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トランプ習近平会談(その二)

2017年11月11日 23時58分58秒 | 日記
今回のトランプ・習近平会談は、私には、どちらかと言えばぎくしゃくした関係を示す物であったと思えます。

トランプ大統領は、今回、就任後始めて中国を訪問しました。しかし、ニクソンのように中国に直接行ったわけではありません。トランプ大統領は、先ず東京に行き、次に韓国、 中国へ、その後ベトナム・フィリピンへ。中国訪問は、五ヵ国の一つでしかありません。しかも、日本・韓国・フィリピン・ベトナムは、全て中国に対して問題を抱えています。「二つの大国関係」という訪問のしかたではありません。

一説に、習近平氏は、トランプ大統領に十九大の前に中国に来て欲しかった。しかし、トランプ氏の方は、APECのついでに北京に寄ったのだ、とも言われています。

どちらかと言えば、トランプ大統領は中国に対して冷淡な態度を取っているように見えます。それに対して、習近平氏は、米大統領を厚遇した事には違いありませんが、巷間言われているように、破格のもてなしと言う程の事なのかについては、少し異論があります。


例えば、トランプ大統領を迎える為に、宿泊場所である「セントレジス 北京(瑞吉飯店)」の前の道路を全面封鎖し、トランプの滞在期間中、この道路は大統領とその関係車輌が通行する以外、通行は禁止されました。

金曜日には、メラニア夫人が参観するので、北京動物園のパンダ館を閉館。

トランプ大統領が故宮を訪れた時にも、故宮は一日閉館。

その他、万里の長城(慕田峪、ぼでんよく)に行ったときにも対外開放を臨時停止しました。

以上の事から、米中首脳の会見の場所に「紫禁城」が選ばれた理由の一つには、警備の問題があったのではないかと思います。


さて、中共はトランプ大統領の来華直前、北朝鮮への圧力に力を入れ始めました。

北朝鮮が6度目の核実験を強行した事もあり、それに対する国連安全保障理事会の制裁決議に基づき、中国商務省は9月28日、中国国内の北朝鮮企業に対して閉鎖をするよう通達し、また、海外で北朝鮮と共に設立した企業に対しても、2018年1月9日を期限として閉鎖を命じました。

10月初旬には、金銭的な流れを止め、石油を禁輸にし、北朝鮮への旅行ツアーも全面的に禁止しました。


11月8日、トランプ大統領夫妻が来華し、紫禁城での会食となりましたが、破格の待遇と言えるのかどうかは疑問です。

私は、トランプ大統領を皇帝のように接待したのではなく、寧ろ、十九大を終え、独裁に拍車のかかった習近平主席が、皇帝が国賓をもてなすように振る舞ったのではないかと思っています。紫禁城を選んだ第二の理由は、皇帝として振る舞うためです。


8日、大統領専用機が北京に到着すると、トランプ大統領はそのまま紫禁城に通され、宝蘊楼の前で、習近平夫妻に迎えられました。彼等は、先ず宝蘊楼(ほううんろう)を参観して、そこで茶話会を開き、晩には建福宮内で夕食をとり、三希堂で茶話会を開いたと伝えられました。

この三つの建物については、以下の注をご覧下さい。

・宝蘊楼


宝蘊楼


宝蘊楼

宝蘊楼は、1913年、瀋陽故宮(遼寧省瀋陽に残る清朝の宮殿、清朝の初代皇帝ヌルハチと二代皇帝ホンタイジにって建立された)、及び、河北承徳の避暑山荘に所蔵されていた文物を収蔵する目的で建造された、国民党時代の洋風建築。1914年に着工、1915年に竣工。故宮に現存する唯一の洋風建築。嘗ては23万件の文物が収蔵されていた。現在は対外開放されているらしく、2017年4月23日、「故宮食品」がアリババ傘下のTモールに出品する事を記念して、“老字号·新消费(老舗で、新たな消費を!)”というテーマで、イベントが開かれています。11月8日午後、習近平国家主席と彭麗媛夫人は、故宮博物院でトランプ米大統領とメラニア夫人を迎えました。両国首脳とその夫人は、宝蘊楼で茶話会を開きました。


宝蘊楼


宝蘊楼


・建福宮


建福宮


建福宮


建福宮


建福宮



建福宮

建福宮は、清の乾隆帝の花園で、乾隆年間(在位1736年~1795年)に建築されました。乾隆帝は建福宮を非常に気に入っており、ここで吟じられた詩賦には、《建福宮賦》《建福宮紅梨花詩》等の作品があります。また、気に入った文物をここに収蔵していました。

嘉慶七年(1802年)に修復されましたが、1923年6月26日晩、火災に見舞われ、400間の部屋と貴重な文物が一夜にして焼失しました。当時、末代皇帝溥儀(ふぎ)は既に退位していましたが、変わらず宮廷内に住んでいました。溥儀は、太監(宦官)が盗みを働き、証拠隠滅のために火を放ったのではないかと疑い、多くの太監を放逐しました。

建福宮は、その後70年間、荒れたままでしたが、1999年に中共政府が復元を決定し、2001年4月3日に上棟式が行われ、2006年5月に竣工しました。建福宮は、百人以上を収容できる、2006年に再建された新しい建物です。キッシンジャーやジョージ・ブッシュが訪れ、企業の宴会・展覧会・交流等の活動も、ここで行われています。



建福宮


建福宮



建福宮


建福宮



建福宮


建福宮


・三希堂


三希堂



三希堂



三希堂



乾隆帝が書いた“三希堂”の扁額


三希堂は、乾隆帝の書斎です。乾隆帝の書いた“三希堂”の扁額は今でも壁に掛けられています。三希堂は乾隆期に建設され、嘉慶・道光・咸豊・同治・光緒・宣統の各朝から現在に至るまで、変わることなくもとの姿を保っている部屋だと言われています。

“三希”という名については二つの説があって、一つは“士は賢を希(こいねが)い、賢は聖を希(こいねが)い、聖は天を希(こいねが)う”。倦まず弛まず精進せよ、刻苦勉励せよ、という所から来ているという説。

もう一つは、三つの世にも希なる“珍宝”を所蔵していたので、そこから名を取ったとする説です。乾隆十一年(1746年)、乾隆帝は晉朝の大家 王羲之の《快雪時晴帖》、王献之の《中秋帖》、王珣の《伯遠帖》の三帖を手に入れました。その後三帖は散逸し、《中秋帖》《伯遠帖》は北京が買い戻しましたが、《快雪時晴帖》は、現在、台湾の故宮博物院に収蔵されています。


王羲之の《快雪時晴帖》、王献之の《中秋帖》、王珣の《伯遠帖》の三帖


王珣の《伯遠帖》


三希堂


三希堂

三つの建物のうち、お茶を飲んだ宝蘊楼と、夕食をとった建福宮は、紫禁城の中でも新しい建築に分類されます。

宝蘊楼は、国民党政権の時にできた建物で、今年4月にも企業のイベントが開かれています。また、建福楼もキッシンジャーやブッシュが訪れ、企業が宴会や展覧会、各種イベントを行っています。どちらも対外開放されイベントにも使われていますので、この二つの建物での接待を以て、破格の接待というのは、少し言い過ぎのような気がします。

三つの建物のうち一番貴重なのは三希堂です。私は、故宮には何度か行きましたが、三希堂は外からしか覗いた事がありません。これは少し羨ましいと思いました。


さて、習近平氏は、明らかにトランプ大統領との摩擦を避け、穏やかな関係を構築したいと考えているようです。しかし、南シナ海の開発も進んでいますし、尖閣に対する野心も棄てたわけではありません。また、権力を掌握すればするほど、習近平氏の周囲は警戒を強めています。

その為、今回の紫禁城での接待は、警備上の都合に加えて、皇帝(乾隆帝)のように、紫禁城で外国の賓客をもてなす事で、国家主席としての威厳を示し、中華民族の復興という習氏の持論を宣伝する目的もあったのではないかと思っています。

あと一回、この話題で。

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