世間では、「脱原発」運動が盛んです。
9月の19日には、
脱原発を訴える「さようなら原発集会」が、
東京・明治公園で開かれ、
ノーベル賞作家の大江健三郎氏らが参加しました。
また、野田首相の、
国連原子力安全首脳会合で行った演説について、
脱原発には触れず、
「原子力の安全性を世界最高水準に高める」と、
新興国や途上国への原発輸出の継続を強調した事について、
菅直人前首相が掲げた脱原発の方針に比べ、
後退したとして非難を受けています。
「脱原発」でも「原発推進」でもよいのですが、
その議論をする前に、
私は、この論の出自が気になります。
つまり、
「脱原発」の議論が、
昔からあったとしても、
この半年に限って言えば、
菅直人氏の発言から端を発したわけですが、
いったい、
菅直人氏が「脱原発」を、
言える立場なのか、
何故「脱原発」を言い出したのか、
と言う所が気になるのです。
例えば、
3月28日、
共同通信社の「共同ニュース」によれば、
『炉心溶融を震災当日予測 応急措置まで半日も』
「経済産業省原子力安全・保安院が、
震災当日の11日夜、
東京電力福島第1原発事故に関して、
3時間以内の「炉心溶融」を予測していたことが27日、分かった。
また翌12日未明には放射性ヨウ素や
高いレベルの放射線を検出、
原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針が決まったが、
実現するまでに半日も要した。
政府文書や複数の政府当局者の話で判明した。
溶融の前段である「炉心損傷」を示すヨウ素検出で、
政府内専門家の間では危機感が高まり、
応急措置の即時実施が迫られる局面だった。
しかし菅直人首相は12日早朝、
原子力安全委員会の班目春樹委員長と予定通り現地を視察。
政府与党内からは、
溶融の兆候が表れた非常時の視察敢行で、
応急措置の実施を含めた政策決定に遅れが生じたとの見方も出ている。
初動判断のミスで事態深刻化を招いた可能性があり、
首相と班目氏の責任が問われそうだ。
政府原子力災害対策本部の文書によると、
保安院は11日午後10時に
「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。
炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、
12日午前0時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、
午前3時20分には
放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとしている。
保安院当局者は
「最悪の事態を予測したもの」としている。
評価結果は11日午後10時半、首相に説明されていた。
この後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、
12日午前1時前には
1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。
4時ごろには1号機の中央制御室で
毎時150マイクロシーベルトのガンマ線、
5時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。
事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、
1、2号機の炉内圧力を下げるため、
ベントの必要性を確認、
4時には保安院に実施を相談した。
また菅首相は5時44分、
原発の半径10キロ圏内からの退避を指示した。
だが東電がベント実施を政府に通報したのは、
首相の視察終了後の8時半で、
作業着手は9時4分。
排出には二つの弁を開く必要があるが、
備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、
代替用の空気圧縮機の調達に約4時間を費やし、
排出が行われたのは午後2時半だった。
与党関係者は「首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」と言明。
政府当局者は
「ベントで現場の首相を被ばくさせられない」との判断が働き、
現場作業にも影響が出たとの見方を示した。
政府に近い専門家は「時間的ロスが大きい」とし、
ベントの遅れが海水注入の遅延も招いたと解説。
1号機では排出開始から約1時間後、
水素爆発で同機建屋の外壁が吹き飛んだ。」
記事は此処までです。
時間の経過に従って纏めると、以下の通り。
11日午後10時、保安院
「2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。
『注水機能停止で50分後に炉心露出、
12日午前0時50分には炉心溶融に至る、
午前3時20分には「ベント」を行うべき』との評価を下した。
11日午後10時半、首相に報告。
12日午前1時前
1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。
4時頃 1号機の中央制御室で毎時150マイクロシーベルトのガンマ線、
5時頃 原発正門付近でヨウ素検出。
午前4時
東電幹部と班目氏協議、
1、2号機のベントの必要性を確認、保安院に実施を相談。
午前5時44分、菅首相
原発の半径10キロ圏内からの退避を指示。
12日未明、枝野氏
「陣頭指揮を執らねばならないという強い思いが首相にあった」と説明
政府関係者によれば、首相が突然視察を言いだす。
首相は視察に先立ち、記者団に
「現地で責任者ときっちりと話をして、状況を把握したい。
必要な判断は場合によっては現地で行うかもしれない」と意気込みを語る。
午前7時過ぎ
首相、ヘリコプターで同発電所を訪問、
約50分滞在し東電職員らから状況の説明を受け、
その後、宮城・福島両県を空から視察した後帰京。
8時半
東電がベント実施を政府に通報
9時4分、作業着手
備え付けの空気圧縮ボンベ不調、一つ開かず、
代替用の空気圧縮機の調達に約4時間を費やす。
午後2時半 放射性物質を含んだ蒸気を排出(ベント)
午後3時半頃 1号機水素爆発
3月14日午前11時1分
冷却作業中だった3号機の建屋が爆発し、
大量の煙が上がった。
15日午前6時14分ごろ、
2号機で爆発音。
格納容器につながる圧力抑制室(サプレッションプール)損傷。
3月17日、厚生労働省は食品衛生法上の暫定規制値を発表。
3月29日、
ICRPが定める公衆被曝限界、1年間に1mSvに対して、
緊急事態として、
この被曝限界を大幅に超えた暫定基準値を設定。
ヨウ素2mSv/年、
セシウム5mSv/年。
平成14年3月発表の
「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」
(事故後 1 ヶ月以降 1 年間での食物摂取による被ばくを実効線量で1mSv/年とする。これを放射性セシウムについて、牛乳・乳製品、野菜類、穀類及び肉・卵・魚・その他の 4 食品群にそれぞれ 0.1 mSv/年を割り当てると、各食品群のセシウム137 濃度はそれぞれ 20、50、50、50(Bq/kg,L)以上となる。)
に比較して、現行の暫定基準値は、
実に10倍に相当。
但し、食品安全委員会は、
将来的には内部被曝の許容量を倍に増やすことを提案。
その場合の基準値は、20倍になる。
3月30日、
IAEAのフローリー事務次長は、
福島第一原発の北西約40キロの飯舘村について、
住民に避難を勧告するよう日本政府に促す。
3月31日、
これに対し枝野官房長官は
「直ちにそうしたもの(状況)ではない」
「長期間そうした土壌の地域にいると、
その蓄積で健康被害の可能性が生じる性質のものなので、
しっかり把握し対処していかなければならない」、と。
経済産業省原子力安全・保安院も独自に試算した数値を公表し、
「避難の必要はない」とIAEAの勧告を明確に否定。
4月4日、
政府は福島第一原発施設内の放射能汚染水を、
漁業関係者に何の相談もなく
大量に放水することを決定し実行。
4月19日
文部科学省は、
福島県内の学校の校舎や校庭の利用について
20mSv/年を
暫定的な目安とし、
今後できる限り、
児童生徒等の受ける線量を減らしていくことが適切であると発表。
4月23日
原子力災害対策特別措置法に基づき、
計画的避難区域、
緊急時避難準備区域を設定。
4月29日
内閣参与 小佐古敏荘氏 辞任。
辞意表明時の提言としては、
1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい。
(小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。)
2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい
(小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。)
の二点を強調した。
5月1日、
東京電力の皷紀男(つづみのりお)副社長は、
福島県飯舘村で「個人的には」としたうえで本事故について、
「人災だと思う」、
「原発事故は想定外だったという意見もあるが
(飯舘村の皆さんのことを考えると)
想定外のことも想定しなければならなかった」と発言。
5月6日
菅直人首相は海江田万里経済産業大臣を通じて、
中部電力に対して、浜岡原発の運転を、
全て停止するよう求めた。
5月9日
中部電力、浜岡原発を停止。
7月6日
班目春樹原子力安全委員会委員長より
海江田万里経済産業大臣に対し、
ストレステストの要請。
8月26日
電気事業者による
再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法
参議院本会議でで可決し、成立した。
9月24日(24日20:36)現在
1号機から4号機で、
毎時あわせて2億ベクレルの放射性物質を放出
東京電力では1号機で原子炉建屋カバーの設置を進めるなど
放出を抑える対策を進行中。
ーーー
東大や京大の教授でさえ、
放射能の人体への影響については、
発言内容にばらつきがあり、
現在に至るまで、
健康にどれ程、影響があるのかは分かりません。
判断に困ったのかもしれませんが、
政府の、対処の方向から見えてくるのは、
菅内閣が相当大胆に、
日本人を放射能に曝し、
経口摂取を認めていた、
と言う事実です。
要するに、菅直人氏は、
放射能など、
人体に有害であるとは思っていない、
と判断しなければ理解できない、
ゆるゆるの政策を施していました。
「脱原発」を菅直人氏が言い出すなど、
おかしな話しです。
では、いったい、
氏の言う「脱原発」や
浜岡原発の停止、
ストレステストとは何なのでしょう?
私は、菅直人氏と面識はないので、
推測の域を出ませんが、
一つの可能性として、
この様な事が考えられるのではないかと思っています。
例えば、
A君は、ハムスターを飼っていたとします。
ハムスターは部屋で、
放し飼いにされています。
そこに、B君が遊びに来て、
間違って、
ハムスターを踏んづけたとします。
A君の可愛がっていたハムスターは、
絨毯の上で見るも無惨、
血や臓物をさらしてぺっちゃんこです。
するとB君は、A君に対して言うんです、
「どうして、部屋でハムスターを放し飼いにしているんだ?
不衛生だし、噛みつくかも知れないし危険じゃないか。
僕は、ハムスターは部屋で飼ってはいけないという運動を
しようと思う。」
何処からともなく
B君に迎合する人々が集まって、
ハムスターを飼わない運動を始めます。
この場合、B君の頭の中には、
ハムスターが不衛生とか、
危険な生物という認識は、
あまりありません。
ハムスターを殺してしまったショックで、
思考停止状態に陥り、
頭の中は真っ白、
その後は、
殺してしまった現実から逃避したい、
飼い主のA君を誤魔化したいの一心です。
普通ならば、
先ずは、A君に謝罪し、
ハムスターの死骸を片付け、
掃除を手伝い、
A君と弁償の話をします。
いきなり、ハムスターの反対運動にはなりません。
別に、
今更、菅直人氏を非難するつもりはありませんが、
ヘリコプターでの原発訪問に端を発する事故後の対応に、
「事故原発の停止」や放射能の「除去」・「除染」を跳び越えて、
「脱原発」や「浜岡停止」や「ストレステスト」等の
直接、事故には関係のない、
それでいて大きな問題が含まれる理由としては、
ベントの遅れや、海水注入の遅れという、
初期判断の誤りから
事態の深刻化を招いてしまった責任から逃避をする為の、
口実ではないのか、
と想像するのです。
そう考えると、
事故の対応が後手後手だったのは、
思考停止状態が続いたため。
その後は、心理的に逃げ腰で、
原発事故からの責任回避が目的と解すれば、
食品の暫定基準値が、
平成14年の設定の10倍なのも、
学校の校舎や校庭の利用については、20mSv/年
などと言う数字も、
避難準備区域の設定が遅れたのも、
更に、
「脱原発」と一方で騒ぎながら、
今に至るまで、
1号機から4号機で、
毎時、合計2億ベクレルの放射性物質を放出していても、
浜岡原発やストレステストの話題で、
現在の状況が
かき消されている理由も、
全て筋が通ります。
電気事業もまた然り。
孫正義氏と共に出席した会合で、
再生可能エネルギー法案について語り、
異常に上機嫌だったのも、
一緒に逃避運動に参加してくれる人物の登場に
気をよくしていたと思われます。
つまり、
「脱原発」は、
福島原発からの
単なる逃げ口上である可能性があるわけですから、
その様な物を、
まともに相手にする必要は無いと思います。
この理由により、
ノーベル賞作家が参加しようがしまいが、
「脱原発」運動には賛同できません。
だいたい、「死者の奢り」ぐらいしか読んでませんが、
それほどの小説とも思えません。
まあ、もっとも、誰が一番悪いのか、
と言う事になれば、
それは、B君を部屋に招いてしまったA君
なのですが…。
(以下に続きます)
110903未来ビジョン『安倍晋三元総理が訴える憲法9条改正論』1/2