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祝!安保関連衆院通過(習近平の憂鬱)

2015年07月31日 13時13分04秒 | 日記
『習近平の憂鬱』

・五つの問題
もし、八九年の天安門事件の時、学生の要求に応じて民主化を行っていたら、どうなっていたろう。大国と言われていたかどうかは分からないが、社会は、もっと公平で安定し、人民は呑気に暮らしていたに違いない。

七八年に経済改革を開始して三十余年、開放政策は行われたが、中共は、それに伴う政治改革は行わなかった。天安門事件の後、開放政策に拍車がかかり、経済は急成長したかに見えるが、官僚の腐敗、貧富の差、民族問題等々を生みだし、現在、それぞれの問題は、危機的状況に陥っている。以下は、楊中美著『習近平ー歴史の十字路に立つ中共新指導者ー(習近平 站在歴史十字路口的中共新領導人)』二○一一年版に列挙される、現代中国が抱える問題点だ。

一、小平の説いた「一部の者から先に富裕になれ」は、特権階級、特に太子党に、公然と国家権力を利用して、蓄財をする機会を与えた。その一方で、二億の農民工と彼等の六億の農村の家族、合計八億の貧困階級が生まれた。彼等は都市で危険・きつい・汚い仕事に従事しながら労災補償もなく、狭い部屋に押し込められ、進学もできず、帰郷のための切符を買う事もままならない。一方、農村では、子供や老人の面倒を見る者もいない。高級官僚・資産階級の豪華な生活が、これら貧困層を作りだしている。中国は、既にキルギス・タイ・チュニジア・エジプトのような、革命の起こった国よりも 貧富の差がある社会になっている。

二、中国では毎年六百余万人の大学生が卒業するが、そのうちの30%前後が、卒業と同時に失業に陥る。○六年から、毎年約二百余万の大学生が失業し、現在では累計一千万人にのぼる。中国の大・中国営企業の公務員は、既に「官二代」や「関係者」の天下で、学歴があり能力があっても、コネが無ければ就職は難しい。その為、多くの地域で、大学生と農民工が職を争っている。○七年に軍の給料が上がってからは、陝西省の様な貧しい地区でさえ、一人につき二万元の謝礼が必要だという。

また、運良く就職できたとしても、家を買う事ができない。二○一○年の中国社会科学院の社会調査白書によれば、家の価格は年収の三から六倍以内が望ましいが、一○年当時の部屋の価格は、都市の住民の年収の八.三倍、農民工の二二倍だ。中国史上、陳勝(?~前二○八年、秦末の農民反乱の指導者、秦打倒の口火を切った)・黄巣(?~八八四年、唐末の逆臣、僖宗(きそう)の時に乱を起こし、長安をおとしいれて斉帝と号した)・洪秀全(一八一三~一八六四年、清の宗教家・革命家。上帝会の教主となり、一八五○年乱を起こし、南京を都として太平天国を建てた。十五年目に清朝軍に敗れて自殺した)・毛沢東と言った、失意の知識青年による造反運動は、枚挙にいとま無い。しかも、不遇の知識青年は、絶えず増え続けている。

三、中国では、毎年二十人以上の集団事件が十万件以上起こり、○九年以降は十二万件以上に増えており、計算上、毎日、各省都市で三百件以上の「造反」が起きている。その60%以上が、各級政府の「独裁」によって、特に大量の農地・山林を強制接収された事が原因だ。中共各級の政府官僚が、蓄財のために、或いは、GDPを高め昇進するために、接収運動を巻き起こしている。

四、中共の貪官汚吏の腐敗は、既に共和国を骨の髄まで蝕んでいる。二○一○年一二月、山東省の国営電力企業「魯能集団」が巨額の損失を出した。中央紀律委員会と関係機関が共に調査をしたところ、事件の中心には曽偉がいた。調査によれば、曽偉は、オーストラリアのシドニーに一億元の豪邸を購入し、貯金十数億豪ドル、合わせて約百億人民元相当を所有しており、それは、「魯能集団」と関係の企業から、不正に流用して作った物だった。

曽偉は、中共中央政治局常務委員・中央弁公庁主任等の職を歴任し、江沢民と最も関係の良い曽慶紅の息子だ。曽慶紅は、中共内務部長曽山の息子で、当時、太子党で最も力のある人物だった。江沢民と胡錦濤に、将来の国家主席として習近平を紹介したのも曽慶紅と言われている。曽偉の家族は数年前にオーストラリアに移住しており、曽慶紅の人脈で、事前に事件発覚を知った曽偉は、シンガポールからオーストラリアに逃亡した。

中共には、暗黙の了解がある。中央政治局委員級の高級幹部は、中央指導者に反対しない限り、汚職まみれであっても立件される事はない。例えば、黄菊(一九三八年九月~二○○七年六月没、一九九五年から二○○二年まで中央政治局委員・上海市委書記。二○○三年三月、国務院副総理に就任)の汚職は有名だったが、葬儀の弔辞にも、彼は優秀な共産党員でありマルクス主義者であった、と読まれた。但し、中央に反対すると辞職させられる。陳良宇(十六期、中央政治局委員、上海市委書記、市長を歴任、○六年九月、上海社保基金の問題で失脚)は、温家宝と胡錦濤を蔑視し攻撃したために、上海市社会保険基金の流用問題で捜査を受け、多くの汚職の事実が明らかになり失脚した。江沢民時代の北京市委書記陳希同(一九三○年六月~二○一三年六月、八三年~九三年まで、北京市長・北京市委書記を歴任。九五年汚職により罷免)は、江沢民と対立したために、汚職の罪で倒された。

五、次第に激しくなる地域格差と民族の矛盾。中国の地域格差は、歴史と地理等の客観的要素もあるが、政策の過ちによる所も大きい。そもそも、小平の八八年当時の計画では、沿海地区を対外開放し、そこに住む二億人が先に発展し、ある程度発展した後、沿海部が内地の発展を引っ張るはずだった。しかし、李鵬が総理の時代には、内地と西部開発は、議論の俎上にはのぼらず、東部沿海と中西部の格差は深刻になった。

七八年、中国東部の一人当たりのGDPは463.7元、中部は310.1元、西部は250.8元で、東・中・西の比率は、100対67対54だったが、九八年には、その格差は、東部は8848元、中部は4511元、西部は3824元で、100対56対43と広がった。このため、江沢民と朱鎔基は、九九年、「西部大開発」を提唱した。これは、地域と民族の格差を解消し、石油と鉱物資源を確保し、西部を安定させる為の物だった。※西部とは新疆ウイグル・甘粛・陝西・寧夏・青海・西蔵・貴州等の地域。

しかし、西部大開発の計画から十年が過ぎたが、新疆の石油と鉱物資源に関する地域が重点的に開発された他は、東部と西部の格差は依然拡大中で、東部と西部の農村の格差は更に拡大した。

○八年の金融危機が起こった時、四兆元の財政出動をしたが、80%以上が国有企業に流れ、国有企業は資金を手にすると、土地を買い、物件価格をつりあげ、暴利をむさぼった。新興地主の化けの皮を剥げば、九割が国営企業の経営者だった。このため、北京・上海等の高層マンションの七割以上が、投資のために買い付けられた無人マンションだと言う。この様な投資は、都市の畸形な発展を促してしまう。

○八年、西蔵自治区で暴動、○九年、新疆ウイグル自治区で暴動、一一年、新疆ホータンで警察襲撃事件等々、これらは、中共の民族自治政策の失敗を証明している。

・小平の憂鬱
小平が晩年に一番恐れたのは、社会の二極分化と、富の不公平な分配が社会不安を招き、天下の大乱を引き起こす事だった。一九九○年七月、国家オリンピック体育センターを視察した時、「我々が改革開放を実行するのは、どの様に社会主義を行うかという問題と同じだ。制度から言えば、社会主義の前提がなければ、改革開放は資本主義に向かって進む。例えば、二極分化だ。中国は十一億の人口がいるが、もし十分の一が裕福になるとすれば、一億以上が裕福になり、当然、九億人以上が貧困から抜けられなくなる。革命にならざるを得ない!九億人以上が革命を欲する。だから、中国は社会主義を行うほかない、二極分化を招く事はできないのだ。」一九九三年九月にも再び「十二億の人口がどの様に富を実現するのか、裕福になって後、富をどのように分配するのか、これらは皆大問題だ。問題は出揃っている。この問題を解決するのは、発展させる事より困難だ。分配の問題は深刻だ。我々は二極分化を防止しなければならないが、実際は二極分化は自然と起きてしまうからだ。」一部分の人が多くの富を獲得し、大多数の人は何も無い、この様な発展を続ければ、最後には問題が起こる。二極化は、民族の矛盾・地域の矛盾・階級の矛盾・中央と地方の矛盾をも発展させる。小平が特に強調しているのは、現在、もし中国が乱れても、「文化大革命」の様にはならないという点だ。当時は、毛沢東や周恩来がいたので、真の内戦は出現しなかったが、現在、もし内乱が発生すると、内戦の局面が出現し、世界的な災難に発展する可能性が高い、と。

小平の後、中国は、公平な分配に留意せず、権勢を抑制せず、格差は広がり、五百の豪族と数百万の権勢のある資産階級を生みだした。その結果、中国は格差の最も激しい国になっている。

楊中美は、中国の抱える問題を、革命の可能性という観点から取り上げるが、政権の中にも、憂慮すべき問題が潜んでいる。

・主席暗殺の風聞と反腐敗
中国共産党が政権を執って以来、歴代の指導者には、暗殺の影がつきまとう。例えば、七一年、林彪(りんぴょう)等によって計画された毛沢東暗殺計画(専用列車の爆破)、その暗殺計画の失敗で、林彪は妻と共に飛行機でソ連に逃亡したものの、モンゴルで墜落死した。この墜落について、中共は現在に至るまで正式な発表をしていない。二○○九年には、江沢民夫妻が乗車していた列車が湖南省で事故を起こし、負傷者六○名以上、死者三名という犠牲者を出している。小平に至っては、六九年~八八年にかけて、七回も命を狙われていると伝えられている。そもそも、毛沢東の始めた文化大革命では、国家主席の劉少奇が粛清されているので、劉少奇以降、命を狙われるのは、国家主席の宿命なのかもしれない。

胡錦濤にも同様の噂がある。胡錦濤が二○○六年五月、北海を視察した際、二艘の軍艦から砲撃を受けた事件を香港の媒体が発表した。これは、中共の公式な発表ではないが、その後行われた反腐敗の名目の粛清が、全てを物語っている。

一二月二四日の新華社の報道では、中共山東省委副書記・青島市委書記杜世成が、党紀違反で免職になった。報道では、腐敗や職権濫用が直接の理由だが、内部情報によれば、杜世成と張定発とが、五月に胡錦濤を襲撃した事件と関わりがある。青島方面の事情通がリークしたところによれば、現在、青島政府の大小の高官は、何度も入れ替わり、役人は全て済南市から移動してきている。目下、張定発・杜世成と僅かでも接触のあった者は、皆、調査を受けている。

海軍前司令・中共中央軍事委員会委員張定発が、数日前に北京で病没した。慣例とは大きく異なり、新華社や解放軍報で発表される事は無く、僅かに「人民海軍報」で「中央軍委委員・海軍元司令張定発同志、病により一二月一四日に北京で逝去、享年六三歳」とだけ発表された。写真も無く、簡単な履歴が付けられただけだった。

一二月一日の「新唐人電視台」の報道によれば、二○○六年のゴールデンウイーク中、江沢民は泰山・濰坊(いぼう、山東省の地名)等を旅行したが、同時期、胡錦濤も密かに山東青島に行き、北海艦隊の軍事演習を視察した。胡錦濤は最新の導弾駆逐艦に乗船し黄海に入ったが、突然、二艘の軍艦が同時に胡錦濤の駆逐艦に向かって発砲し、艦上の五名の兵士が、その場で亡くなった。駆逐艦は胡錦濤を乗せたまま、直ぐさま艦隊の演習海域を離れ、安全な海域に移動した。その後、胡錦濤は艦上からヘリコプターで青島基地に引き返し、そこから北京ではなく雲南に飛んだ。

新華社は、胡錦濤の日程は、一一日から一五日まで、雲南に視察の予定と発表している。

胡錦濤は、一六日に北京に帰ると、第一に、陳希同の病気療養のための保釈を認めた。元北京市長陳希同は、江沢民と対立し、汚職の容疑で失脚し逮捕された。同失脚後は、江沢民派の人物が市政府を支配した。そのため、陳の釈放は、江沢民を含む上海閥への敵対行為を意味している。第二に、反腐敗の名目で、海軍副司令王守業を失脚させ、王守業とその後ろ盾である江沢民の秘書、現軍委弁公庁主任 賈廷安の共同謀議である証拠をつかみ、江沢民に二度と軍内の事務に手を出さぬよう迫った。

中国問題の専門家によれば、胡錦濤が軍人の襲撃に遭遇した事は、権力闘争に軍人が関わっており、しかも、この様な行動は江沢民派の人物であって始めて可能な事である、と述べた。」(「大紀元」『青島政壇の交替と胡錦濤襲撃事件(青島政壇換班與胡錦濤遇襲)』 2006-12-28)

この事件は、反腐敗運動が、習近平以前から行われてきている事を示していると共に、歴代指導者に関する暗殺の風聞は、そのまま、習近平の未来に起きる可能性のある事を示してもいる。

・習近平の憂鬱
二○一四年二月に、香港の《経済日報》が、習近平の発言に関して一つの記事を掲載した。

二○一三年は、中共総書記習近平の集権の年であり、また、彼が〝反腐敗に拳を振り上げた〞年でもある。最近、ある香港の媒体が事情通のリークを引用して、次の様に述べた。一昨年の北戴河の会議上、習近平は、中共が当面直面する内憂外患の、その弱点は〝民心を失い尽くした〞事だ、常に中国版ジャスミン革命の危険にさらされていると強調した、と。

 *〝十八大の後 必ず迅速に人心を収めなければならない〞
二月四日、香港の《経済日報》が、二○一二年の北戴河会議に参加した消息筋の発表を引用して、習近平が会議上で、中共の現状は、一九四八年の国民党と酷似しており、〝民心を失い尽くした〞段階に置かれている、と強調した。その為、会議後、中共の前指導者と、二○一三年の中共十八大(第十八期全国代表大会、二○一二年一一月八日~一四日に北京で開催)で交替した後、必ず迅速に民心を収める事で互いに合意した、と。

報道は更に、北京ウォッチャーの指摘を引用し、如何に民衆の中共官僚の腐敗に対する印象を変えるかについて、習近平は、公衆の認識を変えるには相当の時間を必要とするが、しかし、時間は中共の側には立っていないと考えている、と。

 *英国研究院:中共は中国の99%の人心を失った
《ニューヨークタイムズ》の報道によれば、二○一一年六月、ロンドンの王立政治事務研究院 アジア事務主管Kerry Brownと、その他五名の外国の学者は、中共主要機関主宰の会議に参加した。Brownは、実際には内部で、中共は明らかに、人民の尊敬を得てはおらず、〝彼等は中国の99%の人口の民心を失っており、これに対して彼等は恐れを感じている〞、と述べている。

Brownの考えでは、主な原因は、人から嫌われる中共の腐敗を含めて、人民の要求が更に多いのは、政府の監督時に恒常的に行われる暴力に対してだ。しかも、彼等が暴力を使用して人民をあしらっているのに、報道は、中共の一大禁忌として一切報じない、と。

〝人民のための服務(为人民服务)〞、これは恐らく、中共の最も有名なスローガンだ。しかし、最近、このスローガンを刻印した看板が、しばしば民衆によって取り除かれている。

二○一○年六月二一日、江蘇省邳州(ひしゅう)市第一中学の学生が、学校移転の問題で、当該学校の学生全員が、市政府に集結して抗議、激怒した学生が、政府入り口の〝人民のための服務〞の文字をこじ起こして削ぎ落とした。すると、その場の民衆は大声で〝好いぞ、偉い〞と叫び、学生の勇敢さを賞賛した。この事件の原因は、地元の教育局が、学校の土地を売却し、学校の移転を要求し、学生達の強烈な不満を引き起こした事に始まるが、反対は無効に終わった。

二○一一年六月、当地の全人代代表※冉建新(ぜんけんしん)が、警察の取り調べ中に死亡した。その後、民衆の怒りは、先週木曜(六月九日)に爆発した。冉が官僚の腐敗との戦いで死んだと信じられたためだ。デモ隊は、湖北省利川の政府庁舎を包囲し、ある住民は、彼等は上部に書かれた〝人民のための服務〞の看板を叩き潰した、と述べた。

二○一三年一○月、浙江省余姚(よよう)市で大規模な洪水被害が出た。現地公務員の救済努力が足りず、被災状況をごまかして、民衆を激怒させた。一○月一五日、一万を超える民衆が余姚市政府庁舎前に集まり、数千人の武装警察と衝突。多くの民衆が捕まり、一部の人々は殴られて血を流した。激怒した民衆は、市政府門前の〝人民のための服務(为人民服务)〞の標語の〝人民〞の二文字をこじ起こして取り除いた。

嫌と言うほど中共当局の〝強制撤去〞に苦しめられている情況で、ある民衆は、これは数年来で最もスゴい〝強制撤去〞だ、気骨がある、有名無実で、皮肉が掛けられているのだ、取り除くのが正解、古来英雄は若者から出る、いつでも中南海入り口のあの幾つかの文字を取り除いてくれ!、と述べた。

 *党報は〝迅速に人心を収める〞と呼びかけるが、中共は既に人心の向背を無くしている
この他、香港《経済日報》の報道に、二○一二年、北戴河会議が行われる前に、中共武漢市委員会の機関紙《長江日報》が〝迅速に人心を収めなければならない〞と題する社論を発表し、群衆衝突事件の中心にあるのは、政府の間違った行いだ、と責め立てた。社論は、〝合法的な資源は無制限に貸し越しはできず、「合法性」に修復する時間も無限ではない〞と警告している。並びに〝 当面の急務は、迅速に人心を収め、もう一度「合法性」を形作る事だ〞と呼びかけている。偶然にも、一九四八年一一月四日、当時の国民党の党紙《南京中央日報》にも同様の標題の社論が掲載された、と指摘している。

二○一二年五月、《人民網》も文章を発表し、人心を勝ち取るのは、極めて困難な事業だ、と述べている。

しかし、大陸の民衆は、人心の向背を執政党に--いわゆる〝是正〞を行うための多くの機会を、中共に与えるつもりは無いようだ。更に多くの輿論は、六○数年来、中共は民衆を〝苦境に堕とし〞ており、八千数万の中国同胞をしておきながら、しかも、その血に飢えた本性は全く変わっていない。すべては一時的な〝妥協〞のための手段で、ただ体制を維持するためにだけ行われる。しかし、中共はとっくに〝是正〞の資格を失っている、と考えている。

二○一四年二月五日まで、《大紀元新聞網》上で、三退(退党・退団・退隊)を発表した人物は、既に一億五千六百八○万人を超え、しかも、人数は日々増加している。大陸の退党した人物は、退党支援者に対して、彼等は中共に対して、極度に失望しており、土地の強制占拠後には農民が生活ができないと感じるだけでなく、内部の官僚は更に、中共は既に付ける薬が無い事を見て取っている、と話している。」(「アポロン新聞網(阿波罗新闻网)」『習近平 私的講話で中共の〝弱点〞を暴露:1948年の国民党のようだ(习近平秘密讲话曝中共〝死穴〞:像1948国民党)』2014-02-05)

※:地方政府が土地を接収し、それに絡んで殺人が起き、その後、デモ(群衆事件)が発生するというのは、中国で現在起きているデモの典型と言える。以下は、冉建新事件を報じる「騰訊新聞」の記事だ。

六月一○日早朝、「利川新聞網」の報道で、利川の千名を超す市民が、市政府庁舎大楼の前に集まり、一部の人々は勤務中の民警に向かって、ミネラルウォーターの瓶や生卵・雑貨を投げつけ、更に、自動開閉の鉄門を押し倒し、勤務中の民警を襲撃した等の事件を伝えた。事態の悪化を防ぐために、公安機関は法によって策を講じ、迅速且つ適切に群衆事件は処理された。衝突の原因は何か?死者の背後に真相はあるのか?適切な処置とは何か?これらの問題はある人物から発生した。その人物は「冉建新(ぜんけんしん)」。

 *突然の死
六月五日、「天涯」等の多くのウェブサイトのニュース欄に、ある人物が、湖北利川の元反腐敗担当局長 冉建新が、巴東の拘置所で打ち殺された、と投稿した事で、一気に注目が集まった。記事によれば、二○一○年一一月、冉建新は利川市紀律委員から涜職罪(とくしょくざい、公務員の職権濫用・職務怠慢により、国家機関の正常な活動を妨害した罪)で双規され、二○一一年六月、湖北省巴東県の人民検察院で亡くなった。“死者は、顔にある七つの穴から流血し、全身鬱血し、どこも傷だらけ、背部には更に多くの火傷があり、見るに忍びない有様だった。”、と報じた。記事には、死者の多数の写真も添付されていた。

冉建新、男、四九歳、利川市検察院反腐敗局長・副検察長・利川市司法局局長を経て、利川市都亭庁舎党委書記・主任に転任。《羊城晩報》の報道によれば、二○一○年一一月一三日、冉建新は“双規”を宣告され、利川市紀律委は、彼が行った“不正命令・不正操作・労働紀律違反の三違”に関する取り締まり中の問題に関して、説明を求めた。二○一一年一月三日、巴東県人民検察院は法に依って要訴追事件とした。二○一一年五月二六日、利川市全人代常務委員会は議案を通過させ、市検察院の冉建新に対する逮捕を許可した。九日後、冉建新は突然死亡した。

冉の死亡に対して、巴東県委宣伝部の見解は以下の如く。六月四日、巴東県人民検察院は、審理中、捜査官は冉建新の具合の悪い事に気がつき、すぐさま巴東県人民医院に送り応急手当を施した。当日一六時三○分、冉建新は手当のかい無く死亡した。天涯ネットの投稿によれば、冉建新の突然の死の知らせを受けると、家族はすぐさま巴東県に至り、死者の取り調べ中の監視ビデオの調査を要求したが、監視ビデオは壊れていたと告げられた。“どうして、全ての検察院の監視ビデオは壊れていないのに、事もあろうに、あの取調室だけが壊れているんだ?”度重なる交渉の結果、遺族はやっと死者の写真撮影を許された、と報じた。

 *民衆からは“冉兄さん”と呼ばれていた
冉建新とはどの様な人物なのか?

利川新聞ネットの報道によれば、今回は、大多数の野次馬を除いて、一部分は“冉建新死亡事件”を名目として集まった群衆事件である。六月七日以来、連続して数日間、少数の市民が市政府庁舎大楼の前に集まっている。六月九日ー早朝、利川市政府庁舎大楼前に、また続々と人が集まり、一○時頃には千余人になり、最も多い時には千五百人を超え、現場の交通は完全に中断された。一部の群衆は制止を聞かず、六月九日一四時、警戒区域を強行突破し、電動の鉄の門扉を押し倒し、ミネラルウォーターの瓶・生卵・雑貨等で勤務中の民警を襲撃し、多くの民警が負傷し、現場は混乱した。

事件の始まりは、恐らく教場村八組からだ。利川は二つの街道の事務所で六鎮六郷を管轄しており、都亭街道の事務所は、利川市の政治・経済・文化の中心だ。しかも、教場村は、都亭街道事務所の中心的地域であり、当該村には十一の小組に、合計三千余人が暮らしている。関係媒体の記者の調査によれば、冉建新が訴えられた“三違”に関する取り締まり中に起きた涜職罪は、まさに教場村の八組と関係がある。

地元住民の紹介によれば、教場村の八組六百余人は、もともと300ムー(1ムー=6.667アール・一五分の一ヘクタール、300ムー=20ヘクタール)の土地を所有していた。二○○二年から、当該小組の土地は続々と徴収が完了したが、しかし、後始末は全部が全部意に沿うものではなかった。中でも体育路は、教場村を通過する重要な幹線道路だが、道の両側の、瓦葺き日干し煉瓦の建物は、道路拡張のために取り壊され、住民は移転をする事になった。当該村民は、自分達で壊して建設する事を提案し、政府が接収した157ムーの土地のうち、9ムーを使用して、村民のアパートを建てる事になった。二○○九年三月、アパートは着工した。これに対して、利川市委書記李偉は現場まで来て、この行動を褒め称えた。しかし、二○一○年“三違反”法執行担当官は、村民が家を建築するのは“三違反”に抵触するので、改善が必要だと述べた。

村民は、“三違反”担当官の態度は強硬だったが、冉建新は圧力に耐えて、建築を支持してくれた、と語った。現在、この建物は、いまだに建設途中だ。土地を失った村民の大多数は職を無くし、自分で活路を開き、彼等は道の両側の歩道で、協力し合って露天を開き、串焼きを売って商売を始めた。これに対して、利川市“三違反”法執行担当官は、たびたび都亭街道事務所に露天を片付けるよう要求したが、冉建新は民の生活が非常に苦しいと考え、行動を起こさなかった。人民代表大会では、彼は李偉に名指しで批判された。二○一○年“幹部三違、一律停職”の八文字が、殆ど毎日、地元のテレビ番組の中で流れるようになった。

 *遺書には機会を利用して報復されたと書かれていた
関連の媒体が六月一○日の報道で、冉建新がトイレットペーパーを用いて書いた“絶筆”を公開した。冉は遺書の中で次の様に述べていた。“(二○一○年)一二月中旬から二○一一年一月中旬にかけて、捜査班のメンバーは、およそ私の知り合いで、仕事上の友人や同僚達だ、事実を確かめると言う理由で、逐一通知しに教育拠点に行き、身柄を拘束する自由を採用し、安全を守るために二四時間監視し、身の回りのあらゆる品物を取り上げ、二重規則のように、毎日の静座は一六時間以上、酷いときには二○時間、細長い鉄板の腰掛けに座り、眠らせず座らせず等の方法で、証拠を収集する。この間、幹部・労働者・村の幹部、一般の村民と個人経営の店主、多くの人々は何も無いのに、十日以上拘束された。”ある冉建新事件に近い人物のリークによれば、冉の連座で、少なくとも四○数名が、利川警束教育拠点に送られ、調査を受けた。教場村だけで二○余人、村の幹部も村民も含まれていた、と。

この他、冉建新は利川政法系統で長年仕事をしており、利川検察院からもまた数十名が、紀律委員から話しを聞かれている。“彼等は、自主的に冉建新に関する問題を説明しさえすれば、紀律委員は決して追究せず、引き立てられるべきは引き立てられ、昇進すべきは昇進し、決して影響は無い、と述べた。”

 *最後の結果を待つ
中国新聞網の最新の報道では、湖北恩施州紀律委員会報道官は、六月九日、初めて冉建新事件について口を開き、冉建新事件は、湖北利川市紀律委員監察局の案件で、捜査の過程で、法にもとる現象があったのか否か、恩施州紀律委員が調査組織を結成し、現在、調査中である、と発表した。

湖北恩施州巴東県の公式ウェブサイトは、六月九日午後六時、巴東県人民検察院調査官 趙小育・譚運龍は、冉建新事件を調査中、職務違犯の疑いがあり、恩施州人民検察院は、法によって立件し、並びに、拘留を決定した。恩施土家苗族自治州第六期人民代表大会常務委員会第三十次会議は、鄭雪松が巴東県人民検察院検察長の職を辞する事を批准した、と発表した。(「騰訊新聞」『利川群衆事件の背後に:冉建新の奇妙な死(利川群体事件背后:冉建新的离奇死亡)』2011年06月13日12:01「南方新闻網」より)


「冉建新事件」は、農民の土地の接収という問題の他に、同僚の報復という側面があったようだ。悲惨な事件だが、これよりも酷い事件が中国各地で起きており、中共指導部の心胆を寒からしめている。

・今そこにある危機
以下は、今年、二○一五年六月中旬に行われたという、ある会合に関する「アポロンネット(阿波罗网)」の記事だ。

中共政権が維持困難となっている今日、既に解体間際に近づく事態もしばしば起きており、中共指導部でさえ〝亡党〞の話題を禁句にすることはできなくなっている。中共政治局は六月中旬に政治局拡大生活会を行っており、会上では中共の政治・経済等の多方面に存在する重大な危機が討論され、習近平は更に、講話の中で、めずらしく〝勇敢に党の脱皮・変質の事実を承認し受け入れるべきだ〞、と呼びかけた。

六月中旬、中共政治局が拡大生活会議を開き、書記処書記・国務委員・全人代と政治協商の党メンバーから軍事委員・中央規律委副書記等が等しく参加した。生活会議は二日間、会議時間は一一時間に及んだ。

会議上、一部の党の組織建設、及び、党員幹部の巡視・考察に関する調査報告書が配布された。報告は、中共中央書記処によって編集され、中央が組・中央弁公室・国弁、及び、中央組織部等を巡視し、総合的な情況を考えて作成された。報告には、中共の〝亡党〞の六大危機が隠す事なく列挙され、並びに、地方政治・社会危機が既に爆発・蔓延・悪化の状況に置かれている事が指摘されている。六大危機は、政治・経済・社会・信仰・前途等の各領域を覆っており、明らかに、体制の腐敗がもたらす官僚政治の腐敗が、既に治療不可能である事を示していた。

六大危機と問題の概況は以下の通りだ、

1.中共の理念・党の使命・理想と奮闘の  目標の喪失、
2.党の組織建設が長期に渡り、徘徊・目  標の喪失の状態に置かれており、基本  的に麻痺状態に置かれている
3.党組織の腐敗・だらけきる・既にしだ  いに社会の魅力・呼びかける力・求心  力を失ってきている
4.党の指導者が、平和・物質的豊富な環  境のもとで、怠惰・まとまらず・堕落  ・疲労し・無能な情況がすっかり暴露  された。
5.党政幹部の職権濫用・越権・権力の乱  用・不正蓄財・風紀の乱れの情況の氾  濫が、社会の恨み・民衆の怒りを激化  させた。
6.政党幹部・公職に就く者の道徳観の喪  失・生活の堕落腐敗が、社会の官僚を  恨む雰囲気を醸成させた。

この調査報告によれば、中央・地方巡視・審査結果から考えて、中央と地方の高級官僚の平均合格率は、僅かに四分の一前後で、地方の下部組織・県級党委員の、不合格、及び、行動が劣る・リストラの必要な〝指導者グループ〞は90%以上にのぼり、これは実際のところ、中共党組織が既に徹底的に腐敗して駄目になった事を示している。

習近平は会議の講話の中で、珍しく〝勇敢に厳しい事実に直面し、党が変質し亡党毀国の危機の事実を承認し・受け入れる。〞と指摘した。」(「アポロンネット(阿波罗网)」『争鳴雑誌:指導部 亡党の6っつの危機を密議 習〝党の変質を承認〞して四座を驚かす(争鸣杂志:高层密议亡党6危机 习〝承认党变质〞惊四座)』2015-07-02)

・結び
もし、暴動が起こったら、軍の指導者は、困窮した人民や理想に燃える人物に銃を向けるだろうか。

中共の直面する問題の解決には、理想を言えば、中共の指導部が独裁を棄てて民主政治へ大転換を果たし、文明大国への路を歩む事が望ましい。しかし、習近平は、掌握した強権で、人民の不満を力で押さえつけようとするかもしれない。或いは、八九年六月に起きた天安門事件のように、人民が再び街に出て民主化を訴え、酷い混乱状態に陥る事は覚悟の上で、二十五年前とは違って、ひょっとすると人民解放軍の支持のもと、腐敗した政権を倒し、政治体制の民主改革を推し進めるかもしれない。

中国が、どの様な選択をするのかは分からない。しかし、習近平の主席就任直前の中国の状態は、決して楽観的な物ではなく、種々の問題に直面していた。しかも、その対処方法として、共産主義という選択と共に、富の公平な分配のためにも、民主化という選択肢も考慮しなければならない時期に至っていた。

だからこそ、保守派と改革派の二つの路線を巡って、またもや対立が激化し、周永康や薄煕来等、上海閥(保守派)にとっても、主席簒奪を行わなければならない情況に陥っていたと言える。

見方を変えれば、簒奪劇が起きた時、既に、中共内部は分裂状態だったのだ。
(終)

世界が賛成する安保法制 と 何故か報道されない賛成派のデモ

2015年07月25日 11時24分29秒 | 日記
ネットで調べると、賛成派もデモをしているんですよね。

以下は7月24日の行動です。凄いですよね。

「頑張れ安部総理」首相官邸前に続々集まる安保賛成の国民の姿2015.7.24平和安全法制推進!日本を守れ!国民大行動


それに、世界的に見ても、

この法案は歓迎されている感じなんですよね。


西村幸祐氏のツイッターからです。

https://twitter.com/kohyu1952/status/620637451900489728
西村幸祐
‏@kohyu1952
戦争抑止法案(安保法案)に賛成する国民の声を伝えないばかりか、なんとアジア太平洋諸国が日本の安保法制にどんな声を挙げているかも、メディアはまともに報道しない。













安倍総理の安保法制に支持を表明する世界の国々→日本の大手メディアの偏向報道とは裏腹にフィリピン、ベトナム、ミャンマーだけじゃない海外の反応www




報道無くて、ふるえちゃいますよね。。。

祝!安保関連衆院通過(腐敗の典型と「跨越式」の陥穽)

2015年07月22日 02時35分02秒 | 日記
『腐敗の典型と「跨越式」の陥穽 
     —中国の報道から見た高速鉄道—』

※文中の数字は原文に基づく物で、当時のレートは一元=十二円。

二○一一年七月二三日、午後八時二七分、浙江省の温州市内で、高速鉄道の追突事故が発生した。杭州から福州に向かうD3115次列車が、温州管内で雷のために緊急停車したところ、後続のD301次列車に追突され、車輌四輛が高架から転落。この事故による被害者は、二八日夜七時のCCTV(中国中央電視台)によれば、死者三九名、負傷者一九二名と発表された。

事故発生直後から、華字媒体は、香港・台湾は言うに及ばず、大陸各地、CCTVに至るまで一斉に取り上げ、「それ見た事か」と言わんばかりの報道を繰り返したが、報道が鉄道部に対して批判的だったのには理由がある。

中国高速鉄道は、人民の収入に対して乗車券が高価であるばかりでなく、開通直後から連日故障が報道され問題視されていた。特に七月一日から開業した「京滬(けいこ)高速鉄道」が一○日から一三日までに三度も故障したことで世論は騒然となった。鉄道部は事故を隠したかったかもしれない。しかし、列車が停車する度に乗り合わせた乗客がネットに書き込みをしてしまうので、事故は刻々と全土に知れ渡る。CCTVは故障の報道のたびに、「命に関わる事故ではない」とか「数年後には、完璧なシステムになる」と繰り返したが、人民の高速鉄道に対する不信は日に日に募って行った。

その上、今年二月、鉄道部の高級幹部二名が収賄容疑で逮捕され、不正蓄財が明らかになった事もあって、ひょっとすると、幹部の汚職一掃に民意を利用しようという思惑があったのかもしれないが、報道規制は敷かれなかった。

・高速鉄道の始まり
「京滬(けいこ)高速鉄道」の建設計画が、鉄道部から国務院に提出されたのは一九九三年の事。「京」は北京・「滬(こ)」とは上海市の簡称。北京と上海を結ぶ一三○○Kmの開発計画がもちあがったが、これには当時一四○○億元以上の投資が必要であり、中国経済を崩壊させる恐れがあるとして、学者及び鉄道部幹部からも反対意見が出て見送りとなった。

計画が、再び日の目を見るのは十年後。二○○四年一月七日、『中長期鉄路網計画』が国務院の審議を通過し、「京滬客専線」が批准され、中国の「高速鉄道」の建設が始まった。この背景には、前年の○三年、江沢民(九三~○三年、国家主席)の推薦により鉄道部部長に就任した劉志軍(りゅうしぐん)及び、鉄道部の強い希望があったと言われている。

○四年一月の『中長期鉄路網計画・発展目標』によれば、「小康社会(中流社会)の達成のため、鉄道路線は規模を拡大し・構造を完備し・質を高め・運送能力を速やかに拡張し、設備の水準を迅速に高めなければならない。二○二○年までに、全国の営業路線の総距離10万kmを目標とする。飽和状態にある主要幹線は、客車と貨物車を分離する。複線率と電化率は50%を目標とする。国民経済と社会の発展に貢献できる運送能力のために、主要な技術は先進国の水準と同等か、或いは、その水準に近づける事を目標とする。」と書かれている。

この計画について、二○一一年二月一四日出版の雑誌『財経』の電子版によれば、高速鉄道建設の動機は、当時、既に飽和状態であった主要路線の輸送状況を改善するため、試みに客車と貨物車を分け、客車はより早く、貨物車は積載量をより増やす事を計画した、と紹介する。それを証明するように、例えば、石炭の産出豊富な山西省大同と海運港の河北省秦皇島を結ぶ「大秦線」は、客車の運行を止めて、○四年四月から貨物列車専用路線に変わっている。

また、『中長期鉄路網計画』には、西部・中東部のための、新路線1.6万kmも含まれており、チベット・ウイグル等の少数民族自治区への物資の輸送も忘れてはいない。高原鉄道である「青蔵鉄道(せいぞうてつどう、青海省と西蔵(チベット)自治区を結ぶ路線)」が、この計画の通過後、完成予定より一年早く○六年七月一日に全通している事も考えれば、要するに、この巨大な建設計画には、鉄道網を完備するばかりではなく、少数民族区への軍備も含めた人・物の輸送を可能にし、更に、計画が進めば世界最長の高速鉄道を所有し、巨大な建設事業によって経済を牽引する事もできるという、政府にとっては真に有意義な計画だった。

こうして「高速鉄道」の建設が始まったが、四年後の○八年、世界金融危機の影響を受けて、計画は早くも変更となる。国務院が『中長期鉄路網計画』を経済刺激策として採用したためだ。新しい計画では、「高速鉄道」は2万km延長され総距離5万km、高速鉄道四二路線には、二○一二年までの完成目標が掲げられた。一見無謀とも思える計画の変更は、しかし、「高速鉄道」建設が最初から背負っていた運命とも言える。

・性急病
 「建国以来の中国共産党の認識と行動には慎重さと性急さが同居したが、結局は後者が 前者を押し流してしまう。…八○年代の経済改革のブレーンである馬洪(国務院経済技術発展研究センター総幹事)によれば、建国四十年来の経済建設に挫折をもたらした最大原因は「性急病」にある。「性急病」とは、「功をあせりすぎる」傾向だ。このために中国は四十年間に八回もの「大起大落(大きな浮き沈み)」の苦渋をなめつづけた。」小島朋之著『中国共産党の選択』より。

「性急病」は、毛沢東が共産党に遺した、遺伝子の一つだ。権力に執着するあまり、本来目的であるはずの物が、手段となる所に病理がある。

前出の『財経』によれば、例えば、○五年七月着工の北京・天津間120kmを結ぶ「京津(けいしん)都市間鉄道」は、最初の計画では、時速200~250kmで、投資総額一二三.四億元とされた。しかし、後に営業速度が時速300km以上に引き上げられたため、本来は在来路線を改修して使用するはずが、高速に耐える路線を新たに建設しなければならなくなり、その名目で投資総額は二○六億元を超えた。しかし、開業してみると、列車が時速300kmを超えるのは、全運行中二分一九秒間のみ。そのため一部メディアや研究者から、二分一九秒のために、投資総額が二倍にふくらんだと非難された。「京津鉄道」は開業後、毎年七億元の赤字を出し、そのうち六億元が、中国国内銀行から借り受けた建設費用の利息。投資をしたのは、鉄道部・北京市・天津市及び、中国海洋石油総公司(CNOOC)だが、そのうち北京鉄道局が四三億元を出資している。

また、湖北省武漢と広東省広州市を走る「武広旅客専用線」の場合、広東省・湖南省・湖北省を結ぶ全長1069kmの鉄道に、○四年の計画では、総工費は九三○億元と計算された。しかし、建設資材や人件費等の要因により、後に、一一六六億元に改められ、橋梁や新設の駅の建設を含めると、最終的には一二○○億元に膨らむと予想されている。従来は十時間以上かかった武漢-広州間を、三時間で結び、平均速度は313km/hで世界最速。鉄道部・広東省・湖北省・湖南省の共同出資で、鉄道部の中国鉄路建設投資公司が四六四億元を出している。銀行からの四六四億元の貸し付けに対して、毎年およそ二五億元の利息を払わねばならない。

全路線中、建設費用が最も高いのは「京滬(けいこ)高速鉄道」で、総額二二○九億元。これは、三峡ダムの総工費二○三九億元を抜いて、中国史上最高額の建設費と言われている。最初の計画からは、一千億元近く増額された事になる。普通、高速鉄道(客運専線)の路線の敷設は、1km毎に一億元と言われており、全長1318kmの路線に何故、二二○九億元もの費用が必要だったのかという事は、二○一○年春頃に、盛んに伝えられ問題視されていた。

これらの採算を度外視した開発のため、『財経』によれば、○九年一二月三一日までに、鉄道部の総資産二.四六兆元に対して、負債総額は一.三兆元。しかし、「新華社」電子版の二○一一年三月一五日の報道では、中国鉄道企業の負債総額は一.八兆元、資産に占める負債率はおよそ56%、更に、「財新ネット」に報じられた、五月五日の『浮かび上がる鉄道部の欠損』によれば、一一年、第1四半期は三七.六億元の赤字を出し、資本は二○一○年の第3四半期に比べて二一二七億元減少、鉄道部の抱える負債率は継続して上昇し、58.24%に達したと伝えている。

ふくらみ続ける赤字は、結局、高額の運賃として人民に転嫁される。例えば、「武広旅客専用線」の場合、湖北省武漢から広東省広州まで、一等七八○元、二等四九○元。前出の「財経」によれば、珠江デルタ(中国珠江河口の広州、香港、マカオを結ぶ三角地帯)の工場労働者のこの当時の月収は一五○○元~一八○○元で、二等で往復すると、月収の半月分が消えてしまう。普通列車の硬座の六八元に比べおよそ十倍。月収三千元のホワイトカラーでさえ高いと感じる運賃設定だが、鉄道部は「武広線」開通後、十三本の普通列車の運行を取りやめ、乗客が高速鉄道に流れるようにしむけていると言う。

・跨越式発展
劉志軍は鉄道部部長に就任すると、鉄道には「跨越(こえつ)式発展」が必要だと述べた。「跨越」とは、跨も越も「こえる」という意。「跨越式発展」とは、常軌を逸した発展。可能な限り短時間に、高水準の産業・技術・品質、効果と利益の実現を目指す事で、先進国に追いつき追い越す事を目標とするが、全体的な発展ではなく部分的に遅れていても良い。人口・資源・環境に配慮しながら持続的に発展し、一貫して経済に活力をもたらし続ける発展の事を指すようだ。現代版「性急病」とも言える「跨越式」は、最近の中国でよく使われる言い回しだ。

これを証明するように、○四年、国務院を通過した『中長期鉄路網計画』には、「快速拡充(速やかに拡張する)」「迅速提高(迅速に引き上げる)」や「加快鉄路発展(鉄道の発展を加速させる)」という表現が並ぶ。これは、毛沢東の掲げた「大躍進運動」のスローガンの一つである、「多く・速く・立派に・コストを節約して(多快好省)社会主義を建設しよう」、にも似ている。

毛沢東は「十五年で英国を追い抜き、二十五年でアメリカに追いつく」と言い、大衆製鉄運動や、人民公社の導入によって増産し、イギリスやアメリカに追いつくはずだった。しかし、例えば、土着技術の精錬で製造された鉄は使い物にならず、作物を食い荒らす雀を大量に駆除したところ、イナゴの大発生を招き深刻な不作に陥った。一説に、経済的損失は一二○○億元、五九年から六一年までの餓死者は、一五○○万人とも言われている。

「京津(けいしん)都市間鉄道」は、○七年一二月一五日に全線開通し、○八年のオリンピックに合わせて、八月一日から営業開始。「京滬(けいこ)高速鉄道」は、○八年四月に着工し、当初は五年の計画だったが、短縮されて二○一二年の春の運行開始予定となり、更に前倒しになり、一一年六月三○日に開通、七月一日から営業を開始した。これは、七月一日の、中国共産党設立九○周年に間に合わせたためだ。

本来は、安価で人民の満足する服務をする事が、共産党に課せられた課題だったはずだ。しかし、「功を焦りすぎる」あまり、一気呵成に先進国を追い抜き、世界水準に押し上げようとする。ひょっとすると、二○一二年に開かれる中国共産党一八回大会に向けて、或いは、二○一三年の国務院総理・全人代常務委員会委員長・政治協商会議全国委員会主席などの政府要職任期満了に向かって、高速鉄道建設という超巨大国家計画を、常軌を逸した速度で推し進めてしまう。「人民の為の服務」は栄達のための手段へと変化する。

二○一一年三月発表の「第12次五カ年計画(二○一一年~二○一五年)」に関する鉄道部の計画によれば、二○一五年までに、全国鉄道営業距離は12万Kmに達し、同年の全国鉄道客運量は三○億人、貨物運送量は四八億トンを目標とすると発表している。この計画に従って建設の続くかぎり、借入金と利息は急速に膨らみ、銀行からの莫大な借り入れと、その生み出す巨額の利子は、時間的に見れば二○一八年頃に、債務返済のピークを迎えると言われている。

・劉志軍の逮捕
二○一一年二月一二日、鉄道部部長 劉志軍が解任された。公式な理由は「重大な規律違反の嫌疑」との発表に止まった。しかし、順風満帆に見えた高級幹部が、俄に罷免されたとあって、様々な憶測を呼んだ。

香港《明報》の報じた所によると、重大な規律違反の疑いで辞職した元鉄道部長劉志軍は、鉄道の入札に関して、山西省の女性商人 丁書苗(ていしょびょう)と結託し、八.二二億元の仲介料を得たと指摘された。更に、ある報道では、仲介料は二○億元にのぼり、劉志軍は、この巨額な資金で官位を買い副総理になり、中央権力の中心である政治局に入ろうという計画まであった、と指摘している。

《経済観察報》の報道によれば、二○○七年以来、劉志軍は丁書苗等と共謀し、丁書苗の鉄道建設プロジェクトの入札を助けて利益を得、国有資産に巨額の損失を与えた。高速鉄道の多くの資材は、すべて丁書苗の経営する博宥集団からの提供で、市場価格に比べて二から三倍の価格だった。例えば、高速鉄道の二つの障壁・環島音屛は、内地の他の企業でも生産できるが、しかし劉志軍は、博宥の資材を使うよう指定した。

劉志軍は職権を濫用し、多くの企業に八個の鉄道建設プロジェクトを落札させ、丁書苗を通して、落札した企業に対して、投資額の2.5%~4%の仲介料、総額八.二二億元を手にした。その中から、丁書苗は個人的に四.二二億元を手にした。国家審計(監査)署の監査結果では、丁書苗はいかなる仲介サービスも提供していない。ただ黒幕に操られて、入札の結果に口を出したが、これは《入札法(招標投標法)》の規定に違反し、違法行為で不法な利益を獲得していた。

この他《多維新聞網》は、次の様に報じている。劉志軍事件の金額は二○億元に達しているが、他の汚職事件と違うのは、事件が発覚した時、劉志軍本人は一分も手を付けておらず、この二○億の賄賂は丁書苗の会社の口座に預けっぱなしにされていた点だ。捜査官の話によれば、丁書苗は、劉志軍は以前、彼女に「この金は無駄に使うな、俺のためにきっちり保管しておけ、後で必要になる金だ。」と命じた、と供述している。(『劉志軍20億を準備し 買官で副総理となる(劉志軍準備20億買官做副總理)』「香港明報專訊」2013年6月11日より)

例えば、国共内戦、朝鮮・中越戦争等も終結し、社会が比較的安定した時期に入った時、特別な能力もコネも血縁関係も無い人物が、党内で出世をするためには、どの様な道があるのだろうかと思う。チベットやウイグルを平定して共産党に差し出すにしても、暴動鎮圧に対する世界の目は厳しく、また、普通の幹部では、その様な好機に巡り会う事も難しい。しかも、現在、人民が共産党員になるのは、栄達のためだ。

中国高速鉄道は、○四年一月に『中長期鉄路網計画』が国務院を通過してから、僅か四年で300km/hの「京津都市間鉄道」を開通、翌○九年には、世界最長・最速の「武広旅客専用線」開通、○九年九月には、今回事故の起こった「温福、寧台温高速鉄道」、一○年二月「鄭西旅客専用線」、四月「福州・アモイ高速鉄道」、五月、成都と都江堰(とこうえん)を結ぶ「都灌(とかん)高速鉄道」、七月、上海と南京を結ぶ「滬寧(こねい)都市間鉄道」、一○月南京・上海・杭州を結ぶ「寧滬杭(ねいここう)高速鉄道」が開通し、一二年までに1.8万キロを目指す。

・四○日に五回と四日で三回
中国高速鉄道は世界最長・最速・発展速度も迅速、その上、工業や経済を牽引する事業だったかもしれない。しかし、性能と安全には早くから疑問が持たれ、「武広旅客専用線」や「京滬高速鉄道」が営業に入るや、様々な故障が頻発した。

事故に関する比較的早期の記事は、○九年一二月二六日開業の「武広旅客専用線」に関する記事で、開業して四○日で五回の故障報道が流れた。その報道と内容は以下の通り。

 *喫煙で発車できず
一二月二九日午後一五時頃、CRH2型G1048次列車(広州北発ー武漢着)で、設備故障が起こり、出発が遅れ、後続の列車も遅れた。鉄道部門の技術員が直ぐさま現場に赴き調査したところ、乗客の喫煙が原因だった。G1048次列車は一四時五○分発車のはずが、一七時三五分に二時間四五分遅れで発車。後続の列車二本も遅れ、数千名の足に影響が出た。「鳳凰視頻」は、これは国民の素養に関する事故と発表。(「騰訊新聞」『武広高速鉄道 喫煙のため発車遅れ 乗客車内に三時間缶詰(武广高铁因吸烟停运 乘客被关车内三小时)』2009年12月30日07:49、「鳳凰視頻」『星島:乗客喫煙違犯で武広高速鉄道の故障を招く(星岛:乘客违禁吸烟导致武广高铁故障)』2009-12-31 08:16:18 等)

 *ATPの誤作動
一二月三○日午後三時三○分頃、長沙南駅発広州北行きのG6009次列車の自動列車保護装置(ATP)が誤作動して警報が鳴り、長沙南駅に引き返した。列車は一時間一○分遅れの、午後四時四○分、長沙南駅を出発した。ATP系統の過剰反応だった。武広高速鉄道は開業初期なので、ATP系統は比較的敏感に設定されており、鉄道部門は実際の運行状況に基づき調整を行う、と発表した。(「鳳凰博報」『武広高速鉄道再度故障 保護系統の過剰反応で一時間遅延(武广高铁再遇故障 因保护系统敏感晚点1小时)』2009-12-31、「大河網」『武広高速鉄道はなぜ40日に5回も事故を起こしたのか(武广高铁为何40天5起事故)』2010年02月08日来源:大河网より)

 *メールで発覚
二○一○年一月一九日、G6008次列車が、一九時五○分に広州北駅を出発した直後に停車。数度に渉り再起動に失敗した。二○時二一分頃、乗客の一人が広州日報の読者で、広州日報の記者にメールを送った。事件が発覚した。二○時二七分のメールでは、列車は依然として止まったままで、乗務員が乗客の目的地を記録している、と書かれていた。三分後のメールでは、列車は動かず、多くの乗客が騒ぎ始めた。その四分後、列車は二○時三三分に、漸く正常に走り出した。この読者は一号車に乗車しており、列車長に原因を尋ねたところ、主電動機の故障で、もし再起動ができなければ、予備の車両で中継輸送をするつもりだ、と話したと言う。(「捜狐新聞」『武広高速鉄道走行中に再び故障 再起動に失敗し停車40分(武广高铁行驶中再出故障 重启未果停运40分钟)』来源:大洋网-广州日报 2010年01月20日より)

 *長沙で二時間
二○一○年二月三日、G1002次列車は九時一分広州南駅を出発し、一二時八分武漢駅に到着するはずだった。ところが、出発して八分後、列車はトンネルで二分間停止し、問題が発生したようだった。その後、九時五四分・一○時一分とそれぞれ停止し、最終的に長沙で修理のために二時間あまり停車した。車内には、凡そ一千名の乗客がいたが、事故が起きたのは昼時だった。乗客は列車側に食事のサービスを要求したが、列車側は上からの指示待ちだ、と答えた。そこで、今度は、自分で負担するので(付近に買い物に行きたいので、列車のドアを開けてくれ)、と要求しても開けるはずもなく、車上の食品も売り切れてしまっていた。空調が効いてはいたが、車内は息苦しかった。一一時二○分頃、13号車で、幼児が頰を真っ赤にして、息苦しそう、騒いでいた。母親は子供を抱いてドアの付近を行きつ戻りつしていた。父親は、「俺の子供は耐えられないんだ、子供を外に出してくれ、空気を入れ換えてくれ!」と叫んでいた。しかし、列車のドアは開かない。焦った父親は安全ハンマーでドアのガラスをたたき割った。その後、この父母と子供は警備員によって列車から降ろされた。午後二時五五分、列車は漸く終点の武漢に到着した。途中、車内放送での謝罪が流れた。列車側の説明では、機械の故障で、湖南省長沙で修理するしかなかった。この列車は、武漢直行の列車で、停車したのは線路上だったために、安全のために、ドアを開けて降ろす事ができなかった、と述べた。記者が今回の事件について武広高速鉄道に尋ねたところ、設備故障のために、一一時二二分に長沙南駅で臨時停車し、終点の武漢に約二時間遅れで到着した。長沙南駅では、直ぐさま乗客に対して食品と飲料水が提供された。鉄道部門は、列車の故障で影響を受けたG1002次列車の乗客に対して、深い謝罪の意を表した。現在、専門家と技術員が、事故車両の全面検査を行っている、と述べた。(「本地宝・広州交通」『2月3日武広高速鉄道故障で長沙で滞在2時間(2月3日武广高铁故障长沙滞留两小时)』2010年6月9日)

 *駅で一万人が足止め
二月七日午後四時頃、武広高速鉄道韶関(しょうかん)区間で設備故障が発生し、広州南駅発の九本が遅れ、一万人以上の旅行客が駅構内に足止めとなった。開業して一週間も経たない広州南駅は、突発事件の対処と、旅客への対応に課題を抱えていた。記者が七時三○分頃、広州南駅に着くと、まだ大量の乗客が、一階のホールに集められ、正確な発車時間が放送されるのを待っていた。鉄道警察と武装警察も、構内の秩序維持に務めていた。ホールには備え付けの椅子も無く、乗客は、新聞・雑誌、或いは、荷物を椅子代わりにして座っていた。鉄道部門がメディアに対して発表した内容には、“遅延した列車の乗客には、無償で食料と飲料水を提供する”、と書かれていたが、乗客は、食品も飲料水も手にしておらず、放送も聞いていない、と語った。売店は三階にあるだけ、トイレも一階には無いので、カップ麺を買うにも、トイレに行くのも、人の波を押しのけて行かなければならなかった。列車が復旧すると、警察・従業員とボランティアは、エスカレーターの前に待機し、順序よく乗客を二階の待合室に誘導していた。(「人民網」『武広高速鉄道韶関区間で故障が発生 広州南駅で足止めの客一万余(武广高铁韶关段发生故障 广州南站滞客万余)』2010年02月07日来源:《广州日报》)

「京滬(けいこ)高速鉄道」の場合は、六月三○日に開通、七月一日から営業を開始したが、七月一○日から一三日までの四日間に、三度の故障が起こり連日CCTV13で取り上げられた。建設費用最高額の高速鉄道が、連日故障した事で世間は騒然となった。

 *雷雨で停電か?
七月一○日午後六時頃、山東省管内で激しい雷雨が起こり、京滬高速鉄道の曲阜東(きょくふひがし)から滕州(とうしゅう)・棗荘(そうしょう)間で送電線が接触して停電した。この影響で、京滬高速鉄道の一九本に遅れが生じた。京滬線G39次列車に乗車して、北京から杭州に向かった乗客の話しでは、列車は午後六時五○分、山東省泰安で動かなくなった。窓の外には、高速鉄道の他の車両が停まっていた。車内の空調は効いており、照明も一瞬消えたが、すぐに戻った。その後、乗務員が来て、照明の半分を消したので、列車内は混乱した。乗客は皆、いつ頃、発車するのか知りたがったが、列車長からの明確な答えは無かった。その後、七時四一分、G39次列車は再び動き始めた。一○時三○分、乗務員が乗客に対して、この列車は一時間五○分遅れであると知らせた。同じ頃、京滬鉄道G151次列車も橋の上に停車していた。全車両停電で空調も停まり、乗客は車内に閉じ込められて、暑くて息苦しい、とミニブログ(微博)上へ書き込んでいた。(「sina全球新聞」『京滬高速鉄道19本の列車 雷電で接触故障により遅延(京滬高鐵19趟列車因雷電引發觸網故障晚點)』2011年07月10日 12:07新京報、その他)

 *専門家の意見
七月一二日一一時、京滬高速鉄道安徽宿州付近で、送電設備が故障し、応急修理を経て、一三時に復旧した。故障によって、少なくとも一一本が遅れて北京南駅に到着し、三本が北京南駅から遅れて発車した。列車が遅れた事に対して、鉄道部門は遺憾の意を表した。一二日午後、北京南駅地下一階の改札口で、行き先を示すボード上の、「G」から始まる京滬線の列車には、均しく“延着”或いは“延着未定”と表示されていた。記者が延着の列車を数えてみると一一本あった。今回の故障では、多くの乗客がミニブログ(微博)上に書き込んだ。ある乗客は、午前一一時頃、京滬線D182次列車は宿州のケーブルに接触したんだ。窓の向こうで火花が光り、悲鳴と共に列車は止まった。G14次列車の乗客によれば、蚌埠(ぼうふ)を過ぎたところで、時速30~45kmになり、五分後75kmになった。G109次列車の乗客によれば、八時四三分に北京南駅を出発、一一時三○分頃、山東省棗荘付近で停車。「車内の秩序は乱れず、空調も正常に作動、照明も問題なし。」列車は一二時五○分に再び走り始めたものの五分後に停車。午後一時三八分に再び走り始めた。

専門家は、事故発生とその結果からみて、今回の設備故障とは、送電系統に問題が生じたのだ、と分析する。京滬沿線は一区間おきに、三相22万ボルトを単相2万7500ボルトにする変電所があり、これが、牽引ステーションとなる。牽引ステーションの電流は“手と手をつなぐ“方式で、列車の走行中は、前後二つの牽引ステーションから電力が提供される。この方式では、もし、一つの牽引ステーションに問題が生じても、列車への電力の供給が保証できる。しかし、供給電力が減少すると、同じ時間内で、二つの牽引ステーションの間を通過する列車の数量も減少し、或いは、列車も減速する。ネットユーザーが、列車が走り出しても30~40kmほどで、その後70kmの速度が続いた、と書き込んだのはこのためだ。ケーブルの火花というのは、恐らく、ケーブルに接触した瞬間、高い電圧が流れ、施設を保護するための遮断器が働かず火花が出たのだ。もし、牽引ステーションが壊れても、電源を切り替えるだけなので、数秒か数分あれば済む。今回の電気系統の故障では2時間かかっているが、事故の確率から考えて、最も可能性が高い原因は三つ、第一は設備本体の品質の問題。第二は、設備の取り付け、施工の技術に問題がある。第三は、人為的な問題だ。天候の影響を受けた可能性は極めて低い、と述べた。(「sina全球新聞」『専門家 京滬高速鉄道は品質の問題で送電設備に故障が生じた疑いあり(专家称京沪高铁疑因质量问题发生供电设备故障)』2011年07月12日 11:27)

 *「おから」批判
一三日に、また停電事故が発生し、約二時間半の遅れが出た。四日間で三度の故障で、その施工の質と安全に、ネットユーザーからはまるで「おから」のようだ、との批判が噴出した。乗車していたユーザーによれば、一三日午前九時四三分、上海虹橋(こうきょう)発・北京南駅着のG114次列車は、一○時頃に突然故障し、一度常州北駅に停車した後、一一時四五分に鎮江南駅に到着した。出発後の最高時速は、僅かに130km程度だった。この時点で一時間四○分の遅れが出ていた。列車長の話しでは、前方の「信号が消えた」ので運行できない、という事だった。一二時四三分、乗客は別の列車に乗り換え目的地に向かった。幸いな事に、他の列車に影響は出なかった。ユーザーは「おからの様だ」と攻撃し、大学教授は、頻繁に事故が起きるのは、「送電技術が、必要なレベルに達していないのだ」、電気系統の専門家によれば、一、二時間で修理できるのは、設備と施工の質に関係があるからだ、と述べた。京滬高速鉄道は、全長1318km、中国の旗艦級工事として知られており、並びに、この高速鉄道の技術でカリフォルニア・英国での契約を勝ち取ろうとしている。しかし、京滬高速鉄道は、施工の質に疑問が持たれている事を除いても、少なくとも、十件の汚職事案が絡んでおり、鉄道部は営業のコスト削減のために、更に、350kmの最高時速も引き下げてしまった。((「sina全球新聞」『4日で3度の事故 中国京滬高速鉄道に「おから」攻撃(4天3次出包!中国京沪高铁遭轰「豆腐渣」)』2011年07月13日 18:51澳洲日报)

CCTV13の「NEWS1+1」は七月一四日晩の放送で、一○日から一三日までに起きた三度の事故を取り上げて特集を組み、事故が起こってからの人民の不満、例えば、事故原因と運転再開までの説明がない、停電で暑い、水も食料も満足に配られない、水がないのでトイレも流すことが出来ない等の問題を取り上げた。これに対して鉄道部の報道官王勇平は、鉄道関係を代表して謝罪し、「今は故障の集中する『産みの苦しみの時』すぐに停車するのは人命を尊重しているため。今後は、事故の場合は、迅速に原因を調べ、すぐさま修理し、同時に、迅速に乗客に知らせるようにする。」と述べた。しかし、番組放送後、僅か十日後に車両の転落事故が発生した。

・分散する性急病
今回、鉄道部部長の劉志軍、及び運輸局長の張曙光が逮捕され、脱線事故が起きてしまったが、地方幹部は今も鉄道建設に充分乗り気である上に、『中長期鉄路網計画』は国務院で批准されているので、俄に撤回する事はできない。いわゆる"四縦四横"(四縦は、北京を起点として上海・深玔・大連、及び、杭州から深玔。四横は、徐州から蘭州、杭州から長沙、青島から太原、南京から成都)を始めとする四二路線は、一二年までの完成目標を掲げ、一二期五カ年計画に対する鉄道部の計画でも、一五年までの敷設計画が立てられている。

銀行への負債は膨らみ経営破綻をきたしかねない上に、「性急病」にかかった高級幹部の汚職を考えれば、建造物が粗悪である可能性も出てくる。鉄道部部長の劉志軍は二○億元、張曙光はアメリカとスイスに二八億ドル、米国内三か所に豪邸を所有していたが、これは、湖北省下の地方都市の二○一○年のGDPに匹敵する金額であると言う。

鉄道部以外にも危険な建造物はある。創立九○周年記念として六月三○日に開通した、青島膠州湾大橋(ちんたおこうしゅうわんおおはし)は、山東省青島市で開通した世界最長、全長41.58 kmの自動車専用の海上橋。「山東高速膠州湾大橋建設総指揮長」の姜言泉(きょうげんせん)は「中国東部地区の海上橋の中で耐震性が最も高い」と豪語するが、CCTV13は開通一ヶ月後の七月四日に取材を行い、粗悪な工事の現状を報告している。

報道によれば、「青島膠州湾大橋」のガードレールのボルトとナットは締められておらず、酷い所では、ボルトも無く穴だけが開いている。或いは、ガードレールとの間に指が入るほどの隙間がある、ガードレールそのものが設置されておらず道路だけ、という状況で、一日に一万八千台が行き来している。路面は平坦なので、車はスピードを上げて走るが、照明灯も殆ど設置されていない。工事責任者の話では、照明灯を設置し完成するまでにあと二、三ヶ月はかかるという。

高級幹部の提唱する「跨越式発展」は、中国経済と人命を危険にさらしながら拡大を続けている。

・事件の行方
さて、脱線事故の発生後、七月二八日夜七時のCCTVの報道で、温家宝は事故現場で哀悼の意を表し、続いて病院に行き、被害を受けた乗客に対し、医療費の免除を約束した。事故現場で最後に発見された二歳八ヶ月の少女も見舞い、事故の遺族に面会して深々と頭を下げた。そして、事故原因を徹底的に追及し、公正な裁きをすると、テレビの前で約束する姿が全国に流れた。

事の真偽は定かではないが、事情通は、二○億の用途とは、恐らく劉志軍が検察部門に減刑のために支払う賄賂から、はては、政治局への路を切り開くための「買官」の費用が含まれている、と明かした。五八歳の劉志軍は、非常に大きな野心を抱いている。彼の家族は、劉志軍は「一意専心」国務院副総理になろうと頑張っており、現在、工業と交通主管の副総理である張徳江(工業、交通、人力資源、社会保障、企業改革、安全生産等担当)の地位を引き継ぎ、また、中央権力の中心である中共中央政治局に入るのだ、と言いふらしていた。劉志軍の政治的野心は、鉄道部門ではつとに知られており、彼が失脚した後、ある鉄道部の従業員が鉄道論壇に文章を発表し、「彼(劉志軍)は彼の願望を実現したはずだ。局に入った。もっとも彼が入ったのは公安局だがね。」、と。(『劉志軍20億を準備し 買官で副総理となる(劉志軍準備20億買官做副總理)』「香港明報專訊」2013年6月11日より)

買官は、売る者と買う者で成立する。当然、人民の目は国務院と政治局常委会(国家の最高指導部)に向けられる。国務院総理の温家宝としては、道義的責任上からも、共産党が人民の負託に応えられるという事を証明するためにも、報道陣の前で事故原因と公正な裁きを約束しなければならなかったはずだ。しかし、鉄道部の膿を絞り出し、共産党の正義を示す事は容易な事ではない。

例えば、今回の事故での死傷者数でさえ、二四日の「新華社通信」電子版では、死者三五名、負傷者二一○名。「東方衛視」(上海広播電視台傘下の衛星放送局)の放送では、二四日朝七時のニュースで、死者六三名、負傷者二○三名。結局、二八日、夜七時の「CCTV」(中国中央電視台)の報道で、死者三九名、負傷者一九二名に落ち着いたが、列車の中に千名が閉じ込められたり、駅で一万人が足止めされたという報道が連日流れているのだ。人民がこの数字を信用しているかどうかは疑問だ。その上、事故に対する反響が大きすぎて共産党政権を揺るがしかねないとの判断からか、或いは、鉄道部及び政治局常委会内部の抵抗からか、はたまた、海外での販売競争を懸念しての事か、事故報道は、二八日以降、急速に少なくなっていった。

・結び
「建造物の安全性は、技術よりも制作側の道徳心に比例する」と言ったのは、CCTVのアナウンサーだ。日本でも欠陥住宅が問題になったことがあったが、個人の会社と国家的計画とでは規模が違う。問われているのは、個人ではなく国家を代表する政権政党の道徳観念だ。

買官がただの噂に過ぎなかったとしても、或いは、権力闘争の果ての汚職の摘発に過ぎなかったとしても、摘発される幹部が後を絶たないのは、共産党内に蔓延る腐敗の深刻さを示している。汚職は鉄道部だけではない。通信業界では中国移動(チャイナ・モバイル)党組書記、副総裁の張春江が、○九年一二月から取り調べを受けていたが、一一年七月二一日に七四六万余元の不正蓄財をしたとして、政治的権利を終身剥奪・個人財産を没収の上、一審で執行猶予二年の死刑判決を受けている。(「THE WALL STREET JOURNAL中文版」『中国移動もと副副総裁張春江 執行猶予付死刑判決(中國移動原副董事長張春江被判處死緩)』2011年 7月 22日 17:22)

一九七八年秋にはじまった自由・民主・人権を求める運動「北京の春」の中心人物である魏京生は、「マルクス主義のプロレタリア独裁理論を「人としての平等な生活権をも否定する」と批判し、マルクス主義的な社会主義を「それが社会制度になったとき、例外なく非民主主義的、反民主主義的な専制的な社会主義となった」と批判した。」『共産党の選択』より。

先日、中国政府系格付け会社「大公国際資信評価」が、鉄道省発行の債券に「トリプルA」と最高の評価を与え続けていると報道された。高速鉄道の敷設による負債は、鉄道部以外に地方政府や企業も抱えている。負債を抱えていても、すぐに破綻をきたすわけではないが、この格付けの結果は、政府の情報操作ではないかとの疑いを禁じ得ない。

ただ、その一方で、脱線事故の報道に限らず高速鉄道の事故を伝えるニュースは、八月に入っても流れ続けており、この文章中に取り上げた記事もネット上では閲覧可能だ。今のところ、自浄作用が働いているのだろうか、報道の規制は完全には敷かれていない。この事は、困難な事ではあるにしても、胡錦濤・温家宝政権の、鉄道部の汚職を含めた事故の究明、或いは、共産党内の腐敗排除への意気込みが覗える。

ならば日本は、隣国の汚職に手を貸さないのは無論のこと、贈収賄の果てにできた負債を、何らかの形でも引き受ける事のないようにしたい。少なくとも、好調と言われて久しい中国経済が、実は破綻に向かって進んでおり、その状況に国務院でさえ手を焼いている事実を頭の片隅に置きながら、共産党の自浄作用に拍手を送りつつ、注意深く見守ることが肝要と思う。

  (終)

祝!安保関連通過(中共から押し付けられた『村山談話』)

2015年07月15日 12時53分29秒 | 日記
『中共から押し付けられた「村山談話」と、周恩来も認めた日本の尖閣領有』

(一)いかがわしい「談話」

・いかがわしい記事
二○一三年九月二日、「人民網・国際論壇」に『日本前首相村山富市:日本は如何にして同じ過ちを回避すべきか?(「日本前首相村山富市:日本如何避免重蹈覆辙?」)』と題する記事が掲載された。※「レコードチャイナ」には、『村山富市元首相が人民日報に寄稿、「現行の日本国憲法の改変は絶対に許してはならない」―中国』という題で取り上げられていたので、読まれた方もいらっしゃると思う。※Record China、日本の中国関連の時事を報道するニュースサイト。

「レコードチャイナ」は、村山氏の「寄稿」と報じているし、「人民日報」にも「日本前首相村山富市」と書かれている。しかし、原文の最後には「作者は日本の前首相、本社駐日本記者 劉軍国が取材し整理した」とあり、この記事は、インタビューを「整理」した物である、と断っている。記者の整理した文章に、どれ程「人民日報」(=中共)の見解が反映されているのか、或いは、そういう物を「寄稿」と言うのか疑問の残る所だが、先ずは、「人民日報」の記事を紹介したい。

「私は若い頃からずっと、日本はアジアの一員として、地政学的な観点からにせよ、歴史から見るにせよ、アジア諸国と密接な関係にある。日本は、アジア諸国と信頼できる強固な基礎を築く必要がある、と考えている。これも私の人生の信条である。

私は首相に当選すると、先ず、韓国・中国等アジアの国家を訪問し、身を以て、第二次大戦中の日本の植民地統治と侵略により、アジアの隣国に拭い去る事の出来ない悲しみをもたらした事を感じた。私の首相の任期中、ちょうど第二次大戦終結五十周年の歴史の節目にあたり、日本は、この前に犯した戦争の犯罪行為を深く反省し、同時に全世界に向けて、今後はあくまで平和・民主主義から国際協調に及ぶ発展してゆく道を歩む事を、表明しなければならなかった。この様な背景のもと、私は“村山談話”を発表した。

私が“村山談話”を発表したのは、日本が今後もしアジア及び世界各国と平和共存を望むのであれば、必ず過去の歴史に対して徹底的に清算しなければならない。私は、まさに“村山談話”を通じて、中韓等アジアの国家が、日本は歴史問題において過去とは明確に一線を画した事を知り、並びに、次第に理解し日本を受け入れ始める、と考えたからだ。これにより、第一次安倍内閣を含む、その後の歴代内閣も、皆、明確に“村山談話”を継承すると表明した。

しかし、安倍は二度目に首相に就任すると、“‘村山談話’を手つかずで継承する事は出来ない”と公言し、並びに、“侵略の定義は国際上まだ定論はない”と述べ、明確に“村山談話”を改正すべきと表明した。安倍がどの様に“村山談話”を改正するつもりなのかは解らないが、しかし、もし侵略を否認するのであれば、まさに関係各国は、それ以前の日本の歴代首相の発言に対して、深刻な不信感を抱くだろう。第二次大戦終結後、日本の歴史教育は近現代史を教えることが少なく、目下、大多数の日本人は過去の戦争を理解しなくなっている。

正確に過去の歴史を学習する事は、隣国との友好関係を築く助けになるばかりでなく、日本の今後の発展に対しても重大な意義を具えている。

私は、日本の政治の右傾化を非常に心配している。日本の政治家はより一層日本の近現代史を学習する必要がある、とりわけ、日本がかつてアジアの隣国に対して行った植民地統治と侵略のあの歴史を。そうして始めて同じ過ちを回避する事ができる。

日本はまさに《ポツダム宣言》、《カイロ宣言》及び東京裁判の判決を受け入れた事により、やっと国際社会に復帰することができた。もし、日本の首相と閣僚がA級戦犯を奉る靖國神社に参拝すれば、それは日本がその前に受け入れた国際条約を否認する事を意味している。私は、首相と閣僚は靖國神社に参拝すべきではないと思う。

最近、憲法改正が重大な課題となっているが、しかし、私は、基本的人権を尊重し、平和と民主主義を基調とする日本の現行憲法を改正することは、絶対に許さない。広島の原子爆弾記念館の石碑には“過ちは繰り返しません”と刻まれている。私は、これは広島県の人民の誓いだけではなく、あらゆる日本国民の誓いであるべきだと考えている。平和国家になる事は、日本国憲法の指示するところのものだ。

(作者は日本の前首相、弊社駐日本記者 劉軍国が取材して整理した(作者为日本前首相,本报驻日本记者刘军国采访整理))(《人民日报》2013年09月02日 03 版)」

この記事の主題は、「正確に過去の歴史を学習する事は、隣国との友好関係を築く助けになるばかりでなく、日本の今後の発展に対しても重大な意義を具えている。」という部分にある。更に、記事の内容は、《ポツダム宣言》から現在の安倍政権に到るまで、中共が特に注目する歴史について触れており、その間の日中の歴史を振り返るのに簡便だ。そこで、この稿では、記事の内容を検証しながら、何故、九月二日に村山氏の名を冠した記事が掲載されたのかと言う事と、「尖閣諸島」は日本の領土であると「人民日報」も認めていた、という二点について、両国の歴史に留意しつつ考えてみたい。

・村山訪中前夜
先ず「私は首相に当選すると、先ず、韓国・中国等アジアの国家を訪問し…」の部分だが、ここには、何時、どこで、何を見た、と言うような具体的な事柄が書かれていない。だからと言って、何も無かったはずだとは言わないが、第一次村山内閣は、平成六年(一九九四年)六月三十日から平成七年(一九九五年)八月八日までなので、この頃、村山首相は中韓を始めとするアジア諸国を訪問したはずだ。

ちょうど同時期、私は中国に留学中で、村山氏より自由に、長時間、各地を見て歩く機会に恵まれた。しかし、氏の言うような、「第二次大戦中の日本の植民地統治と侵略により、アジアの隣国に拭い去る事の出来ない悲しみをもたらした」というような場面は見ていないし、日本人の私に文句を言ってくる中国人もいなかった。

今から約二十年前の平成四年(九二年)十月二三日~二八日、天皇陛下が中国を訪問された。天安門事件(八九年)で欧米諸国から非難を受けていた中国に、日本が手を差しのべた形での御訪中で、その前後、大陸では、NHKドラマの「おしん」や、テレビアニメの「一休さん」が放送され、ちょっとした日本ブームが起きていた。北京建国門外には、ニューオータニ系列のホテル「長富宮飯店」の列びに、高級品や日本食を扱う「ヤオハンデパート」もできて、その一角は「日中友好」の象徴のようだった。

御訪問の間、人民日報には毎日、如何に人民が陛下を歓迎しているかという内容の記事と、公用車を取り巻く黒山の人だかりの写真が掲載された。テレビでも、北京の天安門だったか、上海の南京路だったか、歓迎する人民で埋め尽くされている様子を放送していた。また、この御訪中の御蔭で、陛下が帰国された後も、日本人はたいていの場所で、人民から憧れをもって迎えられた。

例えば、大学に申請して農村に入り、大晦日前後の農家の様子を見に行った時の事だ。大学側は、学内で働く女性を紹介してくれたので、彼女の休暇に合わせて農村に入った。宿泊先の農家(彼女の実家)では、私のために小さな歓迎会を開いてくれた。日本人が村に来たというので、彼女の親戚や知り合いが、次々に私の周りに集まってきて、日本はどんなだ、とか、食べ物や電気製品の話で盛り上がった。子供もまとわりついてきた。

夕食後、彼女に断って、ストーブやベッド・部屋の中を写真に撮り始めると、当時の農村では写真はまだ珍しかったようで、彼女が「皆を写してほしい」と言い出した。そこで、こんな事なら、もっと良いカメラを持ってくるのだった、などと思いながら、三十組ほどの家族写真を撮影した(撮影した写真は、大学に帰ってから現像して彼女に渡した)。翌日には、新年を迎える街の様子を見に行き、夜中にザーサイづくりの農家に行って、新年を迎える祭を見せて貰い、皆で餃子を包んだりした。最終日、大学に帰る時には、家族で駅まで見送りにきてくれて、贈り物なども頂いたが、中に彼女のお姉さん手作りの刺繍の施された靴の中敷きが入っていて、少なからず感動した覚えがある。中国には、女性が手作りの中敷を、大切な人送る習慣があるからだ。

別に、農村に限らず、図書館や博物館で、或いは、列車やバスに乗車した時、当時中国にいた日本人は、皆、中国人から好意的な応対を受けていたはずだ。ほんの一時期ではあったが、この頃の日本と中国の関係が、「日中友好」の最良の姿ではなかったかと思う。

その後、九三年 江沢民が国家主席となり、九四年村山内閣成立。九五年五月三日、村山総理が江沢民国家主席と中南海で会見。日本と中国の関係が、おかしな事になるのは、村山富市氏の訪中後からだ。

・反日の萌芽
一九九五年五月四日の「人民日報」第一面、中央の見出しには「江主席 村山首相と会見、双方は歴史に対して正しい態度をとり、将来に目を向ける事が両国の関係を押し進め更に発展させるとの意を示した」と書かれていた。江沢民は会見の中で「我々は永遠にこの痛ましい歴史を心に刻むべきである」と言っており、また、「李鵬総理 村山首相と会談、二十一世紀に向かう中日関係を更に発展させたいとの意向を示した。村山首相は中国人民英雄記念碑に花輪を捧げた」との、写真付きの記事が掲載された。

同新聞の四面にも、「日本の首相 抗日戦争記念館を参観、村山の書き置きには、歴史を直視し、日中友好と永久平和を祈る、と」、蘆溝橋を参観した時の様子を載せている。抗日戦争の殉難者も祭る、中国人民英雄記念碑に花輪を捧げている新聞の写真を見て、私は、村山富市という人に、この時、日本の総理大臣である自覚があったのか、非常に疑問に思っていた。

この会見から約一ヶ月後の、「人民日報」九五年六月十二日号に、初めて大々的に、排日の記事が掲載された。三面、一番上に大きく「中国人民抗日戦争勝利五十周年を記念す」と書かれ、この連載について、「…中国人民抗日戦争勝利五十周年を記念し、愛国主義を発揚し、民族の精神を奮い立たせるために、人民解放軍総政治部宣伝部と本紙国内政治部は、共同で《この歴史を忘れるな》という特集を組み、専門家の意見・レポート・インタビュー・写真等のついた一連の原稿を掲載します。本日は、中国国際戦略学会会長 徐信の著した《血まみれの歴史 偉大な貢献》の一文を掲載し、この特集の序章としたいと思います。」、と説明している。

この特集記事は、新聞のまるまる一面を使って、大々的に行われた連載だった。私は、この「人民日報」の記事が、その後十数年間続く排日運動を方向付ける記事であったと考えている。この運動は、人民解放軍総政治部と人民日報から始まった。どちらも江沢民に近い組織だ。この記事と村山・江会談が無関係であるはずはない。

連載が始まった頃、私は中国人からよくこんな事を聞かれた、
 「この間まで中日友好、中日友好と言っていたのに、日本はこれでいいのか?」。この頃の「人民日報」は、一部十六面で、一面まるまる使って排日の記事を連載すると言うのは、中国人の目にも常軌を逸した扱いに映じていた。

私は、村山総理の周辺か、或いは、天皇陛下の御訪中をお膳立てした人々が、中国に対して抗議をするだろうと思っていた。御訪中については、多くの反対があり、反対を押し切った人々には、友好を持続させる責任があるはずだ。また、当の村山総理が、謝罪の目的は「日中友好」であると、言い触れ回っているではないか。だいたい、この様な記事が新聞に連載されては、日本人は中国に住んではいられない。邦人の安全の為にも、何か策を講ずると思っていた。

しかし、日本は、中国の排日運動を看過したのみならず、その後、九八年、排日運動の首謀者である江沢民を招聘し、宮中晩餐会に呼び、日中共同宣言まで発表した。

八九年には、民主化運動に理解を示して追放された趙紫陽の後任として、学生の弾圧を肯定して総書記に就任。九六年には、中華民国総統選に圧力を掛けるために、台湾海峡にミサイルを撃ち込んでいる。私は、江沢民を嫌いだと言う中国人には大勢会ったが、好きだという中国人には会ったことがない。

インターネットの普及する以前の事だ。今の様に、何でも手軽に検索できる時代ではない。日本側に、中国本土の情報が不足していたように思う。

ただ、それにしても、《この歴史を忘れるな》の掲載された「人民日報」は、共産党の機関紙として、当時は、発行部数一千万部を誇る中国第一の新聞だった。八九年に「天安門事件」が起こって僅か六年、当時、日本大使館や領事館に勤めていた官僚や日本の職員が、中国の新聞を読んでいないはずはない。文化大革命が上海の「文匯報(ぶんわいほう)」から始まったように、中国全土で繰り広げられることになる反日愛国運動も、「人民日報」から始まった。彼等はこの記事を、どう考えていたのだろうと思う。

・中共目線の「村山談話」
さて、九月二日の報道に話を戻したい。「私の首相の任期中、ちょうど第二次大戦終結五十周年の歴史の節目にあたり、日本は、この前に犯した戦争の犯罪行為を深く反省し、同時に全世界に向けて、今後はまさに、断固として平和・民主主義から国際協調に及ぶ発展してゆく道を歩む事を、表明しなければならなかった。この様な背景のもと、私は“村山談話”を発表した。」

この部分は、不思議な文章と言わざるを得ない。例えば、日本が第二次大戦終結後も、ずっと変わらず、何処かの国と戦争を続けていたのであれば、「戦争の犯罪行為を深く反省し」「今後はまさに、断固として平和・民主主義から国際協調に及ぶ」という言葉が生きてくる。

ところが、日本は、中国に尖閣で難癖をつけられ、韓国に自国民を殺害され竹島を侵略されているにもかかわらず、五十年間全く戦争をしていない。その上、ネット上の「外務省」のホームページの「対中ODA実績概要」を検索すると、中国に対してだけでも、一九七九年以降、有償資金協力(円借款)を約三兆一三三一億円、無償資金協力を一四五七億円、技術協力を一四四六億円、総額約三兆四二三四億円のODAを実施している。何も世界に向けて、改めて平和・民主主義・国際協調を表明しなくとも、日本は世界で一、二を争う平和国家だ。この記事の事実認識は、そもそもおかしい。

言葉の使い方も変だ。「この前に犯した戦争の犯罪行為」と書かれているが、五十年前は「この前(原文は「此前」)」ではない。その上、「今後はまさに、断固として平和・民主主義」という表現も、戦争の好きな、民主主義ではない国の目線だ。

ここで少し、中国の歴史を振り返りたい。

一九三七年七月七日の蘆溝橋事件に始まる日中の戦争は、四五年のポツダム宣言受諾で終わりを告げる。日本が引き上げて後、四六年から再開した国民党との戦争を含め、中共と近隣諸国との戦いの状況は、およそ次の様だ。

一九四六年、国民党と共産党が内戦を再開。
一九四九年十月一日、共産党による中華人民共和国成立。
一九五○年六月二五日~五三年七月二七日、朝鮮戦争勃発。北朝鮮側に参戦。
一九五○年、チベットに侵攻、
一九五六年、中共の社会主義強要をきっかけにチベット動乱勃発。
一九五五年、五八年、台湾を攻撃
一九五九年九月、印度と中国の国境で武力衝突が起こり、
一九六二年十一月、中印国境紛争勃発、大規模な武力衝突に発展した。
一九六九年三月二日、十五日、中ソ国境紛争。ウスリー川の珍宝島の領有権をめぐって大規模な軍事衝突が起きた。
同年八月、新疆ウイグルでも中ソ軍事衝突が起こる。
一九七九年、中越戦争勃発、ベトナムによって倒されたカンボジアのポルポト政権の敵討ちでベトナムに侵攻。一ヶ月で撤退。
一九八八年、赤瓜礁(せっかしょう)海戦、スプラトリー諸島の領有権をめぐって、中国海軍とベトナム海軍が衝突。

この他、中国国内での騒動として、

一九六六年~一九七六年、文化大革命で混乱
一九八九年六月四日、天安門事件で民主化運動を弾圧

八九年の天安門事件に至るまで、毎年のように、韓国・チベット・台湾・印度・ソ連・ベトナム等アジアの近隣諸国と事を構えている。中国国内に目を移せば、一九六六年、文化大革命と言う名の権力闘争を開始して泥沼になり、一九七六年、周恩来が一月八日に、混乱の首謀者毛沢東が九月九日に相次いで病没し、新首相の華国鋒が、十月六日に四人組を逮捕して、漸く終結した。
要するに、九○年代に入るまで中国はまるで落ち着いていない。近隣諸国、或いは、自国の民に対して、「平和・民主主義から国際協調に及ぶ発展してゆく道を歩む事を、表明しなければならない」のは、中国共産党の方なのだ。

(二)中共を歪ませた「談話」

・右顧左眄
一九四九年十月の建国宣言から五六年頃までに、共産党内部には経済構造を巡る二つの論争が存在したと言われている。一つは、毛沢東の論、一つは劉少奇の論。両者は共に社会主義という前提に立ちながら、毛沢東は独自の社会主義のありかたに邁進する方向を選び、劉少奇は、社会主義という前提とは別に、社会の発達する過程に資本主義的発達を設定する。この二つの考え方は、そもそも、前提ととなる中国の社会主義と言う物が、経験不足であるので、この時点でどちらが正しいとは言えない。

更に、毛沢東にせよ劉少奇にせよ、党員の特権官僚化を可能にする一党独裁体制(中国は建前上は多党制)を否定する事はできていないので、そこから生まれる権利の独占や官僚の汚職は、どちらの路線を選択しても、体制が存続する限り残り続ける物と思われる。もっとも、官僚の汚職に関して言えば、『三国志演義』などにも、督郵(とくゆう:郡の監察官)が劉備に袖の下を要求して、張飛に縛り上げられ滅多打ちにされる話しが登場するぐらいなので、これは「中華」の抱える宿痾かもしれない。

さて、毛沢東と劉少奇の対立は、九○年代に入ると「姓資姓社」(中国は資本主義か、社会主義か:開放路線を非難するのに使われた)論争に代表されるような、小平等改革派と陳雲等保守派の対立を生んだ。

この二つの路線は、例えば、小平の開放路線では、毛沢東の時代には排斥された「資本家(ブルジョアジー)」は、「社会主義市場経済」を牽引する存在である「企業家」に変わる。この二つは異質で、激しく対立し、争いの元となる。

右顧左眄(うこさべん:右を見たり左を見たり様子を窺ってばかりで決断できない)と揶揄された江沢民は、国家主席に就任すると、「中国共産党は依然として中国労働者階級の前衛部隊である」という立場を取り、九三年、毛沢東生誕百周年を祝うための記念行事を盛大に行い、それまで、大躍進や文革で地に落ちていた毛沢東の評価(それは共産党への評価でもあったが)を変化させた。

その一方で、九二年に小平が改革開放路線を推進するために、深玔などを視察して「南巡講話」を発表すると、「一部の地域と一部の人が先に豊かになる事を奨励し」、九三年の十四期三中全会以降、経済政策における基本方針とし、「最終目標は共産主義の実現」という目標を掲げた。政権を執るに当たって、保守左派の江沢民が、小平を始めとする改革右派を気遣った形だが、それは同時に、改革派の都合の良い所を、取り入れる表明でもあったように思う。経済が発展したのも、腐敗が進んだのも、江沢民の時代に起きたからだ。

・寝た子を起こした村山訪中
一九八九年の「天安門事件」は、学生を中心に、民主化の要求から起こったと言われている。それは、一党独裁に対する不満や、自由への渇望、経済が好調であった日本や欧米に対する憧れの過激な発露であり、中国共産党の終焉を、国内外に知らせる事件であった。その為、九二年以後も、人民の憧れが、相変わらず資本主義陣営にある事を示す天皇陛下の行幸に対する熱狂と、その後の日本ブームは、共産党にとって、必ずしも歓迎すべき状態ではなかったのではないだろうか。特に、保守派の江沢民にとっては、天安門事件の頃から国家主席に就任した後も、厄介な状態に変わりはなかったはずだ。

九五年当時、テレビや新聞は、連日の様に、日本軍が中国人民を殺害する映像や、老人の体験談を流し、中共は大々的に排日運動を展開していた。しかし、人民は、相変わらず民主化を望んでおり、経済大国である日本や米国は、一般の中国人の憧れだった。一方、共産党に対しては、腐敗の兆候が現れ始めており、開放政策の恩恵は、一般の人民には届いていなかった。また、文革で下放されたり、従軍した世代が現役で、共産党に対する不信感を募らせていた。それで、ある種、事実を公平に見ていて、「俺は、人民解放軍の腐敗の方が問題だと思うね。」そんな話しをしていた。日本人に対して、戦争責任など追及する状況ではなかったのだ。

村山氏は、「ちょうど第二次大戦終結五十周年の歴史の節目にあた」ったので表明しなければならなかったと述べているが、全く必要のない、寝た子を起こす「談話」であったと言わざる得ない。

歴史的に見ても変だ。共産党による中華人民共和国成立は四九年の事で、四五年の大東亜戦争終結の時には誕生しておらず、当時、国際連合に加盟していたのは中華民国だ。更に、中華人民共和国とは七二年の国交回復まで、書類上は戦争状態にあったはずだ。すると、「五十周年」の「アジア」とは、何処の国を言っているのだろう。

だいたい、談話を発表する根拠として、「五十周年目」だからと言うのは、希薄だし唐突だ。出したかったから出したと言うのに等しい。ならば、今年は大東亜戦争終結七十周年目なので「談話」を廃棄する、という論も成り立つのではないだろうか。

中共の行った反日愛国教育では、「邪悪な日本軍」対「正義の味方の共産党」という勧善懲悪の物語を作り、日本軍を「悪」と決めつけ、「愛国」と言いながら、偏に中国共産党を礼賛する事で、共産党にとって都合の悪い、外交や軍事や歴史の失敗を覆い隠してしまった。

日本は「悪」、共産党は「善」という構図の下で、日中関係が良くなるはずはない。その上、「善」である自信からか、独善的な行動に拍車が掛かり、至る所で覇権主義を展開している。とうに共産主義ではない。

日本は、隣国の内政問題に対して、その解決策を提案する事をせず、“村山談話”という形で関与した。一方、中共は、「打倒帝国主義(=日本軍国主義)」を旗印にしながら、中共自身が行う帝国主義的外交政策を正当化する根拠として、“村山談話”を用いている。実に不健全な関係であると思う。この様な、単純で歪んだ認識は、後々必ず問題を引き起こし、その大きさは、歪みの酷さに比例すると思う。

「私は日本の政治の右傾化を非常に心配している。」というが、自国を守る義務を果たし、各国への影響を配慮する事は、右傾化ではない。軍備の拡張を続け、領土紛争をあちこちで起こす近隣諸国に対して、防備に努める事は、自国に対する責任のみならず、各国間の勢力の均衡を図る上でも大切な事だ。もし尖閣諸島に、中共軍が上陸する様な事にでもなれば、沖縄本島と八重山列島が危険に曝されるだけでなく、台湾の独立の道は、完全に断たれてしまう。日本だけの問題ではない。

例えば、私のこの様な物言いが、正鵠を射ていないとしても、村山氏の訪中前に比して、日中関係が極端に悪くなり、中国国内での集団抗議行動が激増した事は明らかだ。私は、現在中国の抱える問題の、その責任の一端は“村山談話”にあると思っている。だいたい、天皇陛下の御訪中で、中国人民が熱狂し、日中関係がこの上もなく良好となった後で、談話を発表して、日中関係を悪くした。これはつまり、“談話”の発表が政策として誤っており、また、陛下の御蔭である「日中友好」を、わざわざ崩壊させるという、大臣にあるまじき僭越な行為であったとも言える。その事一つ取っても、一日も早く、「談話」を撤廃すべきだ。

・借りてきた「平和共存」
さて、次に、記事の「私が“村山談話”を発表したのは、日本が今後もしアジア及び世界各国と平和共存を望むのであれば、必ず過去の歴史に対して徹底的に清算しなければならない。」の部分だが、ここには耳慣れない「平和共存」という言葉が使われている。

「平和共存」とは、そもそも冷戦時代に、ソ連のフルシチョフが称えた物で、資本主義陣営と共産主義陣営は共存しうると言う物。社会制度を異にする国が共存することを指す。この頃、東西冷戦に伴い核開発競争が盛んであったが、ソ連が「共存」を称えた背景には、軍事費の問題があったと言われている。その結果、米ソは接近する。

更に、同時期、中国は印度に接近し、一九五四年、周恩来首相と印度のネルー首相の会談で「平和共存五原則」が締結された。五原則とは(一)主権と領土保全の相互尊重(二)相互不可侵(三)相互内政不干渉(四)平等互恵(五)平和共存。

「人民網日本語版」によれば、二○○四年六月二八日、当時国務院総理であった温家宝は、北京で開かれた「平和共存五原則提起五十周年記念大会」で、次の様に演説している。

「…平和共存五原則は長い歳月がたっても堅固で、強い生命力を持っている。なぜなら、それが「国連憲章」の趣旨と原則、国際関係発展の本質的要求、世界各国人民の根本的利益に合致しているからである…新しい歴史条件の下で、五原則は真剣に遵守され、適切に履行されるべきである。五原則を強力に発揚し、世界の平和と発展を促進するため、中国政府は次の点で各国と共に努力することを望んでいる。

(一)国家主権の平等を揺るぐことなく断固として守る。
(二)世界文明の多様性を維持、尊重する。(三)平等互恵を基礎として各国経済の共同発展を促進する。
(四)対話と協力を通して世界の平和と安全を守る。
(五)国連とその他の多国間システムの重要な役割を十分に発揮する。

中国はこれからも引き続き独立自主の平和外交政策を遂行し、平和共存五原則を揺るぐことなく断固として遂行し、すべての国と友好協力関係を発展させ、世界の平和と発展のために新たな貢献をしていく。」(「人民網日本語版」2004年6月29日)

要するに、「平和共存」とは、日本人にとっては馴染みのない言葉だが、中国人にとっては、「国連憲章」に合致した、中共主導で進められる外交戦略の事だ。

それを知ってか知らずか、中共お得意の歴史問題を持ち出して、「必ず過去の歴史に対して徹底的に清算しなければならない」と続く。日中双方の条件や思惑が絡み合う「補償」と言う場で、「徹底的に清算:原文は「彻底清算」」などと、実現不可能な表現を用いているが、この一文は中国人民の目には、日本の総理経験者の語る、中共礼賛と映るに違いない。村山氏は、自分の言葉で話しているのだろうかと思う。

因みに、五十年前の「平和共存」の動きは、ソ連が台湾を承認している米国に接近した事で、中ソの対立を生み、その後、中ソ国境紛争に発展した。また、中国がチベットに侵攻した事で、一九五九年からは中印国境紛争に突入している。領土的野心から関係が悪化して戦闘に発展しているので、日本は「平和共存」には、関わらない方が良いと思う。

・周恩来も認めた尖閣の領有権
さて、九月二日の記事には、唐突に《ポツダム宣言》と《カイロ宣言》が登場する。その理由は、恐らく、この二つが尖閣諸島の領有に関係しているからだ。

日中間で最初に交わされた、一九七二年の「日中共同声明」には、「三、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」という一文がある。

この中の「ポツダム宣言第八項」に、「八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と、日本の主権は、本州、北海道、九州、四国及び「我らが決定する諸小島」に限定する、と書かれている。これを根拠に、中国側は、尖閣諸島を中国の領土と主張する。

しかし、敗戦後の日本に対する方針を決定した条約には、カイロ宣言(一九四三年十二月)・ポツダム宣言(一九四五年七月)の他に、サンフランシスコ講話条約(一九五二年四月)がある。その第三条には、

「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」として、これらの地域は、一時、合衆国の信託統治下に置かれ、一九七二年五月発効の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)により、我が国に返還された。

問題は、ここに尖閣諸島が含まれるか否かだが、昨年八月、ネット上では、尖閣の領有権に関して、二つの記事が話題となった。一つは「人民日報」一九五三年一月八日の『琉球群島人民の米国占領に反対する闘争』(原題「琉球群島人民反對美國佔領的鬥爭」)という記事だ。これは人民出版社から出版された『新華月報』一九五三年(2)に納められている。

記事は「サンフランシスコ講話条約」の翌年に書かれた物で、米国の沖縄占領を「侵略」と決めつけ、同条約に異議を唱え、並びに、沖縄人民の、米国の占領に反対する闘争を賞賛する内容となっている。

「…「カイロ宣言」「ポツダム宣言」等の各項目、国際協議の中に琉球群島の信託統治を決定する規定がないにも関わらず、ソ連政府と中華人民共和国政府の度々の声明も顧みず、一百万琉球人民のきっぱりとした反対も顧みず、(「サンフランシスコ講話条約」を日本政府と勝手に結び)、…米国はこの様な卑怯な手段で、勝手に無期限に琉球群島を占領するという侵略行為に「合法」の外套を着せた後、昨年四月一日に、島に比嘉秀平を党首とする琉球傀儡政府を誕生させた…。」

ここに記されている「琉球群島」について、この記事の始めに、次のように書かれている、

「琉球群島は、我が国台湾の東北と日本の九州島西南との間の海面上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、土噶喇諸島、大隅諸島等七組の島嶼が含まれ、合計、五十島以上の名称のある島嶼と四百数島の無名の小島があり、全ての陸地面積は、四千六百七十平方キロメートルである。群島中最大の島は沖縄諸島中の沖縄島(即ち大琉球島)で、面積一千二百十一平方キロメートル、その次は大島諸島中の奄美大島で、面積七百三十平方キロメートル。琉球群島は遠く一千キロメートルにわたって広がり、その内側は我が国の東海、外側は太平洋の公海である。」

と、琉球群島に尖閣諸島が含まれている事が、明記されている。

もう一つは、「人民日報」評論員が一九五八年三月二六日に書いた『無知の捏造』(原題「無恥的捏造」)と言う記事だ。これは、一九九六年に中国社会科学出版社から出版された『戦後中日関係文献集1945-1970』(原題、「戰後中日關係文獻集1945-1970」)に納められている。

この記事には、一九五八年三月十六日に、沖縄で行われた立法院議員総選挙で、民主主義擁護連絡協議会が五名を当選させた時の事が書かれている。その時に、米国の選挙妨害があったらしく、三月十四日の晩、北京放送局の名義を騙り、沖縄に対して、中国外交部報道官が「中国は絶対に琉球に対する主権を手放さない。」と放送したという物だ。中国側は、沖縄の日本への返還を阻止するための、米国側の「無恥の捏造」であると抗議している。そして、周恩来の発言を引用して、中共の沖縄に対する立場を説明する場面があり、

「我が国の周恩来総理も以前、一九五一年八月十五日の《米英対日講和条約草案及びサンフランシスコ会議に関する声明》の中で、米国が琉球群島・小笠原群島等に対して"信託統治権"を保有する、という話を却下した時に、「これらの島嶼は、過去の如何なる国際協定の中でも、未だ嘗て日本を離れたと規定された事はない」と指摘した。」と書かれている。

この二つの記事は、「大躍進」や「文化大革命」より以前、毛沢東も周恩来も小平も存命であった頃に書かれた物であり、その中で、五一年には周恩来が「琉球群島」は日本の領土であると言い、五三年の「人民日報」の記事には、「琉球群島」の中に「尖閣諸島」が含まれると述べられている。

「尖閣諸島」の問題を論ずる場合に、必ず「七十年に国連が行った海洋調査でイラクに匹敵する石油埋蔵量の可能性が報告されると、中国が領有権を主張し始めた」と言うような事が言われるが、真にその通りで、上記の記述からは、五十年代には中共指導者の間で、「尖閣諸島」が確実に日本の領土であると考えられていた事が分かる。当時、小平が「人民日報」を読んでいないはずはない。また、「人民日報」が、毛沢東や周恩来等の意に反した記事を、掲載できるはずもない。ならば、この問題を「棚上げ」に云々と言うのは、後から出てきた事になる。

(三)中共の機能として働く「村山談話」

・九月二日の謎
次に、「もし、日本の首相と閣僚がA級戦犯を奉る靖國神社に参拝すれば、それは日本が受け入れた国際条約を否定する事を意味している。」の部分だが、普通、裁判では、刑が執行された後まで、責任を追及される事は無い。死刑執行後に、被害者がその親族に対して、墓に詣でるなとは言えないはずだ。東京裁判を根拠として、靖國に参拝するなと言うのは、それは、東京裁判に名を借りた、傲慢な理屈だ。また、靖國神社に参拝したからと言って、国際条約を否定する事にもならない。

村山氏は、「最近、憲法改正が重大な課題となっているが、しかし、私は、基本的人権を尊重し、平和と民主主義を基調とする日本の現行憲法を改正することは、絶対に許さない。」とも言っているが、憲法改正が基本的人権を尊重しない事にはならないし、嘗て、「日中友好」と言いながら、「村山談話」で日中の対立を招いた事を考えれば、改憲こそが、平和や民主主義を守る術なのではないか、と思えて来る。だいたい、「絶対に許さない」と言う程の危機感を抱いているのは、誰なのだろうと思う。

それにしても、何故、九月二日に、総理の名を冠した文章が、「人民日報」に発表されたのだろう。

二○一三年の中国の情勢は、例えば、七月八日には、元鉄道部部長劉志軍が収賄・職権濫用の罪で、一審、執行猶予二年の死刑判決、及び、個人財産没収の判決を受けている。八月二二日からは、山東省の省都済南市(さいなんし)で、薄煕来の裁判が始まり、また、八月末からは、石油閥の逮捕が相継ぎ、九月二二日には、薄煕来に対して一審の判決が言い渡された。

二○一二年十一月十五日、新体制が発足し、習近平が総書記に就任した。習は、十三億の頂点に立ったが、中国が抱える問題は、それぞれ深刻な状況にあり、日本を含めた海外では、バブルの崩壊も囁かれ始めた。

その様な中、一九四五年、東京湾上に停泊した戦艦ミズーリ号甲板で日本は降伏文書に調印したが、まさにその九月二日に、記念日にうるさい「人民日報」が、村山富市の名を冠した文章を掲載した。掲載された時期を含めて、逮捕や裁判がこの時期に集中しているのには理由がある。

・十八期三中全会
改革開放以来、一期五年の中央委員会(党の最高指導機関、中共中央・党中央とも言われる)は、およそ七回の全体会議を開く事になっている。中央委員会全体会議(中全会)は中央政治局によって召集され、毎年少なくとも一回は開かれる。会議の議題はだいたい決まっていて、一中全会と二中全会は、国家機構の“人事”を取り上げ、三中全会では通常、今期の中央と政府の“大目標”を掲げる。七中全会は“引き継ぎ”だ。

一中全会はたいてい、党の代表大会の直後に開かれる。主題は“人事”で、政治局常務委員、中央軍事委員会委員等を決定する。
二○一二年十一月十五日、十八期一中全会では、習近平が政治局常務委員に再選され、総書記と党中央軍事委員会主席に選出された。二中全会は国家機構の人事で、翌年の二月二六日から二八日まで開かれた。二中全会では、国務院の改革方案、及び、国家機構と全国政治協商会議の人選が議題となった。

中共は、政策の一大転換が、三中全会でなされることが多い。十一期三中全会(一九七八年)では、文化大革命を清算し、“階級闘争を以って綱領と為す(文革は階級闘争と捉えられていた)“事から、改革開放路線への転換がなされた。十二期三中全会(一九八四年)では、農村から都市への改革が掲げられ、十四期三中全会(一九九三年十一月)では、社会主義市場経済体制が、採択されている。

二○一三年八月二七日、中央政治局は会議を開き、十一月、北京において、中国共産党第十八期中央委員会第三次全体会議を開くことを決定した。「三中全会」は、十一月九日から十二日まで開かれた。

・二つの歴史は否定できない(两个不能否定)
二○一三年一月五日、新たに決まった中央委員会委員、及び、候補委員の、十八期精神学習研修が中央党学校で開かれた。そこで、習近平は講話を発表し、改革開放前後の歴史について、次の様に語った。

「改革開放後の歴史時期を以て、改革開放前の歴史時期を否定する事はできない。改革開放前の歴史時期を以て、改革開放後の歴史時期を否定する事もできない。」「二つの歴史は否定できない」。発言の目的は、中国の特色ある社会主義の堅持と発展、党の政権基盤の強化にある。

一九四九年に新中国が誕生してから、一九七八年の十一期三中全会までを、改革開放前の歴史とし、それ以後を改革開放の時代とする。この二つの歴史は、開放前は「大躍進」・「文化大革命」に代表される大失敗があり、開放政策からは、「天安門事件」「汚職」「デモ」「テロ」「公害」を始め様々な問題が噴出している。

しかし、習近平は、開放政策によって多くの矛盾と問題が生みだされていても、西方国家が二、三百年かけて発展する所を、中国は数十年で発展した。同時に、中国は十三億の人口を擁する国であり、その工業化、現代化の規模は、如何なる西方の発展した国々も比較する事ができないほど大きい。また、開放前の時代は、毛沢東と深い関係があるが、毛は社会主義制度と党と国家を作った人物だ。毛を否定する事は、社会主義制度と党と共和国の歴史の否定につながる。それは、天下の大乱を招く事になる、と危機感を募らせる。

そこで、「二つの歴史」を肯定し、改革開放前を、社会主義革命と建設・発展の基礎を築いた時代と位置づけた。中国の特色ある社会主義は、十一期三中全会以後の開放路線に始まるが、その源流は改革開放以前の歴史にある。もし、開放政策を行わなかったら、ソ連や東欧の様な亡党亡国の危機に晒されたであろう。「大躍進」「文化大革命」の失敗はあるにしても、毛沢東がいなかったら現在の繁栄はない、と言うのである。

実際には、毛沢東路線と小平の改革路線は全く違う。どちらの路線を選択するかは、社会主義を続けるか否かの問題にも通じており、党内には激しい対立が存在する。それを、保守左派・改革右派の二つに分断された路線と政策を、嘗ての江沢民のように、習近平もまた指導者としてまとめて見せた。

但し、二○一二年末で党員数八五一二万七千人を擁する共産党の頂点に立ち、国家主席である習近平の年頭の講話は、江と同様に、習の執政の方向をも示している。

・“二つのすべて”
一月のこの講話を、「人民日報」は十一月八日の三中全会直前に、第六面に掲載したが、「二つの(两个)」と聞けば、思い出される事がある。

一九七六年十月六日、文化大革命の主導者であった江青や張春橋等四人組が逮捕され、文化大革命が事実上終結し、十月七日、華国鋒が党主席・中央軍事委員会主席に就任した。十月二六日、華国鋒は中央宣伝部の報告を受けているときに、”およそ、毛主席が話した事は、全て賛成だ、批判の余地は無い”などと言い“二つのすべて”について述べた。

“二つのすべて”とは、「およそ、毛主席が出した政策は、我々はすべて断固として守る、およそ毛主席の指示は、我々はすべて終始変わらず従う(凡是毛主席作出的决策,我们都坚决维护,凡是毛主席的指示,我们都始终不渝地遵循)」と言う物。

当時は、「四人組」等の問題が解決した直後で、まだ中国全土に左派(保守派)的風潮が残っており、「文化大革命」の御蔭で国務院総理となった華国鋒も、「文革」を肯定する左派的人物だった。更に、当時、中共内部には、毛沢東を神聖化し、毛の一言一句を真理と崇める集団がおり、“二つのすべて”という一種の政治宣言をする事で、自身が毛沢東の正統な後継者である事を示す事が目的だった。

この内容が一九七七年二月七日の《人民日報》等の社説で取り上げられると、中共内に騒動が持ち上がった。断固として反対したのは、小平と陳雲で、特に小平は、まだ復権していないにもかかわらず、旗幟鮮明に反対を表明した。四月十日、彼は党中央に“我々は必ず、代々、正確で完全な毛沢東思想を以て、我々の全党・全軍・全人民を指導しなければならない”と書かれた手紙を送りつけた。毛沢東を肯定しつつも、言外に「大躍進の失敗」「文化大革命の失敗」を述べていることは明らかだった。その内容を党中央が公表すると、党内での“二つのすべて”の影響力は消滅した。これ以降、中国は改革開放路線へと進んで行く。

この話には、後日談がある。

二○一二年十一月八日、中国共産党第十八期全国代表大会が北京で開かれた。総書記胡錦濤は十七期中央委員会を代表して、大会で報告を行ったが、その中で“およそ、大衆の身近な利益に関する決定には、すべて充分に大衆の意見に耳を傾けなければならない。およそ、大衆の利益を損なう方法は、すべて断固として防止し矯正しなければならない。”改革開放前夜の古い“二つのすべて”の言い回しを使って、現代化への方向転換を述べた。これが、新たな“二つのすべて”と言われている。

要するに、習近平の「二つの歴史は否定できない(两个不能否定)」は、華国鋒から小平・胡錦濤に続く路線を意識して発言された物と言える。それは、改革開放路線へ、そしてその先の民主化を示唆してはいるが、その中心にあるのは、「大躍進」「文革」の失敗を除いた毛沢東への憧憬だ。国内の危機的状況に直面し、開放路線を内包した独裁体制に力を入れている。だからこそ、保守派の薄煕来や鉄道省幹部の裁判をする一方、党内融和を目指した標語を掲げ、また一方で、中共の正統性を演出するのに有効であり、江沢民の時代の外交戦略である「村山談話」に関わりのある記事が、九月二日に、「人民日報」に掲載されたのだと思われる。「村山談話」は、保守派の象徴でもあり、また、習近平政権下で取り上げられる事で、党内融和の機能をも果たしている。

・結論
しかし、こうして見てくると、日本の元総理の名を冠した記事が、意外にも、中共の考え方を反映しており、また、掲載の時期でさえ、中共政府にとって都合の良い事が分かる。

例えば、中国が排日運動を展開するような場合、日本の世論も顧みず、いきなり始めるとは考えにくい。必ず様子を窺って、日本国内に中共に呼応する人物や、意見がある事を確認してから始めるはずだ。

九月二日の記事が、中共の影響下にあるのであれば、本家本元の「村山談話」も、また、似たような経緯で発表されたと考える方が、自然ではないだろうか。

天安門事件から数年、村山氏の訪中に合わせるように、中国共産党は、日本の戦争責任を追及し始める。それに呼応して、日本は「村山談話」を発表するが、村山氏の訪中以前には、日本に対する戦争責任の声など聞こえては来なかった。天皇陛下の御訪中に対する人民の熱狂に象徴されるような、日本に対する一種の憧れが中国国内にはあって、不満の矛先は、寧ろ、中国共産党に向けられていた。

しかし、「村山談話」の発表後、中国では度々デモが発生し、日中の関係は目に見えて悪化した。建国門外、ニューオータニ系列のホテル「長富宮飯店」の列びにあった、「ヤオハンデパート」は、いつの間にか経営者が変わり、百貨店の名前も変わっていた。

一方、中国は、その後、経済発展を遂げるが、それが人民にとって幸福なことであったのかは、今となっては疑問が残る。「談話」の発表によって、得をしたかに見える中国共産党も、現状を考えれば、それ程、好い事であったとも思われない。中共は免罪符を得たように、反日愛国教育に邁進し、中共の地位を磐石にしたかに見えたが、江沢民の時代に汚職が蔓延し、現在中国を苦しめる数々の原因は、この頃に作られたと言っても過言ではない。

日本側から見れば、こうした、謝罪で中共の政権基盤を支えるような外交を行うと、中共の政権が危うくなる度に、日本が支払った賠償金や謝罪に関係なく、排日運動が起こり、中共の政権基盤が揺らげば揺らぐほど、排日は酷くなる可能性を孕むことになる。謝罪外交を続ける限り、日中の関係は悪化する。

しかも、中共にとって「歴史問題」や対日政策は、問題の先送りにすぎず、中国の種々の不安定な要素、例えば、経済成長の減速、不動産バブルの崩壊、社会の不平等、腐敗の横行、環境の悪化、官僚が土地を強奪し、下層階級は不安定で、中産階級は失望し、上流階級は制御不能に陥り、民族問題が多発し、とうとう株式市場のバブルも崩壊する等々の、根本的な問題の解決にはならない。

習近平に求められるのは、これらの不満に対する妥当な処置、改革を行い、社会の混乱を招く事のないようにする事であって、「邪悪な日本軍」対「正義の味方の共産党」という勧善懲悪の物語で、共産党にとって都合の悪い事実を覆い隠す事ではない。また、「歴史を学べ」と言いながら、日本の歴史を奪うことでも無い。そもそも、ネットの普及した現代では、その様な企みは実現不可能だ。

「村山談話」は日中両国に何ももたらさなかった。それどころか中共の直面していた問題を先送りさせ、圧政に苦しむ人々を生みだし、現在、その病は膏肓に入って、国家全体を苦しめている。

日本側としても、海外の意見に耳を傾ける事は必要としても、筋の通らない事にまで耳を貸す必要は無い。七○周年という事で、「村山談話」を引き継げば、一九九五年から二○○八年まで続いた反日騒動が再演され、中国にいる日本人が、再び危険にさらされる可能性が高くなる。

ならば、今こそ、「村山談話」を撤廃し、環境問題や技術的な問題には協力し、驕ることなく諂うことなく、民族問題や人権問題には抗議をするような、未来志向の、当たり前の外交を取り戻す時であると思う。
                                 (終)

習近平の憂鬱(深刻な党の変質)

2015年07月11日 22時15分21秒 | 日記
中国の株バブルが崩壊したようです。

今回の株の乱高下は、その前のシャドウバンキングや不動産バブル等で、企業が抱えた負債を補填するために、政府が意図的に過熱させた側面があるようです。競馬場や競艇で、目を真っ赤にして馬券を握りしめている人に、やめときなさい、と言っても聞く耳は持ちません。その後、9000万とも言われる個人投資家が、投機に熱を上げたために、一説には、昨年から既に、中共の制御下を離れ、市場は暴走を始めていたようです。

今回のバブル崩壊が厄介と思われるのは、先に、シャドウバンキングと不動産バブルの二つが弾けており、更に、日本や米国の場合、不動産を売って負債の補填というい事になるのでしょうが、中国の場合、外国人が中国国内の土地の取り扱いができるのでしょうか。また、建築物の「おから工事」が心配で、どの程度の資産価値があるのかもわかりません。誰が買うのだろうと思います。

すると、日本で、彼等が購入した不動産は、大丈夫でしょうか。彼等の買った不動産や、水源や熱源が、抵当抵当抵当…とか?

90年代後半に、中国経済が悪くなったときには、福建省などで「蛇頭」が暗躍し、日本全国で、入管法違反・不法就労・不法残留が増えました。密入獄で、割の良い仕事など、あるわけがありません。彼等は、知り合いやヤクザ組織に身を寄せ、パチンコ賭博や売春・麻薬に手を染め、日本の治安を悪化させました。

一部に、中国の治安は維持される。乱れることはない、という意見がありますが、天安門ではジープが突っ込み、雲南省では牛刀を持った人が暴れて人を滅多切りにする事件が発生し、ウイグル・チベットではたびたび暴動が起きています。現在ですら、それほど安全とは思えません。9000万人が負債を抱えたらどうなるのだろうと思います。

いったい、中共はどうするのでしょう?

以下は、6月中旬に行われたという、ある会合に関する「アポロンネット(阿波罗网)」の記事です。

『争鳴雑誌:指導部 亡党の6っつの危機を密議 習〝党の変質を承認〞して四座を驚かす(争鸣杂志:高层密议亡党6危机 习〝承认党变质〞惊四座)』

2015-07-02

「中共政権が維持困難となっている今日、既に解体間際に近づく事態もしばしば起きており、中共指導部でさえ〝亡党〞の話題を禁句にすることはできなくなっている。中共政治局は6月中旬に政治局拡大生活会を行っており、会上では中共の政治・経済等の多方面に存在する重大な危機が討論され、習近平は更に、講話の中で、めずらしく〝勇敢に党の脱皮・変質の事実を承認し受け入れるべきだ〞、と呼びかけた。

6月中旬、中共政治局が拡大生活会議を開き、書記処書記・国務委員・全人代と政治協商の党メンバーから軍事委員・中央規律委副書記等が等しく招待に応じて参加した。生活会議は二日間、会議時間は11時間に及んだ。

会議上、一部の党の組織建設、及び、党員幹部の巡視・考察に関する調査報告書が配布された。当該報告は、中共中央書記処によって編集され、中央が組・中央弁公室・国弁、及び、中央組織部等を巡視し、総合的な情況を考えて作成された。報告には、中共の〝亡党〞の六大危機が隠す事なく列挙され、並びに、地方政治・社会危機が既に爆発・蔓延・悪化の状況に置かれている事が指摘されている。六大危機は、政治・経済・社会・信仰・前途等の各領域を覆っており、明らかに、体制の腐敗がもたらす官僚政治の腐敗が、既に治療不可能である事を示している。

六大危機と問題の概況は以下の通り、

1.中共の理念・党の使命・理想と奮闘の目標の喪失、
2.党の組織建設が長期に渡り、徘徊・目標の喪失の状態に置かれており、
  基本的に麻痺状態に置かれている
3.党組織の腐敗・だらけきる・既にしだいに社会の魅力・呼びかける力・
  求心力を失ってきている
4.党の指導者が、平和・物質的豊富な環境のもとで、怠惰・まとまらず・
  堕落・疲労し・無能な情況がすっかり暴露された。
5.党政幹部の職権濫用・越権・権力の乱用・不正蓄財・風紀の乱れの情況の氾濫が、
  社会の恨み・民衆の怒りを激化させた。
6.政党幹部・公職に就く者の道徳観の喪失・生活の堕落腐敗が、
  社会の官僚を恨む雰囲気を醸成させた。

この調査報告によれば、中央・地方巡視・審査結果から考えて、中央と地方の高級官僚の平均合格率は、僅かに4分の1前後で、地方の下部組織・県級党委員の、不合格、及び、行動が劣る・リストラの必要な〝指導者グループ〞は90%以上にのぼり、これは実際のところ、中共党組織が既に徹底的に腐敗して駄目になった事を反映している。

習近平は当該会議の講話の中で、珍しく〝勇敢に厳しい事実に直面し、党が変質し亡党毀国の危機の事実を承認し・受け入れる。〞と指摘した。」

習近平が「国家安全法」を施行させるのは、この後の7月1日です。

毛沢東の大躍進が失敗して、大量の餓死者を出した時、ロシアは一早く、毛沢東に対して、「借金を返せ」と、中共建国時に貸した借金を取りたてています。それに倣え、とは言いませんが、相手は、9000万以上です。ここで甘い顔をすると、難民が溢れて、国を乗っ取られかねません。

私は、別に乱れることを望んでいるわけではありません。しかし、IMFまで、中国バブルは崩壊、というような事を言い出しました。

『「中国株式市場のバブルは崩壊した」IMFが見解 世界経済見通しを下方修正』

投稿日: 2015年07月10日 07時44分

「IMF(国際通貨基金)は7月9日、2015年の経済見通しを発表し、今年の世界の成長率の予測を下方修正した。また、大幅な株価の下落が続いた中国の株式市場について「バブルが崩壊した」と述べると共に、影響は「現段階では主要な問題とはならない」との見方を示した。BBCなどが報じた。

IMFは成長率の予測をこれまでより0.2%引き下げて3.3%のプラスと予測した。

IMFのオリビエ・ブランシャール調査局長は記者会見で、1カ月足らずで約32%下落した上海総合株価指数について、「(中国株式市場の)バブルは崩壊した」と述べ、中国の個人消費の落ち込みなどが予想される一方で、アメリカと比べると市場の規模が小さいことから世界経済への影響は限定的との見方を示した。

中国株式市場は大幅な株価の下落が続き、7月上旬までの3週間で時価総額3兆2000億ドル(約392兆円)が失われた。これは本土の証券取引所で1分間に約10億ドル(約1213億円)ずつ失われた計算だ。

中国本土の証券取引所で8日までに少なくとも1323銘柄の売買が停止され、時価総額で2兆6000億ドル(約320兆円)相当、市場全体で約71%の株式が売買停止もしくはストップ安となる事態となった。全上場企業の6割近い約1600社が自社株の売買停止を申請したとみられる。

中国の証券監視当局は利下げや空売り規制、信用取引の拡大、証券会社による株価下支えなどの対策を講じたほか、大株主や経営幹部に6カ月間持ち株の売却を禁じる異例の措置をとった。メディアに対しては「暴騰」や「崩壊」といった言葉を使わずに公式発表を適切に報道するよう通達し、引き締めを一段と強めている。9日の中国株式市場は反発し、当局の措置がひとまず効を奏した形だが、急落傾向に歯止めがかかったとは言えない状況が続く。」

日本国自衛隊~千本桜~


売買停止して、どうするつもりなんでしょう?日本の投資家が、うまく売り抜けている事をお祈りします。

中国バブル崩壊と《国家安全法》

2015年07月09日 19時22分48秒 | 日記
現在、中国の株バブルが弾けかかっています。今回は、バブルが弾けた場合、中国政府はどのような対処をするのか、についての記事です。

先ずは、「BBC中文ネット」の記事からです。

『英メディア:中国株式市場のバブルは経済的惨事を誘発するか?(英媒:中国股市泡沫能否导致经济灾难?)』

2015年 7月 2日

「英国《フィナンシャル・タイムズ》が木曜日(7月2日)に、幾つかの文章を発表し、最近の中国株式市場の情況を、分析し報道した。

文章の中で、中国の一部の投資家、特に個人投資家は、中国政府は株式市場の乱高下の責任を取るべきだと非難した、と述べた。

彼等は、投資家を救助し保護すべきであり、また国家にはそれが可能であると考えている。

ここ数日の中国の株式市場は激しい乱高下の後、6月12日から市場は7年来最高ポイントを記録し、現在は22%下落で、強いコントラストを形成している。

文章は、5月末までで、中国株取り引き口座は6800万に達し、一年前に比べて27%増。僅か5月の一ヶ月だけで、新たに開かれた口座は1200万で、ギリシャの総人口よりも多かった、
と。

6月中旬より、市場の暴落によって、既に二兆米ドルの市場価値が消えた。

この点から比べると、現在、世界のもう一つの場所で上演されている、ギリシャのユーロ債権返済延期の、個人の借金の額を見劣りさせる。

先週土曜日(27日)、中国中央銀行は金利の引き下げ等の措置を発表したが、しかし、それが効を奏するか否かは、まだ何とも言えない。

文章は、中国経済は、目下、過剰に銀行貸し付けに依存する不動産投資やインフラの建設から、サービス業と内部消費を主とする経済成長類型への、苦難に満ちた転換点に直面している、と述べている。

中国の経済成長は、既に緩慢になり、昨年の7.4%から、今年は恐らく7.1%、2017年になると6.9%に下降すると思われる。

しかし、世界銀行の予測によれば、2017年、中国のサービス業の貢献は経済成長の半分以上を占める事になる。

一部のアナリストは、中国の株式市場が乱高下して安定しないのは、金融と証券、いわゆる、株式信用取引、或いは、証拠金取引が原因である、と考えている。

彼等は、まさにこの種の金融と証券の増加が、とりわけ投資家が巨大な損失に直面した時に、雪だるま式に危険を膨らませる、と言う。

文章は、目下、中国市場のバブルの深刻さは、90年代末の米国ITバブルに匹敵する、と言う。

一部の人物は、これは恐らく“国家が許可”している事で、恐らく、中国の大局を念頭に置いた戦術の一部であり、つまり、経済に更に大きな株式市場の資源を利用させ、並びに、この資源を新興産業に突っ込むのだと考える者さえいる。

しかし、文章は、中国株式市場の乱高下は決して経済を麻痺させるものではなく、その影響は一時的にすぎない、悲惨な金融政策こそが正真正銘の原因だろう、と述べている。

当然、恐らく、ある人は、市場の乱高下が不景気の原因ではなくとも、経済低迷の兆候とはできないだろうか?、と言うだろう。それも予測しがたい。中国の経済が減速して既に一定の時間が過ぎ、株価高騰の時間すらも過ぎたからだ。

新興経済の領域の株が最も魅力的で、マクロ経済の減速は、より伝統的な産業に影響する。

しかも、中国数百万投資家に、市場バブルの典型的症状が到来すると、特に、これらの投資家は往々にして証拠金取引に手を染めており、通常、一部の内部の事情通の人物が、新たな投資家の投資を巻き込んで押し流してしまう。

文章の作者は、これは恐らく、政治的懸念であり、しかし、決して経済方面の災難ではない、と述べた。」

2日の段階では楽観的でしたが、中央銀行を始めとする金融対策が功を奏したかと言えば、次は「ロイター」日本語版の記事です。

『中国株が大幅続落、株価対策効果見られず』

2015年 07月 8日 12:13

「8日午前中盤の中国株式市場は大幅続落している。下落に歯止めを掛けるため一連の株価対策が打ち出されているが、効果は見られていない。

0242GMT(日本時間午前11時42分)時点で、上海総合指数.SSECは179.9675ポイント(4.83%)安の3547.1573。大型株中心で深セン上場銘柄を含む滬深300指数.CSI300は202.583ポイント(5.16%)安の3725.420。

両指数は6月半ばにつけた高値から約30%下落している。このペースで下落が続けば、来週にも今年に入ってからの上昇分をすべて失う可能性がある。

香港株式市場も、軟調な中国株に圧迫されて続落している。

0242GMT時点で、ハンセン指数.HSIは1139.14ポイント(4.56%)安の2万3836.17。ハンセン中国企業株指数(H株指数).HSCEは666.74ポイント(5.64%)安の1万1160.56。

上海総合指数.SSEC       前営業日比 売買代金概算

0242GMT  3547.1573 179.9675安 3161.0億元(上海A株)

寄り付き     3467.3986 259.7262安  

前営業日終値   3727.1248 48.7874安 7751.3億元(上海A株)


ハンセン指数.HSI

0242GMT  23836.17 1139.14安 761.7億香港ドル

寄り付き     24411.30 564.01安

前営業日終値   24975.31 260.97安 1724.8億香港ドル」


ここで気になるのは、金融政策が効を奏さない場合、中共政府は、社会の安全を守るためにどうするのか、という事です。その観点から発表されたのが、7月1日の《国家安全法》であると思われます。これについては、台湾・香港の統一のための法案との見方がありますが、バブル崩壊後の混乱を想定して、習近平に更に権力を集中させるための法案である、との見方もあり、私もそそうだろうなと思っています。


《国家安全法》は、7月1日、晩7:00の「新聞聯播」でごく短く、次の様に発表されました。

「女性アンカー:
弊社の報道です。国家主席習近平は7月1日、第29号主席令に署名しました。第29号主席令は、《中華人民共和国国家安全法》と言い、既に、中華人民共和国第十二期全国人民代表大会常務委員会 第十五次会議によって、2015年7月1日に通過し、現在公布され、公布の日より施行されます。」

主席令とは主席の署名によって施行される法律で、例えば《国防動員法》なども主席令として出されています。以下は、《国家安全法》についての報道です。先ずは「The New York Times」から。

『中国 正式に《国家安全法》を発布、中共の統治を強化(中国正式颁布《国家安全法》,强化中共统治)』

2015年7月2日


水曜日、解放軍戦士、香港の海軍基地で。全人代報道官は、新たな国家安全法の実施範囲には、この半自治都市は含まれない、と発表した。


「北京——中国政府は今週水曜、新たな《国家安全法》を発布し実施すると宣言した。この法律は、習近平が下達する広範囲にわたる指令に相当し、共産党が社会の各方面を統治するための主要な地位を保護するのに用いられる。法案は、国内の治安機関と軍部への命令で、更に大きな権力を獲得する見込みだ。

当該法の規定では、必ず、文化・教育からサイバー空間にいたるまでの各領域の“安全”を保障しなければならない。この草案が今年5月に発表されると、長期的な影響についての熾烈な討論を誘発した。もっとも、今週三日に通過した最終版の影響の範囲には、更に広範囲になった一例として、国際海底の区域、及び、極地・宇宙空間のセキュリティを防御する、という語句さえ増えている。

外国の指導者と企業の経営者は、現在、中国の三項立法に細心の注意を払っており、当該法はその中の一つだ。彼等は、習近平が現在採用しているのは、外国機構の中国での活動と影響を厳格に規制する行動だ、と考えている。他の二部の法律も、直ぐにも通過する見通しだ。一部は、海外の非政府組織に焦点を当てており、彼等を公安部門の監視の下に置くよう準備している。他の一部は反テロ法だ。

後の二部の法律は、目下のところ草案で、その中には、いかに海外の団体を規制するかが詳細に規定されている。国家安全法は、更に、原則上の抽象的な記述に重きを置いているが、あらゆる中国公民と機構に訓戒をあたえ、中共の受ける脅威を警戒する事が目的だ。中国の法律学者とアナリストは、これは、恐らく、セキュリティシステム・重税搾取に更に多くの権力、並びに、裁判所に“国家安全の危機”に関して更に幅広い境界を受け入れさせる根拠となる、と称している。活動家(弁護士)も同様の考えを持っており、彼等は、もし被告がある罪状で告訴されても、ほとんど法律の保護を受けられなくなる、との懸念を表明した。

“これは、共産党を保護し、指導階層を非難する人物を処罰する事を目的としており、この方面の考えは、国家安全の事務本体にも劣らない,”国際特赦組織(Amnesty International)研究員 倪偉平(げいいへい:William Nee)は、この法律について、このように述べた。

この法律は今週水曜日に、形式上は立法機構である——全国人民代表大会——の下部組織の常務委員会、その中の国家の安全を監督する任務を付与されている、或る中央機構で通過した。アナリストは、そこは習近平が組織し主催する国家安全委員会だ、と称している。外界は広く、ここは政党機構であって、政府の機構ではない、と考えている。

水曜日に北京は記者会見を開き、全国人民代表大会法制工作委員会副主任 鄭淑娜(ていしゅくだ)は、中国の国家の安全形勢は“日に日に厳しくなり、外部に対しては国家の主権・安全・発展の利益を保護し、内部に対しては政治の安全と社会の安定を保護するという二重の圧力に直面している。”、と述べた。彼女は、国内外を問わず、安全の要素は“歴史上の如何なる時代に比べても、更に複雑だ”、と述べた。

鄭淑娜は、この法律の一部の条款を引用し、国家の安全を保護する目的は、同様に香港とマカオにも適用されるが、しかし、そこでこの法律を実施する事はない、と述べた。香港・マカオ地区は少なくとも理論上は、自身の法律の管理を受ける、もしも、北京が故意に、この二つの地域で、国家安全法の如何なる行動をとったとしても、恐らく、熾烈な法律と政治闘争を誘発し、特に香港では、この地域の党の高圧的な統治に対する不満の感情は、継続して上昇するだろう。

水曜、香港政府は声明を発表し、“関係の法律は香港特別行政区で実施される事はない。”、と称し、並びに、国家の安全を保護する責任は、香港小憲法の《基本法》の規定に照らして、本地の立法を通過して履行される、と述べた。

この国家安全法は、習近平が、2012年末に就任して以来の発言と政策に対する声明・発表された考え方の概括であり、共産党が直面する脅威に対する、毛沢東時代以来の最も広範囲に及ぶ法律の解釈であり、党の世界的な足跡に対する最も拡張主義的定義を含んでいる。

鄭淑娜の見解によれば、当該法は、国家の安全を保護する範囲は、宇宙・海底区域、及び、極地に渉っており、中国がこれらの地域の項目に、充足した“法的支援”を与える事を目的としている。まさに、国際海上・地上区域がその中に入るのは、凡そ、中国・米国、及び、東南アジアの国家が、南海での紛争で、緊張の度合いを絶えず上昇させている事は疑いない。中国は、争議のある島嶼 スプラトリー群島(ベトナムは長沙群島と称し、中国は南沙群島と称する)を埋め立てて、軍事、及び、民用に用いる目的で建造している。最近、米国が、中国のこの種の行為に対して非難している。

アナリストは、この新法を発布するのは、中国の普通の民衆に向かって、共産党の意識形態から、党の外部の脅威の構成要素に対する考え方を、更に詰め込む事が目的だ、と述べた。

水曜、公的な新聞機構である新華社は、そのマイクロブログ(微博)に投稿し、4月15日は“国家安全保障教育の日”と称し,宣伝と教育を通して“全国民の国家の安全保障の意識を高める”と書き込んだ。

香港中文大学の講師 羅助華(Joshua Rosenzweig)は、この法の草案を研究し、彼は、注意すべきなのは、この法律が党の指導者の地位を強調しているところだ、と述べた。彼は、条文の中で度々共産党を取り上げ、並びに、習近平の好きな、例えば“中華民族の偉大なる復興”というようなスローガンを使用している部分を指摘した。

“国家、或いは、政府の概念と政権の安全との連動で、これらは全て融合している”、羅助華は言う。“皆さんも御存知のように、これは共産党の理解ですが、しかし、これは明確に国家の法律に組み入れられている。これは珍しい、注目を引く出来事だ。”」

記事はここまでです。

【支援MAD】自衛隊 凛として咲く花の如く


香港・台湾の統一などは、中共が成立して以来ずっと言っている事です。私は、この法律は、バブルが弾けた後の治安維持のために、習近平の掌中に権力を集中させるために立てられた法律であると思います。では、習近平が治安維持に努めるとして、一般民衆はどうするでしょう?

自殺をする人もいるとは思いますが、大多数の個人投資家は、取り敢えず、借金を踏み倒して逃げると思います。これだけでも社会に与える影響は大きいと思いますが、逃げる先は、知り合いのいる場所です。つてを頼って、海外の知り合いの所に潜伏するかもしれません。また、借金返済のために海外に出稼ぎに出る人や、「蛇頭」のようなブローカーが暗躍すると思います。

日本の、彼等が買った不動産は大丈夫でしょうか。或いは、入管法違反・不法就労・売春等の問題が多発するようにならなければ良いが、と思います。また、沖縄を始めとするマルチビザは、もうそろそろ止めた方が良いのではないでしょうか。それと、中国国内が、もし乱れた場合に、日本人を助けに行けるようにすべきだと思います。

習近平の憂鬱(Systemic Collapse)

2015年07月06日 01時44分24秒 | 日記
以下に紹介する記事は、《ブルームバーグ社》が6月30日に発表した記事「In Communist China,Stock-Market Capitalists Now Rule」を、7月1日に、《博談ネット》の記者欧陽剣が中国語に翻訳した物を、更に私が訳した物です。二重の翻訳となりますので、もし、より正確な内容が必要な方は、原文をご覧下さい。

「博談ネット」

『投資家が党員を超えた 北京は組織的崩壊を危惧』

2015-07-01 09:44

「(博談ネット記者欧陽剣の翻訳編集の報道)《ブルームバーグ社》6月30日発表、題は “In Communist China,Stock-Market Capitalists Now Rule”、以下は原文の翻訳である。

*団結する世界の投資家

今回、現代中国史上初めて、資本家の人数が共産党の党員を超えた。“中国証券登記と決算有限公司”のデータによれば、現在、中国には9000万以上の投資家がいる。6月29日の《新華社》の報道によれば、これに比して、中国には現在8780万の党員がいる。

安全な仮説として、これは毛沢東が1949年に共産党の指導者として登場した当初に想定した物ではなく、これも習近平のためにもたらされた厄介な挑戦だ。記録を創った投資家の人数は、ドイツの人口よりも多く、過去一年で大量に株式市場に流れ込み、同期の上海総合指数は倍になった。現在、当該指数は6月12日のピークから月曜までに20%以上暴落し、繁栄を不景気に変化させ、多くの個人投資家に無数の傷痕を残し、並びに、もともと低迷していた中国経済を更に弱体化させた。

香港“博大資本国際(Partners Capital International Limited)”の最高経営責任者Ronald Wanは、“多くの人々が焦げ付くのにしたがい、当局は更に大きな圧力を感じていった。狂気じみた暴落は、中国経済を不安定にさせた。”、と指摘する。

*最も不穏な一日

上海総合指数はずっとジェットコースター状態で、株式の初心者も共に乗り込んでいる。火曜日、投資家が、北京は策を講じて崩壊を阻止するであろうと推測した事によって、市場は先ず5.1%暴落し、その後5.5%増となり、これは1992年以来、最も動きのある取引日となった。一年間のマーケットの記録的な借り入れと暴騰に伴い、概ね持続不可能と判断された事が原因で、過去二週間で株式市場から、約1.9兆米ドルが蒸発した。

政策立案者は、投資家に冷静に市場の変動に対処するようねんごろに促し、同時に手段を講じて彼等を落ち着かせた。土曜日、人民銀行はベンチマーク金利を史上最低に引き下げた。《経済観察報》(The Economic Observer)の報告では、当局は現在、印紙税の削減を検討している。同時に、財政部は、恩給基金の株式市場への投資が可能になる、と発表した。

習近平政府は、繁栄する株式市場が、企業の借金返済を助ける事ができると期待している。個人投資家も、現在、借金の返済を必要としている。彼等は既に証券会社から2.08兆人民元(3350億米ドル)を借りて株券を買っている。

*Systemic Collapse(系统性崩溃)

シンガポール国立大学客員教授、及び、中国証券監督管理委員会の国際諮問機関のメンバーである梁定邦(Anthony Neoh)は、“当局は常に株式市場の変化に対して敏感だ、何故なら彼等は組織的崩壊(系统性崩溃)を恐れているからだ。健康な市場の場合、管理者にとって、何よりも先に検討しなければならない問題は、社会の安定を保証できるかどうかだ。”と指摘した。

“中国証券交換所”のデータによれば、26日までの六月分、中国では700万を越える個人投資家が市場に参入した。五月末までの過去12ヶ月で、新たに開いた取引口座は4000万を越えた。

《新華社》のデータによって比較すると、昨年は110万人しか中国共産党に加入しておらず、2013年の160万人に比べて大幅に下降している。習近平が大規模な反腐敗運動を継続して行っている事によって、党員人数の増加は緩やかになり、過去二年で約10万人の公務員が処罰された。

*株式市場の熱狂

中国株はまだ成長する余地がある。“嘉信理財公司”(Charles Schwab Corp.)の一月に発表された調査によれば、株式は中国家庭の金融資産の20%を占めており、現金及び銀行預金は45%を占めている。

そうではあっても、過去一年の株式市場の熱狂も頂点に達し、Fraser Howieの言葉を用いれば、多くの投資家は“意地の悪い、嫌な逆転”の被害を受けた。Fraser Howieは、《红色资本主义:中国非凡崛起的脆弱金融基础》(Red Capitalism: The Fragile Financial Foundation of China's Extraordinary Rise)の作者の一人だ。

“里昴証券(CLSA)”アジア・太平洋市場の前専務理事であるHowieは、シンガポールで電話での取材を受けた時、“市場への投資を拡大することは何も間違っていません、簡単な貯蓄以外に、分散投資を行う事も別に間違ってはいない。しかし、中国では、問題は、過去の数ヶ月に発生したのは、投資といえる物ではない。あれは全て投機だ。“と述べた。

原文In Communist China,Stock-Market Capitalists Now Rule -」

中共が、民衆の恩給まであてにしているとなると、中国にいる日本企業はどうなるのだろうと、少し心配です。

うわぁぁ与党の言論弾圧だあぁぁぁ

2015年07月03日 13時33分20秒 | 日記
今日も今日とて、民主党の枝野さんが、

国会で言論の自由についての質問をしていました。

言論の自由は大切ですよね。

以下は、「現代ビジネス」の記事です。

『「電波止めるぞ!」民主党幹部が目の敵にする表現の自由』

2012年03月13日(火)週刊現代


自由がないのが民主党[PHOTO]gettyimages

「「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ!政府は電波を止めることができるんだぞ。電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」

いまどき、こんな暴言を吐く政治家がいたとは驚くほかないが、これは民主党の輿石東幹事長の発言である。

「2月23日の幹事長番記者たちとのオフレコ懇談での発言でした。『野田政権が、税と社会保障の一体改革から社会保障の部分を切り離し、消費増税法案を先行させる見込み』というフジ他各社の報道を問題視し、『間違った情報を流しやがって!裏を取っていない情報を流すな!』と恫喝した」(大手メディア幹部)

輿石氏は「間違った情報」と言うが、報道の元になったのは、同じ日の前原誠司・政調会長の会見。前原氏が年金一元化など社会保障関連法案の提出を4月以降に先送りすると発言したため、前述のような報道になったのだが・・・・・・。

「民主党幹部の言うことがバラバラなんですよ。原因は党をまとめられない輿石氏の力量不足に他ならないのですが、自分のことは棚に上げ、マスコミに八つ当たりしている」(同)

それにしても、野田政権幹部のメディアに対する高圧的な姿勢は悪質だ。輿石氏は2月1日にも、朝日新聞の見出しが気に入らないとして、「またやったな!政治部長を呼んで抗議するからな」と吠えている。

前原氏も、産経新聞に「言うだけ番長」と揶揄されて激怒し、同紙記者を会見から排除。与野党からの批判で撤回したが、政治家としての器量の小ささを、自ら曝け出した。

さらにポスト野田の有力候補とされる玄葉光一郎外相も、2月9日の番記者とのオフレコ懇談で、沖縄の米軍基地再編問題に関する報道が気に入らないとして、「とくに共同通信の解説が酷い」などと、くどくどクレームをつけたという。

かつて小泉進次郎議員から「自由があるのが自民党。自由がないのが民主党」と揶揄された民主党だが、意に添わない報道を目の敵にする姿勢は目に余る。

この人たちには報道や表現の自由という常識は通じないらしい。

『週刊現代』2012年3月17日号より」

うわあぁ、こんな記事が!

権力による言論弾圧だー、

憲法違反だー、

さすが民主のドン!

自民党の若手議員の発言が、しょぼく見えます!

憲法違反?誰が?

2015年07月02日 00時22分05秒 | 日記
私は、憲法が専門ではありませんが、

以下の騒動について、疑問に思っている事があります。


先ずは、「朝日新聞DIGITAL」の記事をご覧下さい。

『報道威圧発言、日本新聞協会が抗議声明』

2015年6月29日21時16分

「自民党議員らによる発言について日本新聞協会編集委員会は29日、

「憲法21条で保障された表現の自由をないがしろにした発言は、

報道の自由を否定しかねないもので到底看過できず、強く抗議する」

との声明を公表した。

日本民間放送連盟の井上弘会長も

「言論・表現の自由を基盤とする民主主義社会を否定するものであって容認しがたい」

「日本の民主政治のレベルを誤解させかねない事態である」

とのコメントを発表。

日本記者クラブも声明を出した。

元政治部記者の日本テレビの大久保好男社長は同日の定例会見で、

「自民党の議員からこういった発言が出るのは信じられない。

自民党はどうなっちゃったんだろうかというのが率直な認識です」と述べた。」


ここでは、

「言論・表現の自由を基盤とする民主主義社会」と言いいますが、

自民党の議員の発言は、公式な物ではなく、

実行するかどうかも分からない段階での抗議ですから、

それを「立ち聞き」だけを根拠に、

政治家を弾圧しようとする

「日本新聞協会」「日本民間放送連盟」「日本記者クラブ」は、

ずいぶん高圧的な組織という印象を受けます。

言論弾圧は、寧ろ、媒体側です。


刑事事件の場合は、「盗聴」には証拠能力は無い筈です。

では、被害もなく、しかも、「立ち聞き」で、

ここまで大騒ぎをするのは、異常ではないでしょうか。

日本のメディアはどうなっちゃったんだろうか、と言うのが率直な印象です。


「立ち聞き」を根拠に、

ここまで大騒ぎをするのは、

世界中で日本だけだと思います。