。もし、年次検査報告書の記入が真実ならば、この会社は実際の業務の無い“お財布”会社と言える。

財新の記者が11月8日、秋海汲清の西安弁公室に連絡を取った所、相手は、当社は主に受付業務に従事する会社で、石油開発は行ってはいません、社長の王楽天と張効達は滅多にここへは来ません、と述べた。

財新の記者が入手した盛京銀行の最高額のプレッジ契約(Pledge Contract)には、2012年5月22日に、王源源と張効達が、各自の900万元と100万元の秋海汲清の持ち株を形として、盛京銀行長春分行に誓約書を差し出し、王源源がこの年の6月に持ち株を王楽天に譲り渡した後も、王楽天は引き続き株を誓約とした事が示されている。2013年1月28日、陝西省工商局に登記されている持ち株を担保とした誓約書契約に関する文件には、王楽天と張効達が秋海汲清の持ち株(合計評価額1000万元)を誓約として、担保するところの主たる債権は、盛京銀行長春分行が2012年5月22日に発行した最高額5億元以下の三年間の包括的な信用(ローン・手形割引・信用状・保証状・銀行引き受け手形等を含む)で、債務者は吉林華海能源グループ有限公司(以下、華海能源)、と示されている。

盛京銀行とはもとの瀋陽市商業銀行で、その年次報告書には、華海能源グループは盛京銀行の第六位に並ぶ大株主で、全体の5.41%、2億株を所有している、と示されている。

秋海汲清の目下の大株主王楽天は、また華海能源の創始者でもある。1954年1月に生まれ、1980年代に北京の中央国家機関に職を得、その後、北京を離れ民間で商売を始め、東北地区のエネルギー(中国語の「能」はエネルギー、「能源」はエネルギー源)の投機家・隠れ富豪、“中国の個人油田の第一人者”とうたわれている。王楽天は1995年に、吉林華海能源開発有限公司と言う名の、エネルギー源の会社を設立し、1999年、登録資本金3億元の、吉林華海能源集団有限公司を創立した。華海能源の下には8社の完全、或いは、持ち株会社があり、吉林石油天然ガス開発有限責任公司(以下、吉林石油)・中亜石油有限公司(以下、中亜石油)・吉林省華海石油化工技術有限公司・吉林天卓石油開発有限公司が含まれている。この他、更に陝西と海外に大規模な計画があり、並びに、北京中恒盛証券報業発展有限公司、及び、北京国信大教育発展有限公司の株に投資している。

吉林石油は、1996年に中石油吉林油田と華海能源が、50:50で成立させた合資会社で、その油田の採掘区画には、吉林省乾南油田・民北油田及び英台油田が含まれている。開発面積は80余平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は2.3億バレルだ。

中石油は1997年6月に成立し、香港と北京で均しく登記し、もとは中匯(ちゅうかい)石油有限公司と称した。財政部・国家税務局の1999年の《1999年中国石油天然ガス集団公司の海洋と陸上の特定地区を調査・開発する石油(天然ガス)プロジェクトの認定に関する通知》(财税字(1999)63号)文件によれば、1997年12月、中匯石油と中石油とは、松遼盆地の吉林民47・吉林民114・吉林乾130の三区画での石油開発と生産の契約を結んだ。三区画の合計開発面積は188.6平方キロメートルに達し、契約期間は均しく30年とする、と書かれている。

2001年、中亜石油は他にも中石油の主な油田の大慶油田に参入し、吉林油田よりも更に大きな開発権を獲得した。この年の12月7日、中亜石油は中国石油天然ガスグループ公司と《大慶肇州(ちょうしゅう、黒竜江省大慶市にある県)油田の州十三(三から六区画)区画の石油開発と生産の契約》を結び、12月28日には、カナダの泛華能源有限公司が1996年8月に中石油と結んだ《大慶肇州油田の州十三(一から二区画)の開発と石油生産の契約》の契約権益を買い上げ、大慶肇州の州十三油田の完全な開発権と生産権を手に入れた。その開発面積は108平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は3.11億バレル。この他、中亜石油は2005年に大慶肇413油田(面積60平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は1.79億バレル)の開発権を獲得し、現在も所有している。目下、中亜石油の取締役は王楽天・王楽濤で、主な株主は英領バージン諸島で登記しているSino Time Development Limitedだ。

ある情報によれば、王楽天は中亜石油に打ち込むために、大慶油田の区画(対外的には中亜油田)を転戦し、既に十年前に吉林油田の区画(対外的には華海油田)を億陽集団に売却した。買い上げの時、華海油田は職員2100人、油井・注水井300以上を擁し、商品としての原油の年間生産量は50万トンの企業に成長しており、しかも、当時は吉林全省の油田の年間生産量は750万トンに過ぎないにもかかわらずだ、と。

しかし、億陽集団有限公司会長偉は財新の記者に対して、油田を引き受けたという話しを否定した。“私は王楽天とは8年前に面識を得た程度だ。”彼は、“ しかし、我々は王楽天の吉林の華海油田を買ってはいない。”と述べた。

中亜油田の生産量に関して、自ら中亜職員と称するネチズンが提供した数字によれば、2010年までに、中亜石油の油井・注水井は合計550、年間生産量は100万トン級を越える、と。しかし、ある媒体の2006年の報道は、開発面積が僅か108平方キロメートルの大慶肇州の州十三油田は、当時の原油の生産能力は40万トンだ、と称している。

王楽天の、華海能源旗下の各石油公司と中石油とで取り交わされた契約書を手に入れていないので、契約の詳細を知る方法はない。しかし、この前ある媒体は、中匯石油と吉林油田の協力方式について、前者は採掘への投資、後者は布井と設計・開発に責任を負う計画で、産出する石油は、中石油により市場価格にしたがって統一して購入され、収入の分配は吉林油田が2割、中匯石油が8割を取り、投資費用の回収後、中石油方面と民営企業が四分六、或いは、五分五分で分ける、と称している。

王楽天は、更に百貨店を経営している。1997年、彼は香港卓展百貨集団を立ち上げ、1999年、長春卓展タイムズスクエア開業、現在に至るまで長春市の最高級・最先端の百貨店で、この後、相次いで瀋陽・ハルピンで開業した。2010年年末、王楽天の香港卓展は、建築面積28万平方メートルの、北京五棵松商圏に位置する大型プロジェクト華煕楽茂ショッピングセンターをも買い上げた。もっとも、東北のビジネス界は卓展を“王楽天の最小の企業”と称している。2011年、卓展は香港での上場を目指してプライベートエクイティとして3億~4億米ドルを集めたが、未だ果たしてはいない。2008年、王楽天は石油部門への単独上場を目指したが、未だ実現していない。

中亜石油の北京事務所は、東四十条の南新倉商務大厦(大厦(だいか)ビルディングの意)A座17階にあるが、同様に王楽天が法人代表となっている北京中匯(ちゅうかい)投資管理有限公司(資本金3000万元)の登記上の住所も同じ場所であり、やはり法人代表となっている別の投資会社“北京天天興業投資有限公司”(資本金4億元)の登記上の住所も、隣の部屋になっている。

中亜の事務所は広く、部屋の前後には、中亜石油有限公司と香港卓展集団の字句が書かれている。この幾つかの王楽天の公司と同じ階に、大慶油田工程有限公司北京公司がある。


・転売で巨額の富を得た陝北油田

しかし、これは王楽天の石油版図の全てではない、一社、登記簿資本1000万元の秋海汲清公司の転売は、米暁東・周浜と王楽天の“商業協力”の全てではない。

財新の記者は、秋海汲清の西安未央区(びおうく)にある事務所の住所をもとに、更に登記簿上、同じ住所の石油公司ーー陝西徳淦(とくかん)石油科技有限公司(以下、徳淦石油)を見つけ出した。王源源が法人代表を務める吉林天卓石油開発有限公司(以下、吉林天卓)は、徳淦石油の唯一の株主で、張効達が徳淦石油の法人代表・業務執行取締役兼会長だ。王源源と張効達は、2009~2010年に、米暁東の掌中から秋海汲清を譲り受けた者達だ。2007年10月に成立した吉林天卓の二つの機関投資家は、共に王楽天の掌中の企業であるーー北京天天興業投資有限公司と吉林華海能源集団有限公司だ。

徳淦石油が、ネット上に公開している多くの求人広告には、徳淦石油の下部組織の二つの計画が示されている。それは、長慶油田との協力開発の長海プロジェクトと長印プロジェクトだ。2010年年末に公表された求人広告には、長海プロジェクト部門の総投資額は2.76億元・長印プロジェクト部門の総投資額は2.90億元で、2010年7月までに、会社の従業員は200名以上で、一日の原油生産量は300トン以上。その中で長海プロジェクト部門の職員が180名以上、一日の原油生産量は150トン以上。長印プロジェクト部門の職員が30名以上で、一日の原油生産量が180トン以上、と書かれている。2010年7月の国際的な原油の平均価格が75米ドル/バレルなので、それに基づいて計算すると、この二つの区画で、一日の生産額は111.35万人民元に達し、年間の総売上は4億元を超えている。

しかも、2013年11月1日の最近公表された求人広告になると、徳淦石油の職員は増員されて800余人になっており、年間総売上は13億元を超えている。

2011年の徳淦石油の年次検査報告書は、会社の年間の営業収入は僅か331.7万元なのにもかかわらず、年間の利潤総額は1.09億元で、年末の資産総額は12.37億元、と明かしている。

求人広告には、地質調査・油田の採掘工事と生産管理の作業地点は、陝北楡林市定辺県・延安市呉起県と寧夏回族自治区の塩池県に分布している、と書かれている。呉起の現地の中石油職員は財新の記者に対して、長印プロジェクト中の印子台「対外協力区画」は、長慶油田第三石油生産プラントに属しており、長海プロジェクトの区画は塩池県にあり、長慶油田第五石油生産プラントに属している、と紹介した。

同様に、吉林華海能源集団公司の2012年キャンパスの入学案内から見ると、その採油工事・石油地質、及び企業管理系のその年の卒業生の就職先は、北京・長春(吉林)・大慶(黒竜江)・松原(吉林)及び西安(陝西)と書かれている。松原は中石油吉林油田本社の所在地、西安は中石油第二大油田長慶油田本社の所在地だ。徳淦石油と秋海雄清公司の事務所のある中登大厦と、長慶油田本部の長慶大厦は、それぞれ西安市北郊大通りである未央路を挟んで両側に建っている。

8月26日、もと中石油集団副支配人兼大慶油田総支配人 王永春が、深刻な紀律違反を犯した疑いで調査を受けた。

王永春は1983年~2004年まで、一貫して吉林油田で働き、また、中石油吉林油田支店の総支配人・党委書記を務めた。

8月27日、もと中国石油天然ガス株式有限公司副総裁 兼 長慶油田分公司総支配人 冉新権(ぜんしんけん)、中国石油天然ガス株式有限公司 総地質師王道富、及び、中国石油天然ガス集団公司副支配人 李華林等三人が、同じく深刻な紀律違反を犯した疑いにより紀律委部門の調査を受けた。この中で、王道富は1982年~2008年まで、一貫して長慶油田で仕事をしており、2003年1月~2008年2月まで、長慶油田支店の総支配人をしていたが、これは冉新権の前任に当たる。

王楽天旗下の華海能源・中亜石油・徳淦石油が中石油(Petro China)旗下の吉林油田・大慶油田と長慶油田で開発された事には怒りを覚える。

もし、1997年~2001年を例に挙げるなら、吉林油田と大慶油田の対外請け負いの“低品位”区画は、国際原油価格の低迷(25米ドル前後/バレル)の背景の下、大量生産が行われている、しかし、2006年以降は、国際原油価格は猛然と上昇し、2007年の初めには60米ドル/バレルだった物が、年末には既に100ドル/バレルに届く勢いで、採掘のコストを遥かに超えている。王楽天は、更に長慶油田の区画を手に入れているので、確かに鬼に金棒だったはずだ。

しかし、仕掛けは実はこの上なく簡単だ。この、中石油長慶油田の二つの優良区画の採掘権を擁する徳淦石油は、同様に、王楽天が周浜等の掌中から買い取った企業だ。

財新の記者が調査した工商登記資料には、2007年12月、北京海天永豊石油販売有限公司(以下、海天永豊)が500万元出資して、全額出資で徳淦石油を立ち上げており、主な営業範囲は秋海汲清と同じである事が、明示されている。海天永豊の株主は、正に周浜の岳母の敏利と徐祥玲で、二人はそれぞれ350万元と150万元を出資している。2005年に商務部が一部の企業に承認した石油製品卸売り経営資格について、取得した企業の中には海天永豊も含まれている。

しかし、成立から半年も経たないうちに、海天永豊は、2008年5月、徳淦石油を王楽天の吉林天卓に譲り渡し、2009年2月、海天永豊も北京の登録を取り消した。

徳淦石油と中石油が契約した《区画の開発と石油生産の契約》の詳細な内容を知る方法がないので、周浜及びその親族が獲得した長海と長印のプロジェクトの開発権の価格・開発の年限・成分比例等の具体的な細かな内容は知る術はなく、今のところ王楽天が引き継ぎに支払った対価を、確実に知る事もできない。しかし、北京のある王楽天と職務上の接触をもった業界人士が、財新の記者に明かした所によれば、2008年前後、王楽天が彼に、長慶の陝北プロジェクトに参入したのは、李華林の手づるで米暁東・周浜と知り合い、“周浜等は転売で5億を稼いだんだ”と語った。彼はまた、王楽天は1990年代に、当時はまだ吉林油田にいた王永春と昵懇になったと明かした。

“彼等は一つだ。”、とこの人物は言う。

他にも石油業界に詳しい人物が、以前、財新の記者に対して、中石油の指導者を調査するための重要な手がかりは、長慶油田の対外協力開発の問題で、“蒋潔敏が2006年11月に、グループの総支配人となって後、長慶油田の二つの‘大きな隔たりのある’区画の‘交換’をして、関係者に与えて対外協力をした。当時、関係の副支配人も署名したが、しかし、署名は蒋支配人の指示に従って行ったのだ”、と指摘した。」(来源:财新網)(「sina新浪財経」『ペトロチャイナの腐敗案件進展:周斌(浜)に替わり油田を管理していた米暁東に調査の手(中石油窝案发酵:替周斌打理油田的米晓东被查)』2013年11月22日18:23)

記事はここまでです。もう少し続きます。

広西930連続爆破事件(続報)

2015年10月03日 13時21分07秒 | 日記
現地ではテロ事件ではないと発表されたようです。しかし、小包が18箇所で爆発し、爆発の規模はビルが半壊するような大きさ。更に、他に疑わしい小包が60個以上発見され、その火薬の量や爆破装置の製造等々を考えると、組織的である事は疑いありません。中国では、「警察はテロの可能性を排除したが、ではどんなだったらテロの襲撃になるんだ?」という意見もあるようです。

以下の記事は「博訊新聞網」の「世界日報」からの転載で、文中にはテロ事件であると肯定する意見と否定する意見を載せています。先ずは、ご覧下さい。

『製造は相当精密 広西の爆発はまたも新疆独立派のしわざなのか?
         (制作相当精密 广西爆炸又是疆独干的?)』

博訊北京時間2015年10月02日 転載


中国の近年の爆発攻撃事案例

2014.09.21 新疆中部輪台県連続爆破事件  少なくとも10人死亡、50人負傷

2014.04.30 ウルムチ列車南駅で暴徒が刀で殺傷 3人死亡、79人負傷
       同時に爆薬に点火

2014.05.22 二台のSUV車がウルムチの朝市に突っ込む 31人死亡、94人負傷
       並びに爆薬に点火

2013.06.08 福建アモイのある男性が     48人死亡、33人負傷
       走行中のバスの車内で放火     

2009.06.05 四川省成都でバスが爆発     28人死亡、76人負傷

「広西柳州市柳城県で、30日午後3時から1日明け方にかけて、連続して少なくとも18回の爆発が発生した。現地公安局の通報によれば、爆発は、多くを速達小包の中に入れた爆破装置によって引き起こされ、初動捜査で刑事事案と判断された、と指摘している。しかし、本部が香港にある中国人権民運情報センター(中国人权民运信息中心)は事情通の話しを引用して、当局は事実上、爆発事件は新疆独立派によって起こされた事を是認し、目下、全中国の各都市は緊張した空気に包まれ、武装警察は集結し待機している、と述べた。

センターが引用した事情通は、今回爆発した爆弾は精密に製作されており、恐らく10名以上の組織が製造したのだ、と述べた。話しによれば、一部の爆発は前もって放置された爆弾の点火によるもので、恐らく時限爆弾だ、そのため、千名を超す武装警察官が、現地で疑わしい物品の捜索に当たっている、と。

いったい、何物が今回の連続爆破事件を起こしたのかについては、諸説紛々。 中国人権民運情報センターは事情通の話を引用して、中国の反テロ専門家は則ち、もし少数民族に関係しており、彼等がかくも大量の爆薬を取得しているのであれば、必ず更に大規模な襲撃事件を起こすにちがいないと考えている、と述べた。

中国現代国際関係研究院 反テロ研究センター主任 李偉は香港の媒体に対して、今回の連続爆破は明らかに計画的であり、且つ被疑者は十数地点に爆発物を放置し、この様な破壊行為を行った、使用された爆薬の分量は少なくはないと信じている、と指摘した。被疑者の背後の動機は未だ分かってはいないが、しかし、彼は被疑者は必ず地元の人物で、テロ分子ではない、と考えている。彼は、事件を起こした人物は、恐らく仕事・生活・社会・政府に対して不満を抱いており、この様な手段で社会に報復したのだ、と考えている。

李偉は、犯罪行為の特徴と手法から考えて、これは典型的な社会或いは政府に対する不満の現れで、“新疆独立派”或いは東トルキスタンテロ組織とは大きな違いがあり、国外でテロの訓練を受けて襲撃するために戻ったものでもない、と述べた。“新疆独立派”或いは東トルキスタンが襲撃するのであれば、更にセンセーションを巻き起こす効果を求め、彼等は人口の更に密集し・更に集中する地方を選んで事件を起こし、更にたくさんの死傷者が出るよう努めたはずだ、柳城のこの様な人里離れた辺鄙な郷鎮などではない。

次に、公安が今回は小包爆弾が連続爆発を引き起こしたと指摘したとはいえ、しかし、ネット上の画像と死傷者の人数から考えて、これらの小包は郵便局から送られた物とは考えにくく、放置された物のようだ、例えば、大通り或いはマーケット・病院に放置して、その後、タイマー或いはリモコンで爆発させた。現在、小包を郵送するには、通常やや厳しい検査を通過する必要がある、かりに郵送での襲撃を考えたとしても可能性は低い、しかも、爆発は街角で発生しており、死者数も多くはない、故に必ずある場所に放置して爆発させたのだ。

この他、過去の“新疆独立派”の襲撃の手法から考えると、もし、これだけ多くの爆薬を使うのであれば、10数個の爆弾小包に分けるとは考えにくく、彼等は必ず一箇所に集中させて、更に多くの死者を出して、更に人目を引こうとするだろう。柳城のあの爆発で半壊したビルについても、恐らく五キロの黄色爆薬を使えば実行できるだろうし、自作の爆弾でも可能だ。

もっとも、広西爆弾攻撃事件に対して、台湾刑事局防爆大隊のあるベテラン警察官は、香港の媒体に対して、同時に17個の爆弾を爆発させようとするのは、間違いなく計画性のテロ攻撃だ、通常二種類以内だ、一つは時間を設定する時限爆弾、もう一つは則ちリモコンで起爆させる、さもなくば、同一の時間に各地で同時に爆発を起こす事は難しい、と明かした。」(「博訊新聞網」『製造は相当精密 広西の爆発はまた新疆独立派のしわざか?(制作相当精密 广西爆炸又是疆独干的?)』博訊北京時間2015年10月02日 来源:世界日报)

上記の記事は、始め「蘋果日報」に掲載されたものの、直ぐに削除され、「世界日報」に転載された物です。

テロであるか否かに関わらず(私はテロ事件であると思っています)、国慶節の前日と当日に、大量の爆薬を所持し・爆発物を製造し・同時に少なくとも17個の爆発物を爆発させる技術を持っており・病院やマーケットや政府機関に自作の爆弾を仕掛ける人物がいる、或いは、いたという事で間違いなさそうです。

この様な事件が起きると、現地の日本人が巻き込まれやしないかと心配になります。実は、テロか否かよりも、そちらの方が重要で、だからこそ、テロが発生したと考えておいた方がよいのではないかと思っています。

更に、現在、国慶節のお休みで、大勢の中国からの旅行客が日本に来ています。その中には、日本の不動産を求める人物も多いと思いますが、本国がこの様な状況なので、何事か起きたときの避難のための投資でなければよいが、と思っています。

次回こそ、連続爆破事件に戻ります。

広西930連続爆破事件(速報)

2015年10月01日 01時24分08秒 | 日記
今日発生した爆発多発事件についての報道です。今のところ死者7名・負傷者51名ですが、この事件は、明らかに反社会的人物が公共の建物を狙って起こした連続爆破事件です。犯人が特定されたようですが、連続爆破テロ事件が発生した点が重要です。

「BBC中文」の報道から、

『広西柳城県で連続して17回の爆発が発生した(广西柳城县连续发生17起爆炸)』

2015年9月30日



「中国広西柳城県及びその周辺で水曜(9月30日)連続して17回の爆発が発生し、少なくとも7人が死亡し、2人と連絡が取れず、51人が負傷するに至った。

柳州現地の警察側が、たった今行った爆発事件に関する記者会見の席上、上述の死亡者数を発表した。

その他、柳城県公安局人民委員蔡天来(さいてんらい)は記者会見の席上で更に、今のところ警察は60数個の疑わしい小包を発見した。すべて住民の通報による発見だ。目下、警備員を送って見張らせており、専門の爆発物処理班を待って解除を行う、と明かした。

この記事の前に「BBC中文網」が得た柳州公安の情況説明では、爆発が発生した地点は、貿易ショッピングパーク・刑務所・柳城県大埔鎮政府・スーパーマーケット・停留場・病院・畜産局のホステル・生鮮食品のマーケット・疾病予防コントロールセンター等の地が含まれていた、と発表した。

柳城警察側の公式ミニブログ(微博)“柳城公安”は更に、既に初動捜査で犯人と覚しき人物韋(い)某某を確定した、と発表した。

新華社の報道では、この容疑者は男性で、今年33歳、柳城県城大埔鎮の人物、と。

これより前、柳州市公安局長 周長青は中央電視台に対して、初動捜査で刑事事件と判断したが、しかし、犯人の動機は今のところ調査中、と述べた。

更に、現地の《南国早報》は則ち、水曜(30日)午後17:14分、柳城県安全監督局は民衆に対して緊急の多くのメールを配信した事を明らかにした。

その通知には:“我が県で小包の疑いのある爆発が多発しました、皆さん最近送られて来た小包は決して開けないで下さい、と。

官方新華社は更に、広西柳州市公安部門は、9月30日に柳州市区で爆発事件が発生したもよう、爆発の発生した地点は一箇所ではないと発表した、と報じている。

柳州市は広西チワン族自治区の中北部に位置し、またの名を“龍城”。広西最大の工業都市であるとともに、歴史と文化を誇る都市でもある。この都市ができてから既に二千百余年の歴史がある。

柳城県は柳州市と40キロ以上離れており、その中の県城大埔鎮城区の総人口は4万人以上である。

#広西柳城県爆発多発事件#9月30日午後16:20分頃、広西柳城県で爆発多発事件が発生し、目下の所、柳城県で連続して七回の爆発事件が発生しました、誰かが小包の爆発事件と推測しています、みなさん、速達小包が届いても絶対に開けちゃだめだよ!



(「BBC中文」『広西柳城県で連続して17回の爆発が発生した(广西柳城县连续发生17起爆炸)』2015年9月30日)

广西柳城????生多起爆炸 已造成3人死亡,13人不同程度受?